果てしなきスカーレットのレビュー・感想・評価
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どデカイドラゴンが大迫力の映像で味わえます。
結局あのどデカイドラゴンはなんだったのか?色んな武器がぶっ刺さりながら大空を飛んでいるのはナゾです。
ドラゴンの描写も書き込み量が細かく迫力もあったし、雷を落とすシーンも残虐で、シンプルに凄い迫力だわと思った。
ストーリーはハムレットをダイジェストで知っていれば問題ないです。
最後にスカーレットが歌い出したけど、劇中に何度も流れた歌ではないのは ????ってなりましたね。
芦田愛菜の演技と歌は凄い上手いと思ったけど、スカーレットのビジュアルから想像できる声ではなく、もう少し大人びた声が良かったなと思います。
困りました
私は細田守さんの作品には
超絶期待をしてしまいます。
「時をかける少女」
「サマーウォーズ」
めちゃめちゃ魅了されました
今だって何度とまた観ようと思えるほど好きです
でもその後くらいから?
作品はなんか凄いんだけどなんかしっくりきてません
本作もそうです
私のレベルが不足してます、作品受けきれません
最近受けきれない作品多いな、、
と自分の感覚に危機も感じてます
困りました
「果てしなきスカーレット」
これどういう映画なんでしょう?
ラストにも台詞としてしっかり出てたので
「生や死、愛」がテーマという映画でOKです?
展開?流れ?キャラクター?
作品の抑揚?強弱?とにかく場面場面に
私はピントを合わせることができず置いてけぼりです
もしかして徹頭徹尾、抽象絵画(映画か)でしたか?
そう言われたほうがまだ救いです。
そう。もはやテーマすら違うんじゃね?
と、自分の感覚を怪しむレベルです。
ところどころに現れる超絶アニメーションの凄さには
文句なしに圧倒されましたけど、
ガイドラインなしで観るには厳しいです。
どなたか解説してくれません?
映画代は払います。
あと残念ながら
超個人的な理由でバランス崩壊ポイントがありました
それは芦田愛菜さん、、
嫌いとか言う話ではないんですが
小役時代の大活躍をテレビで
しっかりみてしまったからか
そしてそこから今ほどに成長し
活躍している姿もおなじくみてしまっているからか
彼女がスカーレットが言葉を発するたびに
脳内で実写版の芦田愛菜さんが再生されます
私だけが異常者でしょうか?
正直映画どころではないレベルです。
「(小役時代の)がんばって演じている」
というイメージが私にはどうしても抜けないのです。
そんな超個人的な問題なのでも困りました
でも、それほど芦田愛菜さんの
存在感の強さってありませんか?
きっと共感してくれる方はいるはずです。
スカーレットに感情移入できませんよね?
ふぅ、、
天才力が加速し続けている細田守さんに
ここんところ私はついていけてないようです。
どうしよう。
もう一回みたらもう少し感想変わるかなぁ、、
もしかして・・・舞台化ありきの映画?
限られた登場人物。3DCGなのに奥行きのない世界。
わかりやすすぎる説明台詞に突然始まるミュージカル演出!
そして・・・ベースがハムレットと来たら
劇団四季、舞台版「果てしなきスカーレット」。
これ企画進行中でしょ!
そう思うくらいに演劇的に見えた。苦笑
影の描写を無くし平面化する事で予算と手間を削減という細田監督独自の表現を手放したのは何故なんだろう?
予算・時間・効率>表現 を優先した結果?
