果てしなきスカーレットのレビュー・感想・評価
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過去一の駄作でした
細田守のファンです
サマーウォーズは聖地巡礼もしました
個人的に過去一駄作です
内容がまとまってないです
細田守作品は3年に一度作品を作ってきましたが今回は4年という月日をかけて作成してました
その為期待してたし、未来に希望を持てる作品を望んでいました
結果は感情が動くことなく虚無になりました
ディズニー、ジブリ、今際の国のアリスの劣化版作品のように思えました
3Dの作画ではなく心温まる2Dの昔の絵が好きです
細田守作品サマーウォーズが好きだからこそ今回始めてコメントしました
細田守の3Dの技術を活かしてゲームの世界は3D
細田守が描く日常を2Dとして
新サマーウォーズ
キャッチコピーは
僕らの夏が帰ってくる
これで細田守は復活できると思います
年内にChao!を下回る作品が現れるなんて、、、
私は細田作品は
デジモンぼくらのウォーゲーム
サマーウォーズ
時をかける少女
が好きでした。
サマーウォーズはデジモンの演出で
細田さんに期待してパートナーと行き
面白かった思い出。
サブスクなどで
雨雪、ばけものの子、そばかす姫は
あまり好きじゃなかった、嫌、虚無だった。
最初はよくても、最後に向かうにつれモヤモヤ。
そしてスカーレット。
好きな人には申し訳ない、
個人的には今までの作品でも感じたが
細田さんは長編の物語作りが苦手なのでは?
と思うことが多くなり、スカーレットで
明確に演出専門に戻ってほしいと感じた。
物語を最後に進むにつれ尻窄み
霧のように離散する感覚。
ネタバレ、ネタバレか
いやもう内容が薄くて思い出せない。
テーマが重いのに脚本、物語が薄すぎて
カタルシスもない、復讐からの
希望的未来へ進む話なのに
皆なんでそんなにとんちんかんなんだ。
ハムレットは元々深い、神曲もそう。
・あの竜の立ち位置は?(ファンタジーだからとかじゃなく、スカーレットが許そうとしたのに龍が殺して現世にもどって『私は許す』のどこに感動したらいいのか。)
・地獄って死んだ人間が大きい顔できるくらい
緩いのか?(敵役が死んでるのもつっこみ所だがなんで側近まで?)
・え?何故そこにいきなりの令和日本人?
・焚火はわかったよ、わかったから。
・お父さん、現れたら冷めませんか?
・死にかけて目開けるまでの短時間で
敵に会えるくらい地獄は狭いのか?
駄目だ、頭が、
別に全部語らなくても面白い作品はたくさんあります。考察系もエンディングの意味は貴方が考えて系も、シュール系も大好物です。
ただこんなに薄いよくわからない
物語では何も残らない。
考察系でも、エンディングの意味は貴方次第
でもない。そこにとってつけたような台詞
多分、カタルシス要素やドヤ要素を水で
薄めて上積みに浮いて漂っている状態。
なんだか疲れた。アニメーションは綺麗でした。
これならもっとシュールに寄せたカオスに
した方が面白かったのでは。
※今【この映画を評価できない人は教養がない】
と仰せの方がいらっしゃるようですが、
まず、この発言が教養がありません。
別に好きなら好きでいいんですよ、否定派を
態々貶めるためにそう言ってるなら
それこそ教養がありません。
初めて映画みたんですか?
映画なんて教養なくとも楽しめないならそれは
もう映画じゃないですよ。
古典がわかれば楽しめる映画はありますが
この映画は古典を知ってようが知るまいが
ひどいのです。
この映画の中でハムレットの台詞を
逆に言ってますが、本当にハムレット読んで
落とし込もうとしたのか安直すぎます。
【教養】をたてに否定派を下に見る
表現にこの映画をだしてるならそれこそ
この映画に失礼です。
純粋に映画の好き嫌いで評価してる方が
余程教養ありますよ。
今の時代には評価されないんだろうな
映像は実写を見ている様に美しい。
特にIMAXで見たらそう思うだろう。
実写と合成しているのかと見紛うほどに。
アクションも素晴らしいと言って良いだろう。
かなり斬り合い殴り合いがあるけど大丈夫かな?
内容的には父親である国王を弟である叔父の裏切りにあって殺された王女が復讐に燃える話だが、
色々な人々との交流や戦いの果てについに許す境地に至る話だ。
だが今の時代には理解されない話だろう。
何を綺麗事を、と映画の中でもスカーレット自身が何度も言っているのに最後は殺された父の言葉を理解し叔父を許してしまう。
20年後に評価されるかもっと貶められるか分からないが、今の時代では重要だと思う事だからこそ理解されないだろう。悲しい時代だからだ。
だからこそこの映画を作ったのだろうと思う。
そして取り返しがつかなくなって改めて見ると自分達の愚かさに涙する日が来るのだろう。
そんな映画だ。
中世デンマークの王女スカーレットは臣民に愛されて平和な国家を作り隣国とは友愛と和平で共存しようと言う考え方の素晴らしい国王が父親なのだが、野心家の弟は隣国が攻めてくる前に進軍しようと訴えるが聞く耳を持たない。また野心家が好きな妃は国王を裏切り弟をたきつけて国王に無実の罪を着せて亡き者にする。叔父である弟が王位につき母親である妃は弟の妃に収まった。父親の復讐に燃えるスカーレットは密かに剣術や格闘技を習得し復讐の機会を伺った。ある時復讐のチャンスが訪れるがそれは裏切り者による罠で逆に殺されてしまう。
そこで終わるはずだったが、何故か生きている?
