果てしなきスカーレットのレビュー・感想・評価
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酷評が多いですが、私的には久しぶりに泣ける映画でした
レビューが悪かったので少し観に行くのを躊躇したのだけれど、時間の関係で観に行く事になった。
結果、素晴らしい作品に涙した。
前半は死後の世界がこんな?と驚いたけれど、段々と理解して行った。このスカーレットの魂には必要な事だったと。
何故レビューが悪かったのか分からなかったが、一緒に行った友人がこの作品がスピリチュアルだから理解できないのでは?と言われて、やっと分かった。
前の席の大学生らしい二人組は、終わって直ぐに「ゴミだ」と言っていた。
何だかなぁと思ったが仕方ないよね、今の若者たちのようにコスパだポイ活だと物理的にのみ生きている人たちには理解できない事なのかもと。
「許す」と言うテーマはスピ系的には大学院程の学びだから、それをアニメで表現すると観ている人たちの感性にかかっているから、理解できる人と理解できない人たちがいても仕方ないのかも・・。
細田守監督の作品に、これからも注目していきたいです。
エンドロールが良かった
確かにこれはモヤモヤするなぁw 細田作品はずっと追っているんで迷わ...
何を見させられたんだ…、俺は。。
正直に言います。
全然面白くなかったです。
クソ映画とまでは言いません。
でも、全体的に滑ってました。
ノレませんでした。
細田監督がやりたい事、言いたい事は分かる。
けども、思いとは真逆に脚本も演出も追いついていない。
だからどのシーンも感情移入できないし。
それどころか見てるこっちが恥ずかしくなるからい、痛い描写になってしまっている。
これが見ていて本当にしんどかった。
真面目に見てるのに失笑せずにはいられないシーンの連発。
なのにスクリーンの向こうのキャラクター達は大真面目という。
なんとも歪で居心地の悪い体験をしました。
背景美術
重量感のある戦闘シーン
死者の国のダークな描写
良いところもあるにはあります
炭化した死体描写とか、これまでの細田作品では考えられないような残酷描写もありました
けど、それをもってしてもどうにも抗えないくらい粗が多すぎる。
というか多すぎるよ細田さん。
これは擁護できない。
まずみんな言ってるけど、やっぱりストーリーがおかしい
煉獄に落ちた姫君が現代日本の男子に絆されて復讐劇をやめるって
それ、誰も共感できないよ
理想論としては分かるけど、理想論を理想論のままで語られても薄っぺらでしかない
特に各国の緊張感が高まっている現在において、これは飲み込みにくいし飲み込みたくもない
復讐をやめ剣を置いた所で争いの連鎖はなくならない
まして乱世の中世ヨーロッパじゃ一方的に侵略されるだけでしょと
そう思わずにはいられない
次に映像面
3DCGと2D作画が一緒に映る場面のチグハグさが尋常じゃなく、ビジュアル的な統一感がまるでない
噂のダンスシーン
どう考えても唐突でおかしい
なんなんだあのハワイアンダンス
渋谷でのミュージカル
展開としても歪だし、映像のクオリティも残念すぎてもうどう捉えて良いかわからなかった
超絶クオリティ作画&最高の音楽だったら、バーフバリやララランドにもなり得たかもしれない
でも明らかにどちらの要素も力不足なので失笑せずにはいられません
他にも色々書きたいことはありますがこれくらいにしておきます
どうしてこうなったんだ細田監督
脚本家の不在だけではここまで酷い作品にはならないと思う
何か他にも原因があるはずだ
どうにか全盛期のクオリティを取り戻してほしいものだが、それはもう夢のまた夢なのかもしれない。
リアリティなきファンタジー
11月22日に映画館にて鑑賞。
すみません、とても長くなります。
ことさら作品を腐すわけでなく、さりとて持ち上げるでもなく。
感じたありのままを一生懸命レビューします。
シェイクスピアの悲劇「ハムレット」をモチーフとしつつ、「過去にとらわれず未来に向かうために誰かを、何かを許せるか」という青臭くも普遍的なテーマを取り扱った本作は、エンドロールが終わり館内に照明がついた後の私に多くの疑問を残した。
①序盤の布石が弱くないか?