結局、この作品の中でも良く見えたのは2D作画部分だった。
普通に考えると58歳のオッサンが青空と制服のアオハル作品を作り続けるなんて「仕事とは言え」無理がある。
監督だって加齢からは逃れられない。
観客との間に乖離が生まれるのは当然だし、歴史モノに手を出した事に意外性はなかった。
「結局・・・生活が満たされて、言いたい事なんてないんだろうなぁ・・・」
と、この状態で修正も加えられず公開されてしまった細田王国の偽りの平和を憂う。
*憲法9条を盾に紛争地帯で平和維持活動をする日本人の聖。祖国を奪われたとロシアに復讐を誓うスカーレット。小競り合いが起きるとドラゴンと言う名のアメリカが「やめんかい!」と脅しの空爆をする。
↑要はこれなんでしょ。
ミュージカル部分の「祝祭の歌」。
あれを聞くと脳内でオリジナルラブの「月の裏で会いましょう」が再生されます。
エンディングは「TIME TO SAY GOODBYE」。
マジか。
『はたらく細胞』と『俺ではない炎上』で「劣化した」とか思ってごめんなさい。貴女なら声と歌だけでも充分活躍できます。もし『風の谷のナウシカ』がリメイクされたら、ナウシカは是非貴女に演じていただきたい、芦田愛菜様。
果てしなきスカーレット感想
細田監督の作品は今まで酷評されている作品も、部分的にひっかかるところもありつつも面白く観てこれたので、「酷評言っても、そこまでではないんだろうな」と公開されて4日目で観てきました。
単純に途中で眠気と戦うぐらいには面白くなかったです。
今回、扱っている内容に対して物語の舞台が大きすぎるのもつまらなさの原因なのかも。
変にどこかの西洋の一国の姫の物語にしないで、素直に現代日本の社長令嬢の復讐劇にでもすればすんなり楽しめたのかも。
出てくるモブおじちゃんやおばちゃんも日本の田舎あたりにいそうだし、
そうすれば現代日本から現れた聖の存在も入ってきやすい。
いろいろ粗が見えど、今までの細田作品は日本という舞台で日本人が受け入れやすかった。
今回は異国の姫という共感のしどころがない接点のない他人が主人公なのが今回の「面白くない」の最大の原因かな。
もやっと
美女と野獣の次はハムレットですか。
伝えたいことも、やりたいことも分かる内容でしたが、なんかいろいろ中途半端…。
復讐に固執するまてまの描写が弱い。
煉獄世界の設定も微妙。死者か生活を営んでいるんか?
あのドラゴンは結局なんなのよ。
聖だけが現代人。
突然の脈絡もない現代ダンス。
手抜きとも取られない味気のない未来の渋谷。
急に悟る聖。
最も違和感を感じたのは、最後のスカーレットの歌。あれは聖ソングにしないと…。スカーレットと聖の出会いと別れが、なんかラストのあの歌ですべてかき消された感じがして、エンディングの余韻が疑問符で吹っ飛びました。
CGの映像なんかは、挑戦的でまあ良かったんですけどね。
全体的にきれいにまとまってはいるけど、それ以上でも以下でもない作品。惜しいなあ。
映画館で観て良かった!
こちらのレビューでは酷評が多いので正直観に行くか前日まで迷っていましたが、結論としては観に行って良かった、涙するほど感動しました。
まず、私の細田作品で一番のお気に入りは『竜とそばかすの姫』で『サマーウォーズ』はあまりピンと来なかった、ここにレビューを書かれている方々からすれば『変わり者』になります。そのことを御承知おきいただいてから読んでいただければ。
御都合主義の舞台設定とストーリー展開、と非難される方がいますが私はほとんど気になりませんでした。どちらかと言えばそのためのアニメではないのか?と疑問を感じます。
舞台設定と言えば鬼滅からになるのかもしれませんがテレビ放映の続きや別のエピソードを劇場公開することが当たり前になっていることを危惧しています。事前に原作やテレビシリーズを観ていることを前提に何の説明もなくストーリーを進めている映画を観ると『付き合いだけで観に来てる人は理解できてるのか?』と勝手に心配になる性格です。
劇場公開にしたほうが利益が増えて、アニメーターや現場で頑張っている人たちに利益が還元されているなら私が文句を言う筋合いではないのですが…
