「集中治療室につながれた何者か」果てしなきスカーレット sewasiさんの映画レビュー(感想・評価)
集中治療室につながれた何者か
物語は、必要以上に説明されない構成だと感じた。単に情報を省いているというより、復讐者の視野狭窄に近い目線で描写されているからではないかと思う。いつもの細田作品と比べると、語り手役の老婆を加えるなど、一見すると説明が増えているようにも見える。しかし、肝心なところは結局よく分からない。たとえば、国王が死ぬ間際に何を言ったのか。
「許せ」と言ったのだろうとは想像できるが、印象に残るような形では描かれない。普通の映画であれば、処刑直前に娘に向かって腹の底から叫ぶ場面が、観客の記憶に残るようにインサートされ強調されるはずだ。この映画は、それをしていない。
聖が人助けに熱心な理由も、セリフでさらっと話す場面はあったけど、涙を誘うような回想シーンはない。子どもの頃に目の前で親友を事故で失ったとか、そういうありがちなエピソードはなかった。
感情や関係性は、台詞ではなく、沈黙や視線といった「間」によって伝えられているように感じた。セリフで説明されない時間、沈黙や視線の積み重ねが、この物語の重さを支えているように感じた。タイトルにある「果てしなき」については、正直まだよく理解できていない。ただ、この点は「死者の国」における時間の感覚と切り離せないように思う。
未来の渋谷の街が出てくる場面が二度ある。どちらにも、一瞬だけ集中治療室のカットが挟まれる。最初は、その意味が分からなかった。明るく平和そうに見える未来と、生命が危うくつながれている場所が、なぜ同時に提示されるのか。
渋谷の街で踊る二人の姿を見たというスカーレット。「それは俺じゃないよ」と笑う聖。幸せそうに踊るスカーレットの髪は短い。スカーレットは、見たことのない自分を見たのだと思う。ただ、それが復讐をためらわせるような、分かりやすい転換点にはなっていない。
キャラバンを襲った盗賊を、さらに強い盗賊が襲い、そしてその盗賊をドラゴンが気まぐれに打ち砕く。情け容赦のない天変地異が人々を焼き、打ち倒す。天国のような美しい高みへ登っていった先にも、復讐の対象がいる。どこまで行っても救いはない。
父は死ぬ間際、娘に何かを言った。それを、処刑人がたまたま聞いていた。はっきり聞こえたわけではない。それでも何かを感じ取り、自分たちは剣を振り下ろせなかったという。この曖昧さが、この映画の誠実さなのだと思う。
「赦しの物語」と評するレビューを見かけることがあるが(このサイトのことではなくネット記事などの)、そうではない。スカーレットは仇を許していない。ただ、復讐することをやめただけだ。納得はしていないし、悔しさは消えていない。
「生きたいと言ってくれ!」という叫びは、感動を誘うための言葉ではなく、追い詰められた当事者の切実さとして響いた。聖は数秒ほどで消滅してしまう前に、必死にバトンを渡した。強引に受け取らせた。
平和で華やかに見える未来にも、復讐の連鎖があることを知る。だから、スカーレットはひとつだけ決意する。うまくいくかどうかは分からない。それでも、自分には責任があると考えて、できることをやるしかないのだと思う。何百年か先の未来につながると信じて。
タイトルに「果てしなき」とあるが、実際の出来事は数時間程度の話に見える。にもかかわらず、何度も日が昇り、沈んでいる。それは現実の時間ではなく、「死者の国」における時間の流れとして描かれているからだ。その感覚を受け取れないと、この作品の面白さはかなり削がれてしまう気がする。
ところどころの美しい風景は、実写ではないかと感じる瞬間があった。映画館を出たあと、自分は夢でも見ていたのではないか、という感覚が残った。見たことがある風景のようにも感じたからだ。
音楽の使い方もとても良い。大事な場面で音楽が前に出てきて説明することがない。観る側が考え、感じる余白を奪わない、ちょうどいい距離感だった。
『竜とそばかすの姫』のときにも感じたことだが、兄弟を虐待していた父親は、はっきりと悪い存在として描かれていた。細田作品は、薄っぺらい勧善懲悪を描く人ではなかったはずだと思っていたが、今回の作品で少し腑に落ちた。追い詰められている当事者に寄り添うとき、きれいごとは言えない。何を言っても「上から目線」に聞こえてしまうからだ。
この作品には、「クローディアスも本当は後悔している」といった描写が一切ない。「悪役にも人生がある」という、日本映画ではよく見られる視点もない。それでも、クローディアスは「どうせ最後に殺されるだけの存在」にはなっていない。役所広司の存在感も大きい。
一方で、聖はきれいごとを言って何度も殺されそうになる。スカーレットから「バカかおまえは?」と怒鳴られる。その感覚はとても正直だ。復讐者の目から見れば、聖の言葉は能天気に映る。
聖の人生についても、映画は詳しく描かない。「聖の言うことも分かる」と観客に思わせるための説教的な描写はない。集中治療室につながれていたのは聖だった。未来ある若者が、理不尽な事件に巻き込まれたという事実だけが、控えめに示される。そこで感動させすぎると、作品の狙いがぶれてしまう。復讐者にとっては「バカじゃないのか」としか思えないのだから。
父や聖の優しさに心を動かされる場面は確かにある。ただし、その描写には微妙な距離が保たれている。世の中には、誰からも優しくされたことがない人もいる。それは復讐に向かう十分な理由になりうるし、この映画はその視点も切り捨てていない。
ちょうど元首相銃撃事件の判決があった日でもあり、池袋の暴走事故など、いくつかの現実の事件を思い出した。犯人がいかにも凶悪な人物であれば、第三者としては分かりやすい。しかし、当事者ではないからそう思えるだけだ。「許せない」という感情は、単純にエンタメ化してはいけない。
胸がすくようなエンターテインメントではない。でも、こんな映画があってもいい。見てよかったと思える作品だった。
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