この物語の肝の1つである「復讐心からの解放と許し」というテーマを存分に表現し切るには、スカーレットと生前のアムレット王との絆がどれほど強かったのか、クローディアスがどれだけ卑劣な手段でアムレット王を陥れたのかを丁寧に描く必要があった。そうでないとスカーレットのクローディアスに対する強い復讐心が観客側に共感されにくく、最後に復讐の執着から解き放たれるカタルシスが弱くなるからだ。
しかし、それら重要な序盤の布石はどれもダイジェスト的な見せ方に終始。例えばスカーレットとアムレット王の絆は、似顔絵を片手にキャッキャウフフという極めて記号的でテンプレート感の強い描かれ方しかされていない。
また、クローディアスは隣国との協調路線を打ち出すアムレット王に公然と反発するものの、その激しい反発心の背景が掘り下げられることはなく、イマイチ伝わってこない。さらには、クローディアスがどれだけ卑劣な奸計でもってアム王を反逆者に仕立て上げ処刑台に送り込んだのかも明らかにされない。単にアムレット王の説明的な台詞の中で「クローディアスが自分を反逆者に仕立てあげた」ということが語られるのみだ。
これでは、スカーレットがクローディアスに対して抱く憎悪と復讐心の強さを共感しにくい。脚本家:細田守の中では「ハムレットをモチーフにしているのだから、主人公が叔父に復讐を誓うまでは当然の前提条件」という理屈なのかもしれないが、登場人物の描写があまりにも淡泊過ぎたせいで、最後まで私はこの世界の人物に没入することができなかった
②「設定のための設定」でしかない世界
この物語のメインの舞台となる「死者の国」が出てきてから最後まで、私にはその場所が何なのか一向に腑に落ちなかったために、最後までずっと首を傾げてしまった。
死者の国では砂漠と荒野と廃墟が果てしなく続いているような描写があり、スカーレットには疲れや喉の渇きといった感覚はあるようだが、飢えに苦しむような様子はなく、憎き仇を探して不毛の荒野をさまよい歩くシーンが続く。これを観ながら私は「なるほど死者の国だから、飢えるということはないのか。きっと、強い未練を残してこの世を去った魂が、永久に果たせないであろう何らかの目的のために、未来永劫さまよい続けるような世界なのだろうか」などと自分なりに納得していたら、やがて日本人看護師:聖と出会ったスカーレットは、供連れの旅の途中で、様々な麻袋を馬に積んだキャラバンの隊列に行き合う。そしてキャラバンの集落に身を寄せる場面になったところで私の頭は完全に「?」に支配されてしまった。
このシーンの描写から、死者の国でも取引が行われており、食事をするという行為があることがわかる。ならば、それらを調達するため穀物や植物を育て収穫したり、動物を飼育したりといった、まさしく生きるための営みがあるはずだ。じゃあ死者の国ってなんなんだと、私の頭を浸食した「?」は、終盤に語られる説明でさらに広がっていく。
いわく、この国は生者と死者、過去と未来が混ざり合って存在している場所であり、スカーレットは実はこの時点では死んではおらず、現世で毒により昏倒し意識不明となっていたところを魂だけがこの地に行き着いた、ということのようだ。
…うん?
現世で意識を失っていたスカーレットの魂が、死者の国に一時的に迷い込んだというのは理解できる。クローディアスが死者の国にいる理由も、実はすでにクローディアスが死んでいるという説明が後になされたことで腑に落ちた。ただ、なんでクローディアスの配下一味は揃いもそろって死者の国にいるのだろうか。こいつらも全員すでに死んだか、あるいはみんなで現世では意識不明で死の淵をさまよっていたということなのか。
そして、過去も未来も混じり合っているにしては、死者の国の登場人物は誰も彼も中世ヨーロッパのたたずまいなのはなぜなのか。スカーレットに襲いかかる戦士たちはプレートアーマーで身を固めており、武士や古代ローマの戦士たち、あるいは現代の兵士といった装いのキャラクターは一切登場しない。聖だけがご都合的に現代人として登場するのみだ。
そして、この死者の国でもクローディアスが一大勢力を率いている様子がうかがえるが、クローディアスはどのようにして死者の国で城を構え、強大な軍を保有するに至ったのか。スカーレットは、この広大無辺な世界の中で、徒歩でどうやってクローディアスの所在を突き止め、たどり着いたのか。
