果てしなきスカーレットのレビュー・感想・評価
全850件中、161~180件目を表示
細田学監督最高
ネガティブな投稿が多いけども、私はとても楽しめたし、最後は涙がでた。
なぜスカーレットが死者の世界にグローディアスがいることを知っているのかわからないとコメントしている人がいたけど、それは謎の老女から聞いたからでしょう。いきなり踊リだすと投稿した人がいたけど、それはキャラバンの老人達と仲良くなった聖が踊れと言われたからでしょう。
またスカーレットが現代の渋谷で踊っている聖やもう一人のスカーレットを見るのは、スカーレットが時を越えたと言ってるじゃないですか。そもそも、死者の世界にいるスカーレットや聖、グローディアスも肉体は元の世界にあって、霊魂のような存在なのかなと思いました。
ハムレットがしたじきになっていると聞き、原作は救いのない悲惨な物語(戯曲ですけど)なので、どうなることやらと思いましたが、原作と違って素晴らしかった。客席は空いていましたが、この時期インフルエンザを気にせず見られたのでよかったですす。
興行的には失敗だったのかもしれなませんが、名作だったと再評価される時がくると思います。となりのトトロしかり、ルパン3世カリオストロの城しかり。
他人の評価は気にせず観に行きました
ディレクターカット版が観たいです。
良いテーマ
良いキャラクター
良いキャストとスタッフ、予算をかけながら
このまま酷評で終わるにはもったいない作品です。
是非ディレクターカット版を作成して欲しい。
特に若い観客にも、もう少し寄り添った作品に
再編して欲しいと強く感じます。
(低予算で出来るはずです)
以降はネタバレを含めますので
観ていない方はスルーして下さい。
(年寄りの雑な感想です)
スカーレット
ヒロインだけあって丁寧に描かれていて
特に大きな違和感は感じませんでしたが、
それでも他の登場人物との会話が足りないと思います。特に聖には博愛主義の限界と厳しい現実に対する答えの無い疑問をぶつけて欲しかったです。
聖の葛藤
命に優先順位は有るのか?
能動的に動くことで救える命があるなら
己の手を血に汚すことは許されるのか?
せっかく同僚やキャラバンで仲良くなった人が
登場していたのだから言葉で聖の信念と挫折を語らせて欲しかったです。それが無いと終盤での
魂のトリアージが???になってしまいます。
悪役の葛藤
なぜ悪に仕えるのか
なぜ終盤に寝返ったのか説得力が足りない。
アニメで俳優の演技力を過剰に期待するのは
お門違いだと思います。
(俳優、声優、アニメーターは素晴らしかったです)
仇役が単なる小悪党では違和感あり過ぎ
借りにも魔王なら魅力的な悪党を描いて欲しい
今のままなら強い手下が付き従うのが不明
(山賊ならともかく冥界の覇王でしょうに)
龍に頼り過ぎ
龍の巨大さが分からない。表現力不足。
いっそ削除して、単なる稲妻にしたほうが
火山との相性もいいと思う。
悪の軍勢の巨大さの強調はミスリード
後半の民衆のさらなる巨大さが伝わらない
カットすべきシーン
民衆の巨大さはもっともっともっと強調すべき
圧倒的な数の暴力、人海戦術での勝利を強調
しなければ、武装にも優れた悪の軍勢が敗れた
ことが納得出来ない。腹落ちしない。
民衆の大多数を占める弱者の説明なし
なぜ強大な敵や火山を前にしても歩みを止めなかったのかの説明が無い。自分を犠牲にしても子供たちを救いたかった為と思うが、アレでは意思の無いモルモットの行進にしか見えない。
キャラバンの仲間や少女の母親に語らせろ
なんのために前に進むのか
子供たち、次世代のためではないのか?
