果てしなきスカーレットのレビュー・感想・評価
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赤いピアス
お姫様の耳に飾られた赤いピアスが印象的でした。ピアスと言えば、「ミツバチのささやき」という映画でも、主人公の耳にピアスが輝いていた。それが幼い彼女を少年に見せない、女性らしさを表した象徴でしょうか。
映画として、とても面白かったです。本当です。よくある復讐劇かと思いきや、いきなり主人公と一緒に(冒頭で前振りはあったけど)死後の世界に放り込まれる、その仕掛けはとても面白かった。あれれ? お姫様は死んじゃったのかな? なんで? と、それを知るまで目を離すわけにはいかなくなる。
矢継ぎ早に(字、あってるかな)現代看護師の聖くん登場。もうポカンとなりました。中世とかそういう時代の話だと思っていたのに、SFか、はたまた異世界もの的な演出なのか。矢継ぎ早といえば、聖くんは弓使いでしたね。きっと高校とかで弓道部で慣らしたんでしょう。素人には弓が引けないと聞きます。
それはひとえに、未来の都会で踊るお姫様のシーンを描きたかったからなのか。看護師として現代医学で活躍する面白さもあるんでしょうけど、それが、復讐に生きるお姫様に、「もっと色んな人生があるんだよ」という可能性を示唆するための使いなのでしょう。
使いといえば、あれはなんだったんだろう。天空から襲来する龍の雷。仙人めいた達人のおばあさん。(ここから大きなネタバレですが)そもそも、何故、お姫様は生きながら死後の世界に落ちたのだろう。「仮死状態だから」という理由付けも考えられるけど、「世継ぎの女王様に課せられた試練」みたいに考えれば、「本当だった初代女王の伝説」みたいで面白い。
そういえば、アレと似てますね。「西遊記」で三蔵法師様が天竺に旅立つきっかけは皇帝陛下の地獄巡り。目を覆うほどの世の乱れに悲嘆したお釈迦様は(孫悟空の天界荒らしが収まってから)皇帝陛下を召喚したエピソード。こうして地獄巡りを経たお姫様は、新たな女王としてスタートを切る結末だったのですが、この映画はそこで終わりだったので、行く末は祈るほかはないでしょう。
最後の民衆に向けた演説で、不信感で顔を歪めた民衆に女王は演説。それを聞いた民衆は笑って新女王を湛えるんですが、なんでしょう。「しょうがねぇなあ。そう云うなら、まあ良いか」という苦笑いにみえたんですよね。なんていうか、あっけらかんとした流れだったし。そりゃ信用できる訳はないけど、前の前の王様は良い人だったし、なんとかなるかな? というところでしょうか。
文頭でも書きましたが、やっぱり自分の一番の印象は、耳の赤いピアス。あれをしっかり見せたシーンは腕に銃弾を受けて聖くんの治療を受けるシーン。脱がされそうになって「恥ずかしい」と思わず云ってしまったところとか。
そこまで復讐の鬼、男勝りの戦士っぷりだったのが、ふと少女の頃に戻ったような振る舞い。昔、優しい父親と過ごした明るい少女の頃の象徴が、あの赤いピアスだったと思う。映画が進むにつれ、戦い続け、傷ついて、いろんなことが起きる中で、ふと、少女の頃の彼女が顔を現しはじめる。如何に復讐に魂を燃やそうと、その少女の頃の彼女の本性は変わらない。その本性に逆らっているからこそ、お姫様は辛く悲しく不幸な道に歩んでしまっているのではないかと。復讐しなければ前に進めないけど、もしそのことを「許す」ことが出来たなら、本来の幸せな自分を取り戻すことができる。「色んな人生の可能性」も「都会で踊るシーン」に示唆されているけど、「本来の自分に立ち返る」というのも自分がこの映画に感じた根幹であると思います。
後は「生きたいと云え」とお姫様に訴えた聖くんの言葉でしょうか。もしかしたら、看護師として患者を励ます手段だったのかも。だとしたら、災害の現場で奔走するような、筋金入りの看護師だったのかもしれません。
ちょっとこの映画の評価が低いのが気になりましたが、個人的には十分楽しめたつもりです。割高のドルビーだったせいか、数人しか観客がいないがら空き状態。流石ドルビー、エンディングの澄んだ歌声が実に素晴らしかった。
PTSDの少女がおっさんにボコボコされたけど、おっさんに救われた物語
まさか自分でこの評価をつけるレベルの映画に当たるとは思ってなかったし、星1なんてつけたくなかったです。
言うてみんなやばいやばい言うけど、そんなにやばくないだろ~!意外に良かった!ってなるパターン!って思ってたのに、てか思えるタイプのはずなのに
オススメ出来るかと言われると、別の映画見たほうがいいですと言います。
まるで高熱のときに見る夢。私はこれのおかげで昨日疑似インフルエンザにかかったので今冬は健康に過ごせそうです。
映画館で笑いをこらえまくって、終わったあとめちゃくちゃに車の中で爆笑してしまった。
とにかくシリアスな笑いを誘うシーンが多すぎます。
特に焚き火囲みながら急に復讐の鬼と化したヒロインのスカーレットに
ヒーローの聖が「君は生まれ変わったらどうしたと思う?」とか言うて
急にめちゃくちゃ謎の長いビッグバン入って(本当に長かった、なんだあの時間?)
渋谷の街で大勢の人が踊り始めるのマジでやばかったです。
スカーレットが「時代を……越えた……」「あの踊ってたのは私だ……!」とかいうの真顔ではいられんでした。もうちょっとなんかあっただろ。
曲は良かったんだけど、挿入するタイミングが謎すぎて
曲☆2、挿入タイミング-☆2、プラマイゼロ みたいな感じになりました。
なんかこの透明な階段登ったら弟がいるぞ、ついに復讐だぞ!!っていうシーンで
腕広げて胸張って優雅にゆっくり階段登っていくスカーレットとか、どういう気持ちで見たらいいのあれ?笑うシーンではないんですか?あれは。
聖が実は死んでました、のミスリードにしては下手くそすぎる……って部分もあったりして、最後のシーンも何となく腑に落ちず。
あんなに「お父様何!?聞こえない!」って言ってた割には、最後の民衆の声あの距離じゃ絶対聞こえてないだろって思ったし、そもそも民衆多すぎてもう、そういうシュールさが物語に集中できなかったです。色々ツッコミどころがありすぎて、大変(腹筋が)苦しい映画でした。
ボボボーボ・ボーボボを大真面目にやったらああなるんだろうか。そういうのに近い気がします。
スカーレットといい感じになった聖が最期スカーレットに
「生きたいって言え!」「いやだ!聖と離れたくない!」「ダメだ!生きたいっていうんだ!」「…生きたい!」「もっと大声で!」「生きたい!!」「もっと強く!!」「生きたいっっ!!!」
の連呼でもう、なんだこれ?ここもシュールな笑いポイントでした。
そんなに連呼せんでも。ニコ・ロビンでもそんな言わんぞ。
あと初っ端ゲロ吐いてる声だし序盤まじで「ハア…ハア…!」っていう息遣いしかしてなくて
なにをみせられているんだ!?ってなりました。
ぶん殴られて「ぐっ!」とか、泣き声とか叫び声ばっかりで結構序盤でドン引いちゃいました。
いちいち叫び声が長くて「もういいて……そろそろ切ったれよシーン……」ってそういうふうになっちゃうくらいには、なんか不要なシーンも体感多かったです。
そういうのひとつでも没頭感って無くなるんだな…とお勉強になりました。
しかもそういう痛めつけられるシーン全部おっさんにやられてるんですよね、マジでさ、どういうこと?同人誌?
