果てしなきスカーレットのレビュー・感想・評価
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多分これは予習が必要な作品
昨晩こちら2度目を観に行きました。他の方のコメントにもありましたが、余りにも不当に低く評価されている気がしてわざわざこれ書くためにアカウントを作りました。勿論自己満足のためですが共感してくれる人がいれば嬉しいです。
細田監督の作品は好きなものとそうでもないもの、自分は両方あります。ちなみに今作品は家族4人で観に行きましたが自分の家族には余り評判良くなかったですね。しかし一度目を観て大体は分かったと思いつつも喩えの全てを咀嚼しきれなかった気がしたので2度目を昨晩観に行きました。
2度目を鑑賞した結果、幾つかの点も腹落ちし、自分にとってはこれは間違いなく細田監督の作品の中では好きな部類に入るものだと言えます。少し不満な点はあるので満点ではないですが名作だと思います。
映像は色々言われていて、批判に共感できる部分もありつつも、幾つもの技法を凝らした本当に素晴らしい映像だと総じて思います。スカーレットはすごく魅力的だし芦田愛菜さん初め声優の皆様の演技は本当に素晴らしい。盤も買おうと思っていますが映画館の映像と音響で観るべきものなのでまだ行かれていない方は是非映画館でご覧になって下さい。
そして何故これほどこの作品がヴェネツィアではstanding ovationだったのに日本で低評価なのかをずっと考えていたのですが、この映画を良いものだと評価するためには幾つか要件があるのだということに思い至りました。
自分が思うに、それは以下の3点だと思います。
①ハムレットについての事前知識
②今の世界情勢への課題意識
③父親が娘に抱く愛情についての理解、共感
①ハムレットのあらすじを知らないとこの作品を面白いと思うことはできないかも知れません。彼の作品の世界観との比較、対比の構図が実に面白い部分なのでせめて劇のあらすじをWikiなりで事前調査してから鑑賞すべきです。でないと細田監督が何を改変したかが分からず、本当の意味で楽しめたとは言えない気がします。
そしてこの作品はすごく演劇っぽいと思います。なのでシェイクスピアを含め多少なりとも演劇を観たり興味をもった人の方が楽しめる作品だと思いました。その人口がこの国は少ないのだということをこの低評価は図らずも示している気がします。
②ここ数年間ウクライナやパレスチナで起きている殺戮と人の人への激しい暴力の連鎖への深い憂慮がこの作品の映像から強く伺われます。それを自分にある程度身近な課題と感じていないとこの作品には共感できないと思います。
とても青臭いメッセージかも知れませんが汝が敵を許し愛せよというメッセージをこの作品は非常にストレートに私たちに投げつけてきています。
でも低評価の方のレビューを見ると残念ながら伝わっていないのだと感じます。それはある程度注意深く世界中のニュースに目を凝らしていないと実感しづらい遠すぎる世界の出来事であるからなのでしょうね。
このメッセージはキリスト教的な宗教的な色彩を帯びていると解釈することもできますが、平和への渇望はより普遍的なものであるとも考えられ、ウクライナやパレスチナの現状を踏まえ、今この瞬間にメッセージとして伝えることに意義があるのです。「悪辣な王」は16世紀末の西洋のみならず今も存在するのだから。だからこそ根の国の住民は映像として不相応に西洋や中東色が強いのだと自分は推察しました。勿論わざとですよね細田監督。
他方、悪者には必ず罰が天より下されるのは日本的な宗教観乃至古代ギリシャ演劇の色彩が色濃く出ていますよね。ご都合主義と批判されていますが絶対者が罰を下し問題を解決するのはそこまで大仰な前提でなくとも様々なフィクションでも見られることです。でないとスーパーヒーロー、正義の味方のフィクションは存在しえないですよね。