いや生きているのかと思ったらそこは死者の世界で所謂地獄だった。時間も空間も生も死も無い荒涼とした砂漠の様な場所を彷徨い仇である叔父を探す。
時間も空間も関係無い世界。既に叔父も死んでいる。
死んではいるが生きている?不思議な世界。
ただこの場所で死んでしまうと消えて虚無となる。
生きている形を維持したく見果てぬ場所(所謂天国)
を亡者は目指す。時代も国も何もかも違うのにそこに行きたがる。地獄の苦しみから解放されると信じているから。
そんな折どこからとも無く現代日本の救命士の聖と出会う。彼は死んでいる事を理解できず?この世界の事も理解していない。盗賊に襲われても襲った相手を救護していまう。
スカーレットは呆れるが、聖は盗賊を簡単に殺してしまうスカーレットにそうではないと説き彼女のブレーキとなるべく一緒に旅をする事となるのだった…
果たして仇の叔父は見つかるのか、時代も価値観も何もかも異なる二人は分かり合えるのか?
見果てぬ場所には行けるのか。
書きたいことが纏まらない
まだこの映画を見ていない人は、是非、大きいスクリーンかつ、人がスッカスカな平日昼間に見てほしい。
何故なら漏れた笑い声が他の人に届きにくいからだ。
正直、いま私は嬉しくて仕方がない。
数ヶ月に渡り大々的に広告を打った、ある程度の人数が鑑賞するであろう知名度のある、こんなすごい映画を、初日─しかも三連休前─に映画好きな大衆より先に見れたことが。
これからSNSで大きな祭りが始まると信じている。
私はそれを眺めて酒が飲みたい。
書きたいことが纏まらない、ので、とりあえず思いついたように書こう。私はねちっこい性格なので、衝撃を受けた出来事はずっと考え続けてしまう。きっと数年後でも思い出して何か追記することもあるだろう。
まずは個人的にこの映画の良かったところを挙げよう。
一つ、芦田愛菜さんを筆頭とした声優陣の演技が素晴らしかったこと。
二つ、各人の死に方が割と残酷だったこと。
以上だ。
とりあえず、今のところは以上二つのみだ。申し訳ないが、それ以外は基本的に良かったと言える箇所はない。
各俳優陣の演技の良さはもう言わずもがななので割愛する。今の疲れ果てた私の頭では「え〜!みんな上手〜!」くらいしか思いつかない。
恐らく、彼、あの〜彼というかアレと呼びたいが、ヤツは恐らくファンタジー世界で現実的にシビアに人間が苦しむ様が好きなんだろうということは、今までの作品からも察せられる。
私もそこは理解できるので、キャラクター達の死に様は結構良かった。2階から急いで駆け下りて出てきたら既に処刑されていたところ、脇のど真ん中に剣が刺さるところ。
それ以外はダメだった。
絵に関しても、3D映像は綺麗だが、細田守のあの繊細な雰囲気は消えてしまっていて、むしろのっぺりして見えた。映像が綺麗でも、絵が上手く見えない。
「綺麗」と「上手い」は明確に違う。
綺麗だからって上手いわけじゃない。
流石に少なくない本数の映画を見てきて、評論家と言えるほどの審美眼は一切ないし、映画に関わる技法なんかも知らないが、ただ、「意味がわからないけど面白い」ものの存在は感じている。
個人的には舞台演劇とか、宮崎駿の「君たちはどういきるか」なんかも正直全然よく分かってない。何言ってるか分からないけど、面白いものは面白い。
なぜ面白いと思えるかって、作者の思想が一貫していてブレがなく、それがそのままキャラクターやストーリーにも反映出来ているからだ。
しかし、これは意味がわからないだけで、普通に面白くない。
カットの度に別の脚本家がシナリオ書いてるのか?と思うほど、話がブツ切りで、登場人物の行動や言動が一致しないから。
場面転換のたびに話が進んでいるのは分かるが、そもそもこの世界の前提が何も分からないまま、どんどん画面だけが変わっていってしまう。
たまに腕時計で経過時間を確認していたが、覚えている限りでは開始45分時点で理解できていたのは、以下だ。
スカーレットが伯父に復讐しようとしていること。
何故か砂漠の世界を死後の世界と思い込んでること。
砂漠世界で死ぬと「虚無」になるらしいこと。
現実の世界と死後(今際)の世界があることは分かったが、なぜ死後世界の理をその世界にいる誰もが当たり前に理解しているのかは分からなかった。
例えば、死後世界で死ぬと「虚無」になることや見果てぬ場所が存在してることなど、それらを理解している前提に話が進むので、見ている私たちが置いてかれる。
※直前まで予定が押していて上映時間に1分か2分ほど遅れてしまったのだが、もしかして、その間にあの映画の中に出てくる世界(現実、死後世界含め)の理を全て話していたのだろうか。だとすれば惜しいことをした。
何も知らない私(たち)と同じ場所に立っているのは聖なのに、私たちは聖視点ではなく、基本的に何故か死後世界に順応してるスカーレットの視点なので、説明を受けられない。
死後の世界と見果てぬ場所の存在を全員が信じ込んでいることは自体は構わない。信じ込んでいる根拠を示してほしい。
全員が、死後世界に召喚された瞬間に何故か導かれる気がする、とかいうのでも文句は言わない。でも、そういった理由は私が最初に見逃した1~2分のうちに語られていない限り、知るタイミングが無かった。
実際は死後の世界に来た直後、らんま1/2に出てくるシャンプーの婆ちゃんみたいなヤツに色々吹き込まれるのかもしれないが、スカーレットの時はそんな話は無かったはずなので、やはり何故共通認識が存在してるのかが分からない。
この映画のように話が前後して申し訳ないが、スカーレットの王女時代の話がしたい。
父である王が殺されたあと、質素な服で過ごし地下で訓練するスカーレットを見て、私は真っ先にあの映画が思い浮かんだ。他にも同志がいてくれると嬉しいが、あの姫だ。白いけど白くない姫。
父王が処刑された後のスカーレットの扱いは結局どうだったのだろう。質素な様子で生活して地下で特訓はしていたが、伯父や母を含めた周囲の人間に迫害されていたり、ボロ雑巾のように働かせられていたり、兵士の一人として戦地に行かされたりはしていないように見えた。
死後の世界に行って早々、味方と名乗る人物達に裏切られた時に相当ショックを受けてる様子なので、城の中で図られるようなこともなく、毒入りグラスが初めての裏切りだったと見える。
つまりはそんなに悪い暮らしや扱いをされてるように見えない。そこまで可哀想に見えない。
彼女を主人公に据えるなら、やはり見てる側の復讐心にも薪をくべてほしい。
私はどうやら要約が苦手だ。まだまだ書きたいことがあるが、長くなりそうなので映画中に呟きそうになった感想を羅列する。
・聖以外の現代人は?医療知識のある人間は?