ハムレット王を殺したその後に、弟がスカーレットを投獄して、屈辱的な日々を味わって、でもお父さんが最期になんか私に対して叫んでたしそれが生きる活力!!絶対弟許さん!!!みたいな復讐にすればよかったのに
普通に弟はぬくぬくスカーレットを王女暮らしさせてて、一応ずっとスカーレットは復讐心は持ってて、そのためにずーっと鍛えてるシーンばっかり映されたけど、あっそういう鍛錬は普通にそういうの弟は許しちゃうんだ…って思ったし
いうて弟に睡眠薬仕込んででナイフ突き立てようとして失敗、自分が死にましたーオチ、もう、色々浅い!
一応王女だけど、民のそういうシーンも 窓越しに親が連れて行かれて、子供が追いかけて転んで、みたいなシーンを窓叩いてフーフー言いながら泣いてるシーンだけで
スカーレットマジで民のこと好きなん? 変に叫ばせるシーン入れるならもっとそういう城下町ターンで印象付けたほうがよかったんでは…って思いました。
ここまでやるなら恋愛要素いらなかったのでは?と。
誰も信頼できない少女が、ひたむきに信頼できるかけがえのない唯一のバディを知った、くらいでいいのに
なんでそこ中途半端に恋愛絡めちゃったんだろう…逆にチープに見えちゃった、これは私があまり恋愛モノを見ないから、そう思うだけなのか…?ってなりました。
一応元ネタのハムレット調べてみたけどこれハムレット元にするまでもなかっただろうに
復讐モノ作りたいな!ハムレット持ってこよ!ってなったにしてはあまりにもお粗末すぎてシェイクスピア地獄で泣いてるよ
復讐譚としても中途半端、恋愛も中途半端、スカーレットの成長の物語にしてもなんかいまいち何を伝えたいかわからない、全部が中途半端にとっ散らかった気がします。
短髪になってからエッグい作画崩壊してたような気がしてならない。
なんか髪の毛の束感とか顔の感じが急に変になった気が……三つ編みのボロボロ顔のほうが作画いいってどういうこと……?
以下箇条書きストーリー。
・現実は中世デンマークが舞台
・ハムレットっていう王様がいて
・その王様は心優しく、スカーレットという娘がいる
・スカーレットはハムレット父王様が大好き
・隣国とプチ争いしているが、ハムレットは話し合いの姿勢
・その弟クローディアスは兄ハムレットが嫌い
・クローディアスは「話し合いなんぞで解決できるか!戦争だ!」のスタンス
・お妃様がいるが、「私は『王』の妻ですので(だからクローディアスが王であればその妻ですみたいな…悪女…)」って言う感じ
・とある日、クローディアスが反逆者だとしてハムレットを告発し捉えて処刑する
・ハムレットを処刑したのは4人の男たち
・スカーレットはハムレットの処刑前の最後の言葉を聞き取れなかった
・スカーレット絶対クローディアス許さないマン
・戦争になってどんどこ悪くなる国
・スカーレット、復讐を決意!
・とある日スカーレットが弟に睡眠薬を盛って暗殺しようとするが逆に毒を盛られて死亡
一応ここまでが現実世界の序盤
そこから死後の世界(厳密には生も死もない次元の狭間みたいな世界)がメインで進んでいきますが
そこで弟はまたしも国みたいなもの作って「みんなで天国へー!」みたいなこと掲げてて、最終的には
・ハムレット王を処刑した4人のうちの2人が王の最期の言葉は「許せ」だったことをスカーレットに教える
・その許せは何に対しての許せなの?クローディアスを?許せるはずがない!になるスカーレット
・最終的に「自分を許せってことだったんだ…」と自己解決
・クローディアスは裁き(謎のドラゴンに雷を落とされる)を受けて死亡
・現実世界でスカーレットが蘇り、自身が王となり終了
…聖という恋愛要素、必要ありました?
酷評が酷すぎる。
SNSや動画配信サイトなどでの本作品への行き過ぎた酷評には目に余る物があると感じ、初めてレビューを書きます。
本日鑑賞してきました。
内容は普通に楽しめる物で、疑問や違和感が残る部分はありますが、自分の想像で補填できる範囲で、酷評される程の事はなかったです。
逆に"想像させる余白"としと捉えれば良いと思います。
良い意味で今時の普通の作品、ストーリーもわかりやすく、安心して見れます。
所々の演出も好きでした。
例えば、最後の扉のシーン。
本当の入り口は湖面に反射した扉だった的なシーンは、正統派なファンタジー童話の演出の様で素敵でした。
主人公、スカーレットはキャラクター制作にかなり力を入れてたんだろうなと感じました。
スタートから少女を泥にまみれさせ、飢えさせ、嘔吐させ、ボロボロにし、恐怖や殺意で歪んだ表情のカットが多く制作者側の歪んだフェチズム的な物を感じましたw
表情のバリエーションが豊富で生々しい"戦乙女"が好きな方はスカーレットを見にいくだけでも価値があるのではないでしょうか。
途中の渋谷でのダンスシーンですが、ここは確かに突然感はありましたが尺は短く"スカーレットの時代"と"聖の時代"が一瞬繋がるSF的演出なので苦はないです。
酷評の嵐の原因は"作品"言うより"アンチ"が多いのかな?っと感じました。
酷評を通り過ぎて"酷評大喜利大会"いじめの状態になっているのは制作陣のメンタルが心配になります。
私のレビューも含めて、他者の評価を気にし過ぎず、フラッと見に行ったらいいと思います。
周りの評価で判断せずに自分で観てみてみよう
あまりにも酷評されているので今回はスルーしようかと思いましたが、まずは自分で観ないことには評価・批判もできないと思い、ダメージを少なくするため映画の日に鑑賞しました。
ちなみに今まで観た細田監督作品の私の評価は、以下のとおりです。
「時をかける少女」「サマーウォーズ」→4.0
「おおかみこどもの雨と雪」「バケモノの子」→3.5
「竜とそばかすの姫」→3.0
「みらいの未来」→2.0
結論としては、思ったより良かったです。
まず、背景を中心とした映像には迫力がありました。場面によっては実写かと思うぐらいでした。
ただ、人物はデフォルメされた3Dアニメのキャラクターだったため、逆に浮いてしまったのかもしれません。
特に重要人物である聖のデザインが何か安っぽいCGアニメの感じがして残念でした。
個人的には、キャラクターデザインは貞本さん担当の頃が良かったです。
ストーリーに関しては、みなさんが仰っているように粗(ツッコミどころ)はありますが、監督の伝えたいメッセージには共感できました。
憎しみや対立が国家間や社会でも渦巻いていますが、他者、ひいては自分の愚かさ、過ちを赦すことも大切なことです。
綺麗事に過ぎないと思う方には全く響かないかもしれません。
批判が多いスカーレットと聖が現代で踊るシーンも、別の時代に生まれていたら全く違う生き方をしていたかもしれない自分を垣間見た、という演出だと思えば、私はそれほど違和感を感じませんでした。
ただ、もっと終盤のシーンで挿入したほうが良かったのかもしれません。
キャラクターデザインと脚本をもう少しブラッシュアップすれば、もっと良い作品になったと思います。
昔の細田監督っぽい作品を求めていた人にとっては期待外れだったのかもしれません。
観るべきかどうか迷っている方に対しては、
「あまり期待せずに観ればそれほど悪い映画ではない」
と言いたいです。
評価なんて千差万別、まずは自分で観てみないと分からないですよね。
天才的アニメーションと不可解な作劇が一体となった怪作「許せない!許せない!」
開始してからタイトルが出るまでの数分間、死の国の描写と彷徨するスカーレットの迫力がすさまじい。低評価の予備知識がなければ傑作を期待していたかもしれない。「めちゃくちゃ面白くなりそう。でも、これからつまらなくなるのかな?」とハードルを下げて鑑賞することができた。結果、最後までがっかりすることはなかった。
しかし低評価もやむなしと思わせる不可解な部分が多い。
「復讐心に苦しむ」→「愛を知る、復讐のむなしさを悟る」→「赦しと解放」
という精神的過程を描くストーリーになるのかな?
