果てしなきスカーレットのレビュー・感想・評価
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【追加】映画批判者に対するコメント 映画を見ました。正直な感想ですが十分見ごたえがありました。
【追加】
批判している人の特徴として話が分からないみたいなことがよく書かれていますが、映画の冒頭や、事前の各メディアに公開した筋書でスカーレットは叔父王に復讐が失敗して死者の国に落ちたとあり、これはスカーレットが見ている夢であり憎悪、恐怖、願望、宗教観、悲しみ、希望がドロドロに渦巻いた精神世界であり、急に人が出てきても、いなくなっても、非現実的な場面でもスカーレットの夢の中なので不思議はありません。
あの空を飛んでいる龍の様な生物もスカーレットが想像する人智を超えた罰と救いを与える神の様な存在が具現化したものと思います。
人の見ている夢なのにおかしいとケチをつける人はどうあれば納得なのか、もしかして死者の国は実際にあり、我々の世界と同じ規則、空間、時間が流れているとでも思っているのでしょうか。映画の設定を事前に学習していればわかるはずです。
(そもそも16世紀のデンマーク人のスカーレットと現代日本の聖が普通に会話していることが現実ではなく夢だと言うことを表しています。)
これはスカーレットの脳内で起こっている夢想であり、本来は誰にも見ることはできませんが、映画鑑賞者は言わば神の視点で見ているのであり、その神様がここがおかしい、ここが変などと重箱の隅をつつく様な事ばかり言っていると他の神様(映画鑑賞者)から笑われますよ。
声の大きいインフルエンサーが駄作だと言い出すとそれに影響を受けて映画をよく理解しようともせず同じ様に批判をしだす人たちは、自分の意思があるでしょうか。
「共感できない」「筋書に置いて行かれる」「何を見せられているのかわからない」「過去の細田作品ではなく落胆した」と言う他人が使用したフレーズそのままで批判している人がいますが、映画主人公に必ずしも共感する必要はなく、私もスカーレットの執念深く、頑固ともいえる復讐心に何故、もっと楽に生きないのかといらだちました。
「筋書きに置いて行かれる」「何を見せられているのかわからない」も学校に置き換えれば、予習もせず、授業についていけないのは当然です。
「過去の細田作品ではなく落胆した」もこれだけ事前の情報、映像も出て、明らかに過去の作風とは異なるのに、映画を見て落胆すると言うのは完全に予習不足と思い込みが強すぎるのでは?と言うしかありません。
よく批判者には「時をかける少女」「サマーウオーズ」を手放しで称賛する人がいますが、「時をかける少女」のタイムリープの原理、回数の制限があると言う謎設定、過去にタイムリープを繰り返すと未来が大幅に変わってしまう。と言う問題をどう折り合いをつけているのか、SFの設定としては非常に甘く、こんな設定でみんな文句も言わず納得しているんだと驚きます。
また「サマーウオーズ」で世界危機にたまたま、数学の天才とゲームの達人が同じ場所にいて、たまたま原因の人工知能を開発した犯人も身内でと言う究極のご都合主義なのに、それを誰も疑問に思わず、簡単に受け入れていることに驚きです。
要は映画を面白くするためには現実にはありえない、ぶっ飛んだ設定をすることも必要でそんな細かいことを気にしていては映画を楽しめないと言うことではないでしょうか。
この2作品は脚本が優れていると言われていますが、今回の作品は脚本で物語が小綺麗に起承転結にまとめられるより、脚本に制限されず表現したい映像、演出を優先したのだと思います。
映画の批評は必要ですが、あまりにも執拗であの大阪万博開催前、開催後に繰り返されたあのネチネチと揚げ足取りの様な批判のいやらしいさとそっくりです。いったん標的を見つけると傷口に群がる蠅のようにどこからでも湧いてきて批判を繰り返す。映画を見て満足した人を不快にするコメントを繰り返し、自分が見て満足しなかったからと言ってまだ見ていない人にも見させない様に妨害する様なコメントなど、もし本当に映画に不満ならば、「自分には合わなかった。」と思って高評価のズートピア2の批評欄にでも行ってはどうかと思います。
声優についは鬼滅の様に登場人物がハイテンションで必殺技を連呼するならば、言語明瞭、歯切れのよい美声の声優でもよいかと思いますが、この映画の様にダークな世界ではむしろ言語明瞭の必要はなく年齢に応じた声優の方が雰囲気があり、素材(映像、演出)の邪魔をしないと思います。
プロの声優を使えば、化学調味料の様にどんな料理も一定の水準にはなるかと思いますが、監督はそれを良しとしなかったのだと思います。(宮崎監督も同じなのでは)
終盤でスカーレットが「生きたい」と連呼する場面で批判者は鬼の首を取ったようにワンピースのパクリと連呼していますが、生きる気力をなくしている者を「生きろ」と励まし「生きたい」と言わせることは、人間の普遍的な行動でありおかしくありません。アニメ界ではワンピースの専売特許で「生きたい」と言う言葉は誰にも使えないとでも思っているのでしょうか。