言葉で言わないと観客には伝わらないぞ。
特にアニメでは。
メインテーマの赦しはともかく
サブテーマの子どもたちに対する想いの
強調が不十分だったのが残念でたまりません。
以上
細田守フィルターを外したら・・・
本作を語るうえで避けて通れないのは、「細田守」というブランドが観客にもたらす期待値の高さ。本作の「本来イメージされる細田らしさの欠如」に条件反射的に厳しく反応するのは理解できる。しかし、あえて細田フィルターを外して映画単体として見ると、そこにはハッキリとした主張と確かな駆動力がある。
まず、作品の背骨となっているのは「生きるとは何を選びつづけることなのか」、「赦しとは誰のための行為なのか」という、極めて人間的で手触りのあるテーマ。過去細田作品らしさの“家族の絆”は後景に退き、主人公が他者を赦す過程で「自分自身をどう扱うか」という内面的な旅へと焦点が移っている。この視点転換こそ、本作のもっとも成熟した点であると感じる。
一方で賛否を呼んでいるやや突飛な展開も、物語のリアリズムを毀損しているというよりむしろ主人公の心象世界の「圧縮されたメタファー」として機能していたのではないか。悪癖とされがちな過剰な跳躍が、今回は主人公の心理的地図を一気に描き切るためのショートカットになっており、物語の加速装置として作用しているように思う。
特筆すべきなのは「赦す」という行為を情緒や美談に回収しない姿勢。赦しとは相手のために差し出す慈悲ではなく、それを選び取れるほどに自分の痛みを引き受けた者だけが到達できる“生の再起動”であるという、驚くほど鋭い視点がある。ここには往年の細田作品にはなかった成熟味を感じる。
もちろん、細田作品に期待される圧倒的な物語構造の精緻さや、万人を納得させる普遍的収束とは距離があるとは思う。しかしそれでもなお、本作は「語るべき、中身のある映画」であると思う。観客に“生きることの重さ”と“赦しの困難さ”を誠実に伝えようとする真摯さは、近作の中では突出しているのではないか。
つまり本作は酷評されるほど脆い映画ではないのではないか。むしろ、細田守という巨大な枠組みの外側で見たとき、その骨格は驚くほど強く、しなやか。個人的には、作品単体として見れば上々の評価を与えてよい一本だと思える。
引き込まれるパラレルワールドの世界観
「復讐」「生と死」がテーマの中で、
ラストがどうメッセージを作画するのか。
想像を超えてくるところに
さすが、細田守だと感じさせられた。
芦田愛菜の『生きる事は愛する事ではないか。』を感じさせるラストだった。
細田守の作品は、作品の持つメッセージ性を
表現するための“パラレルワールド”の設定が
絶妙。私が細田守の作品に惹かれるのも、そこだと思う。
それは、おおかみこどもの雨と雪もそうだし
バケモノの子もそうである。
本作も“死者の国”は、果てしなきスカーレットが
持つメッセージを表現するのに最高のパラレルワールドだった。
ただ、いままでの細田守作品と違って
かなり純文学的要素が強くなり
青少年や幼少期の子が理解できるかは
難しいところがある。
宮崎駿が風立ちぬを作成したときに
「今、理解できなくても10年後に理解できる作品を」と言っていたけど
果てしなきスカーレットも、
子どもがいまわからなくても
大人になった時に理解してほしい
物語だった。
数字が全てです
この映画を高評価する方の多くに 酷評する方を下に見る傾向があります
目にしませんでしたか?
「知識と教養がない人にはわからない」
「目先の筋道しか気にせず伝えたいメッセージに目を向けない人には向かない」
「本当の評価を受けるには時間がかかる」
「低評価に惑わされず 自分の目で見て判断して欲しい」
「言われているほど悪くなかった」
等々
映画そのものより 酷評している人の方を向いていますね
自分のセンスや感性を否定された気になって とにかく言い返したいんですね
勿論 全員ではありません
対して酷評する方はどうでしょう
総じて映画そのものの課題・問題点と向き合っています
それらを洗い出すのに然程の苦労がないのも事実ですが
こちらも当然 全員ではありません
「知識と教養がない人にはわからない」
→子供に伝えたいと謳いながら 知識と教養を強いるのは 酷で愚かです
「俺は識っている」という一点で 悦に入りたいだけですね
現実の政治情勢を長々と書き連ねている方も散見されます
盛り上がってますね
他の楽しみを見つけてほしいものです
「目先の筋道しか気にせず伝えたいメッセージに目を向けない人には向かない」
→製作期間4年で 多額の製作費をかけて 話や設定の整合性すら取れていない
気になります
脚本が役割を放棄するのは何故ですか?
