「The 失敗作(ネタバレあり)」果てしなきスカーレット モカコーヒーさんの映画レビュー(感想・評価)
The 失敗作(ネタバレあり)
はじめに
私は例のダンスシーンにて大爆笑してしまい、この映画がストレス発散の一助となったのは事実である。しかし、他の方に手放しで薦めることはできないと考えたため、酷評をさせていただこうと思う。
主な本作の低評価の理由は「脚本の拙さ」である。もう少し掘り下げると第一に世界観の推敲・説明不足、第二にキャラの会話の拙さ・行動原理の不足、第三に場面展開の非連続性(突然のダンスシーンなど)である。これらへの詳細な指摘は他レビュワーにお任せして、私は本作らしく、考察および妄想を述べようと思う。
細田監督単独による演出偏重な作品づくりについて
そもそも、細田監督は「赦しによる復讐=死から愛=生への転換」という崇高なテーマに興味がないのではなかろうか。これにより、テーマの掘り下げはせずに、得意な演出を全てやりきりたいがための場面展開が増えたのではと勘繰っている。その多すぎる場面転換を捌くために、主要キャラに説明を肩代わりさせており、それがキャラ達の会話の違和感に繋がっている。また、スカーレットや男主人公である聖の心理変化を掴みきれずに感情移入できないのは、細田監督が演出したい一部の場面だけを見せられている弊害だと考えている。独裁的な製作体制の中、教義にある多くの崇高な思想を全て伝えきろうとするカルト映画と似た部分が多いと感じたのは恐らく偶然ではない。
この問題の解決方法は多くの方の指摘通り、独裁的な企画・演出偏重をやめて、誰かに頼って脚本にも重きを置くことである。私見としては、現状の脚本は改善余地だらけの印象だ。ストーリーの本筋を残す場合、聖の過去編を追加してテーマと関連づけたストーリー展開を行いつつ、キャラの掘り下げを行ったり、そもそも防壁前にある大集落から物語を始めて場面展開数(戦闘回数)を大幅削減したら良いと思っている。
この映画のヤバさについて
荒唐無稽な考察に基づいて、本作のヤバさの片鱗を伝えられたらと思う。
私は死の国を「今際の際におけるスカーレットと聖の二人の夢が時空を超えて共有された状態」と考えた。二人の悪夢ならば支離滅裂な論理や場面展開の非連続性にもまだ納得できる。しかし、スカーレットが目覚めた後、①黒幕が不注意で死んでいて、②スカーレットが戴冠して女王になり、③王宮でも街でもない謎の場所で、④ひしめく民の前で演説することで、⑤民はあっさり演説に心打たれて女王陛下万歳となる。①-⑤のストーリー展開は、都合が良すぎる上に女王の演説場所として不適切であるので、これらを全て夢だと考えた方が現実的だ。しかしその場合、現実である部分は、九死に一生で毒から回復したスカーレットが王冠未着用の姿での(現実では女王になれなかった示唆とも取れる)歌う場面のみとなる。そんな無意味で虚無な映画はあってはいけないのだが、そう受け取れてしまうのが本作のヤバさであり、致命的、絶望的、圧倒的にストーリーや映像に「現実味が存在しない」のだ。
さいごに
鑑賞後から一週間経ってレビューを見ると、「意外と悪くない、普通」という善意に溢れた中途半端な擁護が沢山あった。しかし、これは毒にも薬にもならない作品であると主張しているに他ならない(毒で笑い楽しめる者も一定数いるのだ)。凡作なら人は映画館に行かずに、地上波で見ることを選択して、動員数の阻害要因にしかならないのではないだろうか。
さて、本レビューで提示したヤバさが気になる未鑑賞の方は、是非とも映画館にてお金を払ってヤバさを噛み締めて欲しい。ダンスシーン含めても1/4もこの異常性を伝えられていないことが分かるだろう。なお、道連れにしてやろうなどの意図は一切ないと断言しておく。
個人的には、本作が最低限の興行収入に到達して、細田監督には次のチャンスを勝ち取って欲しい。そして、ビジネスモデル・ターゲット層を再考する必要はあるが、細田監督の強みである、人の露悪性を描く表現力や展開の非連続性を活かした次回作を待っている。
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