果てしなきスカーレットのレビュー・感想・評価
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何かというとあわあわするスカーレットを眺める作品
結局何が「果てしなき」スカーレットだったのか…?
いきなりデンマークとアムレットと来て
耳に毒を流し込んで殺してやりたいときたもんだから
これは形の違うハムレット…?と思ったけどそういうわけでもないようで
生きるべきか死ぬべきか~のお悩みは
考える時間がある時にやるべきもので
今まさに復讐を果たさんとすべき時に
ああーーー!!どうしよッ!どうしたらああーー!!
とかやるものじゃない
死んでるのかー死んでないのかーどっちなんだい!?
の聖も、あれだけ殺すな死なすな言ってた割には
あっさりと弓で射殺したり
当初スカーレットが死後の国に来ましたの際は
思念の強いやつじゃないと即虚無って消えます的な話だったはずなのに
あの女の子も「うおおお!!バッカーン!」みたいなアレを済ませたの?
キャラバンがあるってことは、ラクダも「うおおお!」
馬も「うおおおおお!」なの??
そして野営中に突然歌を聞かされて
はわわわはわわわわ…!となるスカーレット
ドクターストレンジ以来のトリップしてる?みたいな映像
突然謎の踊りを踊るくねくね聖とスカーレット
楽しい?ねえ、その未来?楽しい???
そして、争いを始めると襲ってくる竜は大龍神かな?
めっちゃ剣やらなんやらがぶっ刺さってるビジュアルはとてもカッコよかったんだけども
フランス映画のような
芦田愛菜ってしか
半端
同行二人の旅路の果てに
「プレスコ」「モーションキャプチャー」という制約の中で、細田監督は最大限頑張った作品だと思いたい(願望)
「プレスコ」「モーションキャプチャー」という制約の中で、細田監督は最大限頑張った作品だと思いたい。(願望)
でも、みんなが観たいと期待している細野監督の作品ではなかった。
原因は2つ。「プレスコ」「モーションキャプチャー」の制約のせいだと思いたい。
(細田監督の一ファンとしては何とか応援したいという願望)
(以下、完全な仮説です。)
今回の「プレスコ」採用はおそらく制作サイドから与えられた与件で、細田監督の本意でなかったのではないか。(アフレコ方式で超多忙な豪華俳優陣を収録ブースに全員スタンバイさせることはスケジュール的に困難)
また「プレスコ」採用に伴う製作スケジュールの制約により、結果として「モーションキャプチャー」を採用せざるを得ず、アニメ本来が持つ特有の楽しさや表現の力を発揮できなかったのではないか。
例えば、「スカーレットが10メートルジャンプして真下にいる敵を攻撃する」というような表現は通常のアニメーションではよくあるシーンである。むしろこうした非現実的な表現の力こそが「アニメだからできること」「アニメにしかできないこと」として観る側にリアルを超えた面白さや躍動感、感動を与える。しかしながら今回は「モーションキャプチャー」の採用により、「スカーレットが10メートルジャンプして真下にいる敵を攻撃する」ことはなかったし、格闘シーンひとつをとっても地面に足が着いた映像が続き、躍動感のない「単調」な表現、シーンの連続の印象が続く。
また、キャラクターの表情についても同様で、びっくりして「目が縦長にびよーんと伸びる」ことも「口が輪郭をはみ出すくらい横に伸びる」ことも通常のアニメーションではよくある表現であるが、制作スケジュールのせいで、こうしたアニメの最大の利点である非現実的な表情の力を制作できず、「単調」な表情が続くことになる。
脚本の好悪は分かれると思うし、鬼滅や呪術、チェーンソーマンといったアニメと比較すると当然面白くはないが全然ありだと思う。
でも、細田監督がこうした哲学的なテーマを扱うのは向いていない。
細田監督は宮崎監督にはなれないしなる必要もない。
みんなが観たいと期待している、細田監督が得意とする領域の作品を見せてほしい。
10年後に通常のアニメーション技法(「時をかける少女」のような表現のアニメ映像作成→アフレコ)を用いて、リメイク作品を細田監督自身にリベンジしてほしい。
細田守はどこへ向かうのか
公開日に金ローで『龍とそばかすの姫』やっていたからか、とてもスカーレットがそばかす姫にしか見えない
そばかす取ったらそばかす姫じゃん!