「本当の評価を受けるには時間がかかる」
→この言説は 特に卑怯ですね
誰もが確認可能な現在の評価とは向き合わず
誰も確認のしようのない未来へ決着を先送りしている
「低評価に惑わされず 自分の目で見て判断して欲しい」
→上映後に不満であれば 返金対応してもらえるのであれば それもいいでしょう
しかし そうではない
であれば 評判を当てにして判断するのは当然の自衛です
鑑賞を煽った発言者は責任を取らないでいい
気楽なものです
「言われているほど悪くなかった」
→細田監督に対しての最大の侮辱です
果たして擁護のつもりでしょうか
悪くない 程度の評価を受けることが彼の本位でしょうか
悪くない 程度の作品に☆5をつけられて彼は喜ぶでしょうか
憤りを禁じえません
戦争は良くない
復讐はやめよう
実は 非の打ちどころのない正論は そのまま口にしても胸に響きません
なぜなら そのくらい知ってるからです
そのくらいのことは 幼稚園で習うからです
しかも 正論はそのままだと酷く「くさい」
鼻につくんです
正論を実行に移せないことには 必ず理由があります
だから伝えたい場合には くさみを抜き 上手に加工してお出しする訳ですが
細田監督は それをしなかった
出来なかったとは 思いたくないのですが
2000円払って2時間 既知の「メッセージ」を受け続けるのが
有意義な映画館での過ごし方ですか?
隣のスクリーンでは「メッセージ」はないけど 楽しい映画
もしくは「メッセージ」があるのに面白い映画がやっていますよね?
低評価以前に「見ない」と判断した方が多いからこそ この興行収入です
これは アンチの低評価以上に恐ろしいことです
だって……見ないのですから
最後になりますが この映画の感想を
駄作です
お金を払って見る必要はありません
「ここまで評判悪いと逆に見たくなった(笑)」とかも要りません
幼稚な野次馬根性からは そろそろ卒業しましょう
映画は芸術である一方 娯楽であり 商売です
経済活動です
みんな仕事として映画を作り 宣伝し 上映しています
慈善ではありません
儲かるから 人と金が集まります
「商業主義には毒されない!作りたいものを作る!」
結構な話です
自分のお金でやる分には
この映画の出資者は 利益を得られませんでした
次はどう判断して どのくらいのお金を出すんでしょうか
細田守監督の 今後に期待します
復讐の連鎖を断ち切るという重厚なテーマに挑んだ力作
細田監督としては今までで最も重たく切実なテーマに挑んだ「新境地」とも言える作品。
それは太古の昔から今に至るまで続いている戦いの連鎖をどうしたら断ち切ることができるのかという壮大なテーマで、現実世界で未来が見えない過酷な現状からどうしたら未来の希望を見出せるのかという話だ。
その舞台として選んだのは略奪や暴力に満ちた「死者の国」だ。そこは現実世界と死後の世界の中間のような場所で砂漠のように荒涼として、空には時折巨大なドラゴンが現れ稲妻を落として去っていくような殺伐とした世界。力の無いものや傷ついたものは「虚無」となり消えてしまう。
ベースとなっているのはシェークスピアの「ハムレット」で有名な復讐劇。中世デンマークで、王であるアムレット(CV市村正親)は叔父のクローディアス(CV役所広司)に殺され王位を奪われる。王女スカーレット(CV芦田愛菜)は復讐しようとするが失敗し、異様な場所「死者の国」で目を覚ます。父殺しのクローディアスも同じ世界にいることを知り、改めて復讐に邁進する。その中で現代日本からこの世界に来た看護師の聖(CV岡田将生)と出会う。スカーレットと聖は旅をしながら暴力や抑圧に怯える民衆の姿を目の当たりにする。
復讐心に燃え攻撃的なスカーレットが、誰にでも分け隔てなく救いの手を差し伸べる看護師の聖の人柄に接し変わっていく展開を描くことで、細田監督は現代と過去が溶け合う「死者の国」で中世と現代の時空を超えてみせる。