登場キャラの掘り下げが浅いという指摘も2時間未満の中ではあれが精一杯かと思います。まぁ指摘する人ってキャラ説明の描写を増やしたところで『要らない』とか文句言うんでしょうけど…
神出鬼没な巨大な竜もどういう条件で出てきて何を狙ってカミナリを落としているのか、いまひとつ分からないから恐怖感も増すのだと思います。
細田監督は現実社会と仮想世界との間に同時進行で関連し合いながらドラマ展開していく、という過去の良いお手本が存在しない非常に難易度の高いことに挑戦し続けている稀有なクリエイターです。
本作品は今のところ商業的に苦戦しているとのことですが、監督が気持ち良く次の挑戦に取り組めることができるようにもっと多くの人に映画館へ観に行ってほしいと思います。
そして多くの人が凡人代表の私のように感動できるはずです。
最後のアリアは好印象
賛否の多い作品になり迷ったが
なるほど、と思いながら鑑賞した。
予算のある映画らしく豪華な声優の面々
声に関してはストレスなく過ごせた印象
作画は美しく素敵に思う反面、動くと難あり
アニメなのに動くと…は本末転倒でしょうが
特に3Dになった時の表現は、ふた昔前のCG風
背景がリアルなため人物が妙に浮いてしまう。
背景はいいと思う
だから動くとダメ
静止画なら…秀逸
中世の作家の原作を取り上げた作品。
混乱した時代の物語として違和感は無い
無いが、あの青年の意味はー、と考えていた。
場所と存在の意味をわかっていない綺麗な青年、
途中もしかしたら、終盤やっぱり、と解決
2つ3つの接点の為に青年は必要だったのだろう。
人物は薄く、物語は濃い
未来へ繋げる神話なのか
途中の踊りのシーンは理解できるし、それも良い。
時々、聞いたことのある台詞が出てくるのは「?」
個人的に全面に出るドラム音は場を乱した印象
脚本、物語上、都合のいい場面に関しては無視した。
登場人物の選択、作画、創造した世界
新しい表現は無いけど素晴らしいと思う。
特定の監督作品で無いと思えば秀作。
最後のオペラ風のアリアは凄く好き
楽器で誤魔化せない、普通は歌えない
声楽家ではない人の異例の努力
さすが才女と思う部分だった。
※
作者の手には余ったテーマだったのか?
自分以外は一人というほぼ貸し切り状態で見ました。平日の午後とはいえちょっと少ないですね。
映像や音は映画らしくゴージャス。CG作画も気にならないし、アクションシーンではその特徴がよく生かされていると思いました。
懸念だった主役二人の演技は思ったよりもずいぶんマシ。芦田さん演ずるスカーレットの、予告編における弱々しい声で印象の悪かった「復讐を…果たさなければ」は地面に倒されて苦しい状態で言った言葉なので、演技としてはむしろ正しい。それ以外の場面でも本職の声優に比べれば発声に不安定さはありますが、感情の乗らない棒演技ではまったくないので、及第点といえるでしょう。
問題はやはりシナリオだと思います。人生や愛といったかなり大きく根本的なテーマに対しての結論が弱いんですね。悪役の叔父王は最後まで悪いままで主人公との和解も何もないし、倒すのは本人じゃないし、何かを成したり成長したりということもない。途中の歌でも出てくるテーマの連呼が観念的なプレゼンテーションにしかなっていません。最後の場面で女王となった主人公の演説に説得力がないのもそのためです。
そういったおとぎ話のような結末でしめるのであれば、16世紀のデンマークという現代と地続きの世界ではなく、架空の世界にするべきだったのではないかと思います。
死者の世界が現実とあまり変わらないのも混乱します。普通に食事したり楽器を弾いたり、あるいは武器で戦ったりしていますが、それらのものや食べ物はどこから得ているんでしょうか。死んでから来る世界なのに、叔父王や王の取り巻きまでが来ているのも変ですね。ここまで差がないのであれば、単に文明の届かない辺境の地にでもした方がよかった気はします。あと、言葉の壁がないというか最初から自動通訳のように意思が通じていたのに、フラダンスの場面だけ急に外国語になっているのはどういう理屈なのかと。
というわけで、粗を探せばいくらでもある不出来な作品なのは確かですが、ここまで客の入りが悪いのは不思議ではあります。前評判の微妙さと公開直後の不評のダブルパンチなのかなあ?