映画の宣伝で大ヒット上映中と宣伝していることを揶揄している人がいますが、作品評価と動員数は関係がなく、この様な人たちは作品評価イコール動員数と思っているのでしょうね。映画製作関係者はこのような人たちも相手にしなくてはならないので本当に気の毒です。
この様な批判を見ているとadoさんの歌の歌詞が頭の中でリフレインします。
「♬ 一切合切凡庸な♪ あなたじゃ分からないかもね ♫」「♫ 閉じろ ♫ 閉じろ ♪ その口 閉じろ ♬ 助言など頼んではいない ♪ 」
以上、私の意見です。
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映画の冒頭でスカーレットは叔父王に復讐しようとして逆に毒を盛られ、昏睡状態になり、その夢想の中で死者の国に落ちたと言う設定になっています。他の方の批評で「話が分からない」「筋書きに必然性がない」「登場する人物がおかしい」「ご都合主義だ」と言う様な意見が散見されますが、人間が眠っている時の夢とは元々その様なものであり、どんな描き方でもそれはスカーレットが見ている夢だと説明できると思います。スカーレットは夢の中でも復讐を果たそうとしますが、色々な出来事、人物とのふれあいで考えが変わっていきます。夢の中の登場人物は他人ではなく、もう一人の自分、その他大勢も、もう一人の自分であり、自問自答を繰り返して、本当の自分の気持ちにたどり着いたのではないでしょうか。最後に昏睡状態から回復して目覚めますが、これもまだ夢の続きであり最終的には死に至ったと思っています。理由は「目覚めても夢の中で切った髪は短いままになっている」「聖に手当てしてもらった手の包帯がある」「叔父王が盛った毒は確実に死をもたらすもので、解毒剤が効くとは思えない」「都合よく叔父王が間違って毒を飲み死んでいる」最後にスカーレットは王位についてハッピーエンドに見えますが、これも死の最後に見た夢であり、復讐心のままで死ぬのではなく、他人も自分も赦すことにより、本当の自分を取り戻して虚無にならず、魂は天へ昇って行ったのではと思います。(父王と再会できていればうれしい)
以上、あまりにも評判の悪さで色々学習、自分なりに設定を考えて鑑賞しました。皆様も他人の批評には影響されず、自分の目と耳で聞いて映画の評価をすることをお勧めします。
細田守版ハムレットの再解釈?
果てしなきスカーレット、細田守版ハムレットの再解釈?と巷で話題の本作、公開1週経たないうちに、嫌でも雑音が大きくなってきたのでこれ以上ノイズが入る前に、とそれでも水曜特売日で保険かけました。
見る予定の人、細田守が好きな人は飛ばしてください。
以下ネタバレ含みます。
公開最初の水曜日の夜19時の回、池袋TOHOシネマズでしたが、嘘でしょ?てくらいの入りでした。
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映画の脚本って書くの難しいのね、とつくづく思いました。多分4年間想像もつかないような紆余曲折が細田守にはあったんだろうと思います。でも言いたいことは言います。
とにかく登場人物の行動に合理性がない。あれ?この数分、自分意識飛んでたんだっけ?と言うくらいキャラの行動や台詞回しに整合性が取れていない。
敵キャラは野良ポケモンレベルで仲間になるし、あるはずのない伏線を探す行為を、ずっとさせられている感覚。広げた風呂敷すらない場面転換、途中で既視感を覚えたのは息子の高校の自作脚本の演劇を観たときの感覚でした、時間も金も比較にならないくらいかかってますが。
その演出、どっかで説明ありましたっけ?とずっと突っ込んでました。
また、行動原理に整合性が取れてないのでキャラにも魅力がなく、世界観もオリジナティあり過ぎてルールが分からずとりつくしまがない。
唯一渋谷のダンスシーンだけが(唐突で前後の繋がり不明だが)安心して画面見られた程度。
劇中歌も要所のセリフも、中二病人ですら赤面してモゴモゴするワードを連発しててスタジオ地図に「誰か止める奴はいなかったのか?」と叫びたくなりました。勿論劇中歌の作詞はエンドロールで目で追える範囲はすべて細田守、でした。
例えるならキャシャーンの最後の三十分と、ハウルと動く城の例のシーンの15分を煎じ詰めて二時間アニメ映画にしたような作品、と言えば伝わるでしょうか。
キャシャーンは紀里谷の方です。
岡田麿里と細田守は暫く劇場長編作らせてもらえないんではなかろうか、
きっと今日はキルケーの魔女のリーフをゲットするために劇場に行ったんだろうと思うことにしました。
中途半端な作品
どうなってんだ・・?物凄く良かった
空き時間が出来たので暇を潰しに映画館に足を運び
未鑑賞で時間的に都合がつくのがこの作品と「金髪」だけだったのでこっちを選択。
巷で酷評されているのも勿論知っていたし
全く期待せずに、寧ろどんなダメ映画なんだろうという期待を胸に鑑賞しましたが
あまりにも良すぎました どゆこと?