ダンスシーンが唐突で意味がないと批判にさらされているが、全くそんなことはない。
太古の昔から人間は希望の拠り所として歌や踊り、ダンスに求めてきた。劇中死者の国の人がフラダンスを踊るシーンにも象徴される。スカーレットの気付きになるのが現代渋谷を舞台にした大サンバシーンでアニメーションならではの希望を表現することに成功している。
ただし、現代から未来の希望を描くためにはラストシーンは矛盾しているようにも思えた。
ほぼ全編「死者の国」の暗く重たい世界観で、哲学的、宗教的で難解な内容のためかつての細田守ファンからは批判的なのだろう。ただ、作家というものは宮崎駿しかり、表現が高度化、複雑化していく傾向にある。
細田監督は今作である意味行き着いた感があり、次作は日常的なテーマに原点回帰する可能性もあるような気がする。
新境地の世界観
I MAXで観て、率直によかったと思いました。
内容も映像も音もすばらしく、厳しい批判や酷評の多さとのギャップに驚きました。
急に場面が切り替わったり、場違いに見える人たちが現れたりもしますが、そもそも過去や未来の時間・空間が混じり合い、死と生のはざまの世界での出来事です。展開における多少の飛躍は登場人物の心にリアリティーがあれば問題にはなりません。我が身に置き換えてみても、記憶や夢の中にはいつも飛躍が満載です。
酷評した人の中には、細田作品を愛するがゆえにという人もいると思います。おそらく万人に理解されることより、伝えたい主題をとことん大事にした作品だと思うので、批判が起こるのは覚悟のうえであったかと想像します。個人的には、真の評価が定着するまでには多少時間がかかるかもと思っています。
復讐劇(復讐劇じゃない)
・サンダードラゴン(仮名)に展開頼り過ぎでは?
・あらすじや紹介で復讐がどうこう言う割にはヒジリという存在のせいで「復讐なんてダメだよねラブアンドピースだよね」って感じになるかと思ったら終盤でヒジリ人刺しちゃうし結局サンダードラゴンの力で敵死んじゃうし、愛をテーマにするなら終盤も愛で解決するべきだったのでは?クローディアスを「雷死」や「うっかり自分で毒飲んじゃった」で解決するのは愛でも平和でもないよね?
・死後の世界に日本人いなさ過ぎじゃね?ヒジリ以外見つからんなかったけど
・もう死後の世界なんだから「生きたい!」「生きるんだ!」「死にたくない!」みたいな物言いは言い方考えて欲しかった。「いやもう死んでますが?」って何度もツッコみたくなった。まぁ生=死後の世界で生活し続ける。死=虚無。かもしれんけどモヤる。
・生前の世界が2D手書き、死後の世界が3D表現なのは面白いと思ったけどそれが活かせてるとは思えない。生前:1割、死後:9割くらいの描写でほとんど3Dだったから書き分けた意義があまり感じられない。…ていうかこの設定だとするならスカーレットが3D表現だったのは矛盾するのでは?
・「反射的に体動いたから死んだと思わなかった」は無理あるでしょ。通り魔の刃物で刺されたなら絶対即死じゃないでしょ。
・結局「見果てぬ場所」ってなんだったん?あれだけ無駄に城砦や壁作って多くを犠牲にして辿り着いたのにどういう場所かわからんかったんだけど。生き返れる場所かとも思ったけど、最後のアレは元から死んでなかったってだけで見果てぬ場所は関係ないよね?
・「自分を許せ」が正直よくわからんかった、少なくとも死刑間際に言うことではなくね?
・あらゆる時代の人間が死後に集まるならクローディアスだけが独裁者みたくなってるのは違和感ある。歴史的にヤバい人間もっと色々いるでしょ。ヒジリ出すための設定なのはわかるけどそのせいで死後の世界観が変に感じられた
・ダンスにちょっと尺割きすぎかな。アジアンダンス然り、特に渋谷ダンスカーニバルはただでさえ急展開な描写なのに尺も長くて、これまでの展開見た上でどんなテンションで見りゃ良いんだよってなった。…っていうかなんで渋谷ダンスが見えたの?可能性の世界?死後の世界だからってご都合設定過ぎん?