・おばあちゃんに楽器を習うシーン、最後の晩餐か?
・兵器は一体どこから来るのか
・おばあちゃんに貰った楽器ーーーッ!!!!
・お前ら死んでるから復讐止めても憎しみの連鎖断ち切れんやろ
・お前も容赦なく殺すんかい
・流行ったことにされてるダサ曲
・デンマークのコインだけで王女知ってる認定
見終わった後、ワンピースのオマツリ男爵を思い出した。
恐らく、細田守は昔から何も変わってないんだろう。
この映画を使った「話そう、もっと。」という広告があるが、もっと話すべきは細田守と、その周りの人々だと思う。
シェークスピアの「ハムレット」をオマージュした細田守監督のオリジナル作品。中世の文学をCGアニメで「魅せる」手腕は、もっと評価されても良いと思う。
現在の日本で、オリジナルの大作劇場版アニメ作品を制作する事の出来る監督は、庵野秀明、新海誠、細田守の三人だと思います。特に細田守監督の、前作「竜とそばかすの姫」で顕著だった、現実世界と電脳世界を融合させた表現が自分は好きで、その部分を難しく感じてしまう人がアンチコメントを付けていると思います。
前作では感動して3回も観に行ったのに、比較的著名な映画評論家までも低評価を付けていたのが残念でなりませんでした。細田監督は3年に一度のペースでコンスタントに作品を発表していたので昨年はワクワクして待っていましたが、前作で酷評されたことをバネに新作に取り組んでいる様子で、去年の公開は叶いませんでした。
私見ですが、細田監督の表現した「死者の国」は現在の世界感を現わしていると考えます。色々な人種が暮らしていますし、食事もしているし歌や踊りも楽しんでいます。一方盗賊の存在や命の取り合いもあって、ここで本当に死ぬと「虚無」になって形が保てなくなる。つまり死者の国(今の世界)の人々は「生死の境を彷徨っている」という比喩だと思うのです。
スカーレットを死者の国に追いやったクローディアスも死者の国にいるという事が判り、死者の国から脱出するための出口「見果てぬ場所」を独占するために城壁を作って立て籠っている状態。これに反旗を翻して死者の国の住民が城壁を打ち壊します。これは野蛮な大国や世界の富を独占している一部の財閥の比喩です。
亡き父アムレットの最期の叫びを聞いていた、ヴォルティマンドとコーネリウスから、アムレットは「赦せ」と言っていたことを知ったスカーレットは、見果てぬ場所で悔いているクローディアスを赦す事にしますが、クローディアスは手のひらを返してスカーレットを手にかけようとします。この部分は理由の如何に関わらず世界中で起きている紛争の比喩になると思います。
ここで天空に巨大な龍が現れて、落雷によりクローディアスは絶命しますが、これは天罰というか「人知の及ばない何かしらの抗えない力(天災など)」に遭遇したと推測しました。結果、大勢の人の中で唯一生きているのがスカーレットだと謎の老婆に指摘され、スカーレットは息を吹き返します。
女王となったスカーレットは民衆を前に、死んだ王と違い自分は隣国と諍いは起こさず、国民が豊かに暮らせる政を約束します。これは大衆が望んでいる政治を司る者こそ、本当に「生きている」存在になれるという比喩だと思いました。
追伸 「俺ではない炎上」で見事なキレ芸を演じた芦田愛菜は、この作品でも見事なキレ芸を披露しました。主題歌も彼女が歌っていて、学業をこなしながら多彩に演技の幅を拡げていく芦田愛菜から目が離せません。
こんなに美しいキスシーンをアニメでは見たことがなかった。
ラストシーンの消えていく聖と生者の国に帰っていくスカーレットのシーンだ。
この作品は、今までの細田守監督の作品を愛していた人には受け入れられないだろう。彼の今までの作品とはまったく違ったテイストだからだ。でも、変わらないところがある。それは、今の彼の中のトレンドをテーマにしているところだ。今回は、世界中で起こっている復讐から起こる争いをテーマにしている。細田さんは彼なりの解決方法を考え、映画にして世界に訴えたかったのではないか。「許すな」ではなく「許せ」と、彼は考えたかったので、そうしたらどうなるか展開していったのが、この物語だったのかもしれない。
聖はいらない。
細田監督が描きたかったこと、全体の物語の流れは理解できるし、悪くはなかった。
ただし何でもありの世界とはいえ、物語に説得力が欲しい。心変わりしたキャラがいるが説得力は低いし、存在理由も分からない。王様は分かるのに。
苦しい世界のはずなのに、意外と生きていけそうなのが違和感がある。食べ物はあるが、食べると苦しむぐらいで良かった。
脚本と世界設定をしっかりとすれば良い作品になる可能性があったと思う。原作、脚本を細田監督がやると誰も駄目だしが出来ないのだろう。
現代と結びつけたかったのだろうが、聖は余計でいらなかった。同じ時代の人間の方がすんなりと話に入り込めて良かったはずです。
二回目見て再確認。復讐の感覚がハマらない。
良くも悪くも芦田愛菜という感じ。
何というか、演技はうまいんだ…けど、彼女は幼くて明るい少女の声が上手いので、あのかん高い声の響きがキャラに馴染まなくて前半は違和感があった…。復讐のために生きてきたのに、暗さが声に宿ってない。岡田さんの聖も何かいい人すぎて…今時あんな善人の若者いるか?一部の汚れもない感じか嘘くさい。もっと人間味を持たせてほしかった。そして
冒頭は彼が死者の世界に辿り着いて、そこからスカーレットに出会って旅をする…からはじまって欲しかったな。芦田スカーレットも、復讐にとらわれた王女って、しかも中世って…主人公に据えるには理解されにくいような。