となんとなく予想しながら見ていたが、精神的葛藤と変容はあまり説明されない。
王女はずっと「許せない!許せない!」 状態。
彼女に変化を与えるはずの善意の日本人看護師が登場するが、彼がどう効いているのかよくわからない。
ところが、ラストで決定的に影響を与えていたことが分かって驚愕。しかも彼のことを好きになってた。そのうえ、未来に生きる彼が幸せになる世界を頑張って作ると宣言。
唐突に感じたのは自分が悪いのかもしれない。途中少し寝ていたから重要な描写を見逃していた可能性がある。
終盤、唐突に「自分を許す」ことが復讐から解放される方法だとスカーレットが悟るが、突然過ぎて理解不能。こちらはそれまでスカーレットが罪悪感に苦しんでいると思ってなかったのでかなり不意打ち。
「復讐の連鎖を断つ」ことの難しさを毎日感じている観客に対して、納得できる答えを提示できるのか?細田さんはこの問に真摯に向き合ったにちがいない。多分、考えすぎてよくわからなくなったのだろう。その真剣さを感じられたので理解はできなくても不快感はなかった。
自分は「竜とそばかすの姫」の児童虐待への対処が本当にゆるせない派なので、あれと比べると今作は嫌悪感を抱かせないだけずっと良い。
女王就任演説と喝采を送る国民の「お花畑感」も凄烈。しかし、これは過度な楽観主義に対する皮肉の可能性まである。
ストーリーの不可解な部分はあるが
復讐に取り憑かれた美少女剣士が好きな人には120点の映画 。
視覚的にはこれまでの細田作品で一番好きかもしれない。
声優の芦田愛菜さんが批判されているが自分は良いと思った。
面白いし、考えさせられる映画だった。
期待の裏返しの低評価が目立っているが、興味がある人は評価に惑わされずに見てほしい。
思ったほど悪くなかったけどなぁ
原作未読。
「爆死」とか「観るに値せず」など酷評されているようですが、私はそれほどまで悪くないと思いました。
CGなどの映像は綺麗だったし、エンドロールの芦田愛菜さんの唄も良かったと思います。長年シェイクスピアの舞台芝居をやっている吉田鋼太郎さんのセリフの言い回しも良かったと思います。
以下思ったことですが…
①渋谷のダンスシーンは何だったのかしら?
②「ハムレット」と「神曲」をベースにした作品のようだけど、なぜあえて日本人の聖(←岡田将生)が登場するのか?
日本人じゃなくてデンマーク人とか欧州の人で良いんじゃないの?
↑③復讐劇にするならば、設定を日本の戦国時代にする、たとえばある藩の殿様の兄弟争いにするとか…
➃婆さんとドラゴンは、何者?
結局のところ 復讐というかお仕置き、成敗はドラゴンが成し遂げたということ…
「赦すとは」がテーマのひとつだと思いますが、難しい問題ですね...話しは飛躍しますが、現実の世界で遺族の方が納得されて、多少なりとも心休まることができるなら、死刑制度も意義があると思います……
111分じゃ足りない
限られた上映時間の中で収まり切らずに話がよくわからない作品というのが、映画ではしばしばあるけれど、これも「なぜ?」が絶えない感じでした。
国民から慕われる、善政を敷く国王アムレットなのに、なぜ処刑されたのか?
王弟クローディアスが「王は敵国と通じている、裏切り者だ」と騒いだところで、王を守る忠誠心のある兵士達がいれば、裁判のいとまもなく即刻処刑なんてこと、できるわけがないと思います。
王妃の態度もの理由もわからないし、クローディアスが死者の国でも王として君臨していたことも分かりません。
兄王を謀殺した、対話よりも争いと殺戮を好む粗暴な人間が、人々を従えることのできる要素など、一体どこにあるのか?
死者の国で生前の王権が通用するとも思われないのに。
原作の文庫を読めば、良い話なのかもしれません。
でも、映画の内容に限定すると、謎だらけです。
それから、聖がキャラバンの人達と打ち解けて、踊る場面のキャラバンの人達とか、最後に女王になったスカーレットが国民の前で挨拶をしたときの国民とか、映画なのに静止画で線の書き込みも細かくない、まるで予算の少ないテレビアニメみたいで、映像として残念な感じがしました。
興行収入が低い滑り出しだった、低評価が多いと聞いていたけれど、「これはそうだろうな。と思いました
面白いと思う人はもっと積極的に納得感ある熱弁しようよ!
確かに後半は文句の付け所多いけど前半は凄い面白かったよ!
だから本気で面白いと感じる人はもっと熱弁して世間の評判もっと上げてくれ!
そんなに酷評されるほど酷くはないから!