・声優はそんなに気にはならなかった、芦田愛菜が思ったより良い感じだった。ヒジリはもうちょいかな
シナリオは酷いが
私はこの作品は好きです
進化を続ける細田ワールド
【ネタバレ有り】飽く迄も2次元に拘る「時をかける少女」時代の細田守の信奉者にとって「果てしなきスカーレット」は、その独特の世界観への冒涜と思われるかも知れない。しかし、進化し続ける映像の世界・・・、自身に枠を嵌め、その範囲から一歩も出ないで制作を続けるのは大変な事だ。その意味で「果てしなきスカーレット」における細田ワールドの変容は当然の帰結である。ただ、本作品の変化の度合いは些か大き過ぎて、昔ながらの信奉者を置いてきぼりにしてしまった感は拭えない。だが、ついてこられる者だけを相手にするのもクリエイターとしては致し方無い事だ。
それでは何が変わったのか?先ず言えるのは背景描写の圧倒的な立体感だ。砂漠・遺跡・海・空・・・2Dからの潔いまでの決別である。私にとってはどれもこれも当然の帰結と思われる。恐らく多くの場面で実在する風景をロケハンして行けばその世界を2Dの空間に閉じ込めるのは無理だと気付くのであろう。万物は流転する。その中で人もまた万物の一部だ。よって、背景だけ無く人物も立体的に動き出す。これは特にバトルシーンで顕著に見られる。確かに人物の造形では3Dは無いが、動きは頗る軽快で立体的であった。進化の一つだ。
更に、台詞回しまでも新境地が垣間見られる。これは、古典への回帰という意味での斬新さだ。主人公はスカーレットであるが、宿敵はクローディアス、更にガートルード・ローゼンクランツ・ギルデンスターンe.t.c.シェークスピア悲劇「ハムレット」の登場人物が目白押しである。更に、市村正親・吉田鋼太郎といった声優には、日本を代表するシェークスピア役者を充てる。私は、「ハムレット」をク・ナウカや蜷川版の舞台、そしてグレゴリー・ドラン監督の映画等で見ているが、何れも演出こそ違うが格調高い(別の表現をすれば「過度なまでに装飾された」)台詞回しのオンパレードで、シェークスピアの世界観から逸脱するものでは無かった。勿論、そこから逸脱しては意味が無いと云う事もあるが・・・。よって、この「果てしなきスカーレット」でもその些か装飾過多な台詞回しが時々出てくる。これもまた細田アニメの信奉者の癇に障る処となるのであろうが、シェークスピアが大好物の私にとってはこれは大歓迎であった。
とは言うものの、このアニメは「ハムレット」の焼直しではない。主人公スカーレットは、「果てしなき恨み」に支配された人物と言うことではハムレットと言えるが、其れが現代日本から来た看護師聖(ヒジリ)と出会う事によって「赦し」の概念を受け入れて行くことなる。この「赦し」によってシェークスピアの代表的悲劇はハッピーエンドに変わる。恐らくこの聖こそがオフィーリアなのであろう。ハムレットの遺恨とは対局にあるオフィーリアを受け入れる事が赦しに繋がって行くことが面白い。因みに、スカーレットが聖に「寺にゆけ」と云う場面があるが、これはハムレットがオフィーリアに言う「尼寺へ行け」のオマージュだろう。
そしてもう一つの大好物。渋谷でのダンスシーンだ。コレが素晴らしい。私はこれを「祝祭」のシーンと呼びたい。私の好きなアニメーターに今敏と云う人がいた(残念なことにもうこの世には居ない)。彼は人間の記憶や感情を具現化する事をライフワークにしていたが、その集大成とも言える「パプリカ」で、記憶の中にあるすべてのものを総動員させて街を練り歩かせる・・・ある種の「祝祭」のイメージを何度も出している。其れを彷彿とさせるのが渋谷でのダンスシーンだ。些か唐突ではあるが、元々「彼岸」と「此岸」の間にある曖昧な空間の出来事である。何が出てきても良いであろう。
さて、世間から認められない天才・・・そう、ゴッホの様な芸術家は・・・自分の作風を頑なに変えないが、早々に認められた天才・・・、ピカソの様な人は貪欲に新しい自分を作り出す。細田守と言う人はそう云うタイプなのかも知れない。ニュータイプを受け入れられない人は取り残されるだけである。