主人公の役割は作品と見る側を繋げて引き込むことだと思う。でも今作はあまりにも見る側の時代が違いすぎることと、彼女があまりにも復讐に邁進し続けるので感情が入っていかない…。そのため聖にその感覚を埋めて代弁してほしかったが、彼もあまりにも善人すぎてままならない…結果イマイチ感動できなかった。もう少しスカーレットに復讐をためらわせたり、悲しみや苦しみを吐き出させたり…なぜ彼女があそこまで復讐に固執するのかを納得させる描写が欲しかった。冒頭のあれだけでは弱い…母とも上手くいかずに孤立していたようだし…そういうスカーレットの心に触れる場面がもっとあれば違ったかも。
やっぱり聖を中心にした方がわかりやすかったんじゃないかな。現代人に復讐といってもわからないんだよ。感覚が。ハマらない。そこまでの熱がない。その私たちを引き込むためには、死者の国に迷い込んだ聖が復讐に固執したスカーレットと出会い、旅をして、あまりにも自分と違う人々の生き方に触れ…少しづつ自分の死の原因を思い出していく。敵に刺されて自分の死の瞬間を思い出し、そこから本当に復讐を彼なりにかんがえていく…。自分は通り魔に刺されて理不尽に殺された。自分の死を受け入れなければいけない!自分の家族はどうしているか?これからどう生きていくのか…。自分は何を望むのか…。自分事として考えることができるようになって、やっと、スカーレットをみることができる。(何かずっとピントが合わずに彼女をみている気がしたので…。)
そして復讐をやめてくれ、スカーレットに生きたい…と言わせる場面に説得力が出てくると思う。
だから、あともう少し現代を入れ込んでも良かった。
物語の舞台は壮大だが説明が不足している。あの竜の正体は?過去と未来、国籍も入り乱れているのに、現代人が聖だけ、スカーレットの時代の人々が多く現れる…ってご都合主義すぎ。一緒に見果てぬ場所に向かって山を歩いていた人たちは?いきなり消えたよね…。死者の世界の案内人のようなお婆さんも、もっと効果的に登場させて、物語と視聴者の橋渡しをして欲しかった。
とはいえ作品のテーマは良い。あくまでもテーマは。時々にグッとくる場面もあった。どう死ぬかはどう生きるかにかかっている。死後は未知の世界だ。天国か地獄かそれとも虚無になるのか。そこに向かうことへの恐怖。死んでも尚争いをやめられない、支配され続けている人の業。人々の愚かしさや哀れさを…そして優しさを描いて、生きることへの尊さ、想いを託して命を繋げていくことの尊さ…ということを描きたかったんだろうな~と見ていて思った。でも不完全燃焼感がハンパない。昨日見たもののけ姫の方が、人の業や、哀しみ、命の尊さ、無常感を感じることができた。このテーマを扱うのは早すぎたんじゃないかな?そして子どもウケは絶対しない。
小っ恥ずかしいメッセージ
まず、スカーレットが父を殺された復讐のためにある程度戦って死んだ(負けた)と思っていたのに、ただ毒殺されただけだった。武力がないんだかあるんだか、安定しない。
メッセージはなんかこう“復讐の連鎖が戦争を生むから復讐をやめろ”みたいな感じ。父親からの『許せ』がなにを許すのかわかならくて、結局スカーレットが自分自身を許すことだったのはちょっとよかった。スカーレットが、はっと気づくみたいなシーンが多くて飽きた。聖は名前の通り聖人。通り魔に刺されて死んでいた。敵でも治療する。なんで看護師の必要が?医者でよくない?
スカーレットの復讐相手がなんで死後の世界にいるんだよ…?って思ってたけど
スカーレットが生き返ったら(生き返ったというか死んでなかった?)復讐相手(父の弟)は毒殺されてたんだけど、部下たちみたいのなんで全員死んでたの??ちょっとよくわからなかった。
最後はスカーレットが王女になって、戦争のない国を作ると民衆に約束する。
映画館空いてた
まさに〈虚無〉であります
観ているうちに、これは細田守氏を監督に招聘した、たまに劇場公開している宗教プロパガンダ映画だったかと思い、間違えて来たかと不安になり、「いやいやオープニングで某テレビ局のロゴが出ていたよな…」と思い直す、そんな観賞状態でした。
全般に実写映像(CG?)を撮って、人物だけアニメ作画する作り方なのでしょうか、息を飲むほどの映像、動きがありつつも、時折、アニメ作画の質が安定せず(特にモブキャラ。メインキャラもたまに)、実写的背景との格差が大きいカットも散見し、このクオリティで出すのかと残念に思いました。
また、主人公スカーレットの身長やあの運動性を発揮する筋力、生い立ちなどを想定すれば、もっと太く、しっかりした声になるはずで、違和感を覚え、聞いているうちに慣れるかと思っていましたが慣れずに終わりました。(芦田愛菜さんが悪いわけではありません。好きな俳優さんです。キャスティングの問題かと)
その他、都市開発PVみたいなのが出て来たり、「あんた、いつからいたの?」と思うサブキャラの突然登場や、「王様が処刑された後の王妃や王女の扱いって普通はどうでしたっけ?」などなど、細かい「何で?感」や違和感がいつもより連なる脚本でした。
細田守監督作品は全て、何度も観ております。それぞれにメッセージやキャラも変わり、観る人によって評価の上下はあるかと思いますが、隅々まで品質の維持・管理はできていたはず。それさえ、もはや希薄になられた結果かと、ショックで頭の中が真っ白。まさに〈虚無〉となりました。帰りの運転が危うそうになり、すこし気持ちを立て直してから帰りました。
聖が実は、争いの無くなった遠い未来から来た、「癒し系(慰め系)AIアンドロイド」で、廃棄される寸前、何かの拍子でこの世界に現れた。という設定だったら、彼の行動の矛盾、モヤモヤも大方解消でき、もうちょっと面白くできたかなと思いました。
酷い部分が良い部分を凌駕してしまった...
