果てしなきスカーレットのレビュー・感想・評価
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スカーレットを応援したくなる
あまりの低評価が気になり自ら確認するため鑑賞。午後のサッカーまでの時間潰しに会員割引の1300円、ハードル低めです。結果ラストでは泣きそうになりました。
強く美しくも復讐心に囚われたスカーレット。解放されて自由に生きてほしい、でも復讐も遂げさせてあげたい、しかし復讐を遂げたあとに何が残るのか。彼女の旅を見届けたい気持ちになりました。
芯の強い聖に救われるスカーレットはアシタカに救われるサンのようでした。ただ聖はアシタカのように背負ったものが描かれないので深くはないです。
歌と踊りのシーンは私がミュージカルを見慣れており耐性があるのでむしろ好きです。スカーレットが未来の人々が幸せに暮らせる世界にと願う動機付けになっています。
声は俳優ではないほうがよいのでは。俳優さんはあくまで顔で売っている人なのでどうしても顔が浮かんでしまいます。非公表ならいいですが(笑)。
過去、未来、死者の国、見果てぬ場所、スカーレットの夢、全て繋がっているのだと感じました。素晴らしい映像のフィクションエンタメアニメとしてお薦めです。
ご都合主義、という批判があるが
物語とは大抵の場合ご都合主義である。現実の持つ煩雑さや些少な諸々を一々拾っていてはお話は纏まらない。ハッピーエンドは少なからず都合が良く収束するものだし、所謂バッドやビターといったエンディングを辿る作品はその逆のベクトルを持っている
そのご都合、に説得力を持たせるために脚本はストーリーの中で段取りを用意し、それを魅力的なキャラクターに演じさせる。それを受け手が「こういう流れならこうなっても納得できる」であったり「都合が良すぎるけどこの主人公が幸せになってくれてよかった」と受容出来なかった場合に「ご都合主義」という批判が発生する、と自分は考える
前置きが長くなった。はい、申し訳ない。
ご都合主義だな、と思いました。自分がこの映画に抱いた印象の中で最も強い要素がそこにあるので、以下それを中心に書く
この映画は非常にメッセージ性が強い。ハムレットや神曲といった西洋古典の素養があるならどうやら深いところにある要素を掬えるらしいが、それを持たない浅学な自分であっても表層的なメッセージに関しては概ね捉えることが出来ているのではないかと思う。
何しろあからさまだし、何なら登場人物達が大事な部分は口頭で説明してくれるからだ
そうして叩きつけてくるメッセージそのものに関してはさほど文句はない。綺麗事そのものは自分は好きだ。綺麗事でも回るような世の中になってほしいとは思う
しかしあまりに登場人物に役割を与えすぎたために、結論から逆算された台本に従っているとしか思えない行動をするキャラクターが多く、青臭い言い方になるが登場人物に魂を感じなかった。これが「ご都合主義だな」と思ってしまった第1点だ
第二に、復讐の連鎖、分断の悲劇、自分自身を縛る事の辛さ、己や己の大事なものだけが幸福になればいいという思想の醜さを描写し、そこからの脱却が困難である事、現実世界における綺麗事の難しさを間接的に描いている(スカーレットの殺人を何度も制止してきた聖青年は、最終的に彼女を救うために自ら殺人を犯すし、クローディアスを赦そうとしたスカーレット唾を吐かれ罵られる)にも関わらず、最後の最後で「天の裁き」で終わらせてしまったことだ
復讐に囚われていたスカーレットは葛藤と幻視の果てに自分を赦し、復讐の連鎖からの脱却を図る。これ自体はそれまでの自分自身の人生をもひっくり返す一大決心であり、それが出来る事は大したものだと思うのだが、当人の内面でのみ完結している事象が他人にとっては関係のないことであるのもまた事実である。スカーレットが手放した剣を拾い、襲いかかったクローディアスの振り上げた剣に、序盤から何度か出てきた巨大な竜(スカーレットを導く老婆であり、鳥の群れ)の発した雷が直撃する
棒状の物体を高く振り上げると雷を誘引する、というのはさほど科学に明るくなくともイメージのしやすい現象であり、この第一撃だけならば「復讐を捨て剣を捨てた事でスカーレットは難を逃れ、武器を振り上げたクローディアスは死んだ」という因果関係であり、物質的な現象としての因果応報としてある意味で分かりやすい。これで終わってしまうことも出来ただろう
が、竜は丸焦げになって動きを止めたクローディアスめがけて第二撃を放つ。この段になると明らかに剣を振り上げてたから雷を誘引どうこうといった小賢しい理屈の問題ではなく、あからさまにクローディアスを狙って雷が発されている。傲慢な者に対して明確な意思を持って放たれた上位者による「天の裁き」だ