中世を舞台にした復讐劇かと思いきや
過去も未来も繋がった「死者の世界」を舞台にした中世を生きた少女と近代社会を生きた青年の出会いの物語。
正直シナリオは世界観もよく解らない内に説明も何もなく事が進行する所が多々あり「考えるな、感じろ」
と言った所。
しかし話の進行するテンポはよく、映像はとにかく動きがあって見てて飽きない、不思議なほど退屈しません。
復讐だけを誓ったはずの少女の一つの出会い
あり得たかもしれない世界で
一瞬垣間見えた青春の煌めきが
少女の価値観と感情を揺さぶっていくのです。
↑こんな感じの見せられて泣いちゃいます。
観客少ないんで泣きやすいんでオススメです。
今まで世間であまり評価の良くない映画を実際に見てみて「思ったよりは楽しめた」事は何度かありましたが
ここまでぶっちぎりで良かった作品は初めてで、ちょっと混乱状態です。
その勢いで初めて映画レビューというものを書いてしまった次第であります。
商業的に大失敗っぽいけど
これは本当見に行って良かった。
追記
12月18日
前回は不意打ちで感動させられてしまったので
もう一度見ないと正しく評価出来ないと思い
リピート決行
前回はなかった入場者特典をもらいいざスクリーンへ。
いや、どう考えてもやっぱり本当素晴らしすぎる。
映像美に改めて気付かされて圧倒されてしまった
それ以上に、とにかく愛に溢れた作品だなーと。
鑑賞後に心になんか良いものが残ります。
この作品が巷で酷評で溢れているのは
自分の感覚ではちょっとよくわからないなあ。
父王の言葉に考えさせられる
映像がとても美しい
重低音もズズンと胸に響く
お話は至ってシンプルでわかりやすいが今までの細田作品とは一線を画した挑戦作に感じた。
最終的にどうなるのかドキドキしながら最後まで引き込まれた。鑑賞後も父王の言葉に考えさせられた。
あの言葉こそこの作品のテーマなんじゃないかな。
それはそれとして聖、納得の聖人ぷり。
スカーレットと恋愛関係まで至らない距離感も丁度良かった。むしろ強面のオジさんもほだされる彼こそがヒロイン
日本語字幕で鑑賞
果てしなきエゴ(自己満足、思想、哲学)を観せられた印象
採点内訳
総評:☆1
映像美 :☆5
物語 :☆1
キャラ性:☆0.5
世界観 :☆1
現在のアニメで表現可能な実写的映像美を可能な限り追い求めたような映像であり、背景や水の表現を初めとするCG技術は実写と見紛うばかりの部分もある。鬼滅、レゼ、ズートピア2のような映画と見比べても『実写的アニメ映像』という括りで観れば、おそらく勝っているような印象を受けましたが……逆に言えばそれだけしか評価ができない、というのが個人的な意見です。
鬼滅、レゼ、ズートピア2は観客を楽しませる大衆映画でエンターテインメントに徹していますが、本作こと『果てしなきスカーレット』は全く違います。
細田守監督の考える『人とは、人生とは、争いとは、生きるとは、死とは何なのか』という哲学と思想がキャラクター達を演じる声優達の声で語られる……謂わば『哲学映画』に分類されるべき作品です。
人は誰しも『自分の考えを語る、説明する』ことが大好きです。脚本を書いている時の監督はそれはもう気持ちが良くて、さぞ楽しかったことでしょう。しかし、結果としてエンターテインメント性が著しく低い。
もちろん、世の中には『面白い哲学的な映画』というのは存在しますが、それは哲学とエンターテインメントのバランスが取れているからです。
その点『果てしなきスカーレット』は、監督の哲学と思想が終始全面で自己満足的に押し出され、かつエンターテインメント性が低いため、表題の『果てしなきエゴ』に繋がっています。
本作を観たあと、果てしなきスカーレットの予告編を見直すと『一番わくわくできる部分』
が全て集約されていることに気付かされ『予告映像が一番面白い』と感じられるほどです。
いっそ予告で映画の暗い場面ばかりを抜粋し、『この映画は細田守監督の哲学を集約した復讐劇』としてくれれば、まだ良かったかもしれません。内容が駄目なことにはかわりませんが、少なからず大衆映画を期待した観客をがっかりさせることは多少なりとも防げたはずです。
物語はハムレットという古典の復讐劇を元にしているそうで、クーデターで王を殺害して圧政を敷く伯父クローディアスに、王の娘である主人公スカーレットが復讐を果たす……という物語の『軸』はそこまで難しいものでありません。問題なのは世界観と登場人物です。
主人公をはじめとする登場人物が揃いも揃って感情移入して応援できるようなキャラではなく、観客は「うーん、そうかなぁ。それって、どうなの?」と首を傾げて唸ることになるでしょう。そこに拍車を掛けるのが『よくわからない世界観』です。
映画の冒頭、主人公のスカーレットは伯父クローディアスの暗殺に失敗。返り討ちにあって死んでしまいます。
死後の世界に行き着いたスカーレットでしたが、クローディアスも死後の世界にいて、かつ巨大な権力を保持しているということを『謎の老婆』に教えられ、再び復讐を果たすべく死後の世界を旅することになります。
この際、謎の老婆に『ここは現在、未来、過去、生と死が混ざり合って溶け合った世界だ』と教えられます。しかし、死後の世界でスカーレットが合う登場人物はモブを含め『スカーレットが生きた時代と同じ人ばかり』なのです。ちなみに、主人公のスカーレットはクローディアスに復讐することだけを考え、何故彼が同じ死後の世界にいる理由をほとんど考えようとはしません。考えさせるのが面倒臭かったのかな?
物語の途中で『聖』という日本で救急看護士を勤めていた青年と出会い、旅を一緒にすることになるのですが、観客の考える『現代人』は彼しかでてきません。海外の現代人は一人も出てこないのです。映像の中で日本の甲冑や武具が映り込む映像はありますが、それだけです。『謎の老婆』は言いたかっただけなのか?
また、聖という登場人物も剣を持って殺しにきた盗賊をスカーレットを返り討ちにして殺害することをよしとせず『殺すな』とか『治療できずにすいません』など呟き、いかにも『戦争の現実を知らないステレオタイプの日本人』であり、とても応援できませんし、感情移入できません。おまけに物語後半で、彼は弓矢で敵を葬ります。『殺すな』はどうなったのか?