評価不能
自分はふつうは映画を見てアラがわからない。だから評価は基本的に満点をつける。
ところがこの作品は特殊であまりにもアラが多過ぎる。不可解かつ不自然な点が多過ぎる。それは多くの人が指摘していることなのでここではあげない。
何かが言いたそうではあるが伝わってこない。なにがしかのフィルターや条件を設ければあるのかもしれないが、多くの観客はそうした目では見てはくれない。
駄作というより評価ができなくて点のつけようがない。
細田のこれまでの作品ともあまりにもかけ離れてしまっていることもこれまで彼を支持していた人々からも見放されてしまったようだ。
アニメというのはそんなに見ないけど映像や音楽も他のアニメ作品、例えば鬼滅の刃などとは見劣りがする。
そう、アニメである以上、子供でもわかりやすいものでなければならない。
宮崎駿の三部作、風の谷のナウシカ、もののけ姫、千と千尋の神隠し、細田自身の時をかける少女、ディズニーのアナと雪の女王。
名作はいずれも小学校低学年でも矛盾なく理解できるシンプルなストーリーになっている。
でありながら大人でも楽しめる奥深さをもっている。童話と同じ。
本作は子供はもちろん大人でもわからない。
行動原理がわからなければ感情移入もできない。
細田芸術の最高傑作(追記あり)
細田監督の最新作が苦戦しているという記事をあちこちで散見するようになって、気になっていた。参加している映画系OCでは尊敬する管理人さんが見事な分析を披露してくれた。それはシンプルなもので。細田作品の無条件なヒット作は下記の通り。
●大ヒット:
『時をかける少女』 脚本:奥寺佐渡子
『サマーウォーズ』 脚本:奥寺佐渡子
『おおかみこどもの雨と雪』 脚本:奥寺佐渡子
(ついでに言うと、「国宝」の脚本も奥寺佐渡子!すご!)
●ヒットせず(一部酷評):
バケモノの子 脚本:細田守
未来のミライ 脚本:細田守
竜とそばかすの姫 脚本:細田守
果てしなきスカーレット 脚本:細田守
この分析、と言うかこの着眼点は見事で、まさに細田作品がどう見られてきたかを如実に語っている。だがしかしこれが細田監督が自ら望んだ評価であろうか?今回の🎦果てしなきスカーレットは起死回生の一作であったはずである。従来のヒット作は原作付きのマンガで作画を担当してたに過ぎず、恐らく細田監督自身の本意ではなかったのではないか?勿論監督を張る以上脚本家選びは監督自身のクレジットの元に行われ、その責任とその評価も監督自身が一心に負うものである事は言うまでもない。🎦果てしなきスカーレットが興行的に苦戦した原因は、①観客にテーマや表現が伝わりにくかったこと、②脚本や演出の評価が分かれたこと、③宣伝規模に比べて期待値が高すぎたこと、④同時期の競合作品に埋もれたことが大きいと分析されている。初動の低調 に関しては公開初週の興収が約2億1,000万円で、前作『竜とそばかすの姫』の同期間の約23%にとどまった。2週目にはトップ10から脱落するなど、細田守作品としては異例の不振にあえいでいる。また今回は以前以上に脚本・演出への酷評が目立ち「物語が散漫」「ミュージカル調が唐突」「キャラクターの感情が伝わりにくい」といった批判が目立ったりもした。一方で映像表現や芦田愛菜の歌唱力は評価されており、賛否が極端に分かれたもののドラマ性の欠落はどうしても期待した作品のテイストに対して極めて地味に映ってしまったのはいがめない事実かもしれない。
だがしかし私はむしろ細田監督は今回脚本を捨て、テーマを圧倒的なビジュアルエフェクトで表現したと感じた。今回の作品の映像は多くのアニメのワンカットへのオマージュや世界中の様々な風景絵画(例えばワイエスやマックスフィールドパリッシュ、ドイツロマン派のカスパー・ダーヴィト・フリードリヒの絵画など)への強いオマージュが見て取れた。この没我感はかつてのアニメでは体感できないものだったと思うぐらいの感動があった。地味な「許し」のテーマを見事な映像の波で飲み込むかのような作品だと思うのだが、そう言った声が専門家からもあまり聞こえてこないのは何故なのだろうか?