初日、初回にIMAXで鑑賞しました。
自分は細田監督ファンで、前作の「竜とそばかすの姫」もやや難ある脚本でしたが、それ以外の部分が素晴らしく映画は4回観て、得装版の4Kブルーレイも購入してしまいました。
今作は俳優陣の演技も違和感なく良く、アニメーション、背景美術、音響など、技術面は素晴らしかったのですが、演出と脚本がちぐはぐしていて、登場人物たちに感情移入できませんでした。
中世デンマークが舞台で、その時代の人物(死者)たちが主に存在する「死者の国」に、何故か現代の日本人青年が登場するのですが、彼の存在が違和感ありまくりで、スカーレットが刺客たち殺されそうになって返り討ちにしても「殺しちゃダメだ!」と説教したり、何の躊躇もなく馬に飛び乗ったと思えば敵に集団に向かって「戦いはやめよう!」を宣ったうえ、助けに入ったスカーレットが窮地に陥ったりと、平和ボケにもほどがあります(終盤にはスカーレットを救うため方針を変えるのですが)。
また、スカーレットが窮地に陥った時、突如上空に龍が現れ、電撃で事態を打開してくれる事が何回かあったのですが、これもご都合主義にしか思えません。
予告編にもある現代日本で陽気にダンスを踊るシーンですが、導入に無理があるうえ今作の世界観と違和感がありすぎて、本当に映画館を出て行こうかと思いました。
復讐心に駆られたスカーレットがどうやって憎しみの連鎖を断ち切るのか?というのが今作のテーマの1つで、ウクライナやガザなど今でも戦争が絶えない現代に相応しい題材だったのですが、結局は綺麗ごとで終わってしまい残念です。
スカーレットを始めとした中世の登場人物だけに限定し、ダークな世界観で統一しておけば及第点ぐらいの出来にはなった思うのですが、余計な演出が差し挟まる事で作品の価値を大いに下げてしまいました。
ここまで酷評を書きましたが、今までの作風とは打って変わった世界観に挑戦した細田監督の心意気は素晴らしいと思うので、次回作に期待しています。
テーマ・・・時代の求めるもの
真摯に描かれ、多くのアニメーターたちが3年も4年もかけて
完成させた真面目で格調高い作品だと思います。
ただ戦略的に考えて物語世界が古臭くないでしょうか?
「ハムレット」を思わせる王の座を狙う叔父により殺された父。
その復讐を誓う
娘である王女スカーレット(声=芦田愛菜)
「死者の国」へ行き、死んだ父王のいる“見果てぬ場所」を目指す。
シェークスピア悲劇によくある死者の亡霊も出てきます。
おまけに、龍のような魔物まで。
(消化不良を起こしそう)
スカーレットを助ける現代から来た看護師の聖(声=岡田将生)
彼と共に2人の冒険の旅は続いていくのです。
爆発的人気の鬼滅の刃、
ダークで予測不能なチェンソーマン、
二つのヒット作に較べるとキャラやストーリーに新鮮味が薄く
凡庸に感じてしまいます。
今の時代が、中世デンマークを舞台にした王女の復讐物語に
新鮮な気づきや興味が持てるでしょうか?
【今みたいのは、これじゃない感】
拭い去れなかったです。
有名俳優を声優に使っても中身の薄さを補えるものではない。
芦田愛菜の熱演も頑張りすぎて痛々しいのです。
いきなりの原作もので、ドラマで積み重ねたようなブランド力がない
オリジナルアニメはよっぽどの画期的新しさ、エグさ、魅力がないと
難しいということが如実に現れた気がします。
「バケモノの子」とか「おおかみこどもの雨と雪」は
今観ても古くない。面白いのです。
決してストリーも作画も悪いわけではない。
ただエンディング曲も芦田愛菜ではなくて、
もっとクオリティの高いプロ歌手の歌うヒット性のある名曲を
聴きたかったです。
この作品はちょっと興行的に厳しいと思います。
かなりお客さんが少なかったです。
ファンの皆さんごめんなさいm(__)m
IMAXで鑑賞、私は乗れませんでした。
漫画版「風の谷のナウシカ」のクシャナ様的なスカーレットを期待していた私は絶望(笑)。
兄王を処刑しておいて、その娘をそのままにするのは疑問。
復讐心まる出しな剣術の訓練でスカーレットの成長を描いているが、
殺さないまでも幽閉ぐらいするだろ。
兄王に重臣がいないのも疑問。
ストーリー的には、幽閉されていたスカーレットを元重臣達が逃がして、
元重臣の一人に剣術を学ぶ。しかしその元重臣達は次々と弟王に殺されていき
ますますスカーレットは復讐に燃えるのだった・・・
・・・みたいな感じを見たかった私は絶望(笑)。
細かいところをすっ飛ばしすぎで、ちゃんと丁寧に描いてなくて絶望。
民衆を率いて立ち向かうスカーレットを見たかった私は絶望。
でも冒頭で「デンマーク」と字幕で出たので実話かな、実話なら史実にのっとって
描いてるのならしょうがないか・・・
て思ったら!
ストーリーのモデルは「ハムレット」かよ!
で絶望(笑)
そして・・・
主人公のスカーレットが感情的になると
毎回「はぁーーーーーーー」
の台詞ばかりで笑ってしまった(笑)
あ、前の映画でそんな表現あったなって
思い出しました(笑)
シーンでは何かと真っ白になっちゃうし(笑)
そんなに「愛」について描いてないのに「愛」押しで疑問。
「愛」って聖の救護の事かな・・・(笑)
聖!矢を放つんかーーーーい(笑)
で疑問。
最後は取ってつけたような「お涙ちょうだい」の別れのシーン・・・
ドラゴンは何だったの?
おばあさんいらんだろ!
なぜサンバ押し?
弟王の毒殺計画したのに現世に戻ってきて綺麗なベッドで介護されてたの変じゃない?
その他いろいろ疑問が大渋滞でした(笑)
でも芦田愛菜の歌が聞けて良かった!