さらに、アレキサンダーやチンギス・ハーン、項羽に劉邦などといった、かつて世界の版図を広く塗りつぶした歴史上の偉丈夫たちはこの死者の国で何をしているのか、一切語られることはない。
空を泳ぎ雷を降らすドラゴンも、ただ「ファンタジーぽい世界」の味付け程度の印象しか与えず、「見果てぬ場所」へと続くであろうと思われる閉ざされた巨大な扉の意味も、なんなら「見果てぬ場所」の意味さえ分からない。
つまるところ「死者の国」なるものは、16世紀のデンマーク人であるスカーレットと現代の日本人である聖との時空を超えた出会いというプロットを成立させるためだけにそれらしく存在する、何のリアリティも感じさせない「設定のための設定」の世界ということだ。
「ファンタジーにリアリティもクソもねぇだろ」と思うかもしれないが、この2つは相反しない。たとえファンタジーの世界であっても、ポップコーンとドリンクを片手に座席に座る観客をスクリーンの向こうの世界に引っ張り込むには、「自分がその世界にいたら」を実感させるに足るリアリティというものが不可欠なのだ。
こうした没入の仕掛けをポイポイっと捨て去っているとしか思えない細田監督にとって「ファンタジー」とは、クシャクシャに丸めた物語を勝手に整然と畳んでくれる魔法の風呂敷か何かなのだろうか。暖かい紅茶とシナモンチュロスを片手に本作を鑑賞していた私は、意識が現代の渋谷へと行き着いたスカーレットのようには自分の座席からスクリーンの向こう側へと突入することはできなかった。
私の勝手な意見だが、映像の美麗さ等を抜きにして、ストーリーをかみ砕くという点において「果てしなきスカーレット」はあまり映画向きの作品ではないように思う。映画は「その時間、集中してその作品を観る」という時間なので、観る側の集中力が非常に高い。だから、心を動かされるときの感動はひとしおだし、逆におかしいと感じるところはずっと引っかかってしまうものだ。どちらかというと、ネット配信や金曜ロードショー等で放送されているのを、家事をしたり趣味をしたり携帯電話を片手に「ながら」視聴をする方が、細かい設定が気にならずにスッと物語の世界観を受け入れられるのではないか(作品の程度の良し悪しの話ではなく、視聴媒体の向き不向きの話として)。
※余談だが、スカーレットが山頂から透明な階段を上っていくシーンで「カイジやんけ!」と私は小躍りし、さらに見果てぬ場所へと続くであろう巨大な扉の場面では、「きっとクローディアスがこの扉を開けた瞬間に気圧差のビル風で佐原よろしくはるか彼方に吹っ飛ばされるに違いない」と、この映画を観ている時間の中で一番ワクワクした。
③登場人物に台詞で説明させるのはやめないか
最近特に顕著な現代アニメの傾向、すなわち「心情、状況などあらゆることを登場人物に語らせて説明する」という演出は本作でも健在だ。細田守が誰をターゲットにこの映画を作っているかは知らないが、少なくとも鬼滅の刃よりは一回り上の年齢層、中学生以上がメインターゲットといったところではないかと推察する。であればもう少し、「演出でもって受け手に感じ取らせる」という手法があってもいいように思う。台詞での説明はクドさ、しつこさがどうしてもついて回る。
個人的にザワついたのが物語の終盤、消えゆく聖がスカーレットに「生きたい!」と何度も言わせる場面。おそらくハムレットの有名な台詞、"to be, or not to be, that is the question."(「生きるべきか死ぬべきか、それが問題だ」という言葉だが、物語の文脈から「復讐をするべきか、すべきでないか、それが問題だ」という風に訳される)を踏まえてのシーンだとは思うのだが、私には散々焦らされたM女がドS気質の彼氏に早く絶頂に導いて欲しいと懇願しているようにしか見えなかった。
そしてその少し前、仇敵クローディアスを目の前にスカーレットが復讐を果たすべきかどうか激しく心中で自問自答する場面は、どうしても鬼殺隊の長男を思い出してしまい笑いをかみ殺すのが辛かった。
大体にして、スカーレットの中をあれほど支配していた復讐心が、クローディアスのあの程度の懺悔で簡単に揺らぐという心情がにわかには理解しがたい。
④終わり方はそれでいいのか
ここまで長々と書いた結びにひとつ、どうしても納得がいかない演出がある。物語のラストのラスト、スカーレットが歌を口ずさんでエンドロールへと移行するシーンだ。
