果てしなきスカーレットのレビュー・感想・評価
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突然のダンスがツボ。
もちろん悪い意味で。
この映画は時折ダンスを踊るわけだけど、どういう意味があるんだろうか。これを観て面白い!となるんだろうか。自分はならなかったし、白けてしまった。
悪いところ:
ストーリー。
ノーウォー。ノーヴァイオレンス。しきりにそれを訴えていた作品だった。それ自体は素晴らしいことだけれど、結局のところ作品内では暴力を見せる人間に対しての具体的解決策は提示してくれなかった。
話せばわかってくれる!やられてもやり返してはいけない!なんて絵空事を間に受けられるほど夢見る年代ではもうない。
良いところ:
3DCGは思っていたよりも綺麗でよかった。世紀末のような世界で奥行きがあってリアル。龍も恐ろしく描かれていた。
役者もハチャメチャに豪華。特に役所広司と吉田鋼太郎がすごく良かった。
代表作「時かけ」から19年、「時かけ」を上回る尊い「時空を超えた愛...
代表作「時かけ」から19年、「時かけ」を上回る尊い「時空を超えた愛」が描かれ、細田守の愛の形がアップデートされていると感じました。
一方作品の世界を一歩出てみればそばかす姫のUの世界のように言葉を刃物が飛び交います。果てスカファンは弾圧され考察もままならない。
再生数稼ぎのためか脚本家やプロデューサーなど当人たちが何も言ってないのに被害者にしたてあげ正義を偽装しとことん叩きのめす。
敵なんていないのに。自分で判断出来ない状況
戦争が近いのだと思いました。
整合性が取れている作品なんてありません。受け取る人次第です。あなたの人生は整合性とれてますか?
千昭が見たがっていた絵はスカーレットの世界の絵のような気がしてきました
以下は過去作との強引な共通点、妄想メモです。
◆時をかける少女との共通点
渋谷
キャッチコピー
時:待ってられない 未来がある。
果:必ず、あなたにたどり着く
千昭のセリフ「川が地面を流れていること」
叔母のセリフ「何百年も前の大戦争と飢饉の時代」「世界が終わろうとしていたとき」
千昭のオレンジ色の髪
千昭→未来で会えるからキスを我慢
スカーレット→未来で会えないからキスを我慢しなかった?
エンディングと挿入歌が対比関係?
ガーネット(赤)
叔母:「魔女おばさん」と呼ばれる 実写版で弓道部、右手に傷
津田 功介 医者の息子.ボランティア部
◆そばかす姫の共通点
キャラデザ、花のモチーフ衣装デザインが同じスタッフ
異世界の描写が3D
親との死別
歌で人や異世界とコネクトする
傷ついた龍(竜)
水が記憶や感情のターニングポイント
嘔吐シーン
空を飛ぶ大きい存在(クジラ、竜)
◆未来のミライとの共通点
ミライちゃん.右手にアザ、スカーレット.右手にキズ
ミライちゃんが初めて家に入る時の父のセリフ「さあ着きましたよ、お姫様」
犬のユッコ、中世風の服に赤いスカーフ
ミライちゃんのセーラー服の赤いスカーフ
ミライの水には魚 スカーレットの水には魚なし(大地にサンゴ)
大きい存在:時のインデックスの木、駅、電車
番外:くんちゃんが鼻くそをほじってる
◆その他
渋谷の街「バケモノの子」
時空を超えた物語「時をかける少女」「未来のミライ」
異空間での異文化交流「バケモノの子」「デジモン」「ルイヴィトンPV」
これこそ私達人間の永遠のテーマ
鑑賞して少し不要かなと思える場面はあったもののレビューでの酷評程でもなく、映像も音も音楽も凄く良くて、これまでの細田監督の作品とは違った深いテーマと映像に冒頭から圧倒され、これから始まるスカーレットの残酷な運命を恐れて早くも泣いてしまいました😭
細田監督のインタビューやメイキングも事前に観ていたので、何故聖が看護師でなければならなかったのか、何故歌を歌ったり踊ったりする場面を作ったのか等…場面1つ1つにも意味合いがあって、細田監督の意図とするその思想や熱量、祈りさえ感じられて、更に芦田愛菜ちゃんの様々な声の表現力も凄かったので後半にもまた泣いてしまって😢💖
劇中歌『祝祭のうた』は一度聴くと耳から離れなくなる程リズム感があって好きですが、芦田愛菜ちゃんが歌うエンディングテーマ『果てしなき』は、映画の最後に更なる感動を添えてくれる素晴らしい曲と歌声で、満足感で心が満たされました✨
私達は日々起こる出来事の中で、些細なことから大きな決断をしなければならない時でさえ、何かしらの自問自答を繰り返しながら生きています。映画のテーマとなる“復讐”に隠されたもの、これこそ私達人間の永遠のテーマだと思いました💞
この映画を鑑賞して本当に良かったです!✨
最後に、長い年月を経て様々な挑戦をして映画を作って下さった細田監督やこの映画に関わって下さった皆様に感謝の意を🙏💖
あんな残酷な運命を生きながらもスカーレットの穏やかな笑顔が見られたのが一番印象的で、私は心から嬉しかったです🍀
私にとっては最高の映画でした!
※直接は言及しませんが少しネタバレを匂わせるような発言があるので一応ネタバレ有りにさせてもらいました!
