クラッシュ(1996)のレビュー・感想・評価
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【エスカレートする倒錯世界】
公開当時は性的表現などが問題視され、それを観たくて映画館に足を運んだのを思い出した。
今、改めて観てみて、別の意味で問題…というか、これを撮るのは難しいだろうなと思う。
(以下ネタバレ)
理由は、自動車事故を通してエスカレートしていく倒錯世界の延長線上に、事故で障害を負った人の性的欲求や、同性愛が描かれているからだ。
エクスタシーの無くなったジェームズとキャサリン夫婦のセックス。
お互い公認での別の相手とのセックス。
自動車事故を通じて感じた興奮。
ジェームズ自らの事故で亡くなった相手の妻ヘレンとのセックス。
有名人の事故死の再現による興奮。
多重事故による重症者や死者を目の当たりにして得られる興奮。
交通事故で障害者となったガブリエルとのセックスやレズ行為。
そして、事故を再現するヴォーンとのホモ行為が中途半端に終わり、ヴォーンもジェームズも自動車事故をエスカレートさせる試みを身近な人に向けていくが…。
エンディング、ジェームズがキャサリンに繰り返し言う、
「次はきっと…。」
「次はきっと…。」
何を意味しているのだろうか。
こうした行為はもしかしたら、精神疾患のひとつとされるパラフィリア(性的倒錯)の中の病的サディズムやマゾヒズムなのかもしれない。
これは、所謂、SMクラブでの女王様遊びや、サックスの時に縛ったりする行為と区別して分類されるものらしい。
この作品は、こうした現代ならではの病理にフォーカスしたものなのだろうか。
「次はきっと…」
僕は、止まることのない僕達の世界の欲求も皮肉っているように感じる。
「次はきっと…」
もう、僕達の世界は病的と呼べる段階にあって、真剣に治療しないと取り返しがつかないのかもしれない。
メタリック、革、人間のからだ
オープニング・クレジットの文字がメタリックで凄くかっこよかった。クレジットがいい映画はいい!でも、以前、スペイダー狙いで見たときは、なにこれー!わからーん!でした。今回見て、最後の場面が覚えていた唯一のシーンであることがわかりました。妻の車に追突してから、道路脇の草と土の上で妻と愛し合うスペイダーです。ということは、前回も最後まで見たのかーと自分のことながら感心しました。もっと短かったのだろうか?それともほぼずっと寝ていたのだろうか?
ストーリーがあること、性別関係ないこと、ヴォーンの存在は、今回見て初めて知りました。
クローネンバーグは、通常は有り得ない対象からも人間は性的興奮を得るのだ、を描くというより、もしかしたら、いろんな質感が合わさった化学変化を表現したかったのかなと思った。飛行機や車や歩行補助具のひんやりとしたメタリック感、手袋やジャケットや車のシートのレザーの感覚、偽のおっぱいの感覚、そして人間の皮膚、血液、体液など、気持ち悪いけど人間を人間にしているもの。これらを触る人間の手がとても印象的だった。
原作がある映画なので違うかもしれないが、原作と別物であっても質を伴った映画ならいいと思う。
ジェームス・スペイダー、若くて素敵だった。
濃厚接触祭り
交通事故で重症を負った主人公が退院したら、車の事故を起こすことに性的興奮を覚え始め、カー・クラッシュ・カルト集団とズブズブの関係になっていく話。
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とにかく5分に1回濡れ場か事故映像が流れ、しかも誰一人として性欲を我慢できない。ムラムラするとすぐに股間に手が伸び、自ら脱ぎ出し、身内のコミュニティでヤリまくっている。
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1番衝撃だったのは、足にぱっくり空いた傷のある女の人のそのキズにいれてる?みたいな濡れ場があって、おいおいあんたそれ気持ちいいんかってなった。
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あとは、洗車のシーンで車のボンネットが開くと同時に女の人が脱いでムラムラし始めて、車が洗われると共に行為がエスカレートしてくという、車と彼女が一体となってる的な濡れ場もすごいね。(今回の感想大丈夫か?(笑)フォロワー減らんか?(笑)).
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車のシーンでは、煽りまくるしシートベルトしないしとにかく車校で絶対やっちゃダメと言われてることを全部やってて逆に爽快。というか全員真面目な顔してアホなことしてるのが笑える。
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ジェームズ・ディーンの事故現場再現では歳も風貌も全くジェームズ・ディーンとかけ離れたおっさんが『理由なき反抗』で有名な赤革ジャンを着てジェームズ・ディーン役をやってたのも、馬鹿らしいよねちょっと(笑).