上記のリストからも分かるように明らかに細田監督が作家性を以って表現してる作品は全て映像と音楽の壮大さで構成されている。これに鑑賞者たちは気付かないのだろうか?特に批評家たちは細田の何を見ているのかは誠に以て不思議としか言いようがない。🎦果てしなきスカーレットは、脚本の弱さを補うどころか、脚本を捨てて映像そのものを「許し」の表現にした作品でる。 しかし批評家や観客は依然として「物語の強度」で評価するため、映像美やオマージュの豊かさが十分に語られることなく今回の低評価につながったものと推察される。これはまさに「作家性の転換」を見逃している現象だと言えないだろうか?
また🎦竜とそばかすの姫における「竜」と、今回の🎦果てしなきスカーレットでの「龍」の進化についての言及もほとんど見受けられない。虐待を受け復讐の権化と化した少年の心の象徴である「竜」をベルカ受け入れ癒す事で「龍」として昇華し、赦しの象徴としてスカーレットの元に現れる。この循環を見逃してはこの物語の真の意味は語れない。
2025年12月7日:細田監督の作品に関しての興行収入別ランキングで見た場合、リストが不正確では?のご指摘を受けました。調べてみたところ現時点での興行収入別ランキングは下記のようになっています。
🎬 興行収入ランキング(国内)【出典】映画評価ピクシーン
順位 作品名 公開年 興行収入(億円)
1位 竜とそばかすの姫 2021 66.0
2位 バケモノの子 2015 58.5
3位 おおかみこどもの雨と雪 2012 42.2
4位 未来のミライ 2018 28.8
5位 サマーウォーズ 2009 16.5
6位 時をかける少女 2006 2.6
?位 果てしなきスカーレット 2025 4.1(現時点)
こうしてみるとご指摘のように必ずしも細田作品が興行的に失敗してるという分析は間違いである事が分かります。この点については深くお詫びいたします。また先に掲げたリストは興行収入別と言うより話題性、発展性、批評的成功性、興行的成功性が逆転しているのが分かります。顕著なのがデビュー作の🎦時をかける少女、更に出世作となった🎦サマーウォーズはこうしてみると興行的には小規模ながら高い人気を今でも保持しています。一方最近の作品は興行的には成功しているものの批評家からの評価は制作回が増すに従い厳しいものになっていきます。それは細田作品に高い期待感と、一方で初期作品に見られた物語性との離別がその原因となっているのが先のリストと併せてみて頂くと分かると思います。
今までは初期作品のような等身大の少年少女たちの冒険譚に自らを、もしくは自らの青春時代を重ね合わせ瑞々しい青春の代償作用を作品から獲得する事が出来ましたが、制作回が増すたびにそこが失われ、新たな地平に細田監督が向かいだした証でもあったのだと思います。鑑賞者たちは過去作のカタルシスを求めて今度の作品こそは、またそれこそ今度の作品こそはと集まっていき興行収入こそは累積効果でうなぎ上りに上昇したもののファンと批評家たちの間には徐々にその曖昧な細田監督の立ち位置に戸惑いながらも過去作の遺産で補填をしていたの云うのが実情ではないでしょうか?そして今作品においては、前作🎦竜とそばかすの姫をスッテプとし、完全なる物語性との決別を果たしまた一つ高い高みに上り詰めたとみるべきではないでしょうか?一方の鑑賞者サイドは観には行ったがイマイチシュールで分かりにくかった🎦竜とそばかすの姫からさらに先に突き抜けた今作品を、鑑賞者たちも批評家たちも見捨てたのが今作品の「興行的失敗」となったと言うのが実情ではないか?