ここからは自己満感想パートです。
良い点
・ヴォルティマンドの対決でスカーレットが剣を抜こうとしたが鞘にしまい殺さずに無力化しようとしたシーン。この時スカーレットは復讐の為なら、悪人なら殺してしまっても構わないとまだ考えていたが、父の「戦いではなく話し合いで平和的な解決を」という教え、その教えをこなす聖の行動と、スカーレットは色々葛藤を持ちつつ父と聖を信じてとった行動なんだと思いすごい胸打たれた。
・死後の世界には生き返れる果てがあり、クローディアスはそれを利用に宗教的に人々を支配しているという死後の世界の作り込みは良かった。争わないものは文化に浸り、争うものはクローディアスにつくか、クローディアスを打倒し果てを目指す、結局果てにたどり着けたものは「愛」を持つもの(文化に浸る人、皆で果てを目指そうとする人、すなわち人々を愛すもの)なのではないかと勝手に解釈しました。だからこそ悪い点1点目のスカーレットの心境が気になるが、聖を最後まで見放さなかったこと、聖の言葉を信じてコーネリウス・ヴォルティマンドを殺さなかったことは紛れもない「人を信じる愛」だと思う。
・龍の放つ雷と、噴火した火山。あれは争う人々に対する神の鉄鎚なのではないかと勝手に考えた。まともな感性の人は結局あれなんやねんで終わるかもやけど個人的には考察点なんかと思い妙に納得しちゃった。だからこそあの仙人は何者やねんて感じだけど。
・評判悪い映画によくあるレビューだけど絵はすごい良かった。3dモデルは萌え画風でもちゃんとピクサーみたいに喜怒哀楽や覇気を感じられてクオリティ高かった。
・個人的な性癖だけど細田守特有の透き通ったパステルカラーの作画がすごい好き。作画は現実パートのみだったけど龍とそばかすの時より顕著にかんじてすごくよかった。
・聖がほぼ衛宮士郎で笑った、弓使うシーンとかほぼカラドボルグ。
・気になる点はちょこちょこあったけど総合的に芦田愛菜は良かった。
悪い点
・終盤アムレットは、復讐に身を縛られず自由に生きてほしいと言ったことがわかったが、これって国のためというより実の娘のために言った言葉なのに、スカーレットはこれが今後の世界が平和になるための手段として考えてるのが謎だった。現実問題クローディアスが酷い圧政を尻目に復讐なんて考えず自由に生きてたらまずいし信頼だだ下がりやん。だからこそクローディアスの呆気ない死に方とスカーレットだけが生き残った流れにご都合感があった。
・結局あの仙人みたいな奴は何がしたかったん。
これで聖が実は死んでないことにしたら、対立する必要のない死後の世界で善悪問わず誰かを助けようとする聖が、死後の世界を平和にするための立役者になるためにきた、という辻褄が合ってそっちのほうが納得感あると思ったのに。スカーレットがこの世界に飛ばされる必要あった?それこそスカーレットはただ自由に生きることを最終目的としただけやのにスカーレットが生き延びる資格あった?仙人はほんまにそれでよかったんか?
・聖の見た目もうちょいどうにかならんかったん?
感情のままに描いたんで読みにくいです。
細田守版『君たちはどう生きるか』?(核心には触れないほんのりネタバレあり)
開始早々、後悔した。ケチらずに IMAX で観れば良かったと。
大スクリーン、高画質、大音響で観るべき圧倒的な映像美。
酷評の嵐の中にある作品であることを理由に IMAX で観ることを躊躇してしまった。
人によって好き嫌いが分かれる作品であることは頷ける内容であった。特に、理想論に対して、綺麗事や偽善と感じて嫌悪感を抱く方からは受け入れられない作品と感じた。
酷評をしようと思ったら、至る所にその材料が散りばめられているようにも思えた。
やりたいことを詰め込みすぎてとっ散らかってる感は否めないし、小説なら章単位で話が飛んでるように感じるほど展開が早い。都合良く現れ正体が明かされないままの龍(東洋人には理解しがたい存在...?)の存在。わかりやすく盛り上がる場面はないし、皆が目指す「見果てぬ場所」がどんな楽園かは結局わからない。登場人物の心情がわからず行動に???と思うことや設定が不明瞭な点も多々あった。
『サマーウォーズ』や『時をかける少女』と比べると、抽象度の高い内容でありテイストも全く異なる。あの頃の作品が好きだった、あの頃の監督はもういない、と言われるとおっしゃる通りです、と言う他ない。
鑑賞後に、よくわからないシーンがありモヤモヤが残る方にも受け入れられなさそうである。
それでも監督のメッセージは明白だったように思う。
「生きる」とはどういうことか。
復讐心に駆られて大切な心を放棄するのか。赦すことで別の道を切り拓くのか。
命を何よりも尊重するのか。そんな信念を捨てることも厭わないのか。
欲に溺れてあらゆるモノを裏切るのか。良心など持たず権力に従順でいるのか。
眼前で大切な人を失って哀しむ人になど目もくれず、実態のわからない天国と思われる場所を利己的に目指すのか。
絶望に満ちた世界でも人と手を取り合うことで小さな幸せを噛み締めて生きるのか。
などなど。
スカーレットや聖、クローディアスなど主要な人物だけでなく、混沌とした世界に出てくるあらゆる人々の行動から、生きることの意味を観客に問いかけているように感じる。
監督自らの答えも披露してくれているが、それが絶対的な正解でなく、一人一人が自分自身の答えを見つけられれば良いのだと思う。例えそれが、クローディアスのような生き方だったとしても。
行間どころか章間を読む必要があるほどの余白の多さは、もしかしたらこのためなのかもしれない。
映画全体を通して、スカーレットの心情はとても丁寧に描かれていたと感じる。
信頼と愛を信条とする父の教えを請けて優しく育った少女が、人を憎しみ、疑い、簡単に殺めるようになる。内面の変化は、美しい容姿から変わり果ててしまった姿にも表れる。聖との旅の中でそんな心も徐々に変わっていく。
スカーレットの細かな心理描写と、彼女を復讐に駆り立てた思いの正体。これらも作品の見どころの一つである。
酷評されている原因の1つとなっている唐突に始まるダンスシーンは、復讐に取り憑かれていたスカーレットの心の変化が現れ始める重要なポイントであると同時に、スカーレットが「果てしなき旅」を始めるモチベーションにもなる、物語の中でもすごく意味のあるシーンであったと思う。
スカーレットの復讐の旅の果てにある「果てしなき旅」の始まり。
過去と未来、生と死が入り混じる世界を旅したからこそ見つけたスカーレットの生きがい。
ただし、スカーレットだけでは到底成せない、本当に本当に果てしなき旅。ヒトが皆、同じ旅路を歩むことができたらどれほど素晴らしい世界が待っているだろうか。
キービジュアルが醸し出すドロドロとした世界観とは裏腹に、希望に満ち溢れた作品であったように感じる。
エンドロールで流れる主題歌を聞いた時は鳥肌が立った。
作品の中で印象に残ったシーンを最後に紹介して終わりにする。
ある敵と遭遇したとき、聖が、交戦を避けるために勇敢にも丸腰のまま話し合いを申し出る。しかし、受け入れられず戦闘が始まり、スカーレットが敵を倒していく。
ここで、敵は聖の行動を「油断をさせた上で奇襲をしかける狡猾な罠」と解釈した。
自分の命を顧みないほど勇敢な行動が、相手には180度変わって伝わる。
人がお互いを理解し合って、手を取り合うことがいかに難しいかを象徴するシーンに思えた。
人は自分が見たい世界で生きていて、ある人の真実が自分にとっての真実であるとは限らない。
時間とお金が許すなら、ネットの情報に踊らされず、『果てしなきスカーレット』を自分自身で観て何かを感じていただきたい。(その時にはシェイクスピアの「ハムレット」を予習して行くことを強くおすすめする。ダンテの「神曲」はどちらでも良いのでは・・と個人的には思う。)
私は、もう一度、今度は IMAX で観たいと思う。
(追伸)0.5 減点した理由。
・スポンサー様への配慮だったのか 2 時間枠におさめてしまわずに、3 時間映画として制作されていたら、もっとディテールにこだわった良作になったのでは、、、と感じた
・脳みそがとてつもなく疲れた。行間や心情を考えるのに頭を使うのと同時に、映像のクオリティが高すぎるがあまり情報量が多くて、脳の処理スペックを超えてオーバーヒートした感がある。個人的には、バケモノの子くらいのクオリティがちょうど良いです。(冒頭の話と矛盾するが...