敵を赦し、己を赦し、変化を受け入れ、悪しき連鎖を断つ。美しい理想だが相手までそう思ってくるれるかは別の問題だ、さぁどうする? という問いに対して、どんな小さなものであれスカーレット自身の選択の結果を見せてほしかった。「わるいことをしたらかみさまが天罰をくだしますよ」で解決するのならば何故あの世界の人々は、現実の人々は苦しむのか、何故スカーレットだけが救われたのか、そもそも序盤から老婆がハナクソを爆発させたりしてスカーレットだけにやたら親切なのはなんなのか
少なくとも自分はそこに何の納得感も見出すことが出来なかった。自分が努めて信仰を持たない事に拘る人間だからかもしれない
そのせいでその後の流れにも気持ちが乗らず、スカーレットが王座に就く流れは茶番めいて映った
以上が自分がこの映画をご都合主義だと感じてしまい、評価出来ない理由だ
良かったと思う点もある。既に言われているが絵作りは綺麗で、やや登場人物(主にスカーレット)の顔が安定しない点が目についたものの映像作品としては秀逸だし、躍動感のある殺陣のシーンはエンタメとしても楽しめるものだったと思う
批判の対象になりがち俳優陣による演技も「少女としてのスカーレット」が出ている場面に芦田愛菜氏の顔がチラつくぐらいで十分に鑑賞に耐えうるものだったように思う
聖が矢を構えるシーンがやたら大仰でやや笑ってしまうのだが、同じ「矢を放つ」という行為の結果が真逆であることを強調する場面であるから意図的なものであろう
評価しない、と言った立場で、とも思うが世間的に言われているほどひどいものだとは感じなかった
純粋にこの映画を楽しみたい、と思う方はIMAXでの鑑賞をおすすめする
多くの宗教が儀礼に合唱や諷経を取り入れているのは、音は力であるからである。音は空気の振動であり、まとまりのあるそれは物理的な効力を持って鑑賞者の精神を揺さぶる
ある程度音を強調した映画であれば、音響が良い環境で観るだけで随分印象が変わるだろう
以上、まとまりのない駄文にお付き合い頂きありがとうございました
以下、さらにどうでもいい駄文
正直なところ、渋谷ダンスの存在をノイズとして脇に退ければ「復讐疲れした少女スカーレットが生死の境を彷徨っている間に自分を納得させるために見た夢」と解釈したほうが自分には飲み込みやすい内容だった
老婆が彼女にだけ親切なのも、父を処刑した実行犯があまさずあの世界に居るのも、新しい生き方を提示する青年と恋に落ちるのも
全く聞き取れなかったはずの父のつぶやきが「ゆるせ」であったと敵から聞かされたにも関わらずほとんど抵抗無く受け入れ、最後には記憶の中の父すらそう叫んでいる事も
最後に登場した父の幻影が彼女にとっての思い出の象徴である破れた似顔絵に変わった事もとりあえず説明が付く
それはそれで「未来のミライ」を書いた細田脚本らしいなぁと思わなくもないものであった
SNSに惑わされず自分の目で確認しよう
細田守で観たいものと違った
この酷評の原因は「守の綺麗な映像にハッピーなファンタジーを求めすぎた私たち観客」と「現実味のあるそれぞれの地獄と戦い+叶わない理想と願いを描いた作品」とのギャップにあるのかなと思いました。
結論悪いのは私たちで変わってしまったのも守だけではなく私たち。
日本の長編アニメは常に駿と比較され続けファンタジーかつ誰も悲しくない、誰かの大切な人がちゃんと幸せになれるハッピーエンドを求められすぎているのが可哀想だなと思います。
それだけすごい人だったんや駿。鬼になって一生生きよう駿。
ストーリーは面白く楽しめたのでこの物語をもしも実写でやっていたら跳ねていたのかな山崎賢人使いましょう。
内容に関して何か言うとすれば死後の国の神(仙人?)と竜?どちらかでよかったような気がします。
こんなに細部までこだわって映像が美しく綺麗なのに、ここまで酷評されたら鬱になる私だったら。
だけど守はファンタジーでハッピーエンド!がウケる事、求められている事を分かった上であえてこれをやってる気がします。
守の着いて来れないやつは来なくていいですよ(笑)感が年々増してきている気もしなくもない。私は好きですそのスタンス。あと芦田愛菜の歌が上手い。
面白くないわけじゃない…
無理矢理渋谷を絡める意味
ハムレットに感化された監督が作った映画
つまらなくはないがハムレットに馴染みの薄い日本人には理解できないだろう
途中無理矢理渋谷を絡める意味がわからなかった
謎のミュージカルシーンもなぜ入れたか理解できない 広告代理店の意向か何かかと思うレベル
