「【追加】映画批判者に対するコメント 映画を見ました。正直な感想ですが十分見ごたえがありました。」果てしなきスカーレット Jelly3さんの映画レビュー(感想・評価)
【追加】映画批判者に対するコメント 映画を見ました。正直な感想ですが十分見ごたえがありました。
【追加】
批判している人の特徴として話が分からないみたいなことがよく書かれていますが、映画の冒頭や、事前の各メディアに公開した筋書でスカーレットは叔父王に復讐が失敗して死者の国に落ちたとあり、これはスカーレットが見ている夢であり憎悪、恐怖、願望、宗教観、悲しみ、希望がドロドロに渦巻いた精神世界であり、急に人が出てきても、いなくなっても、非現実的な場面でもスカーレットの夢の中なので不思議はありません。
あの空を飛んでいる龍の様な生物もスカーレットが想像する人智を超えた罰と救いを与える神の様な存在が具現化したものと思います。
人の見ている夢なのにおかしいとケチをつける人はどうあれば納得なのか、もしかして死者の国は実際にあり、我々の世界と同じ規則、空間、時間が流れているとでも思っているのでしょうか。映画の設定を事前に学習していればわかるはずです。
(そもそも16世紀のデンマーク人のスカーレットと現代日本の聖が普通に会話していることが現実ではなく夢だと言うことを表しています。)
これはスカーレットの脳内で起こっている夢想であり、本来は誰にも見ることはできませんが、映画鑑賞者は言わば神の視点で見ているのであり、その神様がここがおかしい、ここが変などと重箱の隅をつつく様な事ばかり言っていると他の神様(映画鑑賞者)から笑われますよ。
声の大きいインフルエンサーが駄作だと言い出すとそれに影響を受けて映画をよく理解しようともせず同じ様に批判をしだす人たちは、自分の意思があるでしょうか。
「共感できない」「筋書に置いて行かれる」「何を見せられているのかわからない」「過去の細田作品ではなく落胆した」と言う他人が使用したフレーズそのままで批判している人がいますが、映画主人公に必ずしも共感する必要はなく、私もスカーレットの執念深く、頑固ともいえる復讐心に何故、もっと楽に生きないのかといらだちました。
「筋書きに置いて行かれる」「何を見せられているのかわからない」も学校に置き換えれば、予習もせず、授業についていけないのは当然です。
「過去の細田作品ではなく落胆した」もこれだけ事前の情報、映像も出て、明らかに過去の作風とは異なるのに、映画を見て落胆すると言うのは完全に予習不足と思い込みが強すぎるのでは?と言うしかありません。
よく批判者には「時をかける少女」「サマーウオーズ」を手放しで称賛する人がいますが、「時をかける少女」のタイムリープの原理、回数の制限があると言う謎設定、過去にタイムリープを繰り返すと未来が大幅に変わってしまう。と言う問題をどう折り合いをつけているのか、SFの設定としては非常に甘く、こんな設定でみんな文句も言わず納得しているんだと驚きます。
また「サマーウオーズ」で世界危機にたまたま、数学の天才とゲームの達人が同じ場所にいて、たまたま原因の人工知能を開発した犯人も身内でと言う究極のご都合主義なのに、それを誰も疑問に思わず、簡単に受け入れていることに驚きです。
要は映画を面白くするためには現実にはありえない、ぶっ飛んだ設定をすることも必要でそんな細かいことを気にしていては映画を楽しめないと言うことではないでしょうか。
この2作品は脚本が優れていると言われていますが、今回の作品は脚本で物語が小綺麗に起承転結にまとめられるより、脚本に制限されず表現したい映像、演出を優先したのだと思います。
映画の批評は必要ですが、あまりにも執拗であの大阪万博開催前、開催後に繰り返されたあのネチネチと揚げ足取りの様な批判のいやらしいさとそっくりです。いったん標的を見つけると傷口に群がる蠅のようにどこからでも湧いてきて批判を繰り返す。映画を見て満足した人を不快にするコメントを繰り返し、自分が見て満足しなかったからと言ってまだ見ていない人にも見させない様に妨害する様なコメントなど、もし本当に映画に不満ならば、「自分には合わなかった。」と思って高評価のズートピア2の批評欄にでも行ってはどうかと思います。
声優についは鬼滅の様に登場人物がハイテンションで必殺技を連呼するならば、言語明瞭、歯切れのよい美声の声優でもよいかと思いますが、この映画の様にダークな世界ではむしろ言語明瞭の必要はなく年齢に応じた声優の方が雰囲気があり、素材(映像、演出)の邪魔をしないと思います。
プロの声優を使えば、化学調味料の様にどんな料理も一定の水準にはなるかと思いますが、監督はそれを良しとしなかったのだと思います。(宮崎監督も同じなのでは)
終盤でスカーレットが「生きたい」と連呼する場面で批判者は鬼の首を取ったようにワンピースのパクリと連呼していますが、生きる気力をなくしている者を「生きろ」と励まし「生きたい」と言わせることは、人間の普遍的な行動でありおかしくありません。アニメ界ではワンピースの専売特許で「生きたい」と言う言葉は誰にも使えないとでも思っているのでしょうか。
映画の宣伝で大ヒット上映中と宣伝していることを揶揄している人がいますが、作品評価と動員数は関係がなく、この様な人たちは作品評価イコール動員数と思っているのでしょうね。映画製作関係者はこのような人たちも相手にしなくてはならないので本当に気の毒です。
この様な批判を見ているとadoさんの歌の歌詞が頭の中でリフレインします。
「♬ 一切合切凡庸な♪ あなたじゃ分からないかもね ♫」「♫ 閉じろ ♫ 閉じろ ♪ その口 閉じろ ♬ 助言など頼んではいない ♪ 」
以上、私の意見です。
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映画の冒頭でスカーレットは叔父王に復讐しようとして逆に毒を盛られ、昏睡状態になり、その夢想の中で死者の国に落ちたと言う設定になっています。他の方の批評で「話が分からない」「筋書きに必然性がない」「登場する人物がおかしい」「ご都合主義だ」と言う様な意見が散見されますが、人間が眠っている時の夢とは元々その様なものであり、どんな描き方でもそれはスカーレットが見ている夢だと説明できると思います。スカーレットは夢の中でも復讐を果たそうとしますが、色々な出来事、人物とのふれあいで考えが変わっていきます。夢の中の登場人物は他人ではなく、もう一人の自分、その他大勢も、もう一人の自分であり、自問自答を繰り返して、本当の自分の気持ちにたどり着いたのではないでしょうか。最後に昏睡状態から回復して目覚めますが、これもまだ夢の続きであり最終的には死に至ったと思っています。理由は「目覚めても夢の中で切った髪は短いままになっている」「聖に手当てしてもらった手の包帯がある」「叔父王が盛った毒は確実に死をもたらすもので、解毒剤が効くとは思えない」「都合よく叔父王が間違って毒を飲み死んでいる」最後にスカーレットは王位についてハッピーエンドに見えますが、これも死の最後に見た夢であり、復讐心のままで死ぬのではなく、他人も自分も赦すことにより、本当の自分を取り戻して虚無にならず、魂は天へ昇って行ったのではと思います。(父王と再会できていればうれしい)
以上、あまりにも評判の悪さで色々学習、自分なりに設定を考えて鑑賞しました。皆様も他人の批評には影響されず、自分の目と耳で聞いて映画の評価をすることをお勧めします。
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