なお、死後の世界とか言いつつも、登場人物達は致命傷を負うと体が砂のようになって完全に死んでしまいます。これを『虚無』というらしいですが、個人的にゲームのDARK SOULSに存在する『亡者』から着想を得たのかな? という印象を受けました。というか、全体的に世界観がDARK SOULSシリーズに近い気が……。
いくらファンタジーと言っても、物語と世界観の整合性がつかない展開をされると白けてしまいます。挙げ句、ずっと細田守監督の哲学、思想を語られるので上映時間が果てしなく感じてしまうのでしょう。
つまらないことを前提で観に行くならお勧めできますが、大衆映画として観に行くのはお勧めしません。
まだまだ書き足りない気もしますが、これぐらいにしておきます。
ご覧頂きありがとうございました。
何がしたいのかわからない
個人的には何を伝えたいのか全てが中途半端故にわからないと思った
映像としてもツッコミどころが多すぎる
例えば、最後の戦闘シーンのおかしさがずっと気になるのだ
剣を持った男に組み敷かれるシーンがあるのだが
両手で上に乗った男の胸を押さえて耐えるシーン。
剣を持ってる相手の胸を、押さえているのだ。
それなのに剣を構えている敵の右手は曲がっている…
…伸ばしたら普通に刺せるのではないか…?
自分の見間違いか…?と凝視するが
やはりスカーレットの左手は相手の腕ではなく胸なのだ…
話的にも中途半端であるように感じる。
ハムレットを題材にする必要はどこにあったのだろう。
娘に向けてとおっしゃっていたように思うが、
何を伝えたいのだろう…本当にわからない…
復讐心や争いへのなにかを伝えたいのだろうか
そうだとすると終わり方は支離滅裂な気がする
愛というか、今を、前を向くことの大切さだろうか
それならば、根本のシナリオが相反するものな気もする。
全体的に自分の中にない思想を無理して作ろうとしている作品のようだ。
NPCのような主人公のために存在するモブを量産しているが故にペラペラに見えてしまう。
キャラクターのセリフもイメージができてきたと思うところで可笑しなセリフが入ったりする。
身寄りがいなくなった人間がスレて成長していく様を描いたと思えば、優等生すぎる反応、行動を起こす
なぜなのか…
出来の悪いもののけ姫みたいだった。ハムレットでもない、もののけ姫でもない悲しい産物だった。
個人的には星を評価出来るものでもなかった。
しかしながら、隣の中学生くらいのカップルが観て泣いていたのだ。
当然私には、涙する理由も場面も想像すら出来ない。
それでも彼らにはあったのだろう。
それは自分が感じることのできない何かがある可能性である
そこに希望を込めて☆2。
挑戦作だけど試作段階
映像は確かに素晴らしく、アニメ映画に一石を投じる作品。
この技術が日本のアニメと見事に融合すれば更にジャパニメーションは表現力を増すと思います。
ただし映画自体はその表現力についていけてない試作段階の作品。
まず物語がツギハギすぎて観客が置いていかれてしまっている。
スカーレット編、聖編、完結編の三部作だっだのを無理に短縮したような作りに見ていて理解が追いつかず。
スカーレットの物語としては完結しているが、途中途中で聖の人間性や、各キャラクターの行動原理が説明不足(説得力不足)で納得できず疑問に思っていると次々と疑問が積もり積もって理由が分からなくなった。
そこに煉獄の世界観がさらなる疑問を積もらせる。物資があり資源があり動物がいて人々が暮らせているのに、その生産拠点の描写が無くちぐはぐな世界観をずっと見せられる。見ていてどんどん疑問が膨らみ、しかし解決は最後までしないのでモヤモヤしながら映像を見続けることになる。
有名なダンスシーンもしかり。
あそこだけCGがカクカクしておりそこも気になる。
冒頭のスカーレットの生前の物語は本当に良かっただけに、煉獄へ行ってからの展開は残念に思う。
ラストのあまりにスカスカな平和主義の主張は残念だった。地獄を見てきたからこその結論を出してほしかったのに、愛と平和を語るだけでそこに重みは感じられない。
映画館で観てよかった
ご来光。富士登山を思い出した。
スカーレットはとても美しく凛として強くてかっこいい。愛菜ちゃんの声もいいです。
だけど……果てしなく続く瓦礫の荒野……望みのない虚無の世界……いつまでこの映像なのだろう?
どこかで感じた……ああ、富士山のご来光に似てる!ほんとにずっと真っ暗な荒野をひたすら登ります。まだ?まだ登るの?辛い……と。
そして父と叔父の区別があまりわからず。
悪の華にしても魅力ないし。
聖は優しくて人懐っこくてジプシー?たちと踊ったりするところは可愛らしくてよかったけど、それに見合うビジュに寄せてほしかった。そこが違和感があり受け入れられなかったのかも。
せめて、せめて髪があればなw
やっぱり髪型って大事なんだね。聖が女の子ならどうだったかな?結構いいかも!