・登場人物と背景のどちらもハイクオリティであったものの、両者が調和してる感じがせず、どことなく違和感を覚えたままの鑑賞だった。これも脳が疲れた要因かもしれない。
あの違和感はなんだったのだろうか...?
そこまで批評するほどでは、、、ないか?
ストーリーは、復讐に囚われたスカーレットが聖と出会い、様々な冒険をすることで復讐が全てではない。自分を赦すべきだと成長する話かな?分からんけど笑
内容は、一応わかるんだけど説明不足が多い。今までの細田守作品もファンタジー要素があるのもあったり意味がわからない場面もあったけど今回はそれが強い気がする。
例えば、龍の事とか、神?的な存在のこととか、東京?のダンスのシーンとか、クローディアスの死因が薄いとか、聖だけなんで服ごと消滅したのかとか、聖が殺すなとか言っといて自分は殺すのかとか、、、、。
疑問というか、モヤモヤした感情は解消せずなんだかなぁって感じ。
スカーレット自体(父親も)バカ正直すぎるし、騙されてからは、逆に疑い深すぎるし過去があって仕方ないけれどそこまで好きになれなかった。あと、聖。弱いのに正義感が強くて普通にウザイ。嫌いまである。
徹頭徹尾に謎が多すぎて、なんとも言えなかったけれど、割と芦田愛菜ちゃんの演技は良かったし映像は綺麗だった。あとは、ラスト。復讐しろよ!とかまだ騙されんのかよ。とか2人はこれでおしまいなのか、、、とか色々言いたいけれどとりあえずは、綺麗にまとまりハッピーエンド寄りではあったので一応満足。
行く前からレビューが悪すぎたのもあったので、期待せずに見たのでまぁそこそこ面白いのかなって思う。
最低作品とは思わない。ただ、見終わってパンフ買いたいとかもう1回行こうかなとは思わなかったかな。
to be,or not to be…
公開初日からかなり批判的なコメントが多く、一周回って興味を持ちました。
倍速視聴や食傷気味な異世界転生(俺TUEEE)、食べログ★3.5以下のお店には食べに行かないみたいな大衆が騒いでいるだけで、日本人の大衆の感性なんてどうせ感受性が死んでいるんだろうと思ってましたが、私の感受性もいよいよ遂に死んだのか、本当にフォローの余地がないくらいに作品(脚本?)が作品として成り立っていないのか判別できないくらいに退屈でした。
細田監督の作品は『時をかける少女』が一番好きで、『サマーウォーズ』と『おおかみこどもと雨と雪』で関心を失い、未視聴だった『バケモノの子』『未来のミライ』『竜とそばかすの姫』を観てからファーストディで観てきました。
尚、個人的に『時をかける少女』★5.0、『サマーウォーズ』★3.5、『おおかみこどもと雨と雪』★3.0、『バケモノの子』★4.0、『未来のミライ』★3.5、『竜とそばかすの姫』★4.0でそれほど悪い印象はありませんでしたが劇場で鑑賞料を支払って観るか問われれば宣伝で興味を全く惹かれなかった直感が覆されるような感動はありませんでした。
私のレビューはおおよそ下記の基準でつけています。
(他に加点も減点もあります)
★0.5は時間の無駄
★1.0は課題かお金をもらえるなら観る
★1.5はネタとして割り切るなら
★2.0はB級映画の方がマシ
★2.5は配信で十分
★3.0は悪くないが、私には合わなかった
★3.5は人によって好き嫌いかなり分かれる
★4.0は劇場で観るべき作品、
★4.5は人に勧めたい作品
★5.0は感動!数年に1本の傑作〜
シェイクスピアの『ハムレット』、ダンテの『新曲』などをモチーフに…というのは知っている人にはわかるけど、知らない人にはあまり意味を持たないでしょう。
観た人に伝わるものがなければ、それは受け手の問題である以上に興行的に失敗してしまうのですから、アマチュアや自主制作ならいざしらず、多くのスポンサーを抱えてやるべき事ではないでしょう。
スポンサーを含めて、もはや日本の観客など観ていないのかもしれませんが、良くも悪くも「自分の創りたいものを創る」にこだわった結果が本作だとすると、大衆迎合に舵を切った新海誠作品(すずめ)よりはマシだけど、これで打ち止めかもしれません。
煮詰まらない作品(脚本)をスタジオを維持するために定期的に映画を作らないといけない。
そして納期に合わせて周りの声を聴かずに作りきってしまったのかなと思います。
またかつてはポスト宮崎駿と言われた皮肉を込めて細田版の『ハウルの動く城』か『ゲド戦記』かもしれません。
好きな人には怒られるかもされませんが、ジブリにオリジナリティのある作品は殆どなく、何かしらの他者の原作を土台に物語がアニメ化される意味で、和製ディズニーがスタジオジブリというのが私の評価です。
変な話ですが、ジブリでさえ何本かに一つしか興行的な成功はありません。
なので、これをバネに作り続けられるか、これで辞めてしまっても不思議ではない結果です。
興行収入は5億ギリギリ、10億に届くかはなんとも言えないでしょう。
ジブリ作品
•風の谷のナウシカ(1984) – 14.8億円
※ジブリ前
天空の城ラピュタ(1986) 11.6億円
となりのトトロ(1988)
火垂るの墓(1988) 5.9億円(トトロと同時上映)
魔女の宅急便(1989) 43.0億円
おもひでぽろぽろ(1991) 31.8億円
紅の豚(1992) 47.6億円
平成狸合戦ぽんぽこ(1994) 44.7億円
耳をすませば(1995) 18.5億円
もののけ姫(1997) 201.8億円
ホーホケキョ となりの山田くん(1999) 15.6億円
千と千尋の神隠し(2001) 316.8億円
猫の恩返し(2002) 64.6億円
ハウルの動く城(2004) 196億円
ゲド戦記(2006) 78.4億円
崖の上のポニョ(2008) 155億円
借りぐらしのアリエッティ(2010) 92.5億円
コクリコ坂から(2011) 44.6億円
風立ちぬ(2013) 120.2億円
かぐや姫の物語(2013) 24.7億円
思い出のマーニー(2014) 35.3億円
レッドタートル ある島の物語(2016) 2.5億円
君たちはどう生きるか(2023) 89億円
細田守 監督作品
時をかける少女(2006) 2.6億円
サマーウォーズ(2009) 16.5億円
おおかみこどもの雨と雪(2012) 42.2億円
バケモノの子(2015) 58.5億円
未来のミライ(2018) 28.8億円
竜とそばかすの姫(2021) 66億円
新海誠 監督作品(公開年順)
ほしのこえ(2002) 興収不明(自主制作規模)
雲のむこう、約束の場所(2004) 5000万円
秒速5センチメートル(2007) 1億円
星を追う子ども(2011) 1.5億円
言の葉の庭(2013) 2.1億円
君の名は。(2016) 261.1億円
天気の子(2019) 141.9億円
すずめの戸締まり(2022) 147.5億円
正直に言って、前半何度もうつらうつらしてました。
映像は予告に出てくる竜のシーンが一番迫力があり、それ以上に迫力を観ている場面で感じるシーンはありませんでした。
フォローする訳ではありませんが、日本はこの作品にスポンサーがついて創られる程度には表面的に平和なのでしょう。
またアニメが動画配信を含めてコスパの良い趣味(暇つぶし)として認知されて市場が拡大したのでしょう。
作品の主題だと思われる生きたいと願っているのに叶わない人が世界にいる。内戦や紛争など理不尽に生きることを奪われる人がいる世界において、この作品で描かれたようなことにリアリティも切実さも感じられないくらいに平和ボケしているのでしょう。
またそうした市場にそうした作品を創りたいように創って殆どの人に受け入れられずにコケた。
監督の信念に従って製作してコケたのですから、もう言い訳のしようがない。
"to be,or not to be..."