とは言えこれまでの世界全体を味方にして敵を倒すという世界は一つみたいな民主的な細田作品の問題解決の見せ方(あれだってご都合主義と言えなくもないですが。僕はあれも好きです。)とは大分異なる問題解決のあり方なのも不評の原因の一つかも知れませんね。
(ところで彼の世界では八百万の神たる監理者が姿形を変えつつあの国で何が起きているかをある程度きめ細かく見ていて、それはクジラが祝福を与える細田監督のバーチャルワールドにも繋がるものがある気がしました。)
そして聖は現在の平和な日本そのものを象徴する人物で、愛されるべきだけど色々な意味で世の中が分かっていない世間知らずのお坊っちゃんです。彼の存在は実在の人物というより日本示す記号のようなものなので象徴的でアンリアルだと感じるのは当然です。
その記号たる彼も愛する女性の為には立ち上がらざるを得なくなります。
その結果、無垢なる彼が無に帰すことになるのはしかし暗示としては不吉なものがあり、そうならないような世の中にしたいというスカーレットの願いには切実な細田監督の願いが映されている自分は感じます。
日本の近海で同じようなことがもし起きた時にこの作品、細田監督の意図は再評価されるのかも知れませんね。他人事じゃないんですよ。
上記①と②がヴェネツィアではstanding ovationだったが日本では低評価の主な理由だと思います。
彼らはシェイクスピアに慣れ親しんでいるからストーリーの対比ができるしウクライナとパレスチナは彼らにとってはご近所です。ヴェネツィアとガザの距離は北海道と沖縄くらいの距離です。キエフで北海道と九州くらい。今この瞬間も近所で殺し合いが起きているのです。人とは…と問いたくなる気持ちが理解・共感できるのは当然なのです。
他にもオマージュは色々感じられたのでそういう意味では海外の方が本作は興業的に成功するかもしれませんね。
③ハムレット王子をスカーレット王女に変えたのは実にズルいと思いました。僕も娘がいますが母親からは娘を息子対比で溺愛しすぎだと良く叱られます。同じような気持ちが細田監督初め世の父親には大概あると推察されるので「娘は復讐の鬼などにはなってほしくない」、という部分には強く共感できます。親娘のやりとりの部分は少しウルッときました。
細田監督は自分の家族に対する想いやメッセージを映像にする監督なのでこの作品もそういうものだと理解しました。やっぱり私的な映画ですよねこれ。
他方、だから、大概はあそこまでじゃないにせよ、世の娘に嫉妬するガートルードには不評かもしれません。
しかしあそこまで実の娘に憎しみを向ける母親などいるのかというのは問いたいところではあります。そこはこれまでの細田監督らしからぬ母親の描写の仕方であり、ハムレットのガートルードとも違うと思ったので、誰かモデルがいるのかと聞きたいところではあります。
長々書きましたがまだご覧になっていない方はハムレットのあらすじを予習し、ウクライナとパレスチナガザ地区の現状をある程度把握してからご覧になることをお勧めしたいというのが言いたいことです。娘を持つ父親には刺さる作品です。そして自分の国を取り巻く環境、家族のことにも思いを馳せながら鑑賞してください。そうすればこの作品をあなたも素晴らしいと思うかも知れませんね。すぐ終わってしまいそうだし僕ももう一度観に行こうと思います!
ハリボテの血肉通わぬ虚構に虚無感
もったいない…
先週劇場で鑑賞。
細田作品は過去作にはなかなかのものもあったので、前評判は置いておいて観ようと思いました…
感想は…うーん。うーん。なんだ?
という感じで
時間が経つほどダメ出しが頭に浮かんできました。
映像もCGも良かったけれども、脚本、テーマ、キャラクター、構成、カットの繋ぎ
なとなど言葉にすればかなり酷い訳ですが、それを無理やり何とか仕立てた感じで
よくOK出たなとか思います。
テーマソングの曲が何かに似てるなー?とずっと考えていたんですが…
北の国からのサンババージョンありますよね?あれだと!
明るくて愛に溢れてでも泣ける歌?