なので、日本の現代?近未来みたいなシーンでは逆にほっとしました。ダンスシーン、キタキター!これか!SNSで話題の!と笑って楽しくなってきた。
本当はみんなが言うほど悪くないと言いたかった。終わり方は好きですし、声優さんもよかったです。なので0.5プラスして3です。
果てしなきスカーレットの酷評をみて
果てしなきスカーレットの酷評をみて
ただ、悲しくなる。
こんなに深い作品は、他に本当に無いのに
これに相対しない人が、
これほどに多いのかと
GPTと話し続ける。
戦いの業、死後の救い、
愛とは、赦しとは、許しとは、
魂の向かうべき方向、
求める魂の叫び、苦悩
聖書の一場面のような群衆の心
この許しを
自分を許すという
自己啓発的な視点で
捉えられることに、違和感を持つ。
GPTと話してた
段階0:許せない世界(スタート地点)
段階1:自分を責めるのをやめる(自己否定の解除)
段階2:自分の足で立つ(自立・責任を引き受ける)
段階3:愛と共に生きる視点(自分+他者+世界)
段階4:他者を赦す(相手の存在をまるごと認める)
段階5:魂レベルでの許し(祈りとしての許し)
段階6:善悪を超えた受容(すべてを抱きとめる愛)
キリストもブッダも段階4ぐらいの話はしている。
ごく稀だけど、段階3で生きている人を見る
そもそも、僕も含め多くの人は、段階0を
揺れ動いている。
そして、死後、霊の世界がわかるなら、
段階5-6の世界が理解できるのかもしれない。
善も悪もなく、愛は唯あるということ
物質の体では、たどり着けない境地
赦しとは、全てを包み込む存在
それは、人間的な赦しではなく、
当たり前の赦し、存在、構成要素
当たり前の事、
そう、つまりワンネスなのか?
そして、映画でも描かれていた
真の王は、死後の地獄にはいない
争いの輪廻、業からの解脱
奪う事ではたどり着けない
明け渡す、委ねる、受け入れる
その先に、答えがあるのか?
ガラスの階段、大学生の時に読んだ物語
ここで出てくるのか、って思ったけど、
そう、見えないものを信じれるのか
見えないからこそ信じるのか
そして、そもそも、信じることさえ不要なのか
自己存在の定義
自分は、体なのか、心なのか、魂なのか
それを、頭でなく、心でなく、魂で実感すること
知識でなく、知恵でなく、体感として、感じること
やっぱり、
深くて、優しくて、愛がある
最高の作品のように思えるけどなー
私は好きだけど
素晴らしかった
現実主義者と理想主義者の相互理解により自己理解が深まっていく、といった表現が心に響いた。
部分的には仏教的であり、憎しみという「執着」から解き放たれるお話だった。
日中関係に亀裂が生じている中、この映画が公開されたことは運命的でもあり、タイミングが悪かったとも受け取れるが、このタイミングだからこそ、細田監督は「持ってる人」だなと私は思う。
扱いが難しく、でも今世界的に大切ではないかと思われるテーマをご自身の言葉で正直に描いているのも素晴らしい。傑作だと思う。
作中何度も登場する竜は「天罰」を与える神様のような存在ではないと思う。
憎しみや怒りを抱えたまま生きた人間は新たな憎しみを呼び、そのループの中に彷徨い続ける。
竜はそのような「終わらない悪意や怨恨」を象徴した存在であるように思う。
少し突飛な想像かもしれないが鳥の集合体として描かれる竜は、鳥をシンボルマークとしているTwitter(SNSに渦巻く悪意)のメタファーのようにも解釈できる。
クローディアスは天罰をくだされたというよりは、悪意を肯定し尊重することで悪意を呼び込んだように見えた。
悪意を自分の原動力として動く集団に取り込まれてしまったような印象を受けた。
竜が現れるタイミングには決まりがあるようで、人が人から悪意を持って何かを奪う瞬間に現れる。
聖が終盤で矢を放ち相手の命を奪ったシーンが肯定され竜が現れないのには意味があると思う。
大切な人を守るために戦う行為は作中否定されていないということだと解釈している。
むしろ、力とは「大切な人を守るために使う」ものだと。
道中でキャラバンの女性から譲り受けた楽器を売り弓具に買い替えるシーンがあるが、
険しい道中を覚悟し、大切な人を守るために戦う覚悟を持った瞬間を描いていたのかと想像する。
聖は通り魔に刺されてしまった時に、意識が薄れていく中で、守りたい人(子供たち)を守れたのか
判別できない状況を後悔したのだろう。
老婆に「お前がここにいる意味は何だ?」と問われ、強く「守りたかった」と思ったのではないか。
聖はあの場面でやっと自分が「死んでいた」ことに気付いたと思う。
あれ?私皆と違う映画見た?
8番出口と同じだ。賛否両論渦巻く中、ダメ元で実際見に行ったらなんだけっこう面白じゃんのパターン。(期待しないで行くと良く見える説!?)