監督自身も自問自答したのかもしれませんが、どうかそれでも懲りずに我を通して作り続けて欲しいと思います。
この作品の★は某監督の『すずめ…』と同じ評価ですが、評価の意味と意図は全く別物(失望/期待)であることは書き添えておきたいと思います。
がんばれ、細田守。
創りたいものを創れる監督が今の日本に何人いるだろう?その意味で周りの声など無視して、自分の感性を信じて創り続けて欲しいです。
個人的に新海作品よりは期待してます。
スッキリしない○○◎○○
絵とキャラは良い!!
細田監督のファンタジーと現代が混ざった感じは好きなのだが、終始設定がわからず、話が進んでいっても解決していかないし、謎解けた感じもなくスッキリもしない
結局、あの世界が何をするところなのかよくわからないし、どうしてあの世界にいるのか、理解ができないまま進んでいく
上の理解ができないからなのか、現代の聖と古代のスカーレットが会った意味も良くわからないし、現代のスカーレットが出て来たのも良く分からなかった
ラストは現代につなげて終わるなりしていたら多少はスッキリしていたかもしれません
見やすさ○
ストーリー○
キャラクター◎
没入感○
個人的好み○
内界の深層で“別の自分”を見つける物語として読む
細田守の最新作『果てしなきスカーレット』は、公開当初から
「難解」「象徴が多すぎる」「平和メッセージが陳腐」
など、多数の批判に晒された作品である。
しかし、これらの評価の多くは “外側の筋”を物語の中心と誤読している” ことに起因する。
復讐、戦い、神話、平和といった表層的テーマは、
確かに作品のフレームを形作るが、作品の“核心”ではない。
本作を理解する鍵は、
「あの世界はすべてスカーレットの内界で起きている」
という視点である。
この読み方を採用すると、作品が抱える“矛盾”が消え、
断片的に見える映像が明確な意味を持ち始める。
そして何より、スカーレットという主人公の存在が
“ひとつの物語を生きる少女”ではなく、
“複数の価値観がひとりの中で折り重なった象徴的存在”として立ち上がる。
■1:スカーレットという“多面体の自分”
本作の主人公スカーレットは、
一般的な劇映画における「共感されるヒロイン」ではない。
むしろ、感情を読み取りづらく、
観客に対して“心を閉ざした存在”として描かれる。
しかしこれは欠点ではない。
スカーレットは ひとりの人間の姿を借りた“多層的な内面の集合体” である。
作品中で時代・文化・神話・現実が混じりあうのは、
世界が混乱しているからではなく、
彼女の内側が異なる価値観の層を持っているからだ。
彼女が見るもの、触れるものはすべて
“自分ではない自分”であり、
その価値観との衝突こそが物語の本質である。
■2:聖という存在――自分の外側にある自分
スカーレットに大きな影響を与える少女・聖。
表面上は「別世界の住人」であり、
物語の鍵を握るキャラクターとして登場するが、
その正体は極めて象徴的である。
聖は “スカーレットが理解できない価値観を体現した別の自分” である。
強さ、静けさ、覚悟、喪失への受容――
スカーレットが持ち得なかった側面を、
聖が代わりに背負って登場する。
敵もまた、怒りや憎悪などの“破壊衝動としての自分”が具現化した姿と読める。
つまり本作は、善悪が交錯する戦いの映画ではなく、
内面世界の中で複数の自分が衝突し続ける心理劇である。
■3:ダンスシーンの誤読と真価
公開時に最も批判されたのが、
スカーレットが“現代風のダンス”を目撃するシーンだ。
しかし、ここを「突然の現代化」と捉えるのは誤読である。
あのダンスは スカーレットの想像の中で見えた“別価値観の生の表現” であり、
時代移動でも現代批評でもない。
身体の動きが曖昧で、現実味がないのは、
モーションキャプチャーの精度ではなく
“内界のイメージは、現実の肉体ほど明確に描かれない”
という事実を映像表現にしたためである。
スカーレットは別の生き方、別の魂、別の世界のリズムに
“感覚的に触れただけ”であり、
その体験が彼女の価値観を揺さぶる。
■4:世界の構造は“現実”ではなく“心の地図”
この映画世界では、
過去
神話
現代
異界
戦い
語られていない記憶
他者の物語
自分の想像
これらが等価に画面に現れる。
一般の映画であれば破綻するが、
これは“外側の現実”ではなく
“内界の構造”を地図のように描いているから成立する”。
(この構造は『未来のミライ』の庭世界や、『竜そば』のUの内面反映と同系統)
スカーレットは世界を旅しているのではなく、
自分自身の内側の旅をしている。
■5:ラストの門が示す“認識の変容”
本作の象徴的クライマックスは
「門が開かないのに、水面に映った門は開いている」という矛盾したラストだ。
この矛盾こそが、本作の本質だ。
● 現実の門は開かない
世界は変わらない。
境界は境界として残る。
喪失は消えない。
過去は変わらない。
● 水面の門は開いている
しかし、自分の内側は変わった。
世界の“見え方”は変わった。
別の価値観を受け入れた。
新しい自分が生まれた。
つまり、
> 「現実は閉じたままだが、内側では扉が開いた」
という 成熟した世界観 を示す終わり方である。
外界が変わるのではなく、
自分が変わる――
これは細田守作品では珍しいほど陰影に満ちた“静かな救い”だ。
■6:なぜ誤読されるのか
スカーレットは説明しない。
聖も説明しない。
