「「生きる」難しさへの答え」果てしなきスカーレット つとみさんの映画レビュー(感想・評価)
「生きる」難しさへの答え
ミニマムな「家族」という社会を描いてきた細田守が、文字通りの「社会」そのものを描き出すようになって、残念ながらあまり世間受けしなくなってしまっているのは非常にやるせない。
「果てしなきスカーレット」かなり面白かったし、脚本にも全く問題を感じないんだけど、もしかして私が観ている映画と他の人が観ている映画は違うのだろうか。
いや、「面白かった」「良かった」票も確かに存在してるんだから、そんなSF感あふれる事象にはなってないはずだ。
恥ずかしながら私淑している押井監督なら「エンタメで文芸やるな」の一言でバッサリ袈裟斬りにしそうだが、私はエンタメの皮をかぶった文系作品好きなんだよね~。
作品のベースが「ハムレット」だから文芸だって言ってるわけじゃない。
「人間とは何か?生まれてきた意味とは?どうやって生きていくのか?」という物語をキャラクターの関わりの中で描いているから、文芸作品だって言ってるわけ。
今作、父王の「許せ」という言葉の解釈を巡ってスカーレットの「復讐」という旅に揺らぎが生じる。そこが良い。
「許せ」ってどういうこと?という疑問から別の世界で生きている自分を見て、もしもこんな人生じゃなかったらというIFの自分を通して「叶うならこう生きたかった」を無意識に自覚する。
スカーレットは「聖の世界を見た」と言ったが聖は「それは俺じゃない」と返す。
時間すら混ざり合った世界で、「争いのない世界」という未来の夢を見た、という解釈で良いと思う。
あ、ちなみに聖の存在はズバリ「父」。お父さんと同じ思考の人なんだよ。キャラバンの人、つまり自分とは違う他国の人の話を聞いて、協調しようとする。生前のアムレット王が主張していた隣国との付き合い方を聖は実践してるんだよね。
スカーレットが聖を「いい子ちゃん」と言いながらも見捨てられないのは、聖の姿に無意識に父の面影を見てるから、だよ。
劇中割とはっきり「自分を許せ」という意味だと示されると思うのだけれど、話の流れに引っ張られて「相手を許せ」っていう解釈になっちゃってる人を見かける。
まぁ、最終的にはスカーレット自身が叔父のクローディアスを許すわけだからあってるといえばあってるけど、まずは自分を許さないと。
すべきことに全てを捧げなければならないという規範から脱落しそうな心を許す。辛いことから逃げたい気持ちを許す。
過度に自分を奮い立たせ、必死で、歯を食いしばって耐えている状態が続いてしまうと、楽してるように見える他人を許せなくなる。
「私はこんなに辛いのに!」と思うから、他人の失敗を、迷惑をかけられたことを、ちょっとしたすれ違いを、相手の事情を許せなくなる。だから争う。
普段頑張ってるんだからたまにはサボったって罰は当たんないでしょ、っていうくらい自分に対して「許せ」ていなければ、他人を許すなんて到底無理じゃんか。
見果てぬ地を目指して山を登る群衆の目の前で噴火が起こるシーン、どう考えても下山したほうがいいと思うのに、山を登らなければ目的地にたどり着けないという思いが人々を更に登らせていく。
あれなんか、当に頑張りすぎて地獄へ突っ込んで行く現代社会の縮図みたいに見えたよね。
エンタメ作品としてのクオリティも高い。
まず、アニメーションの迫力が本当に凄かった。さっき噴火のシーンを挙げたけど、生も死も時間も融けあう世界の迫力が凄いし、スカーレットが闘うシーン全般もハイクオリティ過ぎて目が離せなかった。
突如現れる全身武器の刺さったドラゴンの咆哮も迫力満点だし、スカーレットを筆頭に俳優陣の演技も良い。市村正親さんや吉田鋼太郎さんが参加しているところにもこだわりが感じられる。
まぁ、とにかくだ。
強い者だけ連れて行く、とか言って壁を築くクローディアスに何処かの世界の指導者の「Great Again」な姿が重なったり、アニメーションで社会派をやっていく姿勢、私は好きよ。
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