酷評を信じてはいけない、これは細田監督の最高傑作だ
正直に言います。映画館に行く直前まで、私は迷っていました。
ネットを開けば目に入ってくるのは「意味がわからない」「期待外れ」といった酷評の嵐。SNSでも否定的な意見が目立ち、正直なところ「今回はハズレなのかな……」と、期待値ゼロで席に着きました。
しかし、エンドロールが流れる頃、私は涙でスクリーンが滲んで見えなくなっていました。
**すごいものを観た。**
ただその一言に尽きます。ネットの評判なんて当てにならない。いや、むしろこの作品の真価は、表面的なストーリーを追うだけでは見えてこない深淵にあるのかもしれません。断言します。これは、細田守監督の過去一番の名作です。
**日本人には難解だった?メタファーの正体**
なぜこれほど評価が割れているのか。鑑賞中、その理由がなんとなく分かった気がしました。この映画は、極めて抽象的な「メタファー(暗喩)」で構築されているからです。
劇中で圧倒的な存在感を放つ「龍」や、物語の鍵となる「火山」。これらは単なるファンタジーのギミックではありません。あれは明らかに**「天災」のメタファー**です。
私たち日本人は、震災や台風といった逃れられない自然の猛威と隣り合わせで生きています。龍が暴れ、火山が火を噴くとき、それは理不尽に奪われる日常や命そのものを象徴しています。一見すると唐突に見える演出も、メタファーの全てに意味があり、一つとして無駄なシーンはありませんでした。
**「私たちみたいな子どもが死なない世界にする」**
主人公が叫ぶこの言葉。これが本作の核です。
天災という抗えない力によって、未来ある子供たちが犠牲になる悲しみ。その理不尽さに対して、人間はどう向き合うべきなのか。監督はファンタジーというオブラートに包みながらも、現代社会が抱える最も重いテーマを私たちに突きつけてきます。
**時を超えた、魂のラブストーリー**
そして、この物語は壮大なラブストーリーでもあります。しかし、それは単なる男女の恋愛ではありません。時を超え、生死の境界さえも超えて繋がる、魂の結びつきです。
劇中で語られるメッセージが胸に刺さります。
**「憎しみに囚われるより、君の人生を大切に生きて。自分らしく、のびのび輝いてほしい」**
愛する人を失った時、残された者はどう生きるべきか。悲しみや憎しみに心を支配されるのではなく、その分まで「自分らしく輝く」ことこそが、逝ってしまった人への最大の愛なのではないか。そう問いかけられているようでした。
**生も死も交わりあう、今までに見たことのない「別れ」**
この映画の世界観は独特です。「生」と「死」が断絶されたものではなく、グラデーションのように交わり合っています。
特にクライマックス。あんなにも美しい別れのシーンを、私は今まで観たことがありません。悲しいはずなのに、どこか温かく、光に満ちている。それは「死ぬとは何か」「生きるとは何か」という根源的な問いに対する、監督なりの一つの答えなのかもしれません。
**人間とは、愛とは**
『果てしなきスカーレット』は、単なるエンターテインメント作品の枠を超えています。
* 人間とは何か。
* 死ぬとはどういうことか。
* 生きるとはどういうことか。
* そして、愛とは何か。
哲学的な問いを、圧倒的な映像美と音楽に乗せて浴びせられる2時間。観終わった後、世界が少しだけ違って見える。そんな映画体験でした。
もし、ネットの評価を見て迷っている人がいたら、どうか自分の目で確かめてほしい。そこには、あなたの心を揺さぶる「真実」が隠されているはずです。
そんなに駄目かな?
酷評が多いですが、私的には久しぶりに泣ける映画でした
レビューが悪かったので少し観に行くのを躊躇したのだけれど、時間の関係で観に行く事になった。
結果、素晴らしい作品に涙した。
前半は死後の世界がこんな?と驚いたけれど、段々と理解して行った。このスカーレットの魂には必要な事だったと。
何故レビューが悪かったのか分からなかったが、一緒に行った友人がこの作品がスピリチュアルだから理解できないのでは?と言われて、やっと分かった。
前の席の大学生らしい二人組は、終わって直ぐに「ゴミだ」と言っていた。
何だかなぁと思ったが仕方ないよね、今の若者たちのようにコスパだポイ活だと物理的にのみ生きている人たちには理解できない事なのかもと。
「許す」と言うテーマはスピ系的には大学院程の学びだから、それをアニメで表現すると観ている人たちの感性にかかっているから、理解できる人と理解できない人たちがいても仕方ないのかも・・。
細田守監督の作品に、これからも注目していきたいです。
エンドロールが良かった
確かにこれはモヤモヤするなぁw 細田作品はずっと追っているんで迷わ...