世界も説明しない。
そのため、
“説明されないと理解できない”観客には厳しい作品となる。
だが、説明が無いことが欠点ではない。
これは“説明より記憶・象徴・感覚が優先される世界”だからだ。
外側の物語で観ようとすれば破綻に見える。
だが、内界の寓話として読めば
どのシーンも緻密に繋がっていく。
■7:『果てしなきスカーレット』の本当の価値
本作は “自分ではない自分に出会い、価値観が変容する物語” である。
聖、敵、神話、戦い、ダンス、門。
これらはすべて
“スカーレットの内側にある別の価値観の断片”として登場し、
最後に水面で開いた門が
彼女の内的成長を象徴する。
これは平和の寓話でもなく、
復讐の映画でもなく、
神話の再話でもない。
**“内界の成熟の物語”**である。
このような読み方で鑑賞すると、
『果てしなきスカーレット』は
細田守作品の中でも最も深い精神性を持つ作品となり、
その価値は大きく変わる。
ハムレット全否定
古典を現代の価値観にアップデートして話。そこに細田監督の感性が惜しみなく入っていて、細かい粗はあるけど、とても良かった。
ストーリーについて。原作はなかなか復習しないハムレットを見るのが共感ポイントだった。しかし今回は、復讐を越えて、許せるようになる物語だった。途中までは叔父を許す話なのかと思ったけど、違った。自分を許す話でした。最後でそれがやりたかったのね、って唸らせてもらいました。それでいて演出は舞台っぽいセリフ回しだったり、最後の精神世界の葛藤シーンだったり、ハムレットっぽさがあったのでにっこり。
ビジュアルについては、なんやかんやヨーロッパ中世ベースの異世界ものが多い中、どこの国ともとれない本当のファンタジーを構築している。加えて、全体的に暗めの絵作りながら、単調にならずに迫力と美しさを伝えてくれている。色彩カラフルにするのは簡単だけど、これだけ落とした中で圧倒する世界を作ってくれたのが粋。最後の階段とかも、あえて消えそうな位のステップにしているのが良いよね。
最後にミュージカルについては、差し込む部分が違う気と思うり復讐全然関係ないシーンで、めちゃくちゃ楽しそうにするスカーレットのシーンか、最後の叔父とのシーンでダンスするのが良い。特に後者歌とダンスで、なぜスカーレットが叔父を許すようになったのか、を表現してほしかった。
ネットあてにならんですね
ネットの評価が最悪だがとにかく観てみないと思い本日…
結果は表題のようにあてにならんですね。
そんなに悪くない
むしろイイ
脚本もそんなに
CGと手書きのハイブリッドもそんなに違和感ない
声も悪くない
渋谷も別に※なくてもいいけどなぁ?
最後の天界のシーンはむしろ感動的な気がする
主人公が弱いのもイイ
唐突に別キャラがでてくるのも許せる
宮崎駿をある面では超えたのではとまで思えるシーンもあると思う
キャラ設定が弱い→貞本さんならもっと
世界観がわかりづらい
あと、何か道案内的なカワイイキャラクターがいればもっと完璧👌
インドよりも和製ディズニーの方がピッタリと思う
いゃあ〜いいものみせてもらったわぁ
別の宮崎ぽいなんとかポニ◯クの100倍いわぁ❗️
ぜひぜひ見に行って🙏
「復讐劇」結末は二つに一つさてどっち
主人公が16世紀のデンマークの王女スカーレット。
そしてシェイクスピア4大悲劇の1つである「ハムレット」をベースにしたファンタジー。「ハムレット」は、王子ハムレットが王である父を殺した叔父に復讐しようとする物語。本作の基本的な設定は「ハムレット」をなぞっており、「復讐」をテーマにした作品。
復讐を果たすのか許すのか。どちらのラストとなっても使い古された話です。
国王だった父アムレットを叔父のクローディアスに殺されたスカーレットは、自身も毒を飲まされ、死者の国を彷徨いながら復讐を誓ったクローディアスを捜す。舞台を死の国にして、時を超えて現代の看護師である聖(ひじり)がスカーレットの前に現れます。
聖はスカーレットとは対照的で、人を助け、ケアし、争いを拒否する姿勢を貫く。歌を唄い、踊り、出会った人々と交流することで、笑顔と平和をもたらすキャラクターとなっています。これがアレンジとなっています。この設定だからとはいえ、中盤でのダンスシーンいる?と疑問になります。歌詞も「愛」「愛」とうーーんとなります。ディズニーかインド映画かとなります。
この聖に、スカーレットは戦いを止められつつ、敵クローディアに近づいていく展開です。まずは、クローディアの部下で父の処刑に加担したコーネリウスとヴォルティマンドと対峙することになります。つまり聖はスカーレットのブレーキ役です。
ここまでくると、勘のいい鑑賞者はほぼラストが想像できると思います。よってこれ以上の記述は野暮です。
アニメとはいえ、アクションシーンの演出は見ごたえあります。
そして、人々のために奉仕すること、隣国とは対立よりも友好を築くこと、子どもを死なせないこと、争わないで済む道を諦めないで探し続けることを誓う、リーダーが誕生します。国の指導者の思想と市民との協働によっりより良い社会ができるという事を訴えています。
今までの細田監督の描いた作品とは異なる物となっています。日本ではなく、明らかに海外上映を見据えた作品です。賛否わかれる作品です。
大衆というやつは、理性で判断するということを知らない。ただ目に見えるところだけで好悪を決めるのだ。「ハムレットより」
彷徨っているのは細田守監督本人なのか?
