「“果てしなきスカーレット”を観終えて」果てしなきスカーレット キムーさんの映画レビュー(感想・評価)
“果てしなきスカーレット”を観終えて
細田守監督の新作”果てしなきスカーレット“を観た。
ちょっと前評判が酷評だらけだったので多少の心配はあったが見終わった後はっきり言えるのはこの作品はまぎれもない傑作であるという事である。
確かに今迄の細田作品にあった明るさはない。どちらかで言うとかなり世界観はダークではある。でもそれがなんだ。ちゃんと物語を追って観てれば監督の言わんとしている事が分かるしその事によって最後には新鮮な感動に包まれるはずである(少なくとも自分はそうだ)。
この物語のテーマは魂の救済である。
それまで復讐に燃えてたヒロインがいかに自分という敵を克服して他人、そして自分を許すという境地にたどりつくかという物語だ。
ちょっと別話になるが実は私も自分の事が好きではない、というか嫌いだ。大嫌いだ。ことあるごとに失敗を繰り返す自分が嫌だし、その度に自己嫌悪に陥る。
ただそれで鬱になるのも馬鹿らしいしやはりいくら落ち込んでも明日はやって来る訳で(自◯しない限りね)やはり今日は駄目でも明日は立ち上がらなければならない。
この映画のヒロイン、スカーレットもそうで幾らボロボロにされようが罵られようが殺されそうにされようが彼女は決して諦めなかった。まぁ、諦めなかった要因の一つとして旅を供にする聖の存在は大きいのだが。
やはり(幾ら嫌いでも)自分の事を許さなければ他人の事を許す事は出来ないし他人に対しての思いやりも生まれない。おそらく細田守監督はこの作品を通してそういう事を言いたかったのではないかと思うのだ。だからこの作品は人間の普遍的なテーマも扱ってるし、傑作だと思う訳だ。
だから、最後に言わせてもらうけど、この作品を酷評する人々の感覚が全く分からない。あなた達は何を観ているのか。以上。
何故みんなそこまでいきり立って酷評と言う安堵感に身を投じるのだろうか。この作家が命を削って取り組んだこの作品に真に向き合えば、そんないい加減な感情で語ることが恥ずべきことに気づくはず。
なんか、隣の国とのいくさではなく、和平と対話を求めるとか、復讐ではなく赦せとか、そういうメッセージが大嫌いな人たちがよってたかって、映画の不十分な点にあれこれ難癖つけてるとしか思えない。政治だけではなく、映画批評もずいぶん劣化してるとしか思えない。不十分な点はいろいろあれど、私はひさびさの傑作だと思う。
私もそう思います。
この素晴らしい映画の感動を、わかちあおうと、ネットを覗いたら、もう、怨嗟の如くの炎上嵐。
キムーさんが指摘するように、まったく別の映画を見ていたのか?と思うぐらいに
びっくりしましたね。
もしも、本当に世間の評価がそうなら、観客はスタッフスクロールが終わる最後までいませんし、終わった後も不満の小言あるでしょう。
でもそんなことはなく、静かに余韻に浸る如く最後まで全員いましたし、皆満足そうでしたね。
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