何を見させられたんだ…、俺は。。
正直に言います。
全然面白くなかったです。
クソ映画とまでは言いません。
でも、全体的に滑ってました。
ノレませんでした。
細田監督がやりたい事、言いたい事は分かる。
けども、思いとは真逆に脚本も演出も追いついていない。
だからどのシーンも感情移入できないし。
それどころか見てるこっちが恥ずかしくなるからい、痛い描写になってしまっている。
これが見ていて本当にしんどかった。
真面目に見てるのに失笑せずにはいられないシーンの連発。
なのにスクリーンの向こうのキャラクター達は大真面目という。
なんとも歪で居心地の悪い体験をしました。
背景美術
重量感のある戦闘シーン
死者の国のダークな描写
良いところもあるにはあります
炭化した死体描写とか、これまでの細田作品では考えられないような残酷描写もありました
けど、それをもってしてもどうにも抗えないくらい粗が多すぎる。
というか多すぎるよ細田さん。
これは擁護できない。
まずみんな言ってるけど、やっぱりストーリーがおかしい
煉獄に落ちた姫君が現代日本の男子に絆されて復讐劇をやめるって
それ、誰も共感できないよ
理想論としては分かるけど、理想論を理想論のままで語られても薄っぺらでしかない
特に各国の緊張感が高まっている現在において、これは飲み込みにくいし飲み込みたくもない
復讐をやめ剣を置いた所で争いの連鎖はなくならない
まして乱世の中世ヨーロッパじゃ一方的に侵略されるだけでしょと
そう思わずにはいられない
次に映像面
3DCGと2D作画が一緒に映る場面のチグハグさが尋常じゃなく、ビジュアル的な統一感がまるでない
噂のダンスシーン
どう考えても唐突でおかしい
なんなんだあのハワイアンダンス
渋谷でのミュージカル
展開としても歪だし、映像のクオリティも残念すぎてもうどう捉えて良いかわからなかった
超絶クオリティ作画&最高の音楽だったら、バーフバリやララランドにもなり得たかもしれない
でも明らかにどちらの要素も力不足なので失笑せずにはいられません
他にも色々書きたいことはありますがこれくらいにしておきます
どうしてこうなったんだ細田監督
脚本家の不在だけではここまで酷い作品にはならないと思う
何か他にも原因があるはずだ
どうにか全盛期のクオリティを取り戻してほしいものだが、それはもう夢のまた夢なのかもしれない。
リアリティなきファンタジー
11月22日に映画館にて鑑賞。
すみません、とても長くなります。
ことさら作品を腐すわけでなく、さりとて持ち上げるでもなく。
感じたありのままを一生懸命レビューします。
シェイクスピアの悲劇「ハムレット」をモチーフとしつつ、「過去にとらわれず未来に向かうために誰かを、何かを許せるか」という青臭くも普遍的なテーマを取り扱った本作は、エンドロールが終わり館内に照明がついた後の私に多くの疑問を残した。
①序盤の布石が弱くないか?
この物語の肝の1つである「復讐心からの解放と許し」というテーマを存分に表現し切るには、スカーレットと生前のアムレット王との絆がどれほど強かったのか、クローディアスがどれだけ卑劣な手段でアムレット王を陥れたのかを丁寧に描く必要があった。そうでないとスカーレットのクローディアスに対する強い復讐心が観客側に共感されにくく、最後に復讐の執着から解き放たれるカタルシスが弱くなるからだ。
しかし、それら重要な序盤の布石はどれもダイジェスト的な見せ方に終始。例えばスカーレットとアムレット王の絆は、似顔絵を片手にキャッキャウフフという極めて記号的でテンプレート感の強い描かれ方しかされていない。
また、クローディアスは隣国との協調路線を打ち出すアムレット王に公然と反発するものの、その激しい反発心の背景が掘り下げられることはなく、イマイチ伝わってこない。さらには、クローディアスがどれだけ卑劣な奸計でもってアム王を反逆者に仕立て上げ処刑台に送り込んだのかも明らかにされない。単にアムレット王の説明的な台詞の中で「クローディアスが自分を反逆者に仕立てあげた」ということが語られるのみだ。
これでは、スカーレットがクローディアスに対して抱く憎悪と復讐心の強さを共感しにくい。脚本家:細田守の中では「ハムレットをモチーフにしているのだから、主人公が叔父に復讐を誓うまでは当然の前提条件」という理屈なのかもしれないが、登場人物の描写があまりにも淡泊過ぎたせいで、最後まで私はこの世界の人物に没入することができなかった
②「設定のための設定」でしかない世界
この物語のメインの舞台となる「死者の国」が出てきてから最後まで、私にはその場所が何なのか一向に腑に落ちなかったために、最後までずっと首を傾げてしまった。
死者の国では砂漠と荒野と廃墟が果てしなく続いているような描写があり、スカーレットには疲れや喉の渇きといった感覚はあるようだが、飢えに苦しむような様子はなく、憎き仇を探して不毛の荒野をさまよい歩くシーンが続く。これを観ながら私は「なるほど死者の国だから、飢えるということはないのか。きっと、強い未練を残してこの世を去った魂が、永久に果たせないであろう何らかの目的のために、未来永劫さまよい続けるような世界なのだろうか」などと自分なりに納得していたら、やがて日本人看護師:聖と出会ったスカーレットは、供連れの旅の途中で、様々な麻袋を馬に積んだキャラバンの隊列に行き合う。そしてキャラバンの集落に身を寄せる場面になったところで私の頭は完全に「?」に支配されてしまった。
このシーンの描写から、死者の国でも取引が行われており、食事をするという行為があることがわかる。ならば、それらを調達するため穀物や植物を育て収穫したり、動物を飼育したりといった、まさしく生きるための営みがあるはずだ。じゃあ死者の国ってなんなんだと、私の頭を浸食した「?」は、終盤に語られる説明でさらに広がっていく。
いわく、この国は生者と死者、過去と未来が混ざり合って存在している場所であり、スカーレットは実はこの時点では死んではおらず、現世で毒により昏倒し意識不明となっていたところを魂だけがこの地に行き着いた、ということのようだ。
…うん?
