「頑張ったものの、色んなところで無理がある映画」果てしなきスカーレット 蜩さんの映画レビュー(感想・評価)
頑張ったものの、色んなところで無理がある映画
先に断っておくが、私はこの映画を「ある1シーンを除けば」ギリギリ見れるタイプの失敗作だと思っている。
全てが全ててんでダメ、なんてことは無い。芦田愛菜や松重豊の演技はかなり上手いし、一時期の細田守を期待して見に行くと映像にギャップを感じるかもしれないが、それでもアニメ映画としては十分綺麗だ。特に風景は圧倒的と言っていい。
ただ、この映画はかなり無理をしている。
テーマ自体はシンプルで「争いをやめよう、他人を、そして自分を赦し、愛そう」というものだ。しかし、これは創作の世界では既に何万回と擦られ倒したテーマだ。作り手はこの既視感を乗り越えるだけの新規性を作品に盛り込まなければならない。
そこで使われたのが「死者の国」という概念である。過去と未来が溶け合い、生と死が混ざり合う場所は魅力があるし、「ハワイアンなおばさんが歌いながら踊っている横で、イタリアっぽい格好のおじさんが一緒に踊っている様子」なんかは素直に悪くないと思ったのだが、同時にこれがかなりの矛盾を生んでいる。「じゃあなんでデンマークのたった1代きりの王様が、あんなに支持されることになるんだ」とか「生きていた時の敵味方の関係が、なぜ死後の世界までそのまま持ち越されているのか」とか、疑問点をあげるとキリがない。
そのくせ監督が描きたいシーンも多いので、説明しないといけない部分がどんどん削られていくことになる。「見はてぬ場所」を目指して民衆が押し寄せ、防壁を破るシーンは明らかにベルリンの壁を意識しているし、その後の人々の勢いはインド大反乱の絵を彷彿とさせた。ただ、なぜ民衆があんなに揃って押し寄せたのかという、動機づけの部分が一切盛り込まれていないので、「なんだか旅先でわらわら人が集まってる場所にやってきたと思ったら、いきなり反乱みたいなのに参加しだした」という形になってしまう。クラウディアス自体が根っからの悪人なのでその動きに抵抗すること自体はわかるのだが、民衆が一斉蜂起するまでの過程やそれにスカーレットや聖が合流する流れが1ミリも説明されないのは、流石にやりすぎな削り方だ。
こんな感じで、作品の中ではどんどん説明が削られていく。聖とスカーレットの関係などはまさにその極致で、この2人は限りなく平行線に近い思想を持っている。聖は争いを止め、人を傷つけることを避けようとする一方で、スカーレットは復讐のために人生を捧げており、その過程では人殺しを避けて通ることは出来ない。
この2人が相手を理解するところまではよかったのだが、より深く互いを知り、愛し合うための場面があの悪評高いミュージカルシーンである。あまりにも脈絡が無い上に、「こうやって2人は愛しあうにまで至ったんですね〜」と説明されても、過程をすっ飛ばし過ぎているが故には?となってしまう。「愛について教えてよ」と歌うのならば、やはりここで手を抜いてはいけないし、手を抜いた結果として生まれたミュージカルはひたすら納得性を書いたものになっている。映画を見ている途中で、もう帰ってやろうかと思ったのは初めてのことだった。
結局のところ、120分という放映時間に対して広げた風呂敷がデカすぎるのだ。だからこそ、色んな場面で無理が生じてしまっている。もう少し扱える範囲でテーマを絞るべきだったように思う。
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