観ている側はここまでの流れで、「結局のところスカーレットの体験は、現世で意識を失っていた間に観ていた夢物語だった」ということを理解しているのだが、それでもその夢物語の中で聖と出会い、スカーレットは復讐に執着していた自分自身を許し、未来に向かって生きることを学んだ。聖は消えてしまっても、聖との出会いで得たものは確実にスカーレットの中に生きている・・・
そうした2人をつなぐ絆の象徴のひとつが、キャラバンの集落で聖が教えてくれた歌(「以下「聖ソング」)のはずではないのか。それがなぜ、物語のラストでスカーレットが口ずさむのが、まったく関係のない歌なのか。このシーン、スカーレットに歌わせるべきなのは聖ソング以外に何があるというのか。
「スカーレットが口ずさんだのは聖ソングのAメロで、エンドロールが進むにつれて二人が歌ったあのサビが流れてくる」と思い込み、「ベタだけれども、良い終わり方だな」と先走って納得していた私は、曲がサビに移行したところで聖ソングとは全然別の歌だと分かり、思わず「えぇ・・・??」と声に出してしまった。
⑤結びに
こうして、映画「果てしなきスカーレット」の鑑賞を終えて照明が点った館内で、私は噛んでも噛んでも飲み込めないホルモン焼きがずっと口の中に残っているような心持ちのまま席をたった。
ただ、少なくともこの作品で何を表現したかったのかはハッキリ伝わるし、美麗な映像は映画館の大スクリーンならではの迫力ということもある。その意味で、有象無象のYoutuberたちが視聴回数を回したいがために酷評するほどには駄作というわけでもないと私は思う。ただ、「何を表現するのか」よりも「どう表現するのか」という点で大きな課題を残した作品だと思うし、だからこそ余計に脚本家:細田守の限界が改めて浮き彫りになった作品だったなぁというのが、全体的な私の感想です。
我ながら嫌になるほど長いレビューを読んでくださった方、ありがとうございました。
今までより難しい内容ジブリで言う「もののけ姫」あたりな感じかな☝️
どうしようか迷ったけど一応鑑賞‼️。
入りは難しくどうなるのかな〜❓(眠くなるかな〜)っと思いながら見ていたら、聖が現れると急に展開が気になり集中できました。
復讐に燃えるスカーレットはわかったが描写❓話❓がだんだん難しくて最初は理解しながらついてくのがやっとでした💧(私はね)。
死後の世界だけど死んだ描写ない叔父も同じ世界にいたり死んだ自覚のない聖が来たりと頭が「❓」だらけに一瞬なりました。
ただ後半にかけて聖と仲を深めたり、聖の影響を受けて○さないようにしたり、結果復讐もできるのかなど後半は引き込まれた部分もあり、良かった部分と半々ぐらいな感覚でした😄。
今までの監督作品を期待してると少し難しいからイヤな人はイヤかもしれないですね💧最初難しいから入りで諦めずにしっかりと物語が追えていれば大人は面白いかも☝️、子供さんはどうかな❓って所。
映像は綺麗だし、声優さんも芦田愛菜さん色々言われてるとも思いますが「スカーレット」にはハマってたように私は思いました。
純粋に感じられない自分が悪いのか
悪評が気になって見に行った勢。
細田作品はほぼ初見です。
事前にYoutubeの個人レビュアーの感想をいくつか見ました。全体に酷評でしたが、良い点悪い点の根拠を述べていて、罵詈雑言レベルではなかったと思います。
以上の前提で、期待ハードルは超低かったのですが。
うーん…。
「何これぇ?」を、心の中で無限に呟く時間でした。
まず映像は素晴らしいです。
一部「ん?」と思う表現はありましたけど、生死の間の世界描写と龍は素晴らしかったです。
あと、芝居もそこそこ良かったです。
自分が一番ダメだった「主人公2人の人物造形」について感想を書きます。
まず看護師。
名前を呼びたくないほど無理でした。
外見と中身が合ってなさすぎる。現代日本らしい軽い感じの容姿と言動ならまだ耐えられたかも。古来日本男子のような職務実直坊主っぽい印象で、言うことやることが本当に軽い。
生前の価値観を異世界に持ち込み、押し付け、同行者に怪我を負わせるほどの迷惑をかけて「不殺」を押し付ける。
なのに記憶が蘇った途端に、自分は弓でころすんかーい…。
なんなのこの男。
信念軽すぎてお話にならん。
スカーレット。
親の仇を討ちたい、わかる。
じゃあなぜ大人になるまで仇の支配する城に留まってるの。父親を裏切った母に向ける気持ちは何もないの?
