「クドイ、クサイ、キッッッツイ」果てしなきスカーレット しーぷまんさんの映画レビュー(感想・評価)
クドイ、クサイ、キッッッツイ
IMAXで鑑賞。
細田守監督作品に関して未視聴なのは、
「ゲゲゲの鬼太郎幽霊電車3D」
「デジモングランプリ」
「ワンピースオマツリ男爵と秘密の島」
「竜とそばかすの姫」
かな?「未来のミライ」が本当につまらなかったのですが、
今回「細田守史上最低作品」との事で野次馬根性で観に行きました。
結論からいうと本当につまらなかったです。
一言で言えばタイトルの通り、
「クドイ、クサイ、キッッッツイ」
の三拍子です。
まずキャラクターの喋るセリフがクドイ上に浅いです。
どいつもこいつも物語に含まれる「メッセージっぽいなにか」を喋るとほぼほぼ棒立ちだし絵に動きがないんですよね。
あったとしても「そんな取っ組み合いしたり戦闘してる最中に長々喋るかい!」とツッコミたくなるほど「絵」と「セリフ」が致命的に噛み合わないので、
キャラクターに全然感情移入できません。
で、その最たるキャラが主演であるスカーレットと聖の二人。
スカーレットはやたらベラベラ喋るわりに感情は無表情か泣き叫ぶかのどっちかなので観てて飽きます。
また話す事も非常に浅いし「もうちょっと言葉遣いを昔"風"で良いから彼女の時代を反映したものにしてくれよ!」と思う程実在感に乏しいです。
あと長ゼリフもちょいちょい多いのですが芦田愛菜さんは実写の俳優さんで本職の声優さんではないので滑舌やイントネーション、感情の乗せ方に難ありだと思いました。
やるならちゃんと演技指導させてほしいですね。
というか彼女のシーンに限らず登場人物が「メッセージっぽい何か」を喋る時に限って演出が全く効いてないんですよね。
これは脚本云々じゃなくて演出家としての監督の力量不足でしょ。
聖に至っては「現代人」とは言いたくないです。
「自分がここに来る直前の記憶を忘れてる現代人」だからってもう少しこの場の状況やこの世界の住人の価値観を鑑みて行動するはずです。
彼が序盤から終盤の手前くらいまでやってるのは「自分の考えを他人に押し付けてる」だけです。
そのくせスカーレットやこの世界の人達に影響されたようにも、記憶を取り戻して何かを決意したようにも見えないのに、
急に終盤になって普通に敵を◯しに行くのですげー唐突に価値観が変わったように見えます。
そのシーンも後ろから婆さんに話しかけられて記憶取り戻した……から何?
思い出した記憶も自分の価値観や命のやり取りに対して何も影響を与えたように見えないし。
いくらなんでも現代人バカにしてませんかね?
で、今まで話してきたのは「クドイ」と「クサイ」の部分。
「キッッッツイ」のが皆さんも指摘している中盤のミュージカルシーン。
まず導入からしてスカーレットが別世界のifの自分に思いを馳せる際にワープするようなシーンが挟み込まれて「はぁぁぁぁ……!!」が4回繰り返されるのですがここもクドイ…というのはこの際置いておきましょう。
で、現代じゃなくて「完成した(現実だと2034年度中完成予定とされている)渋谷駅周辺」を映すのですが、
ここにはまず看板もなければ車も通ってないし、車道や歩道、階段や陸橋とあらゆる所に「髪と肌と着てる服の色が違うだけの単一的なキャラ」が敷き詰められて踊っている恐怖映像が流されます。とても生きてるキャラに見えません。
加えてやたら建物や道路が白みがかっていてチカチカするようなCGなので「ここが数年後の渋谷駅」としてとても想像しにくいです。
そんな中で特に印象的な歌詞でもない細田守さんご自身で手がけられた曲に合わせてスカーレットと聖が踊るシーンに至るまで、
「意味も感じなければ彼女の価値観や心情に本当に影響を与えたように感じられない」
ので観てて退屈だしなんならサブイボが出てくるかと思いました。
他にも「虚無化したはずのスカーレットの父はあそこで何で出てきたの?しかも話す事もやっぱり浅いし…」とか、
「なんでクローディアス王はあそこで王妃を待ってたの?で、なんで『最果ての地』に結局向かったの?」とか、
「あの老婆と墓掘り人はなんだったの?」とか、
細部に至るまで非常に飲み込みづらいシーンばっかで飽き飽きしてくるんですよね。
全然物語を楽しめないし「楽しませよう」って意図が感じられませんでした。
全くオススメできません。
これ見るなら他の映画見に行きましょう。
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