しかしこの興行的失敗は何ら恥じる事のない世界でありこの完成度の高さにとって全くその至高性が揺るぐこともない。細田守監督に置かれては揺るぐことのないこの方向性を今後も固持しぶれることなく突き進んで欲しいと願うものであります。
未来のミライに匹敵するつまらなさ
眠くなるほど酷くはないが、面白いとは言い難い
どうにもスカーレットに共感できず…
この辺りが面白いと思えなかった原因かな、と。
序盤はなぜ王が処刑されるに至ったのか全く納得できないし(毒殺ならともかく)。
他国に国を売ったという理由もあまりにテキトー過ぎる。
閣僚や軍が弟クローディアス配下に占められたのなら、その過程で気づかない王はあまりに間抜け…
ハムレット原作はその辺りを語らないことで観客に疑問を抱かせないよう配慮していたかと。
序盤の設定はハムレットというより『暁のヨナ』に酷似していました。
こちらの共感させられ度が凄いので、比較すると天と地…なぜ王が殺されなければならなかったのかも合理性が取れていたしね。
完全に死に至る前に、もう1ステージ世界がある、という設定には興味が湧きました。
ただ、その世界の仕組みがしっかり造られていなかった印象(スカーレットの夢の中だから?)
飲食は不要なのか、物は作るのか、それとも埋まっているものを使用するだけなのか、動植物は生まれ育つのか、次々に湧き出る疑問は置き去りにされたままでした。
死に方だけはよく理解できましたが。
主人公がどうやってピンチをど切り抜けるか。
これはアイディアの見せどころ。
しかしデウスエクスマキナ(脈絡なく神が助けてくれるってやつ)は紀元前には禁じ手とされたはずですが、複数回、使っていましたね…
せっかくの「許す」テーマも、クローディアスが死んだから「許せた」の結果論になってしまった。
ラストのスカーレットの演説はあまりに幼稚だし。
愛を知っても政治はできないと思うぞ?
ガンジーのように毎回、身体を張る覚悟なんでしょうか…
歌とダンスは細田作品のお約束なの?
唐突感極まりなかった気がしましたが、お約束なら致し方ないのかもしれません。
個人的に最も良かったところは、天国への階段が透明なところと、海辺のウミガメでした。
全編通して息苦しいシーンが多いので、ウミガメには大変癒されました。
本業声優は何処?
本業声優がほとんど出ないから今回は鑑賞しなくてもいいかなと思っていたのですが
内山昂輝さん、種崎敦美さん、上田麗奈さんが
出演するということで鑑賞しました。
役名が発表されずわからない為、集中して鑑賞していたのですが、最後までわからず…
エンドロールで役名もないモブだったことに驚きました。
宮野真守さんと津田健次郎さんも出演されていましたが、ほんの少しだけ。
本業声優は何処?という感じです。
主人公のスカーレットに関してですが、芦田愛菜さんの熱演は伝わりましたが、本業の声優ではないこともあり違和感を感じました。
(芦田愛菜さんの声に本人の顔がチラつく)
以前、かがみの孤城という作品でも芦田愛菜さんが
出演されていましたが、役名を言われなくてもキャラクターの声を聞いただけで芦田愛菜さんとわかったのですが俳優独特の話し方というか…
個人的にですがスカーレット役は悠木碧さん、佐倉綾音さんが合うなと思いました。
細田守監督が本業の声優を使いたくなかったから
俳優で固めたのでしょう。
内山昂輝さん、上田麗奈さん、種崎敦美さんが何処のモブだったのか、配信されたら確認する為にもう一度鑑賞しようと思いますが、映画館での鑑賞は本当に残念でした。
果てしなく〜♬ …飲み直さなきゃ❤️ 守たんたら言いたいコトが溢れ...
全850件中、161~180件目を表示
映画チケットがいつでも1,500円!
詳細は遷移先をご確認ください。