現世で意識を失っていたスカーレットの魂が、死者の国に一時的に迷い込んだというのは理解できる。クローディアスが死者の国にいる理由も、実はすでにクローディアスが死んでいるという説明が後になされたことで腑に落ちた。ただ、なんでクローディアスの配下一味は揃いもそろって死者の国にいるのだろうか。こいつらも全員すでに死んだか、あるいはみんなで現世では意識不明で死の淵をさまよっていたということなのか。
そして、過去も未来も混じり合っているにしては、死者の国の登場人物は誰も彼も中世ヨーロッパのたたずまいなのはなぜなのか。スカーレットに襲いかかる戦士たちはプレートアーマーで身を固めており、武士や古代ローマの戦士たち、あるいは現代の兵士といった装いのキャラクターは一切登場しない。聖だけがご都合的に現代人として登場するのみだ。
そして、この死者の国でもクローディアスが一大勢力を率いている様子がうかがえるが、クローディアスはどのようにして死者の国で城を構え、強大な軍を保有するに至ったのか。スカーレットは、この広大無辺な世界の中で、徒歩でどうやってクローディアスの所在を突き止め、たどり着いたのか。
さらに、アレキサンダーやチンギス・ハーン、項羽に劉邦などといった、かつて世界の版図を広く塗りつぶした歴史上の偉丈夫たちはこの死者の国で何をしているのか、一切語られることはない。
空を泳ぎ雷を降らすドラゴンも、ただ「ファンタジーぽい世界」の味付け程度の印象しか与えず、「見果てぬ場所」へと続くであろうと思われる閉ざされた巨大な扉の意味も、なんなら「見果てぬ場所」の意味さえ分からない。
つまるところ「死者の国」なるものは、16世紀のデンマーク人であるスカーレットと現代の日本人である聖との時空を超えた出会いというプロットを成立させるためだけにそれらしく存在する、何のリアリティも感じさせない「設定のための設定」の世界ということだ。
「ファンタジーにリアリティもクソもねぇだろ」と思うかもしれないが、この2つは相反しない。たとえファンタジーの世界であっても、ポップコーンとドリンクを片手に座席に座る観客をスクリーンの向こうの世界に引っ張り込むには、「自分がその世界にいたら」を実感させるに足るリアリティというものが不可欠なのだ。
こうした没入の仕掛けをポイポイっと捨て去っているとしか思えない細田監督にとって「ファンタジー」とは、クシャクシャに丸めた物語を勝手に整然と畳んでくれる魔法の風呂敷か何かなのだろうか。暖かい紅茶とシナモンチュロスを片手に本作を鑑賞していた私は、意識が現代の渋谷へと行き着いたスカーレットのようには自分の座席からスクリーンの向こう側へと突入することはできなかった。
私の勝手な意見だが、映像の美麗さ等を抜きにして、ストーリーをかみ砕くという点において「果てしなきスカーレット」はあまり映画向きの作品ではないように思う。映画は「その時間、集中してその作品を観る」という時間なので、観る側の集中力が非常に高い。だから、心を動かされるときの感動はひとしおだし、逆におかしいと感じるところはずっと引っかかってしまうものだ。どちらかというと、ネット配信や金曜ロードショー等で放送されているのを、家事をしたり趣味をしたり携帯電話を片手に「ながら」視聴をする方が、細かい設定が気にならずにスッと物語の世界観を受け入れられるのではないか(作品の程度の良し悪しの話ではなく、視聴媒体の向き不向きの話として)。
※余談だが、スカーレットが山頂から透明な階段を上っていくシーンで「カイジやんけ!」と私は小躍りし、さらに見果てぬ場所へと続くであろう巨大な扉の場面では、「きっとクローディアスがこの扉を開けた瞬間に気圧差のビル風で佐原よろしくはるか彼方に吹っ飛ばされるに違いない」と、この映画を観ている時間の中で一番ワクワクした。
③登場人物に台詞で説明させるのはやめないか