「3DCG技術はここまですごくなったんだよ」って自慢されているような映画でした(笑)
前作の「美女と野獣」といい何とかしてください(笑)
超絶難しいテーマを扱ったことについて考えさせられた作品
映像は素晴らしい。とくにドラゴンはよかった。最後のモブ戦闘シーンは大迫力だ。
しかし、どうしても問題点ばかりが気になる作品だった。
普段私は作品の良かった箇所の感想を書いている。せっかく見た作品だ。良かったところを覚えておく方が得なはずだ。でもこの作品は、問題点について考えることの方に意味がある作品のような気がする。2時間程度では本当は語れないような「根深い問題」にチャレンジした作品なのだ。
この作品のテーマは「憎しみ」だ。主人公は父を殺された憎しみに囚われて生きている。大事な人を殺された憎しみは、まぁいいか、とはならない。それはときに戦争の要因になる。実際、今も続いているガザの戦争は憎しみの連鎖だ。憎しみは悲劇を生む。そんなのよくない。誰にでもわかる。でも「憎しみの連鎖」はずっと人類が解決できない問題だ。
この作品は、中世デンマークの王女スカーレットを主人公にしている。私たちとは境遇が大きく異なるスカーレットは、私たちと大きく価値観が違っているはずだ。なので普通の作品なら、スカーレットの物語を通して「私たちの価値観」を揺さぶる構成にするのが常套手段だ。でもこの作品は逆なのだ。現代人の「聖(ひじり)」を登場させることで、スカーレットに「現代の価値観」をぶつける。それを「憎しみの連鎖」を断つきっかけとして使う。これは無茶だ。中世の命を懸け戦う王女に、憎しみを捨てろと言わせるのは、現代人には荷が重すぎる。いくら命と向き合う仕事をしていたとしても、スカーレットに比べて言葉の重さが違いすぎる。スカーレットの境遇や苦しみにショックを受けて、聖の方が変わって行く方が自然な構成になっているのだ。なのになぜこの構成にしたのだろうか。
(ここからは私の想像なので的外れかもしれない。)
憎しみをテーマとして扱うなら「許し」を描かなければならない。それにはスカーレットにとって「許し」が如何に難しいか、を描く必要がある。中世の方が私たちより「恨み」は根深くて「許し」は難しかったはずだ。しかしそこを丁寧に描いていると時間が足りない。それだけで一大テーマだ。だからスカーレットを現代人の価値観に近づけた。現代の価値観を知ったスカーレットが「それでも許せない自分」と向き合う。そうすることで、観客が共感しやすくなる。観客は自分の価値観を変えることなく、スカーレットと一緒に「許し」の問題に向き合うことになる。そしてそこまで観客を連れて行ったあとで「許せない自分自身を許すこと」の大切さを描く。そうなっているのではないか。
この私の仮説が正しいなら問題は明らかだ。これだと観客は価値観を壊されない。今までの価値観の延長上に答えがあることになる。確かに「許すべきは相手ではなく自分自身」と言うメッセージは力のあるメッセージだった。それでも、スカーレットの方が私たちの方に寄って来てはダメだ。せっかく彼女の物語を見てきた私たちは、スカーレットの方にジャンプしないといけないはずだ。
この作品の問題点は、言うは易しだ。じゃぁ、どうすればよかったのかなんて私にはわからない。中世の王女の気持ちが、少しでも自分事として「わかった」と思えるためには、そこを丁寧に描く必要がある。それをやりながら、この作品が伝えたかったメッセージにたどり着くには、2時間程度ではぜんぜん無理だ。では、中世を舞台にせずに現代にすればよかったのだろうか?そうすれば共感の障壁は近いはずだ。いや、それだとこの作品の扱うテーマはリアルすぎる。戦争は今の私たちにとってリアルすぎてファンタジーにならないのだ。歴史物語にメッセージを仮託することは必要だったのだと思う。でも歴史物語の主人公が現代の価値観を語っていると、それはどうしても「薄っぺら」の印象になってしまう。
それでもこの作品が目指したところはとても共感する。志の高さは本当に素晴らしいと思う。映像美も素晴らしかった。間違いなく、見てよかった作品だった。
憎しみを捨て愛を知る物語だけに留まらないらしい
聖に出会いスカーレットが変わっていくお話。
近未来の渋谷が何度か出てきますが、それがひとつのサインかと思います。
冒頭、カーニバル風の歌のみが流れ、途中、おそらくは集中治療室にいる聖の場面から誰もいない渋谷の街にカーニバル風の歌が流れる。
そして、スカーレットに未来に流行った歌として聖が歌ったときに、同じカーニバル風の歌が流れスカーレットが近未来の渋谷で自身に似た女性と聖に似た男性が一緒にダンスを踊っているビジョンを観て、復讐しかなかった自身の生き方を見直すきっかけとなり、翌朝、ビジョンで観た女性と同じように髪を短く切る。
聖にビジョンの話をして、ダンスを聖がリードしてくれたと言ったけど、聖はフラを上手に踊れないほど踊りが下手なので、自分ではないと否定。
よくよく考えると、これはスカーレットが女王に即位し世界をよくした結果、近未来の渋谷で、死ぬことの無かった聖とスカーレットの子孫(生まれ変わり)が出会ったということなのだなと思いました。
エンディングの歌詞にも、そのようなことを暗示する歌詞が組み込まれてるので、実は中ほどの近未来の渋谷が真のエンディングなんだなとも思いました。
最後のシーンは、聖が虚無とかすので少し悲しかったですが、まぁ、そうなるよねという印象。
尺の関係で少し話が唐突な部分も有りますが、よくまとまっていると思いました。
小説版では映画で省かれた部分が丁寧に書かれている一方で映画版では小説版にはないアレンジもされているとのことなので、小説版を読んで鑑賞すれば新たな驚きがあるかもしれないと思いました。