唐突に現れた男に感化されて不殺。
意味わからない。
袖を破られて恥じらっていたカマトトのくせに、寝る時は布一枚巻いただけで、起きた瞬間は肩の肌色が見える。貞操観念バグってる?
男の鼻歌を聞いて唐突に覚醒。夢の中でダンス、心象風景だから唐突なのは別にいいけど、その時の気づきで自分を許すにつながった…いやアクロバットすぎませんか?
主人公が好きになれない作品はそれだけでキツい。
そこに現実に戻ったスカーレットによるお花畑のようなラスト。
は?
ここまで不条理で報われない世界を描写しておいて、現実に戻ったら全部うまくいくエンド?
は?
良かったと思う人が羨ましいです。
自分はやっぱり「何それぇ…」としか思えないです。
映像と音楽、芝居に星2つ分。
他は0点です。
良いじゃないか
前評判が良くなかったので、いろいろ情報が入る前に見に行ったが、良い映画だった。
いろいろ、批判する人も居ると思うけど、自分の感性を信じて楽しめば良いと思う。
多くの人が観客を置いてきぼりにしていると恐らく指摘しているミュージカルシーンだが、そんな展開の映画なんて別に初めてでも無いし、置いてかれはしなかった。
とは言え、歌と踊りに説得力が有れば違和感は無いわけだが、まだその領域にいけていなった。そして、ヒロインのダンスに比べて男のダンスは男は髪の毛の躍動感も描けないし、スカートも翻らない、しょうがないのだけれど、やはり残念な感じだった。
これが好きな人は絶対いる
ので、ダークファンタジーや童話、神話、戯曲が好きな人は是非見てほしいと思います。
退廃的な冥府で身を引き裂くような激情、葛藤を抱く美しい姫。私はかなり好きです。テーマも自分に合っていて、共感し、少し救われました。本作のテーマをマクロな世界情勢と照らし合わせて見ている方が多い印象ですが、個人的な内省にも共通する部分があると思います。
過去の細田監督作品とは作風がかなり違うので、ハレーションが起きてしまった人もいるのかも。
でも、この作品にはグラフィックや音楽、画作り含めて独自の魅力があったと思います。
押井守監督の「天使のたまご」も公開当時は色々言われたそうですが、今では上記作品が好きという人もよく見かけるので、「果てしなきスカーレット」もいつか、この作品の良さに気づいてくれる人たちに届くといいな。
この作品のためにアカウントを作って評価したくなるくらい、自分には刺さりました!
観客を置き去りにする脚本と演出
戴冠したスカーレットは、本当に争いのない平和な世をつくれるのかと問う民衆に対してこう答えた。「あなたの賛同と、協力があれば」と。
本作がシェイクスピアの『ハムレット』を下敷きに、現代の世界情勢も踏まえつつ、「復讐と赦し」「争いと平和」「生きるとは、愛とはなにか」をテーマとして製作された映画であることは周知の通りである。これらのテーマ自体は社会的意義があり、とても良いことだと思う。だが、世界観も人物造形も薄っぺらなまま「こういうもんです」と言わんばかりに突き進む脚本、唐突に挿入されるダンスシーンで観客を置き去りにする演出はいただけない。お約束のように男女間で発生する恋愛も、台詞がクサすぎて終始シラケた気持ちで眺めていた。(「泣くなスカーレット、俺が側にいる」は直前の渋谷ダンス幻覚と相まって変な笑いが出そうになった)
スカーレットの母国が傾いた原因は、端的に言って王族間の権力争いである。民主的に選ばれたリーダーが戦争を起こして国が傾いたのであれば、国民にも責任の一端があるかもしれない。だが、舞台となった中世デンマークは王政なので、決してそうではない。クローディアスという権力者の個人的かつ身勝手な欲望のせいで、国民は被害を被っているのだ。その国民に対して、平和な世をつくるためには「あなたの賛同と協力が必要」だと王女が説くのは、なかなか傲慢だなと感じた。(この台詞は、現代を生きる我々に向けているものだと理解はできるが)王族の自覚があるのであればスカーレットは最初に、国民に対して王族の暴走と腐敗を詫びるべきなのだ。