私は音楽も売れ筋と違うアーティストを好んだりすることが多い。他人の口コミだけを鵜呑みにして敬遠するのは音楽と一緒でせっかくの出会いを逃している。映画館で予告を見た時も普通に面白そうだったので低評価に半信半疑だったが私の中では満足点。復讐に燃えて剣を取る主人公スカーレットの行方が少しでも気になった方は見てもいいと思う。確かに設定や物語展開などファンタジーでかなりぶっ飛んだクセのある世界観の映画ではあるのだが、しょせんアニメで、私は枠から外れた奇想天外なものが好きだし許容範囲が広いのかさほど違和感を感じなかった。映像も雰囲気があり美しかった。芦田愛菜の綺麗なエンディング歌にも驚いた。
本当に面白くないと感じる人がいるのは当然として、他人の悪評は必ずしも100%自分に当てはまるものではない。芸術には蓼食う虫も好き好きが大いに存在する。
絶対に映画館に行け。どうせ見ないお前らになぜ最高に面白いか大ネタバレ有りで説明する。
まぁ待て。
どうせこれを読んでるやつは映画館に行かないだろうからネタバレ全開でこの映画がどれだけ面白かったか、俺が教えたい。
大前提として、私は石川典行さんのレビュー動画を見て、どれだけこの映画が酷いのか気になり視聴した。
ちなみにほとんど内容は石川典行さんが言っていた通りで、多少の誇張はあれど、基本的に「マジ」だった。なのでこのレビューを読まなくてもそっちだけ見れば大丈夫だ。
映画館を出て言いたいことはすぐメモったが、話の内容として多少の順番の前後はあると思うが、どうせお前ら見ないし気にしないこととする。
まず最大の魅力を書き記す。(この映画で一番酷かったところは最後に話す)
まず本作主人公スカーレットの父、ハムレット王は弟の手によって処刑に追い込まれる。そしてその死に際に放った一言。たった一言「許せ。」であった。
一体その言葉の真意は何なのか?
幼いながらに娘を残して死ぬ父を許せという意味なのか?それとも父であるハムレットを処刑に追い込んだ叔父を許せという意味なのか?はたまた...というシーンが有る。
まぁよくあるやつだ。あの言葉の意味は何だったんだろう...主人公は少し俯いたまま深く考え込み、頭を振るって今、この現実に直面しなければいけない。
だいたいそんな感じを想像できると思う。私も最初回想が始まった瞬間、「ああ、あれね。いつものね。」と思っていた。
しかし、細田守は一味違う。
なんと、その言葉の真意は一体何だったんだろうか?と聖(ひじり)というパートナー的存在とさっきまで戦闘を繰り広げていた敵の前で話し合うのである。(その敵の親玉が処刑人の内の一人で、父の最後の言葉を教えてくれた)
スカーレット「あれはいったいどういう意味なんだろう...やはり〇〇という意味なのだろうか?」
聖「ふむ、俺は〇〇という意味にも考え取れるな。」
スカーレット「なるほど、ということは〇〇という意味なのか。」
聖「いや、背景を考えると〇〇という意味で言い放ったとも捉えられる。それに、〇〇という意味ともとれる。」
スカーレット「一体真意はなんなんだ...」
親玉「へへ、実は俺はあんたの叔父を許せという意味だと思うぜ...」
マジでこんな感じだったと思う。何故か劇場で見ているときにシュールすぎて笑ってしまった。今こう文字にして書き起こしてみると、なぜ既視感があって笑ったのかわかった。
これ、国語のリスニングテストに似てるんだ。
多分質問文は「聖さんはどうして◯◯という意味とも捉えられると言ったのですか?」とか聞かれるやつだと思う。
いや、ここまじで面白かった。そこを序盤で、倒した後とはいえ敵の前でめっちゃ真面目に話し合うんだ。
ええ。と。
奇抜すぎて本当に良かった。他の映画ではまずないと思う。
そして、他のレビューでも散々言われている渋谷ダンス。
いや、最高でした。僕は事前に典之さんのレビューを見ていたので、いつ来るかワクワクしながら映画を見ていました。途中、一瞬渋谷がチラ見えする瞬間があって、(く、くる....)とニヤニヤしていたらチラ見せだけで終わって(こ、こない....)と寸止めされた気分でした。
そしてその後ちゃんとダンスシーンがありました。
いや、本当唐突。
いや、流れ的なのはあったっちゃあったんですが、まぁ、山の映像が流れてるんだから突然山賊が出てきて渋谷にワープして踊りだしても唐突じゃないよねって言えるなら唐突じゃないんじゃない?って言えるぐらい唐突。
突然スターツアーズのワープみたいな映像と音声が始まったと思ったらなぜか手足が長くジョイマンみたいになった聖とめちゃくちゃ可愛い女優化したスカーレットが渋谷?(と言われてるがそんなに渋谷感を感じなかった)でめちゃくちゃダンスするという。
思わず(う、うおw)と笑いが込み上げてきました。本当に脈略がないし、聖が改造人間みたいになっていて、なんか素人が作ったMADとか、MMDみたいなクオリティだなと思ってしまい、本当に面白かった。(ちな聖ダンス死ぬほどうまい)
作中一番面白いシーンはここと言っても過言ではないです。後スカーレットがかわいい。
おそらくわかりやすくこのシーンに似ているものを例えるなら、今日ビジュいいじゃん。という曲を調べてみてください。まさにあれです。あれを映画でやられたら流石に面白いということです。
まぁ、細田さん的には全体的に暗い映画なので途中でダンスや明るい歌を入れたほうが良いと思ったそうなんですが、僕的には最高でした。ありがとう守。
さて、もう一つの爆笑ポイントは、最後のスカーレットロビン化です。
「生きたいと言え!!もっと大きな声で!!!ほら!!!!!!」
「い、いぎだいいいいいいいいいい」
いや、全評で聞いてたけどマジであるのかよ、笑。と。
いや、ホンマにたぶんロビンのまんまレベルでした。
さてさて、まだ面白い部分がたくさんありますが、ここからはツッコミどころがあるからこそ面白い部分を紹介したいと思います。(今までのはツッコミなし!?)