にしたかったのでしょうけれどあまりにもお粗末な楽曲にガッカリ…
中世の少女が受け入れる音楽じゃないし、せめて日本の民謡とか民族色がある方が良かったしスカーレットが未来に行く時のエフェクトも無駄に長くて不自然でした。
時かけのような単純でも良いし、他のキャラクターの移動とか出現が雑すぎました。
前作の龍とそばかすの姫で評判だけで劇場に行って騙されたー!という観客がやはり今回の連休なのに入らないという結果になったと思います。
庵野さんのゴジラのような総力戦でやりきるものとは違って、脚本以外は総力戦でも肝心のものがどうにもならないと本当にもったいないです。
個人的に思うのはこの映画、3章くらいに分けて脚本家を複数入れて多少複雑でも全体はしっかり繋がってしかも深いというものはできたはず…テーマがハムレットといういちばん分かりやすくて難しいものでも
脚本も総力戦なら何とかなったはず。
もしこれが良作ならジブリを超える名声も世界的に得られたと思います。
本当にもったいない、手を抜いたら逆に地獄。
映画が地獄始まりなのは奇遇。
愛と赦しの物語:人間は憎しみと復讐の連鎖を断ち切ることができるのか?
舞台の始まりは16世紀末のデンマーク。叔父クローディアスの策略により父を殺された王女のスカーレットが復讐を遂げようとする。という設定だけでハムレットを下敷きにしたことが明白。(HamletとScarletも韻を踏んでいるし。)
しかし、ここからが独自の展開になる。復讐に失敗したスカーレットは、時空を超えて生と死が入り混じった「死者の国」で目を覚まし、そこで現代日本の看護師である聖(ひじり)と出会う。
弱き者たちから力の強い者が略奪し、それをさらに強い武力を持った者たちが奪い取っていく世の中で、人は人に対して猜疑心と不信感しか抱かない。スカーレットと聖は、様々な人種の弱き老若男女から成るキャラバンに遭遇するが、博愛主義者で非暴力的な平和主義者である聖によって人々の気持ちは次第に懐柔されていく(世界の多くの宗教が広がっていく過程で、教祖が「聖人」として認められる強力な手段の一つが、歩けなかった人が歩けるようになる、見えなかった人が見えるようになる等の奇跡的な「治癒」の逸話であることを思い出せば、彼が看護師であることの意味も自ずと分かってくる)。
そして迎える復讐のとき。スカーレットに起こる変化とは……。
どストレートにキリスト教的な愛と赦しの物語であり、分断と紛争に満ちた現代社会に向けた「人間は憎しみと復讐の連鎖を断ち切ることができるのか?」というメッセージを投げかけている作品だ。
「汝の敵を愛せ」と説くキリスト教の精神がよく表れている一説に、「山上の説教」から取られたマタイ福音書の「われらが人に赦すごとく、われらの罪を赦したまえ」(マタイ6・12)がある。例えば、天国への門の前でクローディアスと対峙するスカーレットの場面でこの一節を思い浮かべてみるといいだろう。
聖書なんて読んだことながないという人なら、多少仏教的な、芥川龍之介の『蜘蛛の糸』を思い出してみるのでもいいかも知れない。
為政者たちが憎悪と分断を煽り、世界各地で紛争が起きている現代だからこそ観るべき作品だと言える。
マスターベイション・ムービー
それでも少女は時をかける
細田守が好きだ。かなり以前からポスターが劇場に掲出され「果てしなき戦いの連鎖」をテーマにした中世ヨーロッパの物語りであることが知らされていた。もう日本の少女が主人公の口当たりの良い設定ではこのテーマは扱えないのだろうと納得しつつ興行的には厳しいであろうことも想像できたがそれは監督も制作スタッフも重々承知だろうしそれでも果敢にこのテーマに挑んだこと自体が素晴らしくストーリーも映像も音響も見事に仕上がっており天晴。「ハムレット」が下敷きであることは公開されてから知ったのだが、私自身が高校1年生の時バスケ部に挫折して図書室に籠って読んでいた思い出が急に蘇りさらに鑑賞の楽しみが増した。ポスターの惹句にあるとおりハムレットの名台詞「生きるべきか。」は「もののけ姫」の宣伝コピーに呼応しており作中でその答えが高らかに謳われていて宮崎駿の正統な後継者が周囲の同調圧力に押されつつある新海誠ではなく細田守であることを示して見せた。「竜とそばかすの姫」で60億稼いだんだよ文句を言われる筋合いはない、やりたいことをやれ!