故人が遺したメッセージをどのように解釈するかは難しい。正解は永遠にわからないので、遺されたひとの心が救われるなら、どのような解釈でもよいかと思う。スカーレットは処刑場で父が遺した「赦せ」という言葉に導かれ、父を殺した叔父を赦し(無条件な赦しではなかったが)、復讐の道でしか生きられなかった自分自身を赦した。二重の意味での「赦し」はこじつけっぽくも感じるが、追い詰められて生きてきた少女が、復讐の人生から解放されたのは単純によかったと思う。
映画の体感時間はかなり長めで、画がいくら綺麗でもストーリーは決して面白いとは言えなかった。他人にすすんで鑑賞をおすすめはしない。(細田監督作品はこれから完全にセルルック3DCGへ舵を切るのかな?手書きアニメーションの味が好きだったので残念)
細田守には次回作を作ってほしい
語るまでもなく、今作はこの規模で劇場公開してはいけない作品だ。この品質の低さの責任は細田守監督にあるのは言うまでもない。
しかし、この規模で配給したSONYに大きな責任があることは僕は強く主張したい。今作において商業的責任を負っているのは決して監督ではない。SONYを初めとした企業が出資してできている。例えばコッポラのように殆ど自費なら商業的責任を負うべきは監督本人だが、細田守は違う。責任を負うべきは自分たちのお金を使わせて監督に好き勝手させてしまった出資会社にある。
映画の品質を大手配給会社はある程度把握した上でマーケティングしてほしい。有名な俳優、監督など個人に依拠したマーケティングは失敗した時の責任を個人に負わせられて楽だろうが実際に損をするのは個人という範疇ですまない。会社、業界が懸っている以上映画の内容にもっと関心を持つ責任が出資会社にはある。
細田守という作家をこのまま死なせるのは勿体ない。SONYは責任を持って、次作を作る助けをするべきだ。
生きるべきか、死ぬべきか、それが問題だ
細田監督がハムレットをモチーフに、復讐という難しいテーマをどう描くのか、楽しみにしていた。
スカーレットが果てに見た、二人で踊る人工的で無機質な渋谷。
こちらのほうがむしろ、地獄で空虚な世界。
今の社会を如実に反映したもので、監督の強烈なアイロニーを感じた。
最愛の父を殺され、あれだけ憎んでいた叔父の復讐に、最後に悩み、許しを与えようとするスカーレット。
子供を守るため殉死するも、刺客をなんのためらいもなく殺す(スカーレットを守るために)、看護師の聖。
人は矛盾した存在であり、殺伐とした現世を悩みながら生き抜けとのメッセージを受け取った。
映画はあれだけ斬新な映像で素晴らしいのに、心の琴線には触れることがなかったのが、不思議だ。
少し、狙いすぎたのかもしれない。
細田守監督説法会
脚本等に問題あり
細田守さんは好きな監督でずっと観ていましたが、今回の作品は残念です。
やはり「国宝」の奥寺佐渡子さんが脚本書かないと、こういう作品になってしまうのですね。
声優さんたちもイマイチでした。アフレコではなくプレスコだったようで、短時間の録音で絵を見ないで感情を込めるのが大変なようです。同情しました。
公開前の評判は良かったのに、観客はガラガラ。300人近く入るはずなのに、数える程。2・3%くらいしか入っていない。都内の映画館は、もう少し入っていたようですが。
今日発表された2週目は、座席数の少ないスクリーンで上映回数も激減。1日あたりの座席数が2300から3分の1になります。これは当然ですよね。
ポスト宮崎駿監督としては、神山健治監督の「ロード・オブ・ザ・リング/ローハンの戦い」の方が良かったです。
最近観たアニメだと、木下麦監督の低予算映画「ホウセンカ」の方が心に沁みました。
比較的新しいレビューを見ていると、採点が4.5や5.0の人の多くはレビューが初めてか少ない人が多いようです。
ひょっとすると、映画関係者の方々が必死で高レビューをアチコチに書いているのでしょうか。
それでも平均点は2.7とか2.8ですから、失敗作なのでしょう。
家族3人で見に行きました。 普通に面白かったし家族全員感動しました...
