「「新しい日本のアニメーション表現への挑戦を感じました」ver2」果てしなきスカーレット むうみんパパさんの映画レビュー(感想・評価)
「新しい日本のアニメーション表現への挑戦を感じました」ver2
評価が二分され酷評が主になっている”果てしなきスカーレット”ですが私には高い評価をしたい作品でした。
この作品は演劇の鑑賞をされている方や年齢の高い方の評価が高いような印象があります。演劇では現代と過去を同時に表現する演出も多く、シナリオが破綻とはあまり言われないと思うのでもう少しフラットに観られても良いように感じます。
”果てしなきスカーレット”に思うことまとめてみました
1.新しいジャパニメーションへの挑戦
”果てしなきスカーレット”は日本従来の手書きアニメーションとCG技術の融合が素晴らしいと思います。
手書き(二次元)のキャラクターと自然の融合が美しくなされています。
実写ではモーションキャプチャーとCGの合成で進化したアバターやロードオブザリングのゴラムのような映像がありますが、本作で取り組んでいる二次元から発してCGを融合してバランスをとっていくというアプローチは、日本のアニメーションが持つ絵の魅力と人手で描かれる動きのタイミングによって、フルCGや生成AIが計算・模倣する動きにはない生命力を感じさせてくれ、日本ならではの新しい技法に向かっていく可能性を感じました。
2.冥界と渋谷
”果てしなきスカーレット”の舞台(中世)であるデンマークに渋谷が唐突に出てきて、破綻しているという意見が目立ちますがこれはあえての演出だったと思います。
細田監督は来たるべきネット社会に向けての前向きな展望を描きたいと思っており、あえて日本が登場しているのではないでしょうか。(サイバー空間の中心は日本であってほしい?)
・渋谷のダンス、赦し
”果てしなきスカーレット”でスカーレットが聖(ひじり)によって癒され、救われるのは、平和で進んだ街並みと感じられる未来の異国の都市、渋谷。聖は彼が80年間戦争のない、日本で育ち、人のために無私の精神で子供を守った青年でした。
渋谷は中世の人スカーレットからみると天国のような明るい、平和な、紛争のない世界の象徴として描かれ癒しを与えられる場面となっていたように思いました。
中世では癒しが与えられるのは教会であり聖職者を通じて神から授かるもの。
聖(ひじり)という名前自体が=セイント=聖職者としてスカーレットに赦しを与える存在であり、彼の立ち位置は中世の聖職者としての位置づけだったように思います。
・唐突で意味不明と言われている冥界でのフラ(hula)のシーンについても、フラが神々への畏敬、賛歌、神に捧げられるメッセージであり、過酷な冥界で助け合う人々が神との交歓を表すシーンとして描かれたものだと思います。
3.OZ、Uのクジラと冥界のドラゴン
ネット社会の表現で”サマーウォーズ”のOZ、”竜とそばかすの姫”のUに登場するクジラ(管理者?)が明るいネット社会で祝福を与える存在、見守り役として出ていますが、”果てしなきスカーレット”でのドラゴンは見守るだけではなく、冥界で悪しき行為を行う存在に雷撃をくだす(悪を懲らしめる?)存在としても描かれています。
次回作以降、ネット社会の暗黒面に対するメッセージをしていく存在が表現されていくかもしれないですね。
4.信じる宗教を持つ人には自然なテーマ?
”果てしなきスカーレット”は信じる宗教を持った観客にはこの映画の”赦し”というテーマはすんなり受け取られるように思います。
なのでこの作品は海外での評価の方が高くなるかもしれません。
とはいえ、シナリオの完成度についてはもう一段高められる余地が多数あるのも事実かと思います。細田監督作品は脚本の専門家によるシナリオの構成や整理が入ると理解のしやすさや説得力が増すのではと感じます。
”果てしなきスカーレット”は時間を経たところで(劇場公開後?)、あらためて見直され”赦し”というテーマと日本の手書きアニメがCGと絶妙なバランスをもつ技術・表現を作り上げた作品として評価されていくように思えてなりません。
劇場の大画面でみる美しい映像を観ておく価値はあるかと思います。
いろいろな意味で次回作も楽しみにしたいと思います。
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