てか、前作のキャラの髪色そのままじゃいかんでしょ
今までの世界観を全て捨てにいったようなもの
突然歌い出すし、砂漠の真ん中で急にトリップして未来に行き出すし、そして現代では聖はダンスが上手いように描かれてて、死後の世界ではダンスがとても下手に描かれてる。
下手か上手かどっちかにした方がいいのでは?と思いました。
ベルリンの壁崩壊を彷彿させるような壊し方
、宗教絵画のような対立の仕方
とても薄いのに感激に無理やりさせようとする持っていき方
見果てぬ場所からは海が見えると言ってたのに、海の中に登場して、立っただけではまだ海面にたどり着かない水深だったのに歩いてもないのに浅瀬にたどり着いていた。
適当なのかなぁ〜と思ってしまいました
『おおかみこどもの雨と雪』とか『時かけ』とかの脚本家とは違うからこんな自分がやりたいようにした映画になったのかなぁ
虚無になる作品
SNSで本作に対する色々な意見をみて気になり鑑賞してきました。
主人公が迷い込む世界では死ぬと虚無になり存在が消えることになりますが、映画館があの世界でなくて良かったと思えるほど、観ていて虚無になりました。
酷評されるほどではないと思いましたが、全体的に納得感が無く、何を見せられているんだろう…?と思いながら観ていました。
特に踊ったり歌ったりするシーンが出てきた時には本当に戸惑いました。
歌自体は普通にいい曲だと思いましたが…。
観終わった後は消化不良な点も多く、あれは何だったのだろうと思いました。
父上、処刑される時に本当にそこまでの意味を込めて許せと言ったんか…?
あの世界と現実が本当にリンクしているのかが明確でないため、結局あの世界はスカーレットの夢でしかないとしか思いませんでした。
あの世界に父上を処刑した4人もいたため、おそらく死んでいるのだと思いますが、許せという言葉を現実で聞いたわけではなく、スカーレットが夢でそう思い込んでるだけなのではと思ったり。
手の傷を見せる描写が現実とのリンクを示唆しているのかもしれませんが、聖の時間軸の現実とあの世界の繋がりが表現されていれば、あの世界と現実の繋がりをより感じる事が出来たのではと思います。
現状だと、ただのスカーレットの夢オチ感が強くて、うーんという感じです。
スカーレットと聖の旅の内容としても、行動に一貫性が無いように感じました。それは旅の中で考え方が変わっているという解釈もできるので良いですが、いい加減学べよと思うような展開もあり、ツッコミどころは結構あると感じました。
シナリオ以前にいいとこなし
脚本がダメだと言う声をかなり聞きます。
脚本も意味不明で評価は全くできないですが、それ以外の箇所もいいとこ全くなかったです、、
気になった箇所
・心理的な描写の時にすべて声に出してキャラにわざわざ喋らせる
・世界観も意味不明(死後の世界の話と予告にまったくつかわなったマーケチームは英断
・キャラにまったく感情移入できず、好きになれない
・謎ミュージカル 謎歌
・EDも薄っぺらい、あんな内容のないセリフなら描かないほうがまだまし
バケモノの子以降絶望的なクオリティの作品ばかりでしたが、未来のミライを超えるワースト作品きました。
駄作の方向性がゲド戦記を思い出しましたが、ゲド戦記より展開に起伏がなく終始盛り上がらない分、本作のほうが苦痛でした。笑える箇所もなくただただ陰鬱
まともな声優さんなら多少はマシになったかもですが、そこも噛み合い悪かった(俳優さんとすれば上手い方だと思いました
時代を代表する監督が落ちぶれる様をみたい方は今後も観に行くのがいいかと思います。
スカーレットは芦田愛菜だぉ
いや、愛菜ちゃんが声優としてダメとかでなく、むしろ頑張ってるし。
岡田将生も演技派として名をなしているし、役所広司や市村正親、松重豊、柄本時生ら大御所を声優として配している。
あと、空や荒野、砂漠や海の画像は美しい。
で、それ以外に見る要素がないところが辛い。
そらねぇだろーっ、つーツッコミどころも随所にキラ星のごとく。別に褒めてねーっすけど。
弟に処刑されようとしてる国王が娘に「許してやれ」て言うのか?とか、父を殺した叔父がざんげしてるのを後ろから見て復讐を止めようとして逆に殺されそうになるとか、諸々人として甘すぎ。
現実世界に戻ったら国王に即位していた叔父貴が間違って毒薬を飲んで死んでたとか、どんだけマヌケやねん!
