劇場公開日 2025年11月21日

「「赦せ」の意味」果てしなきスカーレット おひさまさんの映画レビュー(感想・評価)

2.5 「赦せ」の意味

2025年11月24日
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鑑賞方法:映画館

単純

難しい

映像はもう本当に素晴らしいので、映画料金分は楽しめました。この点はほとんどの方が評価している様です。

ただ、本作のテーマである「赦せ」という言葉の受け取り方で評価が分かれます。

この「赦せ」は父王が処刑される時にスカーレットに向かって言う言葉です。スカーレットは悩みますが、それは「自分を赦せ」という意味だと最終的に理解します。

低評価の方の多くはこれを勘違いして、「敵を赦せ」と受け取っている様に見受けられます。こうなると「そんなに簡単に敵を赦せるか?それができたら戦争は起きていない!甘ちゃんが理想を語っただけだ!」と今作を酷評する最大のポイントになっている様です。

ですが、「敵を赦せ」ではなく「自分を赦せ」です。自分の何を赦すのか?それは「復讐をできない、人を殺せない自分を赦せ」です。

父王はスカーレットに自分の敵討ちなどしなくていい、と伝えたのです。

スカーレットは父を殺され、復讐を誓います。聖にも「甘ちゃん」となじり、現実を見ろとせまります。

ですが、作中で何度かスカーレットは復讐できないと涙を流します。そもそも、スカーレットは最初にクローディアス王に毒を盛り、ナイフで刺し殺そうとしたものの刺し殺す事ができずに苦悩する様子が描かれます。何度もスカーレット自身が最後には「甘ちゃん」である事が描かれ続けます。

スカーレットのセリフ「絶対に敵を討つ!」「敵を討たねば終われない!」などから分かる様にスカーレットは自分自身を縛っています。

父であるアムレット王は、そんなスカーレットの優しい本質を見抜いていて、しかし、スカーレットはその優しさと真面目さから、父の敵討ちをしなければいけないと思い込むだろうとも見抜いていた。だから、「スカーレット、君に人を殺す事などできない、敵討ちをしなければならないのに人を殺せない、と自分を責めるな。そんな自分自身を赦せ」と伝えたのです。

本作を観たら、そうとしか解釈できない、と思います。

つまり、本作のテーマは戦争反対とかそんな壮大なものではなく、もっと現代的な「弱い自分自身を赦せ」という事だと私は思います。

高評価の方はそのテーマを敏感に感じとったか、勘違いした戦争反対というテーマは今の時代には素晴らしい、というものの様に見受けられます。

ストーリーなどを低評価している方も多くいます。一番の問題点は死者の国です。クローディアス王と側近たちが全員出てくる、龍がご都合的に雷を落としてスカーレットが助かる、というのが大きい様です。

これは簡単に説明ができます。すべてはスカーレットの夢だった、という事です。空に海があるのは、この死者の国がスカーレットの深い眠りの中だというメタファーでしょう。海の上、水面の向こうが現実世界である、それはスカーレットが意識を取り戻した時に浮かんでいく表現でも分かります。

龍が雷でスカーレットのピンチを救うのも、甘ちゃんのスカーレットのそうなったらいい、という願望でしょう。

現代から聖が1人だけ出てくるのは、それが本作において本当に起こった事、本当の奇跡だからです。死んだ聖の意識と死に瀕したスカーレットの意識がつながった。

これは細田監督が公式サイトで、時をかける少女などでやったボーイミーツガールが好きだ、やりたかったと明確に語っています。エンディング曲の歌詞はこうです。「遥か彼方 時を越えて この身をすべて燃やし尽くして あなたへ辿り着きたい もう一度」そのまま、時をかける少女です。

死の淵でスカーレットは復讐をしなければ、と夢の中でも苦しんでいた。それが死者の国。そこで奇跡が起きて聖と出会い、自分を赦せた、という事だと思います。

だから、目覚めたスカーレットは手の傷を見て、夢だけど夢じゃなかった、と思って、弱い自分を認めて前を向いて生きていく事ができた、というストーリーだと解釈しました。

一応、死者の国が本当だとした場合も考えてみました。クローディアス王、側近たちがみんな出てくる。しかし、王妃は出てこない。これは、王妃がクローディアス王たち全員を毒殺したのです。

侍女が語るクローディアス王は誤って毒を飲んだ、というのは王妃が保身のためについた嘘でしょう。なぜならクローディアス王が誤って飲む毒杯は存在しないと考えられるからです。

スカーレットが用意した毒はクローディアス王が察知していたので、飲むふりをして捨てたか、飲んでもすぐに解毒剤で無効化した。これはクローディアス王が毒でスカーレットを返り討ちにした事から分かります。また、スカーレットが飲んだ毒は当然スカーレットが飲んだのだから残っていない。

つまり、新たに毒杯が用意された。それは死者の国に出てこない王妃以外にありえません。王妃はスカーレットを殺したクローディアス王たちを殺して、実権を握ろうとした。

・・・と、色々と深読みしてみましたが、細田監督はそこまで考えていない様に見受けられます。

なぜなら細田監督は公式サイトのインタビューでスカーレットを現実主義者、聖を理想主義者、と語っているからです。

現実主義者は夢に逃避しないし、復讐で人を殺す事もためらうとは思えないからです。

となると、低評価の方が見たまま、本作は駄作だというのが正解だと思います。そうじゃないとしても、それを伝えられない細田監督の演出と脚本が駄目という事です。

公式サイトで細田監督は竜とそばかすの姫で歌とダンスの力を感じた、だから今作でも歌とダンスを入れたと語っています。でもね、なんでそのままミュージカルシーンにするのか?ひねりも何もなさ過ぎるでしょう?演出にも表現にも面白さが感じられないのです。

エンディングでも急に現代的になります。女王陛下万歳!ではなく、俺たちのリーダー!と民衆に叫ばせたり、スカーレットが国民に私を国王と認めてくれ、と訴えたり。いや、表現したい事は分かりますが、そのまま過ぎるでしょう・・・。

結局、細田監督は色々と壮大にしすぎて、舞台的な演出を優先したためにストレートにキャラクターに舞台的にしゃべらせてしまった。それが大外ししてしまった様に思います。

・・・まあ、色々と凝って作っているのは分かりますが、監督としてのセンスが無かったですね。宮崎駿にクビにされたのが分かった気がします。

映像は本当に素晴らしいんです。細田監督には現実世界がこんなに美しく見えているのか!とも思います。

細田監督はアーティストとしては天才です。ですが、ストーリーテラーとしてはまるで駄目という事でしょうか。

しかし、結果的につまらないとしても細田監督のネームバリューなら、もっと興行的に初動が良くてもいい様に思います。なぜ、ここまで初動が悪いのか?鬼滅の刃の影響を語る方もいますが、鬼滅の刃は公開してかなり経っています。そこまで影響があるとは思えません。

これは細田監督作品はそこまで世間に評価されていなかった、という事でしょう。映画界は細田監督をかなり持ち上げていましたが。

評価、映像100点、脚本0点で、総合50点です。

おひさま
じっちゃんさんのコメント
2025年12月7日

次回作は…

じっちゃん
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