まとめサイトによると凄い仕掛けが織り込まれているとのこと。
なので、個人的には、酷評するほどの作品ではなく、良い作品だと思います。
もっと細田さんの絵が見たかった
個人的には細田作品は最新作のたびにワーストを記録し続けているが……今回もそうなってしまった。
微妙だなと思った理由を以下にいくつか挙げていく
- 最初と最後のそれぞれ5分以外を除いて、ほぼ3D映像。3Dの絵はなんだか安っぽく見えることがあり、わざわざ映画館に映像体験を楽しみに来てる身としてはこれは少し微妙だった。もっと細田さんの「シャドウが描かれていないけど、立体感を感じさせる」あの絵が見たかった
- 主人公2人の交流にもっと深みが欲しかった。最終的にキスまでしちゃう2人だけど、そこへの納得感が低かった。もっと2人が信頼感を深ませていく様子を見たかった
- 演出がちょっと微妙だったような。3Dの絵を見せることに固執してるあまり、ダンスシーンなども結構単調な画作りになっていたように感じた
こんなことを言ったら元も子もないかもしれないが、俺は「時をかける少女」のような細田作品がまた見たい
生きるとは、死ぬとは。自分を赦し限りある命を無駄にしない。苦しむなかれ、悲しむなかれ、只楽しく生きよ。
ネタバレありの感想です。
離婚した人、裏切られた人、大切な人を失った人、
自分を赦せずにいるすべての人へ。
生とは、死とは。そして、赦すこと。自分を赦すこと。復讐などに明け暮れて、人生を無駄にしてはならない。例えば離婚したなら、引きずらず自分を赦して命あることを謳歌したら良い。こだわらず。新しい出会いに心許していく。時間は待ってはくれない。人生を大切にどうぞ。
果てしなきスカーレット ── 私が三度泣いた理由
劇場の灯が落ちた瞬間、空気が凍るような静寂の中で、私は初めて彼女と出会った。
スカーレット。
瞳に燃える復讐の火を抱えた、たった一人の王女。
細田守監督が四年半をかけて紡いだこの物語は、私の心を抉り、焼き、溶かし、最後には優しく包み込んでくれた。
一度目は混乱し、二度目は怒り、三度目にしてようやく、私は彼女の涙の意味を理解した。
そして、嗚咽が止まらなくなった。物語は、中世のデンマーク王国で幕を開ける。
父王を叔父クローディアスに殺され、王位を簒奪されたスカーレットは、死んだ。
だが死は終わりではなかった。彼女は「死者の国」──灰色の空が果てしなく続く、魂だけの荒野──に落ちる。そこで出会ったのは、現代の日本から迷い込んだ看護師の青年・聖だった。
彼は言った。
「赦すとは」
その一言が、復讐に染まった少女の心を、ゆっくりと、でも確実に蝕んでいく。最初に胸を締めつけられたのは、死者の国を歩く二人の背中だった。
風が吹くたびに灰が舞い、亡霊たちが無言で道を塞ぐ。スカーレットは剣を握りしめ、聖はただ傍にいる。
言葉は少ない。けれど、沈黙の重さが、たまらなく痛い。
彼女は叫ぶ。
「赦すなんて、できるはずがない! 父を返せ! 私の全てを奪ったあいつを、殺さずにいられるはずがない!」
その声は、割れたガラスのように鋭く、私の鼓膜を貫いた。
わかる。あまりにもわかる。
誰かを失ったことのある者なら、誰もが一度は抱いたことのある憎悪だ。
私はスクリーンの前で、拳を握りしめていた。
この少女の痛みは、シェイクスピアの『ハムレット』を思わせる。父を叔父に殺され、王国を奪われたハムレットの苦悩を、細田監督は現代の私たちに投げかけてくる。だが、ここで違うのは、スカーレットが一人で抱え込まず、聖という光の存在に出会うこと。看護師の彼は、戦う剣ではなく、癒す手で彼女に寄り添う。穏やかな眼差しが、灰色の荒野に小さな灯りを灯すのだ。それから旅は続く。
死者の軍勢との戦い、闇に包まれた城。
剣戟の火花が夜を裂くたび、私は息を呑んだ。
作画とCGが溶け合う瞬間は、まさに奇跡だった。
スカーレットの髪が風に靡き、マントが血のように翻る。
彼女が剣を振り上げるたびに、スクリーンが脈打つ。
生きている。
この少女は、今ここで、確かに息をしている。
芦田愛菜の声が、少女の脆さと怒りと、それでもどこかに残る優しさを、すべてさらけ出していた。
役所広司のクローディアスは、底知れぬ闇をたたえながら、どこか哀れですらあった。
岡田将生の聖は、ただ静かに、ただまっすぐに、彼女を見つめ続ける。
その視線の温もりが、私の頬を濡らした。
細田監督のこれまでの作品――『時をかける少女』や『サマーウォーズ』――では、家族や友人の絆が奇跡を呼ぶが、本作ではその絆が「赦し」というテーマに昇華される。死者の国は、ただのファンタジー空間ではなく、私たちの心の闇を象徴する。亡霊たちは、過去のトラウマの化身。灰色の空は、憎しみに覆われた心。スカーレットが一歩進むごとに、風景が微かに色づいていく描写が、胸を打つ。岩崎太整のスコアが、低く響くチェロの調べで、絶望の深みを増幅させる。戦いのシーンでは、ドラムが心臓の鼓動のように鳴り響き、観客の息を奪う。道中、二人はさまざまな試練に遭う。
老婆の導き、墓掘り人の予言、ドラゴンの咆哮。
これらは、ダンテの『神曲』を思わせる。地獄の門をくぐり、煉獄を這いずり、天国への道を探す旅。スカーレットは、父の幻影に苛まれ、クローディアスの過去を垣間見る。叔父の業は、単なる悪ではなく、奪われた痛みの連鎖だった。父王の時代、王国は繁栄したが、クローディアスは、兄の影に潰され、愛を失い、狂気に陥った。スカーレットがその真実を知る瞬間、剣先がわずかに揺らぐ。復讐は正義か、それとも新たな闇を生むのか。聖の言葉が、静かに響く。「君の痛みは、僕の痛みでもあるよ」。看護師として、数え切れぬ死と向き合ってきた彼の共感が、スカーレットの壁を溶かす。
