「細田守フィルターを外したら・・・」果てしなきスカーレット 暁の空さんの映画レビュー(感想・評価)
細田守フィルターを外したら・・・
本作を語るうえで避けて通れないのは、「細田守」というブランドが観客にもたらす期待値の高さ。本作の「本来イメージされる細田らしさの欠如」に条件反射的に厳しく反応するのは理解できる。しかし、あえて細田フィルターを外して映画単体として見ると、そこにはハッキリとした主張と確かな駆動力がある。
まず、作品の背骨となっているのは「生きるとは何を選びつづけることなのか」、「赦しとは誰のための行為なのか」という、極めて人間的で手触りのあるテーマ。過去細田作品らしさの“家族の絆”は後景に退き、主人公が他者を赦す過程で「自分自身をどう扱うか」という内面的な旅へと焦点が移っている。この視点転換こそ、本作のもっとも成熟した点であると感じる。
一方で賛否を呼んでいるやや突飛な展開も、物語のリアリズムを毀損しているというよりむしろ主人公の心象世界の「圧縮されたメタファー」として機能していたのではないか。悪癖とされがちな過剰な跳躍が、今回は主人公の心理的地図を一気に描き切るためのショートカットになっており、物語の加速装置として作用しているように思う。
特筆すべきなのは「赦す」という行為を情緒や美談に回収しない姿勢。赦しとは相手のために差し出す慈悲ではなく、それを選び取れるほどに自分の痛みを引き受けた者だけが到達できる“生の再起動”であるという、驚くほど鋭い視点がある。ここには往年の細田作品にはなかった成熟味を感じる。
もちろん、細田作品に期待される圧倒的な物語構造の精緻さや、万人を納得させる普遍的収束とは距離があるとは思う。しかしそれでもなお、本作は「語るべき、中身のある映画」であると思う。観客に“生きることの重さ”と“赦しの困難さ”を誠実に伝えようとする真摯さは、近作の中では突出しているのではないか。
つまり本作は酷評されるほど脆い映画ではないのではないか。むしろ、細田守という巨大な枠組みの外側で見たとき、その骨格は驚くほど強く、しなやか。個人的には、作品単体として見れば上々の評価を与えてよい一本だと思える。
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