巷でクソ映画だな駄作だの言われている果てしなきスカーレットですが、今回怖いもの見たさに日本橋の映画館に見に行きました!映画レビューをあまりしない某クソゲーYouTuberがレビュー動画を出すほどの作品だから本当に酷い映画なのだろうと思いあまり期待はせずに映画館に行きましたが、いざ始まるとすぐにスカーレットの世界に没入しました。ストーリーはあまり矛盾だったり崩壊したりせず、しっかりとした作りになっていました!演出もサマーウォーズやデジモンなど同様、独特の演出方法ですぐにその世界に引き摺り込まれました!
途中で少し「?」ってなることもありましたが、そこは終盤あたりで回収してくれたことがよかったです!あとは終わり方もすごくスッキリとした終わり方でよかったです!途中でダンスシーンを唐突に入れるシーンだけはちょっと評価できませんが、それ以外は本当にいい映画だったと思います!
世間体の評価に流されて酷い映画だったんだろうなって勝手に思ってしまっていた自分に一発喝入れてやりたいくらいにまでいい映画でした!
最後に余談ですが今回が初めての映画レビューなので文章がおかしかったりしたら教えてくれると嬉しいです!あとこの感想は個人の感想なので酷評だった人はなるべく酷評意見を押し付けないようにお願いします!
人の根源を見つめ、考えることができる映画
●映画【果てしなきスカーレット】を観た
※ネタバレ無し感想
この映画の感想を簡単に表現するならば、人の根源を見つめ考えることができる映画
人は争いをやめないのではなく、やめられない
そんな負のスパイラルに陥ってしまう
ただ、争いと同じように、平和も願い、楽しみ笑うことも大事にしている
それは地獄であっても変わらない
スカーレットは、そんな相反するような状況の中で、憎しみと復讐に駆られて邁進しようとするけれど、そうじゃない自分の可能性をジワジワと感じていく
人はどこか、(自分はこうなのだ)という価値観の枠組みをつくって、その中に自身を入れ固めてしまうことはないだろうか?
社会もどこか、こんなものだ、難しいね、しょうがないなど、争いがある現状を無意識に肯定している状況は、ないだろうか?
考え方や捉え方次第で、いくらでも自分や世界は変わっていく可能性があるのに
この映画では、地獄といわれる、あの世とこの世と時間軸が混在してる世界観だからこそ、見えてくるものがある
混在している世界は、すなわち争いを繰り返す苦難な過去がある現在を投影しており、また、その現在も争い苦難を強いられている人たちが未だ数多に在る世界
そんな、遥か彼方から持つ人類の課題を、敢えてジワジワと描き、伝え、感じさせてくれる映画だと思った
結果、何も変わらないかもしれない
だけれども、変わるかもしれない可能性に目を向けよう、と
そう、心に響いた映画でした
評判ほど悪くないんじゃないですか。
残念だった。期待値が高すぎたかも。
そういえば竜とそばかすの姫もみたけど微妙だったんだよな。記憶に残っていなかった。
細田守=時をかける少女、サマーウォーズのイメージで期待してしまった。
たぶん私が求めていたのは
日常と非日常の絶妙なバランスで、
日常を支える人の描写や、青空がきれいとか、澄んだ空気感を感じられる日常の風景のきれいさとかがあって、絶妙に非日常に展開していって非日常の要素を含めつつの恋心の日常の遠回しな表現とかもあって。
幼少期に感じた自然の感じとか、夏の匂いとかを感じながら青春の淡い心も思い出しつつちょっと複雑な大人な人生的なテーマも感じられるみたいな。そんなのを期待していたんだ。
全然違った。
ハムレットとか、ダンテの神曲を意識しているとか、世界市場を意識しているとかいろいろあるのかもしれないけど、物語は至極単純だったし。メッセージもこすりにこすられているテーマだと思ってしまった。非日常が淡々と続いていく。もうなんかマーベルシリーズ見ているみたいだった。マーベルはマーベルにまかせてほしい。
感情輸入の度合いもマーベルくらい。戦いの爽快さがあるからまあ見れるみたいな構図。映像美があるからちょっと見れるみたいな感じ。それくらい。
昔の細田さん戻ってきてよー。
期待以上‼️
実は前作「龍とそばかすの姫」が殆ど印象に残ってなくて、加えてネットでの評判も芳しくなく。それでも気になって鑑賞。大満足でした。
物語のプロットは言わずと知れたハムレット。そこに神曲の地獄篇が重なり、シェイクスピアとダンテが若い頃から好きなワシにはたまらなかったです。聖はダンテの地獄での案内役、ヴェルギリウスが当てはまると思います。アラ還となり、最近つくづく思うのは怒り、恨みはダメ。何も生まない。人の事を悪く言わず常に、どんな些細なことでもいいから他人様の役に立ちたいと言うこと。復讐よりも赦すことの方が尊い。平凡が実は一番幸せで、常に感謝をと思うに至り、それがこの映画の主題と重なり、嗚呼、やっぱり観なきゃ分からんなと痛感した次第です。この映画強くお勧めします。
死後の世界を信じないジジイなので
細田監督の良いところと悪いところ全部のせ
映像美と演出力は細田監督の真骨頂でたいへん見事。雲間から現れるドラゴンや大軍の激突は迫力が凄い。死者の国を舞台にした死後の復讐譚というのも珍しくて面白い。生前世界を手書き風、死後世界を3D作画風で描き分ける細かい気配りは好印象。
