「試練と成長の物語・・時をかけ続ける少女」果てしなきスカーレット 井筒考庵さんの映画レビュー(感想・評価)
試練と成長の物語・・時をかけ続ける少女
この作品はネタバレ事前情報が充実していて、結構、酷評にも頷けるところが多々あって、自分なりにチェックポイント(後述)を設けて観に行きましたが、全く予想外に、1)バランスが取れている、2) ディテールがしっかりしている、3) メッセージ性も分かりにくくはない、等、よかったので、マイ基準で⭐︎5に。時かけに⭐︎5をつけるとして、果てスカに⭐︎5はあり得ないと思っていましたが、喩えるとテイストの違うアバターもタイタニックも⭐︎5でいいかという感覚。
結論として、テーマについての鑑賞/視聴後の印象と解釈は、漫画/アニメの「進撃の巨人」に近いです。ざっくりと進撃が、ヒロインが愛し過ぎるという呪縛から大きな試練を通じて解放されていく物語だとすると、果てスカは、ヒロインが憎み過ぎるという呪縛から同じく大きな試練を通じて解放されていく物語なのだろう、と。「解呪」のキーワードが進撃だと「忘れろ」、果てスカだと「赦せ」かな。
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視聴前に設けた自分のチェックポイントがまずは「時間配分」。上映時間110分強から逆算すると、4パート構成での起承転結、それと各パートでの起承転結。定石的な起承転結が崩れてしまうとそれだけでも分かりにくくなるので。結論としては時間配分のバランスが取れていて、例えばそろそろ転換部という時間帯でシーンや話がぶっ飛んでもさほど違和感はない、と。
同じく宮廷パートと神曲パートの時間配分は、それぞれ約20分、約90分なので、作品全体の解釈としては、神曲パートを意識すると分かりやすいだろうと思いました。
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以上が総論で以下は賛否両論の各論。(相互理解のため論点については最大公約数的に、Ciatrのネタバレ・考察を参照しています)
1) 父王の「赦せ」意味は?
復讐に囚われて自分を見失うな、ということでいいと思います。(逆に、スカーレットの意識が高まれば世界に平和がもたらされる、憎しみの連鎖が断てるというイージーな解決ではない。)
2) 聖の違和感、行動に一貫性がない? 聖の存在理由は?
聖は登場後しばらくスカーレットにも周りにも変人扱いされているので、違和感が無かったです(笑
後半、殺さないから殺すへと聖が豹変する行動については、聖が敵を射殺す直前に数秒、ためらう描写があり、そこに被せるように謎の老婆(霊媒師?)が命令口調で「お前の使命を忘れるな」(訂正:お前の存在理由は何だ)と背中を押している。
神曲では主人公のダンテを天上に導く役回りの2人の人物が登場するけれど、果てスカでは老婆と聖がそれを担っていて、聖の最優先の「ミッション」がスカーレットを導き生かすということであれば、殺さないという聖自身の信条は大切であっても二の次・・行動は一貫しているという捉え方になってきます。
原作ハムレットの重要キャラであるはずのホレイショとオフィーリアを果てスカでは欠いていて、それで果たして劇作が成り立つのかという疑問を持っていましたが、神曲のキャラ2人で欠員2人を補完する構成なのだろうと。神曲の原題が「聖なる戯曲」なので、聖は神曲側のかなり理想化されているキャラということで間違いないと思います。
3) 問題の音楽シーンの意味は?
(解釈1)音楽/踊りを通じて、時代や場所が違っても、人々が心を通い合わせることができる。
(解釈2=マイ解釈)試練をクリアしていくと、天上の音楽として神の声が聴こえてくる。
解釈1だと、1960年代〜1970年代初頭の「ニューエイジ・ムーブメント」を想起させてしまう。チープあるいは、分からなくないけどバージョンアップなしに敢えてそれを繰り返す必然性を欠く・・視聴前の懸念点。
時間順序、因果関係として、内面の変化が先か? 音楽が先か? のチェック。
最初のキャラバンでの踊り/フラダンスのシーン。傷だらけのおじさん(訂正:キャラバンの長老)にスカーレットがコーヒーを薦められ、数秒ためらってから口にする。警戒心・猜疑心に凝り固まっていてしかも毒殺されているスカーレットだから避けるのが自然。ためらいながら口にするという些細なシーンはスカーレットの心境の大きな変化。漸進的な内面の変化(神曲では浄化のプロセス)が先行していれば、音楽シーンへの飛躍は唐突ではなく必然ということに。
理屈の上では、音楽=数=言葉=神の顕現というフォーミュラを念頭に置くと分かりやすく思えますが、そうしたことを抜きにして、神曲パートは暗く重いので、音楽パートがあると息抜きになるというか、喩えると映画「U ・ボート」で海中戦闘シーンの後、束の間の海面浮上でホッとするような感覚。
4) ドラゴンの正体は?
