「実は未完成じゃないのか。」果てしなきスカーレット さかゆうさんの映画レビュー(感想・評価)
実は未完成じゃないのか。
シーンによってクオリティの差が激しいことが気になった。
終盤のパートに入った瞬間CGというか撮影というか、画面のクオリティが急に1段階上がる。キャラクターの陰影の付け方、撮影の雰囲気が急にぱっと良くなる。映像の集中力がぐんと高くなるので、その終盤のブロックだけは鳥肌が立った。
本作、制作に4年半掛けた大作とのことだがその歳月がシーンごとのクオリティの差を生んでしまってはいないか?と思った。テレビ放送されたメイキングではまず絵を先に描きそれに合わせてCGモデルを表情付けしていくという、下地にはちゃんと伝統的な手描きアニメーションがあることをアピールしている。が、やっぱりCGはCG。スタジオカラーでもない限りやっぱり動きはぎこちないし絵的な面白さも薄まる。
大体、死者の国パートはCGで、現世は手描きでみたいな分けをしている割には死者の国のモブは手描きだし、しかもやっぱり作画のキャラクターは生き生きとしている。聖の丸刈り頭は髪の毛のアニメーション予算削減かと思うくらいには浮いているし、ダンスシーンのあのテキトーな衣装のモデルは特に酷かった。あの胸から上の不自然な膨らみは何。体形がまずおかしい。そして24fpsで描かれることもあってCGモデルの人形がただ手足をばたつかせているだけにしか見えない。
中盤に訪れるキャラバンのモブダンスも同じく不自然な動きをするから、やはりCG表現には限界がある。動きと表情がぎこちないから、手書きモブの絵と馴染まない。浮いた存在になる。
やっぱりCGに技術的にも予算的にも時間的にも限界はあるし、手書きは絶対に必要。
と、いうか、多分この映画別にCGじゃなくても成立したんじゃないかな………………………。
そりゃ群衆とか膨大な作業量を必要とする場面はCGが有効だろうけど、人物一人一人は当然手書き作画の方が画的に観てて面白い。夜、眠れない聖を寝ながら見つめるスカーレットのカットとか、治療を受けるために手がクローズアップされるカットとか、どう考えてもそこだけやたら良い。普通に手書きの美しいスカーレットをもっと観たかった。
表情を手書きからCGに落とし込んだとしても、その後の演技までは手書きには劣る。だからかな、生気を感じなかった。
時たま瞬間的に魂を込められていると感じるカットはあるけど、それが全編に渡って続くわけではない。これがちぐはぐさを感じる一因。
画が駄目なら話はどうなのってところだが、こちらも何とも…………。
私が一番好きな映画は未来のミライなのだが、あれもやっぱり終盤は外的要因を無理矢理設置して「わからせ」て成長を促せるつくりだった。今作もそう。聖、父の遺言という外的要因によりスカーレットが「わからせ」られる。それって果たして本人の成長と言えるのかどうか。単純に外因の思い通りになったから成長したと言っていいのかどうか。
端的に言えば、詰めが甘い。あの描写だけでは納得できない。脚本家の都合に動かされた心の動きは、観客には届かない。
さらに最終盤。群衆に対峙するスカーレット。非戦を訴え覚悟をあらわにするシーン。そこに死の国で会った子供の家族とか色々挿れられたろうに、ただの作画の雑な群衆の言葉なんて観客からしたら知ったこっちゃない。ドラマがない。のに、都合よく国民の支持を得る動きは都合の良さを感じてならない。しかもこのシーン、スカーレットが終始アップで映り周りの大人は一切、マジで一切映らない。
要は世界の広がりを感じない視野の狭さが気になる。90年代流行ったセカイ系みたいな、主人公と誰か一人が1on1で話し合って世界の命運が決まってしまうような狭さ。
必要量に対して描写が足りてないので、こちらとしては展開に納得するだけの材料が与えられないまま話が進み共感値が離れていく。
あと気になったのが、非戦を訴えるのは良いがその種を過去の人物に託し願うというのが都合良いというか投げやりというか無責任ではないか。今を生きる私達にとってその責任はむしろ自分達が負うべきものだし、過去を生きるスカーレットに「自分が平和な世を作ればあなたは死ななくても良いかもしれない」と現代の責任の一旦を過去の時代の人間に背負わせるつくりはどうなのと思う。その役割は聖が背負うべきでは?
なんかこうおじさんにありがちな「願いを誰かに託す」という動きを安易に行ってしまうのはあまり受け入れられなかった。
という感じで、画面、ストーリーどちらも色々と共感出来ない。乗れない。都合が良過ぎるし、描写が雑で集中力が散漫で視野が狭い。
それから音楽。
意外にも音楽がかからないシーンが多い。かけろよ。
特に終盤のアクションシーンに音楽が無かったのが驚き。いや、結構重要なシーンなんだから景気の良い音楽でも流してやればいいのに、無音なので余計虚無感が際立つ。
あと演技。
もうのっけから、芦田愛菜さんが「憎き敵」をNi Ku Ki Ka Ta Kiと全部有声音で発音していることが気になった。そこらへんからもあー演技指導出来る人居なかったのかなとか思ってしまう位には声の演技としては駄目だった。その先もプレスコしたにしては表情に声が負けてると思うシーンが連続するので、首を傾げざるを得ない。
やはり、時間を掛けすぎたのも一つの要因か。
もっと高い集中力で1本スッと描けていればこんなことにはならなかったのではないか。
描きたいことがまとまりきらないままどんどん要素を足していって、結果言いたいことがぼやけたまま完成としてしまったのではないか。
ちなみに、これ小説版ならもっとまとまってるんじゃ?と思い出版社が出してる試し読みの冒頭部分を観に行ったがこりゃ小説じゃなくて脚本だ。「〜した。」「〜だった。」と画面の解説に終始していてとても読めたものではない。これは脚本か画面の設計図でしかない。
結局、巷で言われている通り専門の脚本家を用意しないといけないという結論に至る。
監督の発送は面白いし光るものはある。あるだけに、これだけ注意力散漫な映像になってしまったことが残念で仕方ない。
というか、作り直して!
完全版が出来るなら観たい。
そんな映画でした。
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