スカーレット姫はシリアスな顔をしてるわりに迂闊な所が可愛い。
生前も死後も騙されっぱなしで、いよいよ復讐を遂げるか否かという時にまで相手の嘘にコロっと騙される。
結局、スカーレットは根っからのお姫様で、人の善性を否定できないのだ。そんなお姫様が、しかしその性根を曲げないまま強く逞しく成長いく様は見ていて応援したくなるし、いつまでも迂闊なままいてほしいと思う。吹替の芦田愛菜の悔しがり演技も本当に悔しそうで最高。スカーレット好きだ。
この作品は輝くところも落ち込む所もどちらも明確。
作品全体に影を差しているのは、細田監督が手癖で絡めてくる現代要素。
聖という現代人キャラは象徴的ではあるが、物語的な存在感は薄いので実はそこまで気にならない。
一番根が深いのは、スカーレットが現実の16世紀人である設定。
スカーレットが渋谷にトリップしてダンスパレードするシーンはあまりに急だし過去×未来のクロスがうまく機能しないのでひたすら面食らう。
聖から受け継いだ「優しさ」を信念にしてスカーレットが「優しい王女として国を治める」という着地を迎えるのは、キャラクターの成長譚としては美しいし説得力があるが、16世紀の世界史をその思想で戦っていけるか?という不安が残る。
スカーレットというキャラクター、端々の演出、作画のクオリティ、画面の力強さ。
光り輝くもの多数あったのに、それらが一つの作品として機能する事は無かった。
毎度の事だが、あともう少しで名作に手が届くのに、細田監督は自身の手癖の悪さでいつもそれを不意にする。
「どうしても復讐を諦められない」と吐露するスカーレットの姿には、細田監督自身の苦悩が重なるように感じられた。どうしても現代要素を入れるのをやめられない。ストーリーを変な方向へ跳ねさせる衝動を抑えられない。
細田監督に必要なのはもっとシンプルで、力強くて、余計なメッセージ性など無い王道のファンタジーなのだ。細田監督はいつ見果てぬ場所にたどり着くのだろうか。次があるなら、その時こそ完全なファンタジーに徹してほしいと思う。
思ったほどひどくない
初めにこの映画を見たのは、
YouTubeで複数のチャンネルで
酷い映画だと散々言われて、
このサイトでも低い評価がかなりあり、
逆にどんな映画なのか気になってしまい、
安く済む映画の日に見に行ってみたが、
中々良かったので、
金と時間を損した気持ちにはなりませんでした。
今日は4DXでやっていたのでせっかくなのでもう一度見に行きました。
1番良かったのは、景色やバトルシーンですね。
死体?ゾンビ?の群れがスカーレットを掴むシーンは恐ろしかったですし、
荒野も砂漠も寂しく感じ、
山が噴火したのは、力強く凄いと感じました。
空の海と島?もとても美しい景色で、
下の砂漠や荒野に比べたらまさしく、
天国の様でした。
空の竜も、武器が大量に突き刺さっていても、
巨大で強いままでいるのが、
恐ろしくもカッコよかったです。
雷も綺麗で神々しく感じました。
バトルシーンはスカーレットが聖と出会い、
賽の河原の石が積んである場所で
複数相手に渡り合う戦いの描写がよかったです。
YouTubeやサイトの感想で、
映画にいくつもツッコミ所があり、
それが批評の理由だと言われてますが、
それには自分なりに納得出来る理由があるので、
感想と一緒に並べて行きます。
叔父がスカーレットを毒殺するまで殺さなかったのは、政略結婚や養子にする為だと思います。
スカーレットが父親といる時は大体小学生位で、
かなり背が伸びた事から
最低でも数年は経っている筈です。
ですが、叔父には子供がいる様子がありません。
ナルニア国物語のカスピアン王子と叔父の様に、
子供が出来ない場合、スカーレットを後継にしようとしたのかもしれません。
または政略結婚に使うために。
しかし夜会で、胸ぐらか髪?を掴んで
睨みつけても怯えもせずに反抗的な態度は変わりませんでした。
だから、スカーレットをここで殺すと決めたのだと思います。
スカーレットが毒殺ではなく、睡眠薬で眠らせてから殺すのを選んだのは、毒殺では解毒薬で助かってしまう可能性があり、直接殺すのは、兵に止められる可能性があるため。
睡眠薬ならただ単に眠くなって、寝るだけと思わせる事が出来ますし、一応親族なので、近づくのは難しくないためだと思います。
スカーレットを生け取りにしようしたのは、
王の目の前に連れて行かないと、
手柄にならないからだと思います。
側近四人なら信用してるので、
殺した事を報告されたら信じますが、
それ以外の兵が言ったところで、
見果てぬ場所に行きたいが為に、
嘘をついてるかもしれないので、
証拠として生かして、連れて行かなければならなかったからだと思います。
聖が二人組を殺したのは、スカーレットを守る為なのであまり疑問に思いませんでした。
シュトヘルの須藤は最初は
殺しに狼狽えてましたが、
自分達の身を守る為、戦う事ができる様になり、
殺しに来た相手を返り討ちにして、
残った相手に逃げろと警告し、
殺しに協力していたが仕方ないと言い聞かせてる人間は見逃すキャラになりました。