雷を落としスカーレットに利するように見える黒龍の正体も死後の世界の有り体も明かされぬまま終わるし。
てな具合でストーリーがスカスカなんですが、最後に国王に即位せんとするスカーレットが民衆のおばちゃんに「私達貧しいものを苦しめないと誓えるの?」なんて問われ、「違います」「なら私達貴女を支持しまーす!」なんて、16世紀のヨーロッパに民主主義はまだ生まれてないじゃん⁉︎って、思いっきりずっこけましたねー。
細田守監督は、サマーゲームでファンになったけど、前々作「未来のミライ」で、ン??と思ったけど、今回は完全にハズレでしょう。新海誠といい、アニメーター出身の監督はピーク後の劣化著しいのか。なぜこうなっちゃったの⁇
ハムレットの悲劇を止めるには?
戯曲『ハムレット』をベースにしつつ、
「どうすれば復讐の連鎖の末にある悲劇を防げるのか」
という問題に、細田守監督なりの答えを示した作品として受け取った。
復讐の連鎖を断ち切るのに必要なのは“相手をゆるすこと”——。
これだけ聞くとあまりにチープだが、本作はそこでは終っていない。
相手をゆるすというのは、相手の醜さだけでなく、自分が抱いた恨みや憎しみ、復讐心といった負の感情すべてを抱え込む行為であり、それは自己の崩壊にもつながりかねない危険なものだ、と描いている。
だからこそ、相手をゆるすためには、まず“恨みを持ってしまう自分”“愚かな選択をしてしまう自分”をゆるすことが重要だと触れている点は、とても良いと思った。
ただ、全体としていくつか気になるところもある。
最たるものは作中で「復讐が実際に連鎖している」ことがあまり読み取りにくかった点だ。
例えば、スカーレットの復讐が巡り巡って聖の悲劇につながる、といった因果が具体的に描かれていれば理解しやすかったし、思い切って聖を現代の看護師ではなくスカーレットの孫世代くらいに設定し、“復讐の連鎖が世代を超えて悲劇を生む”姿を描いても良かったのでは、とも思った。
個人的には、個人的には、駄作です。
本作を鑑賞して自分が真っ先に思ったのは「ヤッちまったナ」と言う感想。実際今の細田監督のセンスが理解できません。『バケモノ』はそこそこ観られたのに『くんちゃん』辺りから怪しくなり、今作は正真正銘『駄作』です。予告編からして何となく今風の『ポリコレ』感までもあって、嫌な予感は充分してましたが。。。
実は自分の感想も、批判意見を評してる方々とほぼ同じなのですが‥‥
まずアニメ映画として『観せ方(魅せ方)』が非常にマズいと言うか下手と言うか。テーマや設定を物語で綴るのではなく、キャラクターに説明セリフで喋らせたり、結論だけを表現して過程や状況を綿密に編み込んでなかったり(トートツなシーンの数々)。
状況や雰囲気を大雑把に絵にし、その細部や言いたい事は説明セリフを乗せる、何と言うか経験不足で引き出しの少ない新人監督の様な仕上がり。そのセリフの端々も理想と正論をひたすらブツケてるだけで『監督の説教』みたいで、いくら言っている事が正しくても、これじゃ共感どころかストレスです。
また、作画クオリティも安定していなくて、手書き風ビジュアルCGと機械的CG作画のイメージが合ってなかったり、解像度が低いノペーっとしたカットも散見されるなど、画面全体の統一感がありません。スカーレットだけキャラデザのバランスが変だったり、演説シーンで群衆がまるで『砂粒』みたいに大量に描かれていてスケール感が狂っていたりと、画面作りのおかしな点が随所に見られました。
肝心の作話もかなり雑に思えました。『生きることの意味』という深いテーマがある筈でしたが、結末があまりにもご都合的な無責任状態に。それは目指していた復讐相手が、全然知らない誰かの手でによってヤッツケられていて、結果的にスカーレットは自分の手は汚れず、結果オーライとでも言わんばかりの終演。あまりにもご都合が過ぎてガッカリです。これまで綴った物語は何だったのかと言わんばかりに、呆気なく閉じられてシラケた終わり方でした。
更には、細かい設定の謎。舞台は北欧なのに急に「アロハダンス」が始まったり、死者の国においてはナゼか一人だけ現代の日本人が混ざっていたり。「龍」や「見果てぬ場所」なども、それが何を意味するのか解らないまま、解答を示さず何となく雰囲気で誤魔化されて終わってしまいます。結局キャラクター達が単なる『駒』にしか見えません。
