スーパーマン : 映画評論・批評
2025年7月15日更新
2025年7月11日より丸の内ピカデリーほかにてロードショー
オリジンへのオマージュと新たな視点が巧く配分された新スーパーヒーロー像
個人的な印象では、デヴィッド・コレンスウェットが演じる新スーパーマンは、「マン・オブ・スティール」(2013年/ザック・スナイダー監督作)で主役を演じたヘンリー・カヴィルより明るくて屈託がなく、ふわふわとしていて人間的。そんな見た目はキャラクターとも連動していて、スーパーマン=クラーク・ケントは故郷の惑星、クリプトン人としての血統と、メガロポリスにあるデイリー・プラネット新聞社の新米記者としての自分、その両立を迫られて四苦八苦している。また、スーパーマンを地球の脅威と考え鬼になって命をとりに来る宿敵、レックス・ルーサー(ニコラス・ホルト)との死闘では、すぐにボコボコにされてさすがに復活が難しいように思える瞬間が度々ある。勿論、直後に立ち上がるのだが。
でも、それでいいのだ。DCスタジオの復活を託された監督&脚本のジェームズ・ガンの狙いは、恐らく、主人公を2つの価値観の間で揺れ動く繊細でちょっと古風な青年として設定し直し、観客からより幅広い共感を得ることだったはずだから。真実や正義、そして、何よりも人間らしさを体現するスーパーマンが、結果的に、この物語のオリジンで、シリーズ第1作目の「スーパーマン(1978)」に主演したクリストファー・リーヴと漂わせる皮膚感が似ているのは必然だったのかもしれない。デイリー・プラネット社で働くクラークの恋人、ロイス・レインを演じるレイチェル・ブロズナハンが、同じく1作目でロイスを演じたマーゴット・キダーを彷彿とさせるのも偶然ではないだろう。クラークとロイスが抱き合って空へ舞い上がるキラーショットは、否が応でも1作目のそれを思い出させるし、リーヴとギターが共にその後不幸な末路を辿ったことを考えると、余計に胸が熱くなる。というわけで、最新作は旧世代の情緒をくすぐりまくりなのである。

(C) & TM DC (C) 2025 WBEI
一方でジェームズ・ガンは、スーパーマンの周辺にグリーン・ランタン、ホークガール、ミスター・テリフィック等、“ジャスティス・ギャング”と呼ばれるメタヒューマン軍団に加えて、愛犬のクリプト(監督自身が飼っている保護犬がモデルになっているとか)をコメディリリーフとして躍動させて、対ルーサー戦を華やかに、かつ賑やかに盛り上げることにも注力している。考えたらガンと言えば、「アベンジャーズ」シリーズの最後の2本で製作総指揮を務め、「ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー」シリーズ(2014年~)や「ザ・スーサイド・スクワッド “極”悪党、集結」(2021年)では監督と脚本を務めた、キャラクター配置の達人。つまり、新しい「スーパーマン」は過去作へのそこはかとないオマージュと、スーパーヒーローものに必要不可欠な配役の知恵に裏打ちされた野心作、と言えるのではないだろうか。
(清藤秀人)