人を殺せる様になりましたが、殺さずに済むならそれでいいと考えてるキャラなので、
聖も少し変わっただけだと考えています。
大丈夫と言ったのも怪我と精神の強がりだと思っています。
キャラバンで貰った楽器を弓矢や防具と交換してたのも、スカーレットについて行くと決めたからだと思います。
あんな戦場では楽器はいずれ壊されてしまうので、それなら商人が持っていたほうが大事にしてくれると思いますし。
スカーレットが渋谷の景色を見たのは、
呪術の記憶が繋がる現象やドクターストレンジの
マルチバースを見たのだと思っています。
三丁目の夕日で未来世界の小説を読んで、
その場面が脳裏に浮かんだでもいいと思います。
叔父が雷に打たれる前、スカーレットが許したわけではないと言ったのは、
ハガレンのウィンリィを思い出しましたが、
スカーと違い、叔父はどうしようもない相手ですし、もう味方の側近も城も兵も失ったので、
門の場所は誰でも来れますし、
放っておいても何も出来ない
からかもしれません。
剣を振り上げられましたが、
雷を落とされなくてもスカーレットなら、
避けて気絶させることが出来ると思います。
別に復讐はやめても
無罪方面にするとはいってないので。
竜はスカーレットに
都合が良い存在と言われてますが、
竜はボルテマンドが空を見て隠れる様子から、
スカーレットが来る前から、罪人に雷を落としている様です。
叔父が懺悔を嘘だと明かさなければ、
復讐をやめたスカーレットを
殺そうとしなければ、
雷に打たれず済んだかもしれません。
またあのまま叔父を殺そうとすれば、
二人まとめて殺されたかもしれません。
それはそれとして土下座する鎧姿が、
甲虫とかカナブンの背中に見えました。
死者の国?と呼ばれた世界は、生死の淵を彷徨う存在が来る場所なのかそれとも夢だったのか分かりません。
聖が集中治療室にいる場面と無人の渋谷で歌だけが聞こえる描写があります。
あれは死にかけた聖が
聞いていたのかもしれません。
そして虚無になり本当に
死んだことになったのかも。
スカーレットが目を覚ました時、髪が短くなり、
手に傷を負っていましたが、髪は寝ている間に
誰かが切ったのかもしれませんし、手の傷も持っていたナイフか何かを苦しみにもがくあまりに握りしめて出来たかもしれません。
でもクリスマスキャロルみたいに、
あの旅があったからこそ、あんな晴々とした顔をする事が出来たのだと思っています。
聖をいらないと言う評価がありますが、
あんな世界で、
スカーレットを助ける選択が出来るのは、
平和な日本で、人を助ける手段も倫理観を
持った聖位だと思います。
あの世界に来たばかりだからかもしれませんが、
スカーレットの側にいる事を選んだから、
スカーレットが生き返れたのだと思います。
聖がいなかったら、側近に殺されていましたし、キャラバンで休むことや人と触れ合う事も出来ずにいたでしょう。
槍の兵隊達に捕まりそうになり、
スカーレットは逃げ延びた後、
裏切られた事と怪我をした事で、
もう嫌だと弱音を吐いていました。
聖は、例えスカーレットが、
キツイ言葉を言おうとも、
離れずに辛い時に一緒にいてくれたから、
信じる事が出来、
穏やかな面を取り戻し、
あの女の子が話しかけてくれて、
女王になったらやりたい事を聞いて、
あの考えが出来たのでしょう。
多分復讐の為に鍛錬はしても、
異性との関わりも青春もなかったと思います。
あの数日から数ヶ月の旅で、
今まで出来なかった女の子としての
経験が出来て良かったかもしれません。
パイレーツオブカリビアンで女性の足首を見た事を男が嬉しがっていた描写から、
時代によって場所は変わりますが、
普段見せない場所を見せるのは恥ずかしい事だと
分かります。
死者の国に来た時はボロボロのドレスを脱いで、堂々と皮鎧にきがえていましたが、
治療される時に肩周りの肌を見られるのを恥ずかしがっていました。
その頃から異性として意識したと思います。
王妃が急に老け込んで泣きながら去って行くシーン、アムレットが行きていた頃は、仏頂面でしたが、叔父と一緒にいる時に笑っていたので、
叔父の王妃が来る前にと言っていたり、
虚無になる寸前も名前を読んでいたので、
悪人でも二人は愛していると感じます。
ハムレットの事を知らずに見ましたが、
しらなくても楽しめました。
ただ最後の演説で、
人が集まりすぎで、国民全員が来ているの?
と感じました。
長くなりましたが、いい映画でした。
エンディングの果てしなきも、
スカーレットが聖に歌う曲に感じられます。
映像も綺麗で現世と地獄と天国がどれもよく表現されてました。
世界平和について考えさせられました。
死後の世界のおいても復讐心が消えない主人公スカーレットが、真の国王になるための学びを得る自分探しの旅物語と解釈しました。
聖の存在は、まさにイエス・キリスト的存在。傷も心も癒す救世主。未来からきた「仁-Jin- 」みたいな存在。この聖との出会いによって、スカーレットは本来あるべき自分の心に気付く。
愛は男女間だけではない。他者を思いやる気持ちもまた愛である。現代にスカーレットが生きていたら、間違いなくノーベル平和賞もの。いつになったら世界から戦争がなくなる日がくるのでしょうか?