とても満足できました
鑑賞前に「ご都合主義、ダンスが意味不明」などの酷評をたくさん見ましたが、実際に観た感想は全く違いました。
死後の世界でスカーレットや他の登場人物が、看護師との出会いによって感情が変化していく様子が描かれており、神様とおぼしき登場者が全てを見通して導いていたのではないか、など多くを感じました(龍も操っていた?)。
そしてスカーレットの心が変化したあとの帰還後でも、民衆を平和な世界に導いていくが、それは皆さんの気持ちが重要と諭す行動があり、単純なハッピーエンドでもありません。これらもとても良かったです。
しかし映画ファンとしてもちろん文句もあります。敵役の王と部下4名が揃ってなぜ死後の世界にいるとか、せめて敵役の王は毒殺されてて欲しいとか、芦田愛菜はとても頑張っていたけれど、あの厳しいスカーレットを全て演じきるのは難しかったなどなど。
しかし映画全体を総じて俯瞰的に見ると、全体ストーリーは通っており破綻とは感じませんでした。
(個人的には竜とそばかすの姫よりよほど全体のスジが通っていて分かりやすい。そもそもご都合主義でない物語が世の中にあるのか?)
今もネットの酷評はひどいですし、良い悪いは人それぞれでいいと思います。ただ、他人の批評だけで判断せず、自分の目で観て、自分の心で評価してほしい作品です。
補足ですが、大阪万博開催前のネットの酷評、ネガティブキャンペーンを思いだしました。オワコンとかひどい批判でしたが、実際に行った体験は素晴らしく何度も足を運び、多くの感動を得ました。
ネットは叩くターゲットを見つけるとなぜここまで叩くのでしょう。やはり自分で見て自分で判断する、をみんなが実践すれば世界は少しでも良くなると思います
社会風刺した演劇
見た人の心が試される映画
鬼滅の刃とは対極にある映画だと思いました。
1、背景にあまり動きがない(とてつもなく凝ってはいる)
2、説明がほとんどなく、登場人物のちょっとくさいセリフが多い
3、映画を見ながら「これはどういうことなんだろう?」と考えさせられる
など、演劇をとても意識しているつくりかと思いました。映画に1、2、3を求めてない人は受け付けられないだろうなあと思います。
それを差し引いたとしても今の人たちには是非鑑賞してほしいです。感動しても、不快に思っても、今自分の心がこの映画をどう捉えるかで、今の自分の状態がわかるという意味でとても価値があると思います。細田監督はまだまだ観客を信用してるんだなと感じました。
(まあ、そもそもそんなの映画でやるな!と言うのは、なしってことで)
世間の評価に囚われず、自分の目で確かめてきてはいかがですか?
こどものため、に逃げないでほしい
そういう映画じゃないと言われればそれまでだが、、、
クリエイターには女性差別の問題に対する敏感さを持ってほしい。
良い映画なのにおしい。
こどもは戦争時だけでなく平和な時も虐待を受けているが、女性も同様に戦争時も平和な時も虐待を受けている。
せっかく女性、しかも王女を主人公に据えて暴力を描いているのに、女性に対する暴力に向き合わないのは不自然じゃないか。なんで目をつぶるのか。(スカーレット は女性で、スカーレット が暴力を受けるシーンは沢山あるが、女性が暴力を受けがちな社会を意識した描写に見えない)
戦争はもちろんいけない。でも戦争が無ければ、皆が平和な日常をおくれる、わけではない。
未来のこどもに思いを馳せるのも大事だけれど、それだけだと「逃げ」だと感じる。
渋谷のシーンは好きだった。
私もいつも苦しかった過去に意識を引き戻される時間が非常に長いので、本当は自分はどうしたい?という問いは重い。
到達点のその先は?