それもこれも、細田監督が国内外で高く評価された『名監督』として持ち上げ過ぎたせいかも? 周りのスタッフも褒め持ち上げるばかりで、誰もNOを言わないのでは? その結果客観視点がなくなり、監督の独りよがりな趣味や主張だけが膨らんでしまった気がします。ソッチの方が悪い意味で果てしなくて、本作のスカーレットの何が果てしないのか‥‥
観客が求めているエンタメとしての面白さを創造する事なく「考えるな、感じろ!」と押し付けるのは、さすがに作家性という言葉では置き換えられないかと。でなければ、日テレの強い横槍・干渉があったのかも?知れません。
特に『中の人』は今回も最悪。てか現職の宮野・津田・古川各氏がモブとかどうにも理解しがたい配役に、その力関係を勘ぐるのも容易いですし。オールドメディアもこんな所でも要らん事してくれてるとか‥‥
もしテレビ局やメディアが、本気でポスト宮崎駿として細田監督を据えようとしてるならチョッとヤバそうな気がします。その辺は制作首脳陣と力関係にあるぶら下がりの界隈もシッカリ現実を直視しないと、今後の日本アニメの沽券に関わると思うのですが‥‥
末筆ですが『愛を知りたい』のキャッチコピーは『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』の方が遥かに相応しいです。
応報刑の是非とニーチェの超人思想
面白かった。 唐突にみえる演出も多かったが、ミュージカルシーンの意図も伝わり共感した。
また3DCGの新たな可能性を探るようなルックのアニメーションには心底凄みを感じ感動した。
私は映画に監督や作品との対話、価値観のすり合わせ的なものを求めているタイプの人間だ。
その為「細田守はそう考えるのか」と本作を楽しめた
許しや応報刑の是非などの問題を日頃から考えるタイプの人間としては目新しさこそなくとも答えが出せない問題に対して監督なりの一つの答えがきけて誠意を感じたのだ。
また、本作ではニーチェの言うところの永劫回帰や積極的、消極的ニヒリズムといった哲学的な問題に踏み込みその上で主人公に積極的ニヒリズムを選択させたと私は受け取ったので作品により深みや凄みを感じた
私の特性として映画にアトラクション性より凄みとか思想とかメッセージ性を求めるというものがある。
私がそれを求めるのと同様に大衆が映画に求めるものもまた多様だ。当然、本作がハマらない人がいるのも理解できる。
色々な人がいて多様な背景と可能性がある。他者を許せない人も許せる人もいる。ミュージカルシーンで多種多様な人種を描いたのはそういった事を表現したかったのだと思う。
ただ、許せない自分も許してしまう自分も許そう。許してしまっては折り合いがつかないこともあるけれど生きよう。そこからが始まりだというメッセージを感じた。
確かに問題点はいくつもあった。
ストーリーから外れた抽象表現に移り変わる「繋ぎ」の欠如。
エンターテイメント性が希薄で観る人のコンディションによっては説教的に感じる。
哲学、思想といった要素をエンターテイメントや大衆芸能に昇華できずそのまま作品に投影してしまっている為、受動的な鑑賞スタイルに耐えない。
画面は本当に凄いけれどメリハリなく凄すぎるが故に「凄すぎて凄いのが分からない現象」が起こっている
目新しさはなく「普遍的問題を映画で表現した」以上の意味を感じず顧客に新たな価値観を提供できていない。
と、いったところだろうか…
しかし私は本作のこうした欠点にすらある計算された狙いを感じた。
それは観客に【現実の復讐をさせない】ことだ。
この言葉は「エヴァンゲリオン」から引用したものであるが、敢えて言葉を濁さず言ってしまうと昨今の情勢や時代が映画に求めているものは「憂さ晴らし」や「現実の埋め合わせ」だと私は思う。
つまり「悪を倒せ」「正しさとは?そんなこと知らねぇよ」の代弁者としての映画が求められているという事だ
本作はそうした明快で手軽なカルチャーへのカウンターとして徹底的に「復讐の代弁者」になることを避け難解で起伏がなく脈絡のない問題が降り注ぐ美しいリアルな現実をそのままフィルムに投影しているのだ。
本作の感想とし「退屈で虚無を感じる」というものが散見される。
当然だ。なぜなら現実は退屈だからだ。
そしてその復讐は本作でついに果たされなかった
では本作は我々に何をもたらしたのだろうか?