細田守の脳内で成立している物語のベストシーンだけをハイライトしてかき集めたことで出来上がった作品
監督の頭の中で成立している最高の作品のおいしい所だけをかいつまんで映像化することで完成した作品という印象。
見る側としては細田守の頭の中に存在するその物語の細かい部分については知らない為、映画を見ても説明が足りなさ過ぎて面白さが全く分からない。
良い所
・映像が綺麗、想像していたよりもCGの技術が進化していることを感じられる。
ゲームで褒めるところが無くてグラフィックが綺麗っていうのと似ている。
・バトルシーンの殺陣がそこそこ見れる。
引きのカメラ多いという意見も良く見るけど不満に思うほどではない
・スカーレットのキャラクターデザイン
・聖の看護師になった理由が痛すぎる
「現実の辛さは当然知ってるけど、それでも無謀に人助けたいと思えちゃうよ俺は」みたいな誠実な男を演出したいのか分からないけど、「現場でボロ雑巾みたいに働いてる看護師をみて、俺もなりたいと思った」は痛すぎて笑った。いい意味でキモい。こんな奴いたら面白すぎる。「とりあえず金稼げる職業につきたかったんで」って言うような奴のほうがよっぽど正直で自分を許せてるいい奴だよ、まじで。
個人的に思った絶対にやっちゃダメでしょポイント
・死後の世界に復讐相手がいる理由の描写が一切無いし、明かさないことの利点もない
最終盤に死後の世界にいた理由について、自分で服毒して死んじゃいましたと簡単に明かされていたがそれをスカーレットが死後の世界に行く段階のどこかで描写しておかないと復讐相手にはめられて死んだのに、なぜかその死後の世界に復讐相手が既にいるという不可解な展開の飛び方をしており話の展開に置いていかれるような進み方をする。
まずここの説明がないのは映画として不親切すぎる、話の根幹を描く前の土台レベルの話を省くせいで違和感しかないし、わざわざ考える様な場面でもないところで頭を使わされる
さらに死んだ理由が後付け、帳尻合わせすぎる。
配下の4人も死んでる理由が訳わからないしその時点で復讐成功してんじゃねぇかとも言いたいし、反乱に会って死んだとか、死後の世界にいる婆にそそのかされて死後の世界にある何かを求めて自ら服毒したとか、ありきたりな理由でいいのに無駄に凝った答えを用意しようとして誤って服毒したとかいう一番しょうもない中身のない回答になっている。
ここの描写があまりにも足りないせいで、なぜかスカーレットよりも時系列敵に後に死んでるはずのクローディアスが先に死後の世界におり、城砦を気づいているという展開が疑問として残って非常に見づらい。
・作中、頑なに殺人を反対してきた聖が人を殺しちゃう
死後の世界という奪い合い、殺し合いが当たり前の世界で唯一皆が心の奥底で願う平和を実行し続けるという善性のキャラクターである聖が人殺しちゃったらもう作品の本題どこにあるのかと。
その人を殺す流れもスカーレットが捕まったのを助ける為にあれだけ頑なに殺しはダメだと否定してきた割りにあっさりと葛藤も少な目で殺しを解禁するって完全にヤリ目でしかないし、ヤリ目でなくてもお前らはダメ、自分は良いのダブスタに映るから印象は良くないし確実に必要のない描写、だったらこいつらもドラゴンが焼いてくれた方が良かったよ
・起伏の無いストーリー展開
スカーレットの聞き分けが良すぎる。
愛する父親を殺されて、さらにその復讐まで失敗に終わり無念を晴らすために燃えているのに聖に人殺しを咎められたらすぐに制圧に切り替える聞き分けの良さが凄い。吸収力の鬼。
敵に会うたびに何か1つ順調に会心していくからストーリーに裏切りがない。
用意された道を順番に辿って順番に何かを得ていくだけの平坦な道で映画でわざわざ見る様な話じゃなくなっている。
途中まで緩やかな上り坂をゆっくり上り続けて、全く中途半端な盛り上がりぐらいのところで、この映画の大山場ですとでも言いたげに時渡りダンスシーンにはいられても盛り上がれない。
・結局、復讐したい相手は自分以外の誰かが殺す為、「復讐は自分の為にならない」という作品全体で伝えてきたメッセージが薄すぎる。
そりゃ、自分の手を汚さずして復讐したい相手が誰かに殺されて、自分の目の前で惨たらしい仕打ちを受けて、自分に命乞いしながら朽ちていくのを合法的に眺められるなら誰も復讐なんてしねぇよ。
+聖がすべてが終わった後の何も生産性のないタイミングで死ぬ
だったら最後クローディアスを断罪する前か、四天王の2人を倒す段階くらいで聖を殺して、スカーレットが復讐をしない道を選んだ事を後悔するシーンを作ってから、最後再び立ち上がってそれでもなお復讐をしない道を選ぶシーンとか作る方が良かったと思う
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シュールで面白かったシーン
・父親の遺言の意味を考えるディベート大会シーン
父親の遺言についてどういう意味なのかを大人3人で考察する謎の討論会が始まる。そして一番肝心な理由については触れられずに進むからむずがゆいし、あまりにも実はあの時の言葉はこういう意味だったのか!??を演出したすぎている
・スカーレットを二手に挟んで優位を得た槍兵が槍を抱えてエッホエッホしてたら不意を突かれて殺されるシーン
敵を前にして隙を晒しすぎで愉快すぎて面白い
・焚き火の火を見てたら未来の世界へ時渡りしちゃうシーン、時渡りするまでが長すぎる。