映像美や音の迫力をもってしても…
お世辞にも良作とは言えない。(注:作品が好きな人を否定する意図はありません)
あくまで個人的な感想だけど登場人物が描きたい絵を繋ぎ合わせるための舞台装置と化していて言動や考えに一貫性が無さすぎるように思う。それゆえ登場人物に微塵も共感できないままただただ物語が展開してそれっぽく終わったような印象だった。せっかく多額の予算をかけて作品を作るのなら、復讐とは!生と死!!とか大風呂敷広げなくても良いから登場人物の心情の変化を丁寧に描いて観客が自然に感情移入できる作品を作り上げて欲しいと切実に感じた。
あとあのダンスシーンを止める人は周りに誰もいなかったのか。周りがとめられないくらいに細田さんが頑固なのか。何はともあれ大事故にも程がある。劇場で見たときはあまりに面白すぎてしばらくニヤニヤを抑えることができなかった。作品を一生懸命作った人たちがいるんやぞと自分に言い聞かせても、もう本当に、どうしても抑えられなかった。
そういう感じで個人的には観るのをあまりお勧めはできませんが
気になるから観てみたいという方はダンスシーンに備えてマスク持参を推奨します
重いテーマへの挑戦
芦田愛菜は多才だね
酷評される程では無い
人生を改めるには・・・
「許す」というテーマの元、
魂(人生)の成長物語としてとらえました。
生も死も時もなく全てが同時に存在しているあの世のような世界。
スカーレットの意識がそこに接続されたのか、
そもそもスカーレットの中にある世界なのか、
スカーレットの中のお父さんが、
娘の成長のために用意してくれた
最高の試練の舞台なのかもしれないです。
そこで出会う人たちは善も悪も色々ありますが、
すべてはスカーレットの成長のために
用意された人たちだったんじゃないかと感じました。
その中でも聖(主観ですが名前からしても「許す」という意味の象徴)は、
その時のスカーレットの改心のために、
特に必要な存在だったのではないでしょうか。
いずれにせよ、一国の王女スカーレットが、
これまでの人生を見直し改め、国を発展させるには、
あのような体験が必要だったんだと思います。
多分これは予習が必要な作品
昨晩こちら2度目を観に行きました。他の方のコメントにもありましたが、余りにも不当に低く評価されている気がしてわざわざこれ書くためにアカウントを作りました。勿論自己満足のためですが共感してくれる人がいれば嬉しいです。
細田監督の作品は好きなものとそうでもないもの、自分は両方あります。ちなみに今作品は家族4人で観に行きましたが自分の家族には余り評判良くなかったですね。しかし一度目を観て大体は分かったと思いつつも喩えの全てを咀嚼しきれなかった気がしたので2度目を昨晩観に行きました。
2度目を鑑賞した結果、幾つかの点も腹落ちし、自分にとってはこれは間違いなく細田監督の作品の中では好きな部類に入るものだと言えます。少し不満な点はあるので満点ではないですが名作だと思います。
映像は色々言われていて、批判に共感できる部分もありつつも、幾つもの技法を凝らした本当に素晴らしい映像だと総じて思います。スカーレットはすごく魅力的だし芦田愛菜さん初め声優の皆様の演技は本当に素晴らしい。盤も買おうと思っていますが映画館の映像と音響で観るべきものなのでまだ行かれていない方は是非映画館でご覧になって下さい。
そして何故これほどこの作品がヴェネツィアではstanding ovationだったのに日本で低評価なのかをずっと考えていたのですが、この映画を良いものだと評価するためには幾つか要件があるのだということに思い至りました。
自分が思うに、それは以下の3点だと思います。
①ハムレットについての事前知識
②今の世界情勢への課題意識
③父親が娘に抱く愛情についての理解、共感
①ハムレットのあらすじを知らないとこの作品を面白いと思うことはできないかも知れません。彼の作品の世界観との比較、対比の構図が実に面白い部分なのでせめて劇のあらすじをWikiなりで事前調査してから鑑賞すべきです。でないと細田監督が何を改変したかが分からず、本当の意味で楽しめたとは言えない気がします。
そしてこの作品はすごく演劇っぽいと思います。なのでシェイクスピアを含め多少なりとも演劇を観たり興味をもった人の方が楽しめる作品だと思いました。その人口がこの国は少ないのだということをこの低評価は図らずも示している気がします。
②ここ数年間ウクライナやパレスチナで起きている殺戮と人の人への激しい暴力の連鎖への深い憂慮がこの作品の映像から強く伺われます。それを自分にある程度身近な課題と感じていないとこの作品には共感できないと思います。
