「「プレスコ」「モーションキャプチャー」という制約の中で、細田監督は最大限頑張った作品だと思いたい(願望)」果てしなきスカーレット Earl Greyさんの映画レビュー(感想・評価)
「プレスコ」「モーションキャプチャー」という制約の中で、細田監督は最大限頑張った作品だと思いたい(願望)
「プレスコ」「モーションキャプチャー」という制約の中で、細田監督は最大限頑張った作品だと思いたい。(願望)
でも、みんなが観たいと期待している細野監督の作品ではなかった。
原因は2つ。「プレスコ」「モーションキャプチャー」の制約のせいだと思いたい。
(細田監督の一ファンとしては何とか応援したいという願望)
(以下、完全な仮説です。)
今回の「プレスコ」採用はおそらく制作サイドから与えられた与件で、細田監督の本意でなかったのではないか。(アフレコ方式で超多忙な豪華俳優陣を収録ブースに全員スタンバイさせることはスケジュール的に困難)
また「プレスコ」採用に伴う製作スケジュールの制約により、結果として「モーションキャプチャー」を採用せざるを得ず、アニメ本来が持つ特有の楽しさや表現の力を発揮できなかったのではないか。
例えば、「スカーレットが10メートルジャンプして真下にいる敵を攻撃する」というような表現は通常のアニメーションではよくあるシーンである。むしろこうした非現実的な表現の力こそが「アニメだからできること」「アニメにしかできないこと」として観る側にリアルを超えた面白さや躍動感、感動を与える。しかしながら今回は「モーションキャプチャー」の採用により、「スカーレットが10メートルジャンプして真下にいる敵を攻撃する」ことはなかったし、格闘シーンひとつをとっても地面に足が着いた映像が続き、躍動感のない「単調」な表現、シーンの連続の印象が続く。
また、キャラクターの表情についても同様で、びっくりして「目が縦長にびよーんと伸びる」ことも「口が輪郭をはみ出すくらい横に伸びる」ことも通常のアニメーションではよくある表現であるが、制作スケジュールのせいで、こうしたアニメの最大の利点である非現実的な表情の力を制作できず、「単調」な表情が続くことになる。
脚本の好悪は分かれると思うし、鬼滅や呪術、チェーンソーマンといったアニメと比較すると当然面白くはないが全然ありだと思う。
でも、細田監督がこうした哲学的なテーマを扱うのは向いていない。
細田監督は宮崎監督にはなれないしなる必要もない。
みんなが観たいと期待している、細田監督が得意とする領域の作品を見せてほしい。
10年後に通常のアニメーション技法(「時をかける少女」のような表現のアニメ映像作成→アフレコ)を用いて、リメイク作品を細田監督自身にリベンジしてほしい。
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