30秒くらいかけてワームホールを右へ左へ進むシーンが続く、どこに尺割いてるねん
・未来の世界から元の世界へ帰る時の時渡りが短い
行きは長くて帰りは短い、旅行帰りかよ
・聖の死んだ理由なんか気にしてもしょうがないのに違和感だけ感じさせる問題
わりかし遠くにいる包丁を持った通り魔から、そいつが狙ってるのかも分からない小学生達の代わりに刺されて死んだという描写。君の膵臓を食べたいとかそういう感じの描写だけどいざ映像化すると子供-聖-通り魔の距離間に不用意な違和感がでる、映像のプロであればこういうところの違和感まで凝って欲しかった。だったらボールを取りに道路に飛び出た小学生守るためにトラックに突っ込んだとかのありきたりofありきたりの偶然の事故で死んだほうがいいよほんと。
死後の世界に通り魔が出てきて、自分を殺した相手ですらも許すとかそういう展開もやらないんだったら不慮の事故でよかったよ。
結論
大真面目に見る様な映画ではない、シュールギャグとして見に行くとお値段分は楽しめるか。
世間が言うほど叩くような作品ではないが、擁護するほど面白くもない。
感動映画としては、味のしないガム。ミュージカル映画としてはB級。シュールギャグとしては及第点。
ちぐはぐな作品
細田守の最新作だがいろいろと苦戦している作品。どんなものかと興味本位で鑑賞したが、言われているほど酷くはなかった。作品に込められたテーマは感じるし、それなりに感動的なシーンもある。だが、人に勧められるかというとそこまでではない。
この作品、そこかしこでうまく噛み合っていない箇所が目立つ。
復讐が物語の主軸のため、結末が「復讐の成否」と始めから決まるタイプの作品だが、最初から最後までが一直線の作りになっており、代わり映えのない殺伐とした世界観と相まって、単調で淡々とした印象を与える。
ストーリーの進行に伴って随所でイベントが挟まれるが、それもかなりシンプルなものだ。このイベントが後のあのシーンへの伏線になるんだろうなあとか、このシーンをきっかけにあのキャラクターの心情に変化が生まれるんだろうなあとか、そういうのがすぐわかる。
これが細田監督が得意とする青春ものやファミリーものであればそれでいいと思うのだが、本作は終始暗く重い空気が漂う作風で、尺も2時間近くある大作だ。なので、こういった一直線のストーリーにシンプルなイベントだと、作りが浅いというかダイジェスト版を見せられているような気分になる。
また、本作は公開時よりテレビで大々的な宣伝が行われ、非常に多くの館数で上映されるなど、売れっ子監督の最新作として大変な期待を背負って登場した。しかし、ダークでシリアスなストーリーは万人受けするものではなく、これまでの明るい細田作品を期待していた観客には受け入れがたいものとなったのではないか。
製作の日テレとしては、ポスト宮崎駿の一人として細田氏をプッシュしたいのだろうが、今回はそのプロデュースの仕方ではミスマッチである。本作のポスターは公開時より2回ほど変わっており、徐々に明るい雰囲気のものへと変更されているのだが、それも少しでも親しみやすくなるようにというテコ入れのように感じられた。
本作は、シェイクスピアのハムレットを下敷きとして、16世紀のデンマークが舞台となっているが、ストーリーのきっかけはコロナ禍における不安定な社会情勢だったそうだ。争い、生と死、生きる意味など、普遍的だが難しいテーマを扱ったものの、うまく消化できないまま完成を迎えたという印象である。作中で随所に主人公スカーレットの慟哭が挿入されるが、それは苦悩する細田監督自身の叫びであるように思えた。
なぜか日本語を喋る外人達
「ハムレット=舞台演劇」としての『果てしなきスカーレット』
ようやく『果てしなきスカーレット』を観ることができた。
地元のシネコンでの上映は、朝8時台と16時台の1日2回のみ。土曜朝の回を選んだが、観客は15〜16人ほどで、想像していたよりは多かった。子ども連れは2組ほどで、全体としては年配の観客が目立つ。
【作品を見て】
鑑賞して強く感じたのは、「これは一般受けしない映画だ」という確信だった。
公開以降、SNSやYouTubeでは酷評が相次いでいるが、その反応は決して的外れではない。むしろ、なぜここまで拒否反応が起きているのかは、実際に観ればよく分かる。
細田守監督の作品は、近作に至るまで、説明不足な設定や不用意なセリフ回し、物語上の綻びが散見され、「細田病」とも呼べる癖を持つことがネットで指摘されている。今作もその文脈で見れば、過去作への批判を意に介さず、同じ弱点を抱えたまま進んでいるように見える。むしろ症状はさらに悪化していると感じる人がいても不思議ではない。
そうした失望が怒りへと転化し、炎上という形を取っているのだろう。
ただし今回に限って言えば、その「病状」は無自覚なものではなく、ある意味で確信犯的なのではないか、という印象を受けた。
【舞台演劇やオペラ・楽劇の様式】
ネット上では「舞台演劇を観ているようだ」という指摘が多く見られるが、これはかなり正鵠を射ているように思う。特に、キャラクターを真正面から捉える画角が多用されており、まるで舞台上の俳優を見つめているかのようだ。セリフ回しにも、演劇的な調子が色濃く漂っている。私見としては、単なる演劇というよりも、オペラや、ワーグナーの楽劇などに近い感触かもしれない。
どういうことか?