最近特に顕著な現代アニメの傾向、すなわち「心情、状況などあらゆることを登場人物に語らせて説明する」という演出は本作でも健在だ。細田守が誰をターゲットにこの映画を作っているかは知らないが、少なくとも鬼滅の刃よりは一回り上の年齢層、中学生以上がメインターゲットといったところではないかと推察する。であればもう少し、「演出でもって受け手に感じ取らせる」という手法があってもいいように思う。台詞での説明はクドさ、しつこさがどうしてもついて回る。
個人的にザワついたのが物語の終盤、消えゆく聖がスカーレットに「生きたい!」と何度も言わせる場面。おそらくハムレットの有名な台詞、"to be, or not to be, that is the question."(「生きるべきか死ぬべきか、それが問題だ」という言葉だが、物語の文脈から「復讐をするべきか、すべきでないか、それが問題だ」という風に訳される)を踏まえてのシーンだとは思うのだが、私には散々焦らされたM女がドS気質の彼氏に早く絶頂に導いて欲しいと懇願しているようにしか見えなかった。
そしてその少し前、仇敵クローディアスを目の前にスカーレットが復讐を果たすべきかどうか激しく心中で自問自答する場面は、どうしても鬼殺隊の長男を思い出してしまい笑いをかみ殺すのが辛かった。
大体にして、スカーレットの中をあれほど支配していた復讐心が、クローディアスのあの程度の懺悔で簡単に揺らぐという心情がにわかには理解しがたい。
④終わり方はそれでいいのか
ここまで長々と書いた結びにひとつ、どうしても納得がいかない演出がある。物語のラストのラスト、スカーレットが歌を口ずさんでエンドロールへと移行するシーンだ。
観ている側はここまでの流れで、「結局のところスカーレットの体験は、現世で意識を失っていた間に観ていた夢物語だった」ということを理解しているのだが、それでもその夢物語の中で聖と出会い、スカーレットは復讐に執着していた自分自身を許し、未来に向かって生きることを学んだ。聖は消えてしまっても、聖との出会いで得たものは確実にスカーレットの中に生きている・・・
そうした2人をつなぐ絆の象徴のひとつが、キャラバンの集落で聖が教えてくれた歌(「以下「聖ソング」)のはずではないのか。それがなぜ、物語のラストでスカーレットが口ずさむのが、まったく関係のない歌なのか。このシーン、スカーレットに歌わせるべきなのは聖ソング以外に何があるというのか。
「スカーレットが口ずさんだのは聖ソングのAメロで、エンドロールが進むにつれて二人が歌ったあのサビが流れてくる」と思い込み、「ベタだけれども、良い終わり方だな」と先走って納得していた私は、曲がサビに移行したところで聖ソングとは全然別の歌だと分かり、思わず「えぇ・・・??」と声に出してしまった。
⑤結びに
こうして、映画「果てしなきスカーレット」の鑑賞を終えて照明が点った館内で、私は噛んでも噛んでも飲み込めないホルモン焼きがずっと口の中に残っているような心持ちのまま席をたった。
ただ、少なくともこの作品で何を表現したかったのかはハッキリ伝わるし、美麗な映像は映画館の大スクリーンならではの迫力ということもある。その意味で、有象無象のYoutuberたちが視聴回数を回したいがために酷評するほどには駄作というわけでもないと私は思う。ただ、「何を表現するのか」よりも「どう表現するのか」という点で大きな課題を残した作品だと思うし、だからこそ余計に脚本家:細田守の限界が改めて浮き彫りになった作品だったなぁというのが、全体的な私の感想です。
我ながら嫌になるほど長いレビューを読んでくださった方、ありがとうございました。
今までより難しい内容ジブリで言う「もののけ姫」あたりな感じかな☝️
どうしようか迷ったけど一応鑑賞‼️。
入りは難しくどうなるのかな〜❓(眠くなるかな〜)っと思いながら見ていたら、聖が現れると急に展開が気になり集中できました。
復讐に燃えるスカーレットはわかったが描写❓話❓がだんだん難しくて最初は理解しながらついてくのがやっとでした💧(私はね)。