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共感ゼロの性嗜好のお話ではありますが・・・
この作品の中で描かれる性嗜好の方はいらっしゃるのでしょうかね?
あくまでその嗜好が架空、想像の世界という前提で以下です。
まず、ここで描かれる嗜好については共感ゼロです。全く。「はぁ?」って感じです。
けど、本作品は共感を得ることを目的としてないですよね?きっと。
人間の欲には限りがありません。きっと。さらに美味しいもの、さらに綺麗なもの、さらに多く、さらに大きく、さらに気持ちよく。
特に気持ちよくなることには興味ありますよね?探究心も旺盛になりますよね?こうなったらどうなっちゃうんだろー?みたいに。
さらにそれは命の危険ギリギリというラインスレスレになると、また別の快感が付随してくるのでしょうかね?吊橋効果みたいに。危険ギリギリを共有すると気持ち盛り上がるというか・・・。
そんなのがあるのかな?
こんな稚拙な考察で語れるものではないとは思いますが、次、また次、次、次とエスカレートしていく様、命ギリギリとの抱き合わせなどはうまく「車」という媒体を使って描いたのではないでしょうか?主人公がドツボにハマっていき後戻りできない(なんだったら、新たな探求者?)状態になっていく様もよく描けていると思います。
また、新たな「気持ちいいことかもしれない」ことの出会い方もいいですね。
あんな感じで自分の中に新しい感情と快感が飛び込んできたんでしょう。
で、もっとも大事なことだと思いますが、本作において。
「エロ大爆発」です。
Hシーンではなく、それ以外のエロティックな表現が、まぁなんというんでしょ、心の中で
「こりゃ・・・エロいわ・・・」と何度つぶやいたことか。
まさか、傷口にエロを感じるとは思いませんでした、僕自身が。
そーいう点でも、車と人間の欲望のむすび付け方、うまいよなぁって思います。
序盤に「車が多くなってきた」ってセリフ、好きなんですよね。
今まで単なる風景だったものが、何も変わってないはずの風景が、自身のなんらかのターゲット(興味の)になった時、人は見る印象が変わるはずなんですよね。
こんな部分にも人間の欲の表し方うまいなぁって思いました。
(気になる異性を目で追う回数が増えてしまうように)
共感ゼロですが良作ではないでしょうか?
性癖なんて人それぞれだからね。
好みの女性ひとつ取っても
ロリから熟女好きまでさまざま。
SMマニアもいれば
ここには書けないような
俗に言う“変態”はこの世に居過ぎるくらい居るので
もう“アブノーマル”という言葉は死語である。
それもこれもSNSで個人の性癖を言っても
共感出来る生活環境になったからですな。
そんなこんなで交通事故でイク人達の話。
クローネンバーグ監督作品って
難解な映画が多いと言われてるが
難解な原作に挑戦してるだけで
作りが難解なリンチやノーランとは違う。
「裸のランチ」観てみなさい。
意味わかんねーけど
「あー、伝えようとしてるー!」
って思うから(^_^;)
この「クラッシュ」も
性癖分析しなければ
わかりやすい物語。
当時、観逃してたので面白かった。
「わかるわかる」って思って観てたって事で
やっぱ私も一般的に言うと変態なんだな。
ドンドン傾倒してしまうその危うさ
いろんな変態
以前から気になってた映画で、今回やっと観られたわけですが、わたしにはなんかピンとこなかったかも。
変態ですよね、これはもう。
自分の快楽が得られれば、なんでもいい誰でもいい死んでもいいってやつですよね。
ほかに人生の楽しみはないもんかって、そんなこと真っ当に思ってしまう自分がバカみたい。
痛いのが、快感?なのかな。
いんや、わたしは痛みに弱いのでこれはわからん。
めちゃくちゃに破壊する痛みでエクスタシーを得るのであれば、たとえば末期のガンの痛みなんかでも恍惚とするのかしら?とか、帰りの電車で色々考えてしまった。
それとも痛みとはちと違うのかな。
いえ、変態が嫌なんと違います。
変態にもいろんなバージョンがありますよね。
わたしは変態村って映画がとっても好きでDVDで時々見返したりしてますが、あそこに出てくるひとたちの変態っぷりの方がわたしにはしっくりきます。
とは言え、わたし自身は変態ではありませんが、
なんて自分で言ってる人ほど変態かもしれん。