古典的な舞台演劇、とりわけ古典劇では、舞台空間や舞台装置の制約から、「これはこういう意味である」という前提を観客に受け入れてもらう暗黙の了解が数多く存在する。観客はすでに物語を知っている、あるいはその様式を理解している前提なため、細かな状況説明や設定の補足は省略される。
オペラや楽劇ではそれがさらに徹底されている。台本も音楽も完全に固定されており、新たな説明を途中で差し込む余地はない。近年では、舞台設定を現代などに置き換えることで解釈の更新が試みられているが、その結果、何の説明もなしにスーツにネクタイ姿の人物や、宇宙服を着た演者が現れ、神々を讃える前時代的な歌を高らかに歌い上げるといった、意図的にシュールな光景が生まれる。しかし各場面の役割や意味を観客が共有し受け入れるため、それは破綻ではなく「演出」として成立する(ブーイングの嵐になることも頻繁にあるが…)。
『果てしなきスカーレット』もまた、細かな設定や状況を逐一説明するのではなく、「そういうものとして受け入れてもらう」ことを前提に作られているように思える。
物語の中では、登場人物の行動や配置、出来事の因果関係について、観客に十分な説明が与えられない場面が繰り返し現れる。例えば、毒が回ってスカーレットが倒れ込む場面では、彼女が顔を上げた瞬間、直前まで存在していなかった王妃たちがクローディアスの背後に整然と立っている。彼女たちがいつ、どこから現れたのかについての説明は一切ない。
また物語終盤では、山の上という限定された空間に、唐突に敵味方の人物が登場するが、その移動経路や時間的経過は描写されない。さらに、最後の見果てぬ場所の場面でも、スカーレットや聖は、いつの間にか大勢の登場人物たちに見つめられている。
あの竜は何者なのか。あの老婆は誰なのか。死者の国と天国・地獄との関係はどうなっているのか。細部を問い始めれば、疑問は尽きない。
これらの「演出」は、映画的リアリズムの観点から見れば、説明不足、あるいは構成上の瑕疵として批判されてしかるべきものだ。しかし本作においては、その省略そのものが表現の前提になっているように見える。出来事の連続性や因果関係を理解させることよりも、「人物の配置が示す関係性やドラマ」や、「その場面が象徴する意味」を、観客に直感的に読み取ってもらおうとしているのではないか。
【本作の実験性】
本作は、こうした舞台的とも言える手法を、アニメーション映画の中に実験的に持ち込んだ作品なのではないだろうか。
細田監督自身が「新しい表現手法を追求した」と語っていた記憶があるが、その言葉通り、映像表現は非常に意欲的だ。2Dと3Dのハイブリッド、悍ましいほどに残酷な死者の世界の荒涼、実写と見紛う背景美術、脱水で唇がひび割れ、泥で汚れたヒロインの顔、揺れる瞳、震える唇。
絵による演出には、執念すら感じられる。
そしてその実験精神は、ストーリーテリングにも及んでいて、舞台的、戯曲的な物語進行を、映画というメディアで成立させようとしたのではないか。
今作は「ハムレット」をベースにしていると監督自身が語っているが、それは復讐譚というテーマ以上に、「戯曲演劇的」な演出を採用するという意味合いが大きいのではないか。つまり『果てしなきスカーレット』は、文字通り「舞台演劇」として構想された作品なのかもしれない。実際、声優を務めた俳優陣の顔ぶれを見れば、どこかの劇場で上演される『ハムレット』だと言われても違和感はない。
【(アニメ)映画で成り立つのか?】
しかし問題は、それがそもそも映画として成立するのか、という点にある。映画とは、本来、舞台演劇の制約を取り払うために発明された表現手法なのだからだ。
しかも本作は新作のドラマであり、古典劇のように前提や情報を共有しない観客に向けて、映画館という場で提示された。初見の観客に対して何の断りもなく「察してもらう」ことを求めたなら、物語が理解不能な断片として受け取られるのは、ある意味で必然だったと言える。
【何が問題か】
実際に舞台的手法を取り入れたかどうかはさておき、少なくとも物語構成が特殊であり、そこに意図があったことは明らかだろう。その手法自体を失敗と断じてしまえば身も蓋もないので、それ以外の要因に目を向けると、問題は「どのように売られたか」にあったのではないか。
本作は、従来のファミリー向け大衆映画という文脈で観られると、構造的に破綻する。実際、それは既に興行成績として表れている。一方で本作は、アートワークとしての側面が極めて強く、本来はそのような文脈で提示されるべき作品だったのではないだろうか。
それにもかかわらず、旧態依然とした広告手法が選択され、従来と同列の「細田ブランド映画」として宣伝された。
結果として『果てしなきスカーレット』は、「間違った客層」に届けられ、「理解されないこと」を運命づけられた作品になってしまったのではないか。
【総論】
渋谷で踊る、心象の中のスカーレットを見て、死者の国に立つ彼女は何を思ったのか。
「不殺」を訴え続けてきた聖は、なぜ人を殺し得たのか。
溶岩が流れる山肌を登りながら歌われる歌が、震え、今にも泣きだしそうに聞こえたのは、スカーレットがどのような心情に置かれていたからなのか。
なぜ彼女はクローディアスを許したのか。そして最後に現れる老婆が投げかけた問いに、果たして答えは存在するのだろうか。
これらはいずれも、作品の中で明確に回収される問いではない。それを、物語進行の多くの部分を「そういうモノ」と受け入れた上で、観客一人ひとりが、自身の感受性と解釈によって問いを受け止め、それぞれの着地点を見つけることを要求される。
こうして列挙するだけでも、「私には無理」「よそでやってほしい」と感じる観客が大多数かもしれない。本作は「そういうのが好きな人」向けの作品で、もっと小さな規模で上映された方が幸せな作品だったような気がする。
現在はどこの映画館でも、小さめのシアターで日に2~3回の上映だが、この公開規模こそが、『果てしなきスカーレット』という作品にとっての「適正値」だったのかもしれない。
細田氏版「君たちはどう生きるか」かな?