私はここで、二度目の涙を流した。なぜなら、それは私の物語でもあるから。日常で抱える小さな恨み――失った仕事、壊れた関係、癒えぬ傷。スカーレットのように、剣を振るわず、ただ受け止める勇気が、どれほど難しいか。そして、あの夢のシーン。
死者の国の果てで、スカーレットは聖の夢を見る。
そこは、未来の渋谷。
ネオンが煌めき、無数の人々が笑いながら行き交う。
突然、音楽が鳴り始める。
スカーレットは、キラキラしたドレスを着せがまれて、照れながらも踊り出す。
聖と手を取り、くるくる回る。
灰色の世界で凍えていた彼女の頬に、初めて笑顔が灯る。
その笑顔が、眩しすぎて、私は目を覆った。
涙が溢れて、指の間から零れた。
ああ、そうか。
彼女はこんなふうに笑いたかったんだ。
父が生きていた頃、きっとこんなふうに、誰かと笑い合いたかったんだ。
このミュージカルシーンは、賛否両論を呼んでいるだろう。唐突に感じるかもしれない。だが、それは意図的だ。死者の闇から一転、未来の光をぶつけることで、赦しの可能性を示す。渋谷の雑踏は、多様な魂の交差点。スカーレットが踊る姿は、復讐の鎖から解き放たれた自由の象徴。歌詞が、心に染みる。細田監督の前作『竜とそばかすの姫』で描かれた仮想世界の輝きを、現実の希望に変えた瞬間だ。クライマックスは、見果てぬ場所──クローディアスがいる最果ての地。
スカーレットは剣を突きつける。
だが、クローディアスは門の前で懺悔している。
「民を見果てぬ地へ連れていくために悪いことをした。赦してくれ。」
その告白に、スカーレットの剣が震える。
赦すことなど、できるはずがない。
でも、赦さなければ、この憎しみの輪は永遠に回り続ける。
彼女は剣を下ろした。
そして、泣きながら言った。
「……許します。殺された父の娘の私に謝って。 」
その瞬間、光に包まれたが、クローディアスは根っからの屑だった。
ドラゴンの雷撃にやられ虚無となった。
赦しを宣言した瞬間に、相手が救われるとは限らない。
赦したからといって、悪が消えるわけではない。
それでも、赦すという行為は、自分を鎖から解き放つための、たった一つの鍵なのだと。
赦したからこそ、次の朝を迎えられる。
赦せなかったら、永遠に死者の国を彷徨い続けていただろう。これこそが、今この時代に必要な赦しの形だと思った。
綺麗事ではない。
血と涙と、やりきれない思いを残したまま、それでも「赦す」と口にする勇気。
相手のためではなく、自分のために。
老婆の言葉が、蘇る。
私は泣いていた。
隣の席の知らない人も、肩を震わせていた。
誰も何も言わなかった。
このラストは、『ハムレット』のifストーリー。ハムレットが復讐を選ばず、赦しを選んだ世界。細田監督は、現代の戦争――ウクライナの惨劇、パレスチナの叫び――を念頭に、この祈りを描いた。完璧ではない。脚本の粗さ、説明の不足がわかる。だが、それが人間らしい。赦しは、完璧な論理から生まれるものじゃない。泥臭い、涙まみれの決断から生まれる。エンドロールが流れる頃、私は放心していた。
「生きるって、赦すことなんだね」
それは、説教でも教訓でもない。
たった一人の少女が、血と涙と絶望の果てに、ようやく辿り着いた、彼女自身の答えだった。
細田守は、完璧な物語を届けてくれなかった。
ご都合主義もあれば、説明不足もある。
ミュージカルの唐突さも、確かに気になる。
でも、それでいい。
人生だって、こんなふうに乱雑で、理不尽で、でもどこかに光を見出してしまうものだ。
完璧じゃないからこそ、スカーレットの涙は私の心に染みた。
赦せないと思っていた誰かを、ふと思い出して、胸が痛んだ。
もう会えない人を、許したいと思った。
許せたら、きっと楽になれる、と。
この映画は、細田監督の挑戦だ。従来の明るいファンタジーから一転、闇の深淵を覗き込む。死者の国は、コロナ禍の喪失、SNSの分断、社会の憎悪を映す鏡。聖の存在は、私たち観客の代弁者。看護師として、死生観を体現する彼を通じて、監督は問う。「君は、赦せるか?」。私は、三度目の鑑賞で、ようやく頷けた。赦すのは、簡単じゃない。だが、試みる価値がある。劇場を出たとき、空は茜色だった。
まるでスカーレットのマントのように、まるで彼女が燃やし尽くした復讐の炎が、最後に優しい夕焼けに変わったみたいに。
私は歩きながら、涙がまた溢れてくるのを止められなかった。
果てしなきスカーレットは、終わらない。
彼女の旅は、私の中に生き続ける。
赦せない思いを抱えたまま、それでも明日を生きようとする、すべての人の胸に。
この映画は、祈りだ。
戦争が続き、憎しみが連鎖するこの世界へ向けた、愚かで、痛々しくて、それでもまっすぐな祈りだ。
細田守のこれまでのフィルモグラフィーを振り返れば、『おおかみこどもの雨と雪』での母の孤独、『バケモノの子』での父子の葛藤、『未来のミライ』での時間の渦。すべてが、家族の絆と成長の物語だった。だが『果てしなきスカーレット』は、それらを内省的に昇華。スカーレットは、母でも姉でもなく、王女として王国を背負う。彼女の成長は、個人を超え、社会の癒しへつながる。死者たちの和解は、単なるハッピーエンドじゃない。赦しの連鎖の始まりだ。もしこの物語が、現実を変えられたら。ウクライナの冬、パレスチナの砂漠で、銃を下ろす人が一人でも増えたら。
私は、そんな夢を見る。スカーレットが、世界を優しく染める夢を。私はもう一度劇場に通うだろう。
四度目、五度目。
そのたびに新しい涙を流し、新しい赦しを見つけるために。
スカーレット、ありがとう。
あなたは、私の心を永遠に染めてくれた。
そして、聖のように、傍にいる誰かに、感謝を。
生きるって、赦すこと。赦すって、愛すること。
この果てしない旅を、共に歩もう。
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