(ちょっと長文)
最寄のシネコンでは公開2周目にして、一番客席数の少ないスクリーンでの公開になっている。細田守作品としては興行的失敗はほぼ確実だ。
序盤の舞台がデンマークだったり、母親が叔父をけしかけて、父たる王を計略に嵌めて殺害したりと、この愛憎劇はもうシェイクスピア劇である。
シェイクスピア劇の翻案は黒澤明監督が見事にやり遂げているが(「マクベス」→「蜘蛛巣城」)、本作は空回り感が強い。
声優陣のなかでも吉田剛太郎さんや白石加代子さんは、シェイクスピア全作連続上演を試みた蜷川幸雄さんの常連俳優だったし、さらに吉田剛太郎さんは蜷川さんが亡くなったあとはシェイクスピア連続上演の演出も担当している。
これでシェイクスピアを意識するなというほうが無理だ。
ただ、死者の国というのが掴みにくい。ダンテの「神曲」と言われても、すんなりとそうですねとはいかない。
死者の国は、地上と地獄(あるいは天国?)の中継地点であり、うまくすれば元の世界に戻れるらしいが、都合が良すぎる設定だ。日本人の聖(ひじり)という青年も何故か死者の国におり(他の日本人がいないのは何故?)、聖は物語のキーマンになる。
デンマーク人と日本人が通訳もなしに会話できるのはアニメの強みとして気にしないでおく(死者の国の特長なのかもしれないが不明)。
聖は見事な弓使いをみせるが、現代日本で看護士だった彼が何故弓がうまいのかは不明だ。
聖がスカーレットに対し「生きろ!」と言ったり、弓使いの上手さと合わせると殆ど「もののけ姫」へのアンサーソングみたいである。
スカーレットは途中で長く束ねた髪を切るが、直後にスカーレットを探す兵士らに見つかる。兵士らが「長い髪を束ねている女を探せ」といっていたのに、あっさりと見つかる。だったらなんで髪を切るという場面を直前に入れたんだろうか?
全体として、監督のやりたいことが不明だし、ちぐはぐさが否めない。
海外で受けそうなテーマ(シェイクスピアとダンテ)を選んだと言われそうだ。
スカーレットの声を演じた芦田愛菜さんは下手ではないが、やや一本調子という感じだ。だがこれは演出側のせいだと思う(怒りを爆発させている場面が多過ぎるという事情もある。人はそれほど怒りを持続出来ないものだが。)。芦田愛菜さんは子役から芸歴も長い。きちんと演出意図を伝えれば対応する演技が出来る人だ。
「もののけ姫」で祟り神になってしまった乙事主に対し山犬(声:美輪明宏さん)が「もう言葉まで無くしたか」という台詞録音のとき、宮崎駿監督は美輪さんに「二人?はかつて良い仲(恋愛関係)だったんです」ということを告げ、三輪さんもなるほどと了解し録音をやり直したという。そのことで、憐憫と怒りが入り混じった素晴らしいあの科白が出来上がったという。
声を当てるということは、まさに魂を吹き込むことだ。厳しく言うなら、本作には魂が欠けていないだろうか(声優陣が駄目という意味ではない)。
王の残した「許せ」とは、対立する他人を許せということではなく、怒りと憎しみに駆られた自分自身を許せと言う意味であろう。
ガザやウクライナのように前近代的な迫害と侵略がある一方で、ネットには呪詛の言葉があふれている。
この映画はそんな時代の世界に向けて放れた光なのかもしれない。
多くの人々にその「許せ」という言葉(光)は届いたのだろうかと疑問に感じた。
時間があったので2回観た。
不入りの原因の一つは、鼻白むくらいの理想主義にあるのかもしれない。人間が幾ばくか成長出来たなら、本作は佳作として評価されるかもしれないと、2度目の観賞の後で思っている。
赦しても改心しない奴はコロスしかない
「サシャは狩人やった、森で獣を撃って殺して食ってきた、同じ生き方が続けられん時代が来ることはわかっていた、だからサシャを森から外にだした、兵士になったサシャは、よその土地に攻め入り人を撃ち、人に撃たれた。森を出たつもりが世界は命の奪い合いを続ける巨大な森の中やったんや。サシャが殺されたんは森を彷徨ったからやと思っとる。」
「せめて子供達はこの森から出してやらんといかん。そうやないとまた同じところをぐるぐる回るだけやろう。だから過去の罪や憎しみを背負うのは我々大人の責任や。」
パッパ聖人過ぎんか?身内の仇よ、5〜6回ぶん殴っても赦されるだろ?
パッパが包丁持った時、ワイは「ヨシッ!!刺せ!コロしてええぞ!」ってリアルに声に出して言っていた、そこからこの台詞よ、数分前の自分を恥じたね。
このシーンの前後の流れホントに良きよ、特に後の「よくもお姉ちゃんを!人殺し!友達だと思っていたのに!」ってシーン。
いやぁ~、キツイて、感情の起伏が、ホント心臓に悪い。
「お姉ちゃんのように困っている人を助けられる人になりたい」って言って、実際に助けてやった相手が、姉の仇よ、信じれんわ、よくもこんな話作ったな、人間性を疑うわ、パッパの「大丈夫か?」からのコレよ。
ぶん殴られて鼻血だしてるクソガキが赦されてよぉ、これで考えを改めないなら黒い龍に焼きコロされてほしい。
素直に面白かったんですけど・・・
シェークスピアだハムレットだを知らないと面白くないだとか、逆に知っている人にとっては面白くないだとか、どーでもいい。
生と死、過去と未来が入り混じる混沌世界の中で実によく物語が「わかりやすく」描かれ構成されている。生きるべきか死ぬべきか、許すとは何か、私くらいの年齢になるとこれらの哲学的な「問い」に関して何度か出会い、考えることがある。読み物や舞台や映画も、少なからず良い作品の中にはこれらのテーマが色濃く反映されていることがある。スカーレットも同じだ。混沌とした地獄とも天国ともつかない、未来を生きた者も過去に生きた者も同じ空間に存在するこの世界では、死んだ者がまるで生きていた時のように生活していて、この世界での死(つまり2回目の死)が「虚無になる」という表現が好きだ。皆がこの「虚無になる」ことを本当の「死」として恐れている。この世界観を受け入れられないと作品は意味不明で面白さを感じられないのかもしれないが・・・
難しく考えることはない。作品のテーマのように、自身の心の開放をこの映画からつかみ取ってほしいと思う。
と言いながら、残念だった点を2つ
些細な点として、ラストに近づくある部分から、明らかにそれまでの作画クォリティーが落ちたと感じてしまう点。あれはわざとか?演出か?
もう一つは、スカーレットの声だ。芦田愛菜さんが悪いんじゃない。彼女の声は優しすぎて柔らかすぎて激烈な主人公の生きざまに声が合わないのだ。スカーレットの強烈な人生の歩みの中で腹の底から沸き起こる怒りの声、力強い声には向かないのだ。絶対に負けない!復讐の鬼と化したスカーレットの声は、もっと攻撃的で威圧的でその恫喝に男どもがひるむのもうなずける、そんな声じゃなきゃダメなんだ。その声だからこそ最後に自身を「許す」時の優しい本来の王女としての民を前に語る声が生きるのに。最初からずっと優しい声のままでメリハリが作れない点は、プロの声優さんにすべきだったと残念に思った。これがクリアされていれば、☆5を胸張ってつけられた。繰り返すが、芦田愛菜さんが悪いのではなく、この作品に彼女を選んだ側に問題がある。
追記:ラストシーンでのクローディアスの絶叫を聞くまで、声の主が役所広司さんだと気が付かなかった。あの絶叫シーンで初めて、声が役所さんだと気が付いた。役所さんの声の演技はすごかったことの証明だ(私の勝手な基準ね)
それにしても、よくよくキャストを見ると声優さんが逆に全然いないということに気が付いた。
全233件中、1~20件目を表示
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