(解釈1)デウス・エクス・マキナ? 古代ギリシャの演劇だと好まれたパターン、時代が変わって今だと「ご都合主義」の代名詞。
(解釈2=マイ解釈)単純に天上への門の守り手。(神のようでもあるけれど、門を守るというミッションを与えられている荒ぶる守護天使。)同時にスカーレットの決断を見届ける試験官。
天上への門にたどり着くには大罪の浄化が要るから、スカーレットはともかくクローディアスがそこにたどり着けているのはなぜ? と思っていましたが、クローディアスとの対峙を試練と捉えると、クローディアスは試練として存在していることが許されていて、スカーレットが試練をクリアするとお役御免で自動消滅。
5) ラストの宮廷シーン、スカーレットのメッセージの意味は?
(解釈1)赦す/許すことで憎しみの連鎖を断ち切り平和な世界を共に築きましょう。(十分条件)
(解釈2=マイ解釈)それぞれが世の中をよくしていきたいと思えれば、すぐにはそうできなくともそうなっていくだろうと願いたい。(十分条件でなく必要条件)
個人の力だけではどうにもならなくても個人の力なしではどうにもならないだろうというマイ解釈。
時を跳んで修正してしまうセカイ系解決から、漸進的な努力/営為を繋いでいく必要があるということで「果てしなく」、レビュータイトルを「時をかけ続ける少女」に。
ps
1) 試練と成長の物語として捉える上で、設定として分かりにくさがあります。神曲は分かりにくいので、モーツァルトの「魔笛」のあらすじが参考になりそう。それでもとっつきにくい場合には、比較的馴染みのあるヘラクレスの英雄譚。
2) ヘラクレスは「愛」の力によって、「龍が守る黄金の実のなる木」すら昇りますが、最終的に愛が転じて「嫉妬」により、復讐と毒殺、狂気によって身を滅ぼします。←シェークスピア喜劇「恋の骨折り損」。愛があればよしということではないですね。
3) 全くの蛇足ですが、ループ量子重力理論のカルロ・ロヴェッリが「ブラックホールは白くなる」@2025/02で、ダンテの神曲の世界構造を取り上げています。現代の宇宙論の有効なアナロジーとして。(あの世を含むこの世と神の世、それぞれの世界の「果てしなき境界」を貼り合わせると宇宙全体。)
2回目の鑑賞を済ませたのでレビューを追記しておきます。
【追記1) 】渋谷の踊りのシーン〜唐突なのか?必然なのか?
踊りのシーンは約3分間。踊りが挿し込まれる時間帯は上映開始から約60分経過したところで、4パート構成として後半に入るところ。(起承転結の転換部の入り口辺り)
踊り/音楽だけを取ると全く悪くない(むしろいい)けれど、物議を醸すのは、シーケンス(流れ・文脈)。
文脈として重要と思われるのは、直前での「墓守り」のシーン。(このシーンは原作ハムレットからの援用。)「お前が探しているのはお前自身だ」という墓守りの台詞。スカーレットが悪夢から目覚めてから渋谷の踊りのシーンに。前半部を終えてスカーレットの心境に大きな変化が起きていると捉えるなら、この音楽パートは唐突ではなく必然ということに。(音楽で変わるのではなく変わったから音楽が聴こえるという因果関係)
【追記2)】許せば連鎖を断てるのか?〜スカーレットは仇敵を全く許していない
許す・許さないと復讐する・しないの組み合わせは、1)「許して復讐しない」、2)「許して復讐する」、3)「許さないが復讐しない」、4)「許さなくて復讐する」の4通り。
天上の門でのスカーレットの選択は3)の「許さないが復讐しない」ということが明らか。
1)は一般的な理解を得にくい聖人君子の選択。途端に嘘くさくなる。2)は矛盾するので無し。4)は普通の意味での復讐劇。3)はいわば執行猶予。
【追記3) 】駄作なのか傑作なのか?〜統計的にはどちらでもない
多くの人がどう評価しているのか? 統計的には⭐︎5段階評価の⭐︎3周辺に正規的に評価が分布しているので(←Filmarksで確認できる)、それから適切な表現を取るなら駄作でも傑作でもなく「凡作」。ロッテントマトの批評家スコアは⭐︎4-α、視聴者評価は⭐︎3-α。
【追記4) 】脚本が悪いのか?〜監督が実験中なので評価は棚上げ
時かけやサマーウォーズに比べて面白さを欠いている(私見)。自分の評価も作品群の延長線上では⭐︎4辺りが妥当かもしれないが、違った魅力を感じたので⭐︎5に。
10年間に3作を創作の単位(1期)として、果てスカは第3期の最初の作品に相当。監督脚本での創作への転換が第2期。映像表現を含めなおも実験中なので、評価は棚上げ。
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