「映画で世界平和の夢を見た監督」果てしなきスカーレット コトナリさんの映画レビュー(感想・評価)
映画で世界平和の夢を見た監督
この映画を浅いと見るか深いと見るか。いや、あえて「浅くて良いから老若男女に届けたい」と願ったのでは無いでしょうか。
(グロさも含めて。絵本地獄のような。)
ただ現時点では失敗作の烙印を押されているようですが。
映画という虚構で世界平和を訴える――そんな馬鹿な夢を見る作品があっても良い。
『ハムレット』の知識が乏しかったことが功を奏したのか、変にハムレットに引きずられる事なく受け入れられたのかも。
現実の戦争被害で復讐心に囚われている人々も、生まれる時代や場所さえ違えば、穏やかで幸せな人生を送れたかもしれない。
この「if」は、やはり捨ててはならない。
「許す」という行為は、極めて間抜けである。
許した加害者に侮蔑され、怒声を浴び、唾を吐きかけられ、足蹴にされてもなお、増長する相手を受け入れる。そうした辛酸を舐め、被害者が耐え忍ぶことでしか成立しないのが「平和」。
劇中の聖のように、戦場の只中で敵の手当てをしてしまうような平和ボケ。殺生に躊躇する迷い。だけど世界の人々がみな、そうした「平和ボケ」であってほしいと願う。どれほど強大な武器を持とうとも、自然の猛威の前では等しく無力な存在なのだから。
もちろん現在進行形で戦禍にある人々に対し「平和のために許せ」と説くのは暴力的ですらある。略奪と殺戮の被害者に対し、耐えろと言うのはあまりに残酷だ。
それでも、細田監督は平和を願ったのだろう。誰もが好きな時に、好きな人と笑い合い、自由に歌い踊れる時代への祈り。それは悲しいほどに美しく間抜けな夢物語として映った。
ウクライナやガザの人々が本作を目にしたら、鼻で笑い「現実を見ろ」とあきれるだろうか。恐らくはそうなるでしょう。
だけど日本は、かつて核によって一瞬で数十万人を殺されながらも、世界的に見てとても平和な国になりました。
国民が復讐心に燃えることなく、ハロウィン(今は禁止)になれば大勢が渋谷で好き勝手に踊って?いる。その上、最大攻撃力を放棄する非核三原則まで掲げている。
本当に誇らしく間抜けな国、日本。
そんな国の監督がこういう映画を世に出すことに意義があると思います。夢は夢だからこそ、語る価値がある。
それにしても、芦田さんは歌も上手いのですね。さすがです。もし彼女が輪廻しスカーレットとして生を受けていたなら、その芸能の才を見る者もなく、復讐のみに費やす哀れな王女として散っていたのだろうか。
スカーレットが「許す平和の象徴」であるならば、その道程は題名の通り『果てしなきスカーレット』。
その果てを夢見た本作が、悲しき炎上作として扱われる現状も含めて、まさかのこんな長文レビューをしてしまう程度にははまってしまったようだ。
(天の邪鬼精神に負けた)
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