えー、聖。アーチャー化。
聖はひょんなことからスカーレットのパートナーとなった現代人の看護師で何故か、何故か一人だけ作中に出てくる現代日本人です。
彼マジで高スペック男性なんですよね。
まず弓が使えます。なぜ?しかもプロ級。
弓道部だったみたいなシーンを入れれば良いもののそんなものはない。
この映画は基本お前らが勝手に脳内で補正して楽しめよ。というスタンスだと思いますので、つっこみどころを突っ込むのは野暮、無粋かもしれませんが、それにしても多いよ、守。
うん、FATEの衛宮化してました。防具をウクレレと交換して片腕の色が変わる(防具で赤っぽく)のとか、もう衛宮やん。
まぁとにかくとんでもない弓スキルを持っているわけなんですよ。
しかもね、ウクレレは途中で助けてもらったキャラバンの人たちが仲良くなったお礼で渡してくれて、「大事にしてね」とか言われてたのに笑顔で鎧と交換で売っぱらってるんですよこいつ。
ガチサイコパスなんですよ。
えええええええええええって。
しかもこいつガチで乗馬がプロ級です。スカーレットが驚いてました。
(え?なんでこいつナチュラルに馬乗れるし走れるの??え、待って?)って顔してました。
普通に「はいや!」って感じで馬に乗って爆走。敵陣に特攻(和平)を仕掛けるという無茶っぷり。もちろんなぜ乗馬スキルがあるかは謎。(一切の描写なし)
さらに、スカーレットが銃弾で打たれるも「ちょっと痛いが我慢しろよ!」と言って治す事ができる。(ちな治すために袖切ったとき恥ずかしいとか言ったスカーレットはマジで謎。大事なときにそういう変なこと言うキャラじゃなかっただろ)
いや、医者名乗れるんじゃないか?
つうか実は医者だろ。そのほうが納得できるね。幼い頃から英才教育を受けてきたから乗馬も弓も使えるとか、そのほうが整合性取れるやん。
そして聖、「殺すのはだめだ!!人を殺してはいけない!!」と中盤以降までスカーレットに説教垂れ幕っていた。
いや、そこはわかる。まぁそういう人もいるだろう。
が、しかしスカーレットがピンチに陥ったとき。
まず弓をよっぴいでひょうど放って1KILL。止められないサイコパス聖は矢を片手に敵の脇腹に思いっきり突き刺し2KILL。
えええええええええええええええええええ
2killしてるやん!!!!嘘ぺこでしょ.....W
流石に面白すぎた。いや、斬新。
俺は守を褒めたい。
こんなの一貫性がない!キャラクターとして破綻している!と批判するやつがいる。
しかし人間、最も大切な人間が死にそうになったとき、取って貼り付けたというか、現代日本の教育で植え付けられた薄っぺらい清い信念を貫き通すことができるのだろうか?
きっと守はそれを視聴者に問いかけたかったに違いない。たぶん。おそらく。メイビー...。
そしてもう一つ、同じくツッコミどころと面白さを兼ね備えていたのが僕が勝手にご都合(主義)ドラゴンとよんでいる、謎の作者が知っているタイプのサンダードラゴン。
だいたいピンチになったらドラゴンが助けてくれます(ガチ)
なんならラスボス、叔父と戦うとなったシーン。未来の争いをなくすため、争いは誰かが終わらせなければいけないという信念からスカーレットは叔父を殺すのを辞める。
え、どうするの?このままじゃスカーレット殺されちゃうよ!!え、冗談抜きでこれどうするの?え??と困惑する僕。
叔父はここぞとばかりにスカーレットを殺そうとする。すると謎のドラゴンが天空からやって来て叔父を雷で焼き尽くし丸焦げにし倒すという。
ええええええええええええええええええ
まもたん!?それでいいの!??困ったらドラゴン出せばいいと思ってない!?
まぁ悪い人をドラゴンは殺すっていうような描写はたしかにあったけどさぁ、その、タイミング良すぎない?だったらもともと極悪人なんだからもっとはやく殺しといてもおかしくないと思うんですけど...。
さすがに最後のドラゴンキルは面白すぎた。
ウッソオオオオオオオオオオオオオオって感じ。
さて、残り文字数が少なくなってきたので残りは箇条書き形式でまとめる。基本的にはツッコミどころ。あと個人的に良かったところ。悪かったところ。
(また、石川さんが言っていた矛盾点は省いている可能性があるので石川さんのレビューも見てね。)
叔父の処刑なぜ王宮の前でやった??流石に王族が住まう王城の玄関の眼の前で処刑はありえなくない?普通民衆集めるなら街の中央広場とかでしょ。
王族が住まう場所ってそんな簡単に民衆通していいの????
自分がスカーレット暗殺用に用意した毒を誤飲して死ぬ叔父って何?アホなん????
謎の愉悦系老婆なんなん(龍の化身?)
墓掘ってたやつなんなん???
あとスカーレット父殺されてやることが戦闘訓練ってなんなん??証拠とか集めて叔父を糾弾しろよ。なんでナイフとか剣の稽古やって努力してますよ感出してんねん。
んで死ぬほど戦闘強くて草。めっちゃ良かった。ガチで強いやつには叶わずボッコボコにされてるのもリアリティあって良い。ふざけてた奴らを瞬殺するのも良かった。
洗顔(水浴び?)スカーレットえどすぎ。
スカーレット死んだ後なんで叔父も側近も全員死んどるねん。
過去と未来と現実が混ざった場所とか言ってるくせに現代の兵士一人もおらんやん。未来の兵士とか居てもええやろ。
謎に始まるダンス(キャラバンのおばさんのダンス。)
何故最果ての場所みたいなところを叔父は守ってるのか????守る理由why?独り占めしたい??何故民衆が賛同する???why??