それは「超人思想」だ。
少し説明させてもらう。
まず本作には様々な暗喩表現が散りばめらている
時も場所も混ざり虚無になる場所=「映画館」
復讐=「映画館での現実の復讐」
見果てぬ場所=見終わらない=「現実」
ざっとこんなところだろう。
哲学者ニーチェ曰く「虚無」とは神が死んだあとに訪れる既存価値観の崩壊であり「虚無」を受け入れ無意味な現実を生き新たな価値を創造する者こそが超人だそうだ
これを超人思想という。
この思想は本作とも合致する。
復讐に囚われ執着していたスカーレットは父の「赦せ」という言葉により価値観が崩壊し虚無を感じてしまう。
しかし聖の優しさや人の温もり、多様な可能性に触れて「争いのない世界を創ろう」という新たな価値を創造し見果てぬ現実に戻っていくのだ。
そう、つまり本作は観客とスカーレットの両者に虚無からの脱出、復讐からの開放の試練を与えた多重構造映画なのである。
最後に、
様々な重圧を背負った上でこのような作劇を世の中に提示し、更には映像表現の面でも新たな価値観を創造した細田守監督の「神殺し」に最大限の賛辞を送りたい。
死者の世界の話だが...最後は...
「生きる意味」とか、いかにも青臭い、面倒そうなテーマを扱った映画。ストーリーを端的に言ってしまうと、主人公であるスカーレットは父王を殺した叔父に復讐するために人生を捧げてきたが、結局のところ、父王は「復讐などではなく、娘自身がやりたいことをやる人生を望んでいた」というお話。
面白くなかったとまでは言いませんが、死者の世界よりも現実世界を重視したような作り方をした方が良かったような気もします。いっそ死者の世界ではなく、現実世界をスカーレットが旅しながら成長して戻ってくる...という素直なヒロイックファンタジーで良かったのではないかなあ。
絵もきれいだし俳優さんも豪華なんだけれど、エンタメとしてはちょっとしんどいです。
★追記
この映画の弱点は、絵による語りの弱さだと思います。「生きる意味」「赦すこと」、そういうこの映画の主張を言葉にすると薄っぺらく感じてしまいます。もっと説得力のあるシーン、はっとするシーン、絵の力で見せてもらいたかったですね。
美しい作品
巷では散々叩かれて爆死とまで言われてますね。
観るのを迷いましたが、観て良かったと。
映像の美しさと、迫力のある動きは必見ですね。
特に冒頭に出て来るドラゴンは迫力があります。(ドラゴンではないようですが)
現代人の救命士の主義を中世のお姫様が受け入れる訳がないと叩いている人も居られますが、描かれてる世界は死者の世界とも言われ色んな時代と場所から人が集まってるようなところなので魂で通じてると私は理解しました(笑)
ハムレットが下地になってると聞きましたが、やはり期待していた人には脚本が稚拙過ぎと映ってしまうのでしょうかね。
しかし人間の普遍的なテーマ、愛、欲望、死を分かり易く説いた作品だと思います。(宗教的ではある)
最近、映画comの都合なのか接続していたアプリのせいか、アカウトと一年分くらいのレビューが消えてしまいましたね。
自分は好きです。
酷評される理由も解るのですが…、、
先ず、酷評されてらっしゃる皆様が仰る通り我々世代が期待していた細田守の世界観。正確に言えば、細田守と他の監督とのコラボの世界観とは大きくかけ離れており、正直失望されてもしょうがないとは思います。
然し、一つのお話として見ると終わり方も潔かったと思いますし、恐らくこの作品の伝えたい事、戦争及び争いの愚かさ というものもストレートとは言えませんが、作品全体を通して伝えられていたのでは無いかなと思いました。
賛否両論の途中のダンスシーン、劇中歌を入れたかったから無理矢理だったのでは?と言われれば、そう捉えられないことも無いですが、個人的には、昔の王族同士の権力闘争に巻き込まれ苦しませられた挙句、亡くなってしまうという重々しい事情を抱えたスカーレットが、現代の平和自由の象徴であるダンスを聖君から学という大それたフィクションから、もしもの未来を想像させる事が可能という創作ならではの良い点を駆使していた斬新で良いシーンなのでは無いかと思いました。
結論、見る人によって評価は変わるというところになってしまいますが、酷い作品と思って見に行かないという選択肢を取るには少し惜しいと思いますので、話題性も乗じて気になっている方は見に行ってみてみるのも全然オススメできますよ。
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