変態村が好みっていってる地点で怪しいもんだ。
変態変態と連呼してしまい、恥ずかしいやら、ごめんなさい。
痛いのは嫌です。(加筆•修正)
クローネンバーグは好みなのだが、作品により共感できないものと興味を引くものがはっきり分かれる。今回は前者でした。
生を感じることで性を感じるのだろう。極端になれば死と隣り合わせのなる生こそ、最もエクスタシーを感じる性。
先日鑑賞したブレスレスは未だ理解できるが、こちらは理解不能。
理解できないエロばかりで眠かったが、惹きつけるものは有る。
感性が全く違うと…
1996年公開との事だが、僕は当時小学生になるかならないかくらいの年代だった為もちろんリアルで見た事がなければこの作品の存在も今回初めて知った。
予告でうたわれていた、交通事故への衝撃が性への快感に変わるというのをどういう風に作品としてて仕上がってるのか興味を抱きこの度劇場で鑑賞する事とした。
率直にいうと感性が全く合わずつまらなかったかなというのが感想である。
主人公が交通事故を経験したことによりそこから性快感へと導き、同志達と共有していくのがストーリーとなるのだが、そもそも事故によるというより彼らが極度のSEX依存者、SEX狂気者が故に新たになにか興奮するシュチュエーションを求めているだけにしか見れず、それがたまたま事故の衝撃も含めたカーセックスに溺れているようにしか見えなかった。
この辺を少しでも共感できる狂気として楽しむには感性が大事なんだろうなというのはわかるが、少なくとも僕はこの感性に1ミリも響くことができなかった。
途中から頭で考えながら見るようになってしまったが、こうなり出したらもうダメである。
こういう作品は頭で理解しようとしてもなかなか難しい。
この作品の登場人のようにSEX依存者や変わった性癖を持った人は沢山いるだろう。
また事故と似た点においては、川や空からとダイビングを楽しむ者、命綱なしで高いところでパフォーマンスする者等々命の危険を感じることを楽しむ者も世の中には沢山いるだろう。
そのあたりの変わった感性が重なり合うとこうなるんだろうなぁ…
映画の楽しいところは本来持っていない感性や考えでも作品を観ている時は刺激され時には没入することで擬似体験ができそれが楽しさに繋がることはいくらでもあるが、まぁ全く合うことも理解する事もできなかった。
共感、刺激できる人にとっては面白い作品なのであろう。
ドライブインシアターで観よう。
まさしく、鬼才たる由縁がこの作品
クローネンヴァーグ以外に、こんなシナリオを誰が書ける?
交通事故の衝撃、死の恐怖、直接的な肉体の痛みがフェティシズムの脈絡に則って快楽に変わる人たち。衝撃的だ、余りにも衝撃的な発想だ。否、発想ではなく現実かもしれない。自分の生活や人生で中々出会いそうもない経験を映画を通して体験出来る。才能溢れる監督によって、異次元の体験が出来るのも、映画の醍醐味の要素である。とても興味深い映像体験だった。レヴューは濡れ場シーンばかりがフューチャーされているが、エロスとタナトスが組んず解れつする見事なカット割りが、台詞と演出と俳優陣の蠱惑的な演技力によって優れた映像美へと昇華されていたのも発見だった。映像にしろ、文学にしろ、音楽にしろ、あらゆる表現手段において、快楽の延長線上に迎える死への憧れは持って来いのテーマである。
圧倒的、ド変態。。。。
1963年型の真っ黒い"リンカーン" 走り続ける エンジン火が噴くまで〜♪
鉄、錆びた鉄、女性器を表すようなロザンナ・アークエットのエグくてグロい傷。
直接的な暴力描写は皆無、自動車事故からメタリックな痛々しさ、性的欲求からの変態的Sex、アブノーマルからゲイ&レズの関係性、最も危険な性の吐口的な暴力描写と当て逃げは当たり前的な御勘弁。
デヴィッド・リンチとかポール・バーホーベンなんかが撮っていてもおかしくは無いような、クローネンバーグが撮るべくして撮った原作者J・G・バラードとの相思相愛的、バロウズ以来に。
衝突事故からの生=性、ギリギリに死から逃れた恐怖心を解放した後に満たすは性欲的興奮のみ!??
世の中には色んな人が居る。
異常が正常の地平となった それがラストシーンの意味だと理解した
事故によって得られる性と生の悦び
異常な性愛
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