「生きるべきか、死ぬべきか…それが問題か?🤔」果てしなきスカーレット デブータさんの映画レビュー(感想・評価)
生きるべきか、死ぬべきか…それが問題か?🤔
先ず、、私は今作を嫌いじゃなかったようだ。
つか、何だったら…スピッツの«スカーレット»を想起した。
それと、芥川龍之介の[蜘蛛の糸]🕸️
肉体を喪い、魂だけの存在になって尚…【煉獄】でヒトの真似事をして、
弱いモノから略奪し、簒奪し、奪い合う。
げに恐ろしきは、ヒトの浅ましさ也…とは、先人たちもよく云ったもんで。
そんな修羅の世界で、復讐鬼となり修羅道を邁進せんと鼻息荒く立ち向かう嘗ての美姫に寄り添うは、現代ニッポンからやって来た甘ちゃんの看護士青年。
天高く聳えるバベルの塔を造った時に、その傲慢さで神の怒りを買い、コトバを頒かたれたと云う人類…
生きた時代も国も違うのに、言葉が通じるのは、その地が神すらも見捨てた場所だからか?
そんな煉獄でも、何だかんだヒトは必死に“生きたがり”…共に協力しようと藻掻く。
どんなに裏切られ、バカにされ、不様に平伏しようと、
なればこそ余計に人恋しくなる物哀しさ…ヒトの業にして、人間の性である。
王女スカーレット👸が、もし…王子🤴だったなら、それは勿論…先王に伴なって一緒に処されていただろう。王位継承権とかで。
でも、スカーレットは腐っても王女👸だ。ましてや、国民の信頼篤い先王の遺児…妄りに殺めれば、民衆の怒りが爆発して暴動が起きかねない。
それに、父にも似ず母にも似てない美姫・スカーレットの使い道なんて幾らでもある。
それこそ隣国や大国の王子と政略結婚って方法も…。
つか、当時のヨーロッパは正に貴族社会…それはつまり…家父長制ド真ん中、男尊女卑ド真ん中時代、、【女・子供は弱いから護る“物”】と、スカーレットを見下し、小娘一人とその弱小一派に何が出来る?と侮っていたかもしれない。
何にせよ、仇敵であるクローディアスがスカーレットを殺さなかったのも不思議に思わなかったし、
密かに特訓をしていたのを見咎められなかったのも、
王とて城の隅々を知り尽くしているとは限らないし、もしかしたら、スカーレットが年頃になり、謀反を起こすのを見計らって、彼女を処すのに大義名分を得る為に、わざと王女側を泳がせていた可能性もあるだろうし、、
不思議にもおかしいとも感じなかった。
それこそ…渋谷でもフラッシュモブっぽいラテンなダンシング🕺💃も、その前段に、アロハな踊りを魅せる婦人を前に、
「ヒトの言葉が通じぬ神に、歌と踊りで意志を伝える」みたいな事を云ってたんだから、
現代ニッポンの愛の歌を聴いて…スカーレットの内面…内心に眠る😪愛情に溢れる本性が感化され、
刹那的に神?と通じたとか、、あるいは…インド映画🇮🇳のソレみたいなモンか?と思ったから、
私には無問題だった。
現代ニッポン人の聖との関係性、対比も、
《正義無き力は只の暴力だが、力無き正義は只の無力だ》
…を字でいく流れで、
復讐に燃え、己の心を殺しながら痛々しく映るスカーレットに変化を与えるには充分な存在であり、
さりとて…聖にとっての«力»は、武力に在るのではなく、他者との対話や他者への理解と描く事で、
聖の強さをちゃんと示している。
然しながら、、
聖の様な日本人は、上澄みも上澄みで、、大概は、死して尚、私欲に溺れたが為に塵芥となった他の者達とそう違いは無いと思う。
何だかんだで、今作は…私にとっては、かぁなぁりぃ左巻きな反戦映画だったなぁってのが、率直な意見で、
そりゃぁ…自分と異なる価値観に対して、薬指を立てながら🖕いけしゃぁしゃぁと反差別を叫ぶ様なトンチキ共に比べれば、かなりマトモな部類だろうが、
現世を生きる我々に…憎しみよりも融和を!復讐よりも赦しを!と謂われても…
自分よりも、自分にとって大切なモノ達を護る為には、
殺られる前に…殺れ!が正しいと思うし、、
襲ってくる熊🐻を可哀想って言える程、、
私の脳味噌🧠は、お花畑じゃない。
まぁ…綺麗事や理想論無くして!現実は変わらない!ってのもアタマでは分かるけど、
ココロから賛同するには、歳を取りすぎた私であります。
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