「謙虚さの欠如を感じる作品でした」果てしなきスカーレット かこすけさんの映画レビュー(感想・評価)
謙虚さの欠如を感じる作品でした
賛否どちらの評価も色々と読んだ上で、フラットな気持ちで鑑賞したつもりです。
Dolbyで観たいとは思ってなかったのですが、同日に別の作品も鑑賞したかった都合上、時間が合うのが他になくDolbyで鑑賞。
広いシアターに私を入れて3人でした。
まあ、その状況は思っていた通りなので、特に驚きもなく。
とても率直な感想としてか書かせてもらいます。好みとは別の視点で書いているつもりですが、やはり感性や感覚というものも介在するとは思いますので、そこはご容赦ください。
まず前提として
ハムレットやダンテの新曲の知識はありません。
アートの世界はかじっていたので、ものづくりに対する思いはあります。
ーーーーーーーーーーーーーーー
出来上がった作品というのは、その過程や裏側がどうなっているのか、意図せずも現れてしまうと、基本的に感じます。
前作の興行収入もあり、時間や資金は十分にあったと思うのですが、それを存分に活かした映像美と豪華キャスト陣による演技は、この作品を映画館のスクリーンで観る価値あるものにしています。それは間違い無く思います。
ですが、それらを台無しにしてしまうぐらいシナリオが破綻しています。
そこを指摘しておられる方はたくさんいらっしゃいますが、私もそう思います。
どうしてそんなことになってしまったのか、というところに、シナリオを書いた方の傲慢、謙虚さの欠如、そういったものを感じて、少々嫌悪感を憶えます。素人が観ても、もっと表現の仕方があると思わせてしまう場面が多々ありました。
ハムレットや神曲に準えている(と私は他の方のレビューで知ったもの)部分も、それが元ネタの知識がある方だけが「あれね」ってなる、それ自体は別によいのですが、それがちゃんと「果てしなきスカーレット」という物語の中に意味あるものとして落とし込まれていないと、ともすれば、単に「偉大な歴史的作品のエッセンスを入れてるのですよ」ということを誇示しているともなりかねません。「地獄の入口云々」の石碑?をキャラクターにわざわざ読ませるシーなどはそういう感覚になりました(私は)。
また、悪役の設定も、「自ら作った毒薬を誤って飲んで死ぬ」というストーリーは変えなくても、ご都合主義な茶番劇にならないようにするための見せ方はあるでしょう。王女に毒を盛ったはいいが、そこからの他者との関係によって疑心暗鬼になっていく様などを上手に描き込めたら、悪役としての威厳も保たれ、より魅力的な設定に出来るかも知れません。スカーレットの母も、最後はあのようではなく、形勢が変わると手のひら返してすり寄ってくるぐらいの方が、悪役としては魅力的かも知れません(これは私の好みかも知れませんが)。それにしても一時とはいえ国王であった者の遺体が無造作に寝かされているのは不自然に感じます(観間違いでしょうか?)。
とにかく、台詞にしない方がよいと感じる台詞や、変な解釈を呼ぶリスクのある台詞が多くて、それらを決めた方が他者の意見を謙虚に取り入れていない(あるいは、そもそも他者が意見出来る状況がない)、また作画の力や、演者の力を信頼していない、また鑑賞者の深い洞察を信頼していない、そう感じられてあまりに残念です。
最終的に「生きるとは、死ぬとは、愛とは」というナビゲーター役(でしかない)の老婆の台詞に、個人的には衝撃的にドン引きしました。これが、ハムレットや神曲に準えていたとしても、もう何というか、名画の上に人権かなんかのポスターの標語を書いちゃったみたいな感覚でした。「はいそのことについて考えてくださいね」と。
また、キャラクターデザインについても、広く見識ある方の意見は聞かれずに決められたと感じます。
申し訳ないですが、スカーレットは、第一印象が、世界的にファンの多い日本の忍者アニメのヒロインに似て見える人は少なからずいるでしょう。私も息子も、初めてスカーレットを観た予告で、「ん?サ○ラちゃうの?」と思った次第です。こちらのキャラクターは数年前に世界規模で行われた同忍者アニメのキャラクター人気投票で、主人公より順位が高い、非常に人気と知名度のあるキャラクターですので、そんなことわかっていて似てるとしか言いようがありません。自らの髪の毛を刃でバッサリと切るシーンは、上記の有名なキャラクターの有名なシーンの1つですから、意味する所が違っても、重なって見えてきます。わざと寄せてるの?と思ったので。
ヒジリというキャラクターのデザインも、あえて短髪なのでしょうが、なかなかのチャレンジではありますが、名前や「殺してはいけない」といだた発言から、日本の僧侶が連想される可能性は十分あるので、東洋と西洋の融合とか、ジャパンクールとか、そんな感じを狙ってのことなのでしょうかと、勘ぐってしまいます。謙虚な姿勢でオリジナリティのあるデザインを模索しているのと、作為的に狙ってる感じというのは何だか違う気がします。私はアニメの研究者などではないので、あくまでも印象ですが、日本ではおおよそ短髪の男性キャラクターは好まれにくい、戦時中とか今もなおある所にはある体育会系の強制的な髪型にマイナスイメージがあるからかも知れませんが、避けてるのかなというほど、日本の主人公あるいは準主人公の男性アニメキャラはたなびく程度の髪
の長さがあります。多分その方が好まれるビジュアルということかなと感じます。別にそういう観客の好みに媚びる必要はないですが、この監督さんのファンの方が求める男性キャラクターのビジュアルでないことは言えそうに思います。そもそも、今回は細田守さんの作品のちょっと抜けた感じの柔らかなキャラクターデザインを無くして、竜そばのベルの方の世界のデザインを全面に持ってきたわけですが、それはシリアスな内容に合わせたとはいえ、なかなかの冒険だとは思います。それが、チャレンジとして好意的に受け取られる可能性も確かにありますが、(やはりシナリオのまずさがすべてに関わるとは感じますが)支えてきてくれた足元を見ないで世界とってやると狙ってるような、そんな風に感じさせる部分がキャラクターデザインにもあると感じます。
でも、結果を見ると、日本の観客は騙されないのですね。監督がまるで作中の悪役のように見えてくるのが皮肉なところです。市場はまるで空に蠢く龍のように、容赦なく雷を落とした形となったということでしょうか。
幸いスタジオジブリのゲド戦記で原作者が激怒したように、シェイクスピアが激怒するということはないですが、謙虚さを欠くと作品はダメになる。ワンマンでも作品が素晴らしくなるためには、とんでもなく天才でないと無理なんだろうなと思います。
素人の長文、失礼しました。率直な感想です。失礼承知で書きました。実際の監督の人柄は知る由もないので。でも、一観客にそう見える作品であったということは、事実です。
映画チケットがいつでも1,500円!
詳細は遷移先をご確認ください。