芦田愛菜声優うますぎ。めっちゃ良かった。全然気にならん。スカーレットクソかわいいしマジでいい。俺は芦田愛菜なんかより一番ひどいと思ったのが最後山頂で出てきた側近二人組の金髪のヒョロイやつ。「ウラギリモノニハバツヲー」とかいう意味わからん棒読み。
スカーレットと比べるのもおこがましい。(プロの声優さんだったらごめんね)
あとやっぱスカーレットかわいい。ほんとに。
さて、最高に面白い映画だったが、一つだけマジで酷かったシーンが有る。
最後の最後。「私を王と認めてくださるなら、子供が死なない世の中に!争いのない世界を作ると約束します!」的なシーン。
→「だったら俺等も王女様を支持します!」「うおー!」「俺もだ!」「私も!」
う、うお...。
マジで見ててキツかった。いや、なんか。説明が難しいんだけど、無理やり作品を仕上げるために賛同する民衆を描いているというか、死ぬほどツッコミどころがある本作だけどここだけは「いや、そうはならんやろ....」とマジで萎えました。
お遊戯会レベル。
総評→最高に面白い映画でした。スカーレットがかわえどなんで見る価値あり。最後はマジで終わってる。以上。
期待したものと違った。
「大衆に迎合しない」宣言
観た直後にはっきりとした感想を抱いたのですがもやもやが止まらず、ネットに溢れるたくさんの意見を見まくり、様々な思考を経て最終的な自分の結論が出ました。
そういう意味で余韻が長い作品です。
今も考え続けています。
<私の状況>
演劇業界の住人。
細田監督の作品は「時をかける少女」の大ファン。
子供を連れて「サマーウォーズ」を見て、家族で感動しました。
その後、映画から離れたため、テレビで「バケモノの子」を観たくらいです。
<観た直後>
「エンターテイメントしていない」
「脚本が酷い」
観た直後に真っ先に想ったのがこれでした。
脚本が悪いとその後どんなに頑張っても取り返しがつきません。
何が酷いと思ったのかというと・・・
①どのキャラクターも背景や思考の深みがなく、とても薄い。
②スカーレットのいる時代を16世紀北欧としているのに、その時代らしさを全く感じない。
王・貴族・兵隊・民衆など全ての人の発言・行動全てが現代的。
③「死者の国」に暮らす人々の感情が見えてこない。
自分が死んだこと、そして更なる死に当たる「虚無」をどう捉え恐れているかわからない。
④「死者の国」にいる人々に多様性(国・時代・考え方)がなく、時代や国を超えている感じが全くしない。
⑤博愛者である聖が弓で人を殺し、全く動じないのはなぜ?
⑥神のような存在である龍の存在理由が全く見えなかった。
⑦ずっと暗いシーンが続き暗鬱なのに、突如明るいシーンが入り、それがちょうど1時間。演出的都合を感じた。
⑧「果てしなき」を全く感じなかった。
他にもたくさんあり、枚挙に暇がない。
映像に力があるため退屈はしないが、観ている最中、謎で一杯。。
多くの観客が求めていたのは、「時をかける少女」「サマーウォーズ」のような、多くの人が楽しめるエンターテイメント作品。
しかし観たのは、謎がいっぱいで多くの人がついていけない作品でした。
<面白さがわからなくてネットを彷徨った>
初めは酷評ばかりでした。
酷評の理由はやはり「わからない」が多数。
その後、ネットの常の「揺り返し」がきて「擁護論」に溢れました。
擁護派の主たる言葉は「ハムレット」と「画力」。
私が気になった「脚本」はどの人も「置いといて」でした。
なので読めど読めど納得がいきませんでした。
その後出てきたのは「私は好き」。
これは逆に理解できます。
結局観た人が好きか嫌いかです。
言葉苦しく擁護するより、こちらの方が理解できます。
これが現在地です。
<結論>
各々の好き嫌いはあってしかるべき。
「大衆に向けた作品を作ってきた細田監督が、自分の言葉で少数に向けた作品を作り始めた」
というのが私の結論でした。
巨匠になる前はエンターテイメントを強いられ、商業的に成功するために
〇原作が有名
〇流行の役者
〇提携するテレビ局の事情
など様々な制約が入り、その中であがくことになる。
そして、そこで成功した人のみがわが道を行く権利を得ることになる。
宮崎駿監督然り、庵野監督然り。
そして徐々に政治的思想や個人の嗜好を作品に反映させるようになり、作品が大衆にわかりづらくなる。
細田監督もそうなっていくのだな・・・というのが私の結論です。
今後も大衆に迎合しない、独自の作品を作っていくと思う。
観客はそれを好き嫌いで観に行くようになる。
その先にあるものが何かを見届けていくのだな・・・と強く思いました。
「エンターテイメントから離れた」
勿論、結論は人によって違い、それでよいです。
これまでのように皆で楽しさを共有できない・・・それを受け入れたことによって、私の迷いが消えました。
これで劇評を彷徨わなくて済みます。
様々なことを考えた、余韻の長い作品でした。
余韻が長いということは、作品を楽しむ時間が長かったということでもあります。
どうもありがとうございました。
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