死後の世界だけど死んだ描写ない叔父も同じ世界にいたり死んだ自覚のない聖が来たりと頭が「❓」だらけに一瞬なりました。
ただ後半にかけて聖と仲を深めたり、聖の影響を受けて○さないようにしたり、結果復讐もできるのかなど後半は引き込まれた部分もあり、良かった部分と半々ぐらいな感覚でした😄。
今までの監督作品を期待してると少し難しいからイヤな人はイヤかもしれないですね💧最初難しいから入りで諦めずにしっかりと物語が追えていれば大人は面白いかも☝️、子供さんはどうかな❓って所。
映像は綺麗だし、声優さんも芦田愛菜さん色々言われてるとも思いますが「スカーレット」にはハマってたように私は思いました。
純粋に感じられない自分が悪いのか
悪評が気になって見に行った勢。
細田作品はほぼ初見です。
事前にYoutubeの個人レビュアーの感想をいくつか見ました。全体に酷評でしたが、良い点悪い点の根拠を述べていて、罵詈雑言レベルではなかったと思います。
以上の前提で、期待ハードルは超低かったのですが。
うーん…。
「何これぇ?」を、心の中で無限に呟く時間でした。
まず映像は素晴らしいです。
一部「ん?」と思う表現はありましたけど、生死の間の世界描写と龍は素晴らしかったです。
あと、芝居もそこそこ良かったです。
自分が一番ダメだった「主人公2人の人物造形」について感想を書きます。
まず看護師。
名前を呼びたくないほど無理でした。
外見と中身が合ってなさすぎる。現代日本らしい軽い感じの容姿と言動ならまだ耐えられたかも。古来日本男子のような職務実直坊主っぽい印象で、言うことやることが本当に軽い。
生前の価値観を異世界に持ち込み、押し付け、同行者に怪我を負わせるほどの迷惑をかけて「不殺」を押し付ける。
なのに記憶が蘇った途端に、自分は弓でころすんかーい…。
なんなのこの男。
信念軽すぎてお話にならん。
スカーレット。
親の仇を討ちたい、わかる。
じゃあなぜ大人になるまで仇の支配する城に留まってるの。父親を裏切った母に向ける気持ちは何もないの?
唐突に現れた男に感化されて不殺。
意味わからない。
袖を破られて恥じらっていたカマトトのくせに、寝る時は布一枚巻いただけで、起きた瞬間は肩の肌色が見える。貞操観念バグってる?
男の鼻歌を聞いて唐突に覚醒。夢の中でダンス、心象風景だから唐突なのは別にいいけど、その時の気づきで自分を許すにつながった…いやアクロバットすぎませんか?
主人公が好きになれない作品はそれだけでキツい。
そこに現実に戻ったスカーレットによるお花畑のようなラスト。
は?
ここまで不条理で報われない世界を描写しておいて、現実に戻ったら全部うまくいくエンド?
は?
良かったと思う人が羨ましいです。
自分はやっぱり「何それぇ…」としか思えないです。
映像と音楽、芝居に星2つ分。
他は0点です。
これが好きな人は絶対いる
ので、ダークファンタジーや童話、神話、戯曲が好きな人は是非見てほしいと思います。
退廃的な冥府で身を引き裂くような激情、葛藤を抱く美しい姫。私はかなり好きです。テーマも自分に合っていて、共感し、少し救われました。本作のテーマをマクロな世界情勢と照らし合わせて見ている方が多い印象ですが、個人的な内省にも共通する部分があると思います。
過去の細田監督作品とは作風がかなり違うので、ハレーションが起きてしまった人もいるのかも。
でも、この作品にはグラフィックや音楽、画作り含めて独自の魅力があったと思います。
押井守監督の「天使のたまご」も公開当時は色々言われたそうですが、今では上記作品が好きという人もよく見かけるので、「果てしなきスカーレット」もいつか、この作品の良さに気づいてくれる人たちに届くといいな。
この作品のためにアカウントを作って評価したくなるくらい、自分には刺さりました!
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