とても青臭いメッセージかも知れませんが汝が敵を許し愛せよというメッセージをこの作品は非常にストレートに私たちに投げつけてきています。
でも低評価の方のレビューを見ると残念ながら伝わっていないのだと感じます。それはある程度注意深く世界中のニュースに目を凝らしていないと実感しづらい遠すぎる世界の出来事であるからなのでしょうね。
このメッセージはキリスト教的な宗教的な色彩を帯びていると解釈することもできますが、平和への渇望はより普遍的なものであるとも考えられ、ウクライナやパレスチナの現状を踏まえ、今この瞬間にメッセージとして伝えることに意義があるのです。「悪辣な王」は16世紀末の西洋のみならず今も存在するのだから。だからこそ根の国の住民は映像として不相応に西洋や中東色が強いのだと自分は推察しました。勿論わざとですよね細田監督。
他方、悪者には必ず罰が天より下されるのは日本的な宗教観乃至古代ギリシャ演劇の色彩が色濃く出ていますよね。ご都合主義と批判されていますが絶対者が罰を下し問題を解決するのはそこまで大仰な前提でなくとも様々なフィクションでも見られることです。でないとスーパーヒーロー、正義の味方のフィクションは存在しえないですよね。
とは言えこれまでの世界全体を味方にして敵を倒すという世界は一つみたいな民主的な細田作品の問題解決の見せ方(あれだってご都合主義と言えなくもないですが。僕はあれも好きです。)とは大分異なる問題解決のあり方なのも不評の原因の一つかも知れませんね。
(ところで彼の世界では八百万の神たる監理者が姿形を変えつつあの国で何が起きているかをある程度きめ細かく見ていて、それはクジラが祝福を与える細田監督のバーチャルワールドにも繋がるものがある気がしました。)
そして聖は現在の平和な日本そのものを象徴する人物で、愛されるべきだけど色々な意味で世の中が分かっていない世間知らずのお坊っちゃんです。彼の存在は実在の人物というより日本示す記号のようなものなので象徴的でアンリアルだと感じるのは当然です。
その記号たる彼も愛する女性の為には立ち上がらざるを得なくなります。
その結果、無垢なる彼が無に帰すことになるのはしかし暗示としては不吉なものがあり、そうならないような世の中にしたいというスカーレットの願いには切実な細田監督の願いが映されている自分は感じます。
日本の近海で同じようなことがもし起きた時にこの作品、細田監督の意図は再評価されるのかも知れませんね。他人事じゃないんですよ。
上記①と②がヴェネツィアではstanding ovationだったが日本では低評価の主な理由だと思います。
彼らはシェイクスピアに慣れ親しんでいるからストーリーの対比ができるしウクライナとパレスチナは彼らにとってはご近所です。ヴェネツィアとガザの距離は北海道と沖縄くらいの距離です。キエフで北海道と九州くらい。今この瞬間も近所で殺し合いが起きているのです。人とは…と問いたくなる気持ちが理解・共感できるのは当然なのです。
他にもオマージュは色々感じられたのでそういう意味では海外の方が本作は興業的に成功するかもしれませんね。
③ハムレット王子をスカーレット王女に変えたのは実にズルいと思いました。僕も娘がいますが母親からは娘を息子対比で溺愛しすぎだと良く叱られます。同じような気持ちが細田監督初め世の父親には大概あると推察されるので「娘は復讐の鬼などにはなってほしくない」、という部分には強く共感できます。親娘のやりとりの部分は少しウルッときました。
細田監督は自分の家族に対する想いやメッセージを映像にする監督なのでこの作品もそういうものだと理解しました。やっぱり私的な映画ですよねこれ。
他方、だから、大概はあそこまでじゃないにせよ、世の娘に嫉妬するガートルードには不評かもしれません。
しかしあそこまで実の娘に憎しみを向ける母親などいるのかというのは問いたいところではあります。そこはこれまでの細田監督らしからぬ母親の描写の仕方であり、ハムレットのガートルードとも違うと思ったので、誰かモデルがいるのかと聞きたいところではあります。
長々書きましたがまだご覧になっていない方はハムレットのあらすじを予習し、ウクライナとパレスチナガザ地区の現状をある程度把握してからご覧になることをお勧めしたいというのが言いたいことです。娘を持つ父親には刺さる作品です。そして自分の国を取り巻く環境、家族のことにも思いを馳せながら鑑賞してください。そうすればこの作品をあなたも素晴らしいと思うかも知れませんね。すぐ終わってしまいそうだし僕ももう一度観に行こうと思います!