観終わって最初に思ったのは…
覚醒剤でもやってるんじゃないか??
2年後くらいに捕まっている未来を想像した。
それはさておき、
前作でやりたいことの一定の到達点に達した(かつ興行的にも十分に成功した)監督の次作としてはかなり難しかったんだと思う。
とりわけ貞本との決別が大衆に受け入れられなかった要因の根底にあるのではないかと想像する。細田=貞本、みたいな潜在意識はなんとなく皆持っており、前作でうまく脱却の雰囲気は作れたが、今作はちょっと振り切りすぎてしまった。また、夏興行が売りの監督だったが今作は冬興行に持っていかざるをえなかったところも要因としてあるのかも。作り手と受け手の諸々の齟齬が今作の現時点での興行的失敗に繋がったと思う。
現実世界でのジュブナイルのための手段として非現実を使うのが監督の持ち味だと思っていたが、今作は非現実の中で物語を完結させる手法であり、観ていて若干しんどくなってしまった。試みとしては評価するが、死後の世界が意外とイメージ通りだったりするのがつまらなく感じた理由なのかもしれない。現代人が一人メインキャラとしておかれ、スカーレットの成長がそこに帰結していくのだろうが、であれば、もっと色々な時代の人々を登場させても良かったんではないか?その方が「果てしなき」というタイトルが現実味を帯びてくるようにも思うが、2時間の枠では難しかったのだろう。自分に矢印を向ける事が今必要とされているというテーマ自体は好意的に受け取れたので、作品全体は決して悪くないのだが、形作る一つ一つの試みが微妙に噛み合わなかった印象。
死後の世界なんて別に何やったって良いんだから、もっと振り切って自由度高く好き勝手やればある種の怪作の域に達したのかも。
チラシ見た時からほとんど期待していなかったので、こんなもんだと思って見たが、次作は多いに期待する。今作の失敗を糧に次作ではテーマと手法を見事に融合させてほしい。できれば貞本の手を借りずに。また、ラリってる感じの演出も次作ではうまく昇華できることを願う。
なお、映画レビューとは直接関係ないが、
細田守のベストは「時をかける少女」だ、というコメントをちょいちょい拝見する。
わかる、よくわかるが、ちょっとう〜んとなるというか…
仁義なき戦いシリーズで一番面白いのは広島死闘編です、っていうのと感覚的に近いような気がしている。
一つの映画を語る上で、単体でみるのか、フィルモグラフィーを重視するのかは難しいテーマである。
素晴らしきスカーレット!