家族3人で見に行きました。
普通に面白かったし家族全員感動しましたよ。
何で批判や酷評が多いのかわからない。
アンチも行き過ぎじゃないかな?
youtubeも酷評すれば視聴者見るとか世の中おかしい
数年前にジョジョの実写も面白かったのに
ネットの見ても無い人が酷評し次回作がとん挫しました。
何をしたいのでしょうか?
作品については昨今中国とのいざこざもありますが、戦争や復習について考えさせられる
映画です。映画界のためにも是非見に行って欲しい作品です。
絶対に見て損はしない作品なので次回作のためにも是非、劇場へ見に行って下さい。
一つ気になることがあるのはATMOSの音が大すぎかな
でも評価は高い作品でしたね。
自分の目で確かめて下さい。
闇堕ち発狂からの復活がテーマなのかな
バケモノの子のラスト付近で敵が唐突に闇落ちして、「え?・・・」となったのですが、今作を見て細田監督は、闇堕ち発狂からの復活がやりたいのだなとハッキリ思いました。
父親を叔父に殺された姫の復讐を、現代からきた青年が説得して、姫は争いを無くすために全てを許すという内容なのですが、今この時代に復讐をテーマにするのは難しいのではないだろうか。。。
とにかく共感しづらい。叔父がひたすら悪党として描かれるので、許す気が起きないし、スカーレットが許した後、竜が叔父を殺して解決するのはなんとも納得しづらい。
許しへの答えが改心ではなく、天の裁きだったという事なのか・・・
直近で鬼滅の刃を観た後なので、「絶対に許さない鬼殺隊」と「全てを許すスカーレット」を比較してしまいますが、許さない方に軍配が上がってしまいました。
映画の短い尺であまりに哲学的なテーマは難しいのか、それとも時代が追いついていないのか、現代に刺さってない印象が強かったです。
いや、「戦争が起きない世界を創るためには、許すことが大切だよね」というのは、確かに今現代において大切な事ですが、竜と夢オチでちょっと逃げちゃったよね?とどうしても言いたくなります。
壮大な凡作。シェークスピアにはなれなかったね…でも観るならあえてIMAXで。
久しぶりの細田監督の作品である。舞台は中世デンマーク復讐と愛の物語…しかし残念ながらやはり公開当初からの酷評のそしりは免れないかなと。いったい何が言いたいのかよく分からないぽやっとした印象の作品だった。キツい言い方だが「薄いテーマのシェークスピアもどき」というのが正直な感想。なまじ映像の出来が良いので、なんのメッセージも受け取れない出来の悪いストーリーが際立ってしまい、鑑賞後は感動やカタルシスとは真逆の平野に置いてけぼりなのだ。あえて観るならIMAXで映像美だけを堪能した方がよほど満足度は高かっただろうと悪態をつく。
…思うのだが、細田監督は脚本を書かない方が良い。今作を見てどうもその部分の才はいよいよ怪しい気がしてならなくなった。原作としては良いのだろうが、とにかく脚本の出来がダメなのである。
まずあのダンスシーンはまったく意味不明だ。無理くり入れた感が際立ってダサい(街中で踊るモブの作画手を抜きすぎw)勘弁して欲しい。あれほど「殺すな殺すな」と言ってた聖があっさり人を殺すわ、死者の国で髪を切ったスカーレットが生き返ると髪が短いとかなんだ?しかも生き返ってみれば仇の叔父王は、間違って飲んだ毒で死んじゃってました??間抜けか!他の従者共も揃って同じ死に様で死者の国送りだったのかねぇ?www そして何より死者の国は死と生が混ざり合う場所ならば別に生きてるスカーレットが戻らなくてもいいんジャネ?本人戻りたくない言うてますやん。
真面目な話、もし今後作品を作るのであれば、名作サマーウォーズの時のように奥寺佐渡子氏でも脚本家を立てた方が無難ではなかろうか。その辺、出資会社各位も検討の余地は大ではないだろうか?
さて…鑑賞後、ハタと思ったのだが
これ、あの有名な都市伝説ドラえもん最終回「ドラえもんのお話は植物人間だったのび太の夢でした」と同じ夢オチだったんじゃないか?
つまりこのお話は、スカーレットは実在せず、すべて通り魔に刺された聖が臨終間際に見た夢
そう「(死にゆく聖が見る)果てしなきスカーレット(の夢)」だったんじゃないか!?
…とオチをつけて帰路についたのでした。
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