...と見えました
作者の心象風景をのせたファンタジー(空想世界の叙事詩)という意味で。
物理法則や整合性がそもそも存在しない"夢物語"なので、話の辻つまとかはこの際、最重要課題ではないハズ
ただ、(勝手に引っ張り出してきて比較するのも失礼だとは認めながらも) 宮崎駿氏作品が、自身の原体験をベースにした物語であるためメッセージに"リアリティ"があるのに対し、本作は世の中一般(例えばハムレット然り)で語られているモノをなぞっただけ、という印象は拭えない
前者は観た者に「自分はどう考えるのか」を問うが、後者は監督が「こう考える」を押しつけるに留まる。その結果、『だからどうした!』『知らんがな!』『〇〇が気に入らん!』などと酷評が噴出、というのが構図だと理解しました
最初から「復讐の連鎖は断ち切られるべき」という"結論"があって、それが最初から匂わされて、何のヒネリも嬉しい驚きもなく、延々とそこへ向かう飛び飛びのお話し (「死者の国」という架空世界だから現実世界との整合性も十分ではない) を聞かされるだけなので、話しがツマラナイのだ思います
途中、シェークスピア的会話劇、戦闘、戦争、ミュージカル、ファンタジー...色々な要素のシーンが盛り込まれて盛り沢山なのがいいところなんですが、それらが上手く繋がって相乗効果を出してくれていない印象も...
あと、これも想像に過ぎませんが、シナリオは殆ど監督一人によって作られていて、第三者の(本当の)意見が殆ど反映されていないんじゃないですかね。
そのためにキャラクターの連続性のない不自然な行動やセリフが目立ってしまうのでは?
個々の"描きたい"シーンが最初に決まっていて、それらを繋げるために各キャラクターのその場の行動やセリフがある、という風に見えます
(宮崎氏を引き合いに出したついでにいえば) この辺が、新海氏の作品とも違う点かと。
ほぼ一人でストーリーを細部にわたって作っているのに、それが最初から高いクオリティで整合している。そのような稀有な才能はそうそうあるものではないので、映画シナリオは優秀なチームで作られる必要があり、その究極が良くも悪くもディズニー映画だと思います
最初に世界や場面、キャラクターの設定がしっかりと決まっていて、それらが勝手に動いていった結果、見事な物語が出来上がる(少なくともそう見える)、というのが理想だと思います。残念ながら、この映画はその理想からはずいぶん離れてしまったように感じました
ただ、作画や映像や演技はとても素晴らしい。これだけで、この映画を映画館で見る価値が十分にあります。
この点だけでも、私はこの映画が好きだと言えます 。少なくともこの観点で、私が細田ファンであるのは間違いありません
(個人的に絵柄やキャラデザインが好み、というのはあります。しかし、個人的に、これはアニメ作品を観る上でもっと重要な要素と信じて疑いません)
どのシーンをとっても、スカーレットは常に美しく魅力的です。また、「死者の国」世界観はとても見事に映像化されています。
これらの点だけでも、どんなに大げさに表現しても、この映画が"駄作"だということにはなりません
(これは、個人的に前作(竜とそばかす...)にも共通する美点と言えます)
ただ、モーションキャプチャーとデジタル技術によって作られたと思われるダンスシーンはいただけませんね。(特に複数の人が踊っているシーン)
とてもスムーズに動いているのですが、リアルに動くことが逆に不自然さがを醸し出してしまう。人間の動きやリズム感って、もっと不揃いでノイズのあるものだと思います
絵になった人物の動きがスムーズすぎると、ロボット感(取ってつけた感)が勝ってしまい残念です。
動物の体って確かに関節と骨でできているんだけど、現実世界の生き物は完全に左右対称ではないし、必ず細かい動きのクセがあります。恐らく点と点を線で結んで数値化してしまうと、これが表現しきれないのではないでしょうか。さらにこれを複製して並べると、そのロボット感が増幅されそうです (例えばアンドロイドの軍隊ならそれで構わないんですが)
この解決には、まだまだ技術革新が必要そうですね
リアリストには理解できないかもしれん
酷評と好評二分の意味がわかった
酷評してる人はきっとリアリストで頭が硬いんだろう
死んだ後の死後の世界で、なんでか昔のデンマーク王女と現代の日本のナースが出会って、よくわからんうちにどんどん進んでく
で結局、死後の世界ではないと言われるし、死んでたのはナースの聖で生きてたのはスカーレット
夢オチとも取れるエンディングで、頭使わないと見れない
ただ思ったのは死んだ後も天国でもなく地獄でもない世界で現実と同じような生活を強いられなんて、本当に悲劇!としか言いようがない
細田守はやっぱり細田守。
高評価のレビューが増えてきていたので自分の目で確かめに行ってみました。
情報不足な展開の早さは「観ていないテレビアニメの総集編ならこんなもん?」くらいの感じでつい許容してしまいましたし、絵の奇麗さと芦田愛菜ちゃんの完璧超人すぎる演技で「アレ? 確かに、この作品そんなに悪くなくね?」と思ってしまったのですが…
山の頂でのピンチに突然現れる改心した悪役の登場あたりからご都合主義が目に余ってきて、あとは「復讐の連鎖を断ち切る」物語のテンプレ展開、神様の天罰で主人公が手を汚すことなく倒れる悪役、そして安直なハッピーエンド…。とにかく「主人公はあれだけ悩み苦しんだんだから、お約束な展開だけどこれでいいんだ!」と許容するだけの説得力がありませんでした。
もともと細田守を評価していない方なのですが、あらためてこの監督のポテンシャルの低さと底の浅さが見えてしまった気がします。宮崎駿の後釜探しで、もともとそれだけの器じゃないのに神輿に担ぎ上げられた不幸な人とも思っているんですが。
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