脚本がとか、設定がとか、色々酷評されているのでどんなにつまらない作品かと興味本位で鑑賞しましたが…素晴らしい映画でした。死後の世界…多分完全な死後の世界ではなくこの世とあの世の中間地点、リンボー涅槃の世界だと思いますがその描写が素晴らしい。涅槃の世界で死を意識すると本当の死の世界へ行くという設定でしょう。涅槃の世界は実際には肉体や物体のない意識(イマジネーション)の世界なので、突然に人が現れたり、場面が変わったり、変な生き物がいたりなど問題なく観られました。涅槃のほとんどの登場人物がスカーレット世代の人々であることもこの世界がスカーレットの心象風景であることを示しています。唯一、聖だけが例外なのは「時をかける少女」と似ています。導き手である老婆は黒澤明監督「蜘蛛の巣城」のもののけを連想させます。細田作品の主題は自己実現であると思います。これまでの作品も「家族になる」、「母になる」、「父になる」、「兄になる」、「人になる」…などがテーマでした。人になるをやった以上、今度は何を見せてくれるのかと思っていましたが究極の自己実現でした。魂の救済ともいえる本作のテーマは単純なストーリーながら奥深いです。涅槃の世界における景色も人物も出来事も実は全てがスカーレット本人による心象風景であって現実ではないのではとも思います。同時に鑑賞者達も自分だったらどうするのか?殺戮に殺戮を繰り返し、最後に仇討ちをすることで本当に心の満足がえられるのか…それとも…を考えながら観るのも良いかと思います。映画監督の中には自分のトラウマを作品にして自己解消するタイプの方がいます。ティムバートン監督などがその典型であり、彼の初期作品は常に他人に理解されない孤独がテーマでした。それが「マーズアタック」で理解なんて不可能なんだで決着をつけます。細田監督も似たような作風です。本作まで行き着いた先には一体何を作るのか?果たして作れるのか?次回作を楽しみに待ちたいと思います。
追記…これは私の妄想ですが…本作は恐るべき傑作です。以下、もろネタバレです。
以下のことを念頭におけば本作の理解が深まると思います。気になったのはスカーレットが覚醒した後に演説する際の民の数の多さです。あり得ない数の国民がいます。まさに世界に問いかけているようです。あの群衆の数はスカーレットの見ている世界が現実ではないこと示しています。つまりあのシーンでさえ彼女の心象風景です。
1.スカーレットは最後まで昏睡状態で死んではいない。
2.スカーレットはラストで覚醒していないし、憎き叔父も毒杯で死んでいないし、彼女は女王にもなっていない。それは彼女にとっての都合のよい妄想である。
3.スカーレットが常世で見ている世界は彼女の精神世界の深淵であり心象風景である。
4.その風景を見せて導いているのは死んだ父親の魂とこの世の理。
5.聖や未来世界とのつながりは彼女の精神世界である。
6.この映画は復讐心で苛まれた哀れなスカーレットのスカーレットによるスカーレットための魂の救済物語。
7.「未来世紀ブラジル」の妄想シーンが本作の全編になっていると解釈すると分かりやすい。
自分で考え進むしかない、観た後も続く苦しみ
復讐の連鎖を断ち切ることはできるのか、裏切りを許すことができるのか。これは人類の永遠のテーマであるとともに、自国ファースト、排外的な考え方がはびこる、現代的なテーマである。
スカーレットの復讐心、聖(ひじり)の理想、2人の会話や言動を見ながら、今、私たちの周りで日常的に起きている様々なことが思い出されました。
しかし、この作品は、明るい未来も、退廃的な未来も、結局は何も示してはくれません。
主人公の2人の危機を救うのは、超越した“巨大な龍”だったり、運だったりして、最後まで何ともスッキリせず、肩透かしをされたように感じます。
過去と現在が混ざり合い、「死後の世界」を描きながらも、何ら明確な解がないことは、悲しいほどに「現実」でした。結局、明るい未来を作るのは、アニメーションの作品の中に頼るのではなく、私たち一人ひとりが現実の中で、苦しみながらも見つけていくしかないんでしょう。
テレビやネットで本作のCM映像が流れるたびに、美しい映像と共に甦るのは、感動などではなく、「自分で考え、進むしかない」という苦しみです。
それこそが細田監督の狙いだったのかもしれません。
大コケの原因は声優の選択ミス。
全然見る気なかったが、都市ボーイズの岸本さんがフラッシュモブで笑い死にそうになったって言うんで気になりすぎて映画館へ。
酷評が多くありますが、映画としてはそれほど悪くないです。
ただ、主人公のキャラと芦◯◯菜の声が合わなすぎるし下手すぎて、全然映画の中に入れない。何で芦〇〇菜はあんなに丁寧に一言一言感情を入れて話してしまうんでしょう。それに対して聖役の岡田将生の上手いこと上手いこと。
映像は分業制で色々な会社が入っているせいか、全体を通した絵面に統一感がない感じでした。
聖がジョイマンみたいな格好で踊ってるフラッシュモブみたいなのは、何か他に表現はなかったのかなと、もったいない気がしました。
エンディングの芦〇〇菜の歌はすごく良かったですよ。今後は演技より歌で頑張っていただきたい。
駄作駄作というが私は失敗作だと思う。なぜかといえば、細田監督の持ち...