ハリボテの血肉通わぬ虚構に虚無感
もったいない…
先週劇場で鑑賞。
細田作品は過去作にはなかなかのものもあったので、前評判は置いておいて観ようと思いました…
感想は…うーん。うーん。なんだ?
という感じで
時間が経つほどダメ出しが頭に浮かんできました。
映像もCGも良かったけれども、脚本、テーマ、キャラクター、構成、カットの繋ぎ
なとなど言葉にすればかなり酷い訳ですが、それを無理やり何とか仕立てた感じで
よくOK出たなとか思います。
テーマソングの曲が何かに似てるなー?とずっと考えていたんですが…
北の国からのサンババージョンありますよね?あれだと!
明るくて愛に溢れてでも泣ける歌?
にしたかったのでしょうけれどあまりにもお粗末な楽曲にガッカリ…
中世の少女が受け入れる音楽じゃないし、せめて日本の民謡とか民族色がある方が良かったしスカーレットが未来に行く時のエフェクトも無駄に長くて不自然でした。
時かけのような単純でも良いし、他のキャラクターの移動とか出現が雑すぎました。
前作の龍とそばかすの姫で評判だけで劇場に行って騙されたー!という観客がやはり今回の連休なのに入らないという結果になったと思います。
庵野さんのゴジラのような総力戦でやりきるものとは違って、脚本以外は総力戦でも肝心のものがどうにもならないと本当にもったいないです。
個人的に思うのはこの映画、3章くらいに分けて脚本家を複数入れて多少複雑でも全体はしっかり繋がってしかも深いというものはできたはず…テーマがハムレットといういちばん分かりやすくて難しいものでも
脚本も総力戦なら何とかなったはず。
もしこれが良作ならジブリを超える名声も世界的に得られたと思います。
本当にもったいない、手を抜いたら逆に地獄。
映画が地獄始まりなのは奇遇。
愛と赦しの物語:人間は憎しみと復讐の連鎖を断ち切ることができるのか?
舞台の始まりは16世紀末のデンマーク。叔父クローディアスの策略により父を殺された王女のスカーレットが復讐を遂げようとする。という設定だけでハムレットを下敷きにしたことが明白。(HamletとScarletも韻を踏んでいるし。)
しかし、ここからが独自の展開になる。復讐に失敗したスカーレットは、時空を超えて生と死が入り混じった「死者の国」で目を覚まし、そこで現代日本の看護師である聖(ひじり)と出会う。
弱き者たちから力の強い者が略奪し、それをさらに強い武力を持った者たちが奪い取っていく世の中で、人は人に対して猜疑心と不信感しか抱かない。スカーレットと聖は、様々な人種の弱き老若男女から成るキャラバンに遭遇するが、博愛主義者で非暴力的な平和主義者である聖によって人々の気持ちは次第に懐柔されていく(世界の多くの宗教が広がっていく過程で、教祖が「聖人」として認められる強力な手段の一つが、歩けなかった人が歩けるようになる、見えなかった人が見えるようになる等の奇跡的な「治癒」の逸話であることを思い出せば、彼が看護師であることの意味も自ずと分かってくる)。
そして迎える復讐のとき。スカーレットに起こる変化とは……。
どストレートにキリスト教的な愛と赦しの物語であり、分断と紛争に満ちた現代社会に向けた「人間は憎しみと復讐の連鎖を断ち切ることができるのか?」というメッセージを投げかけている作品だ。
「汝の敵を愛せ」と説くキリスト教の精神がよく表れている一説に、「山上の説教」から取られたマタイ福音書の「われらが人に赦すごとく、われらの罪を赦したまえ」(マタイ6・12)がある。例えば、天国への門の前でクローディアスと対峙するスカーレットの場面でこの一節を思い浮かべてみるといいだろう。
聖書なんて読んだことながないという人なら、多少仏教的な、芥川龍之介の『蜘蛛の糸』を思い出してみるのでもいいかも知れない。
為政者たちが憎悪と分断を煽り、世界各地で紛争が起きている現代だからこそ観るべき作品だと言える。
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