駄作駄作というが私は失敗作だと思う。なぜかといえば、細田監督の持ち味が映画全体において悪影響を及ぼしているからだ。ゲド戦の時のこれがみたいけどという感じで、主に舞台は日本にすべきだと思う()。中世やら近世のヨーロッパを舞台としたアニメーションは細田監督にはあまり向いていなかったと感じた。いつもと変わらず演出 音楽 映像は良。ただ、大多数の人たちが言っている通り、内容は何かな〜という感じであった。自分がカレー好きで、あるカレーを買ったとして、味は薄いしあまり辛くなかったカレーを食べているような感じであった。途中でスカーレットが聖の生きていた世界にタイムスリップし、東京の交差点でダンスするシーンがあるが、やりたいことはわかる。でも、細田監督のやりたいこと(持ち味)を無理くりねじ込んで入れた感じでキツかった。スカーレットの声優を担当した芦田愛菜さんに対しては、公開前の声優発表で、あ?となったが個人的には悪くなかったと思う。逆に彼女で良かったと感じた。次回作は脚本家をつけることと、細田監督のThe世界観が観たい
ずっと泣いていた
戯曲。「果てしなき、果てしなきスカーレット」
開幕
「細田守、そこまで考えてはないと思うよ」
「あのオッサンは完成品を投げた。私は金を払った。作品はもう私のものだ。オッサンは引っ込んでろ」
「クローディアスが殺したのは”こうなりたいと思う大人”だった。」
「スカーレットは”オッサン何してくれてんねんワタシこれからどうしたらいいの”感情を得たわけだ」
「だがガートルードが破り捨てたその大人は、生きていた」
「だから」
「スカーレットは”オッサン何してくれてんねんワタシこれからどうしたらいいの”感情を手放せたのだ」
「細田守、そこまで考えてはないと思うよ」
「オッサンは引っ込んでろ、と言ったろ!!!」
終幕
以下、感想
映画はVirtualな映像だけどVirtualは虚ろという意味ではなく”実体なき影響力”のようなニュアンスを持つ。あの渋谷のVisionにはどんな力がある?チケット代を払った人の不興を買うチカラ?
…と書いていて思ったけど、あの渋谷、宇宙探査機ヴォイジャーに載せられたという宇宙人宛のメッセージだね。「地球人類を××分間で紹介せよ」みたいな課題で提出するやつ。何をどうしてそんなものをあそこに挟んだか、わかるようでわからないけど。
宇宙人があの映像を気に入って、一兆円くらいの価値があるオヒネリを地球に衝突する軌道に乗せてくれるかもしれない。そうなったら、映像作家細田守は好きな映像をたくさんつくれるかもしれない。いや、そうならなくても好きな映像しか作ってないぞ。あのオッサン(^o^)
純粋に面白かった。人間の業とは…。
実写と違って、アニメはある意味何でもありな世界。
展開の幅広くてとても面白かったです。
何も考えず、最後までほぼ没頭できて、この時の感情はどんなものなんだろうと想像しながら見ていくのは本当に楽しいものでした。
私にとっては、前作のラストの若干の違和感より、今回の清々しいまでの終わり方にはとても好感が持てます。
誰の作品かと言うよりも、1つの作品として見る限り、こんなに綺麗で美しい映像の中、素晴らしい声優たちに囲まれて、頭で、必死にいろいろ考えさせられたことが辛いよりもとてもとても楽しかったでした。
この物語が少女の主人公だったことで、とても入り込みやすかったでした。
ぜひ鑑賞する人が1人でも増えてくれたらいいなと思います。
人間の業とは…。
本当に美しい物語でした。
全586件中、41~60件目を表示
映画チケットがいつでも1,500円!
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