平場の月のレビュー・感想・評価
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リアルとファンタジー
原作未読ですが、予告編と主題歌に惹かれて観ました。
も少し感動するかなと思ったのですが、後半ちょっと納得いかない展開や演出があり、そこまで入り込めませんでした。いくら姉が拒否しても、あんなにいい妹が姉の最期を全く知らせないなんてあるだろうか?とか、ストーマ付けてセックスとか現実的なのだろうか?とか、ラストで堺雅人が一番いい芝居してる時にスローモーションは要るのか?とか。些末な部分ではありますが、他が丁寧な描写だっただけに気になってしまいました。
でも大人の恋愛というか、大人の現実がよく描かれていたし、過剰にドラマチックな演出がないところや、堺雅人と井川遥と塩見三省の演技が素晴らしいところ、星野源のエンディング曲が世界観にピッタリ合っていたところなど、観賞後にも深く残る作品でした。
作品でものすごく感動したわけではないけれど、私も独身のアラフィフ、しかも兄弟姉妹がいないので、私の現実はもっと厳しいだろうなと、ある意味襟を正されました。あんなよくできた妹が私にはいないのだから、終活およびその準備はちゃんとしておかないと、と。そして青砥(堺雅人)みたいに、病気やめんどくさい性格も丸ごと引き受けて恋愛してくれる人なんて現実にはほぼいないので、ここが一番のファンタジーかもしれません。
普通
そばにいるって当たり前じゃない
大事なことをもう一度ちゃんと確認してくれって祈りながら見ていた。
良くも悪くも人はなかなか変われないもので、もっとうまく生きれたはずなのにって思うばかりだけど、それが愛しくも人間なんだろうなとラストの結末を見ながら思った。
この映画の中でもっとも印象に残った言葉が、でんでんさんが言った「人がずっとそばにいてくれるって当たり前じゃないからな」という言葉。(意訳なので言葉尻は若干違うかも、、)
井川さんが初めて部屋で飲んだ時に、この話を誰かにしたかったと言っていたけど、誰かに話したいけど誰にでも言えることではない事を聞いてくれる人がそばにいる。
これだけでもう十分人生は豊かで幸せなんだとしみじみと思う。
この映画の良さを考えてみると、とてもバランスが良いと感じる。
病気もの、中年の恋愛モノ等どれか一つのテーマで感動的に書ききっても成立するが、仕事も恋愛も親の問題も子供も自分の身体の事も地元ならではの仲間も中学生の頃から続くヒエラルキー的要素も、人生には抱えきれない程の多くの側面と共に進んでいく。
そういった現実の中に恋が生まれていく感じがとてもリアルだ。
学生時代の、年を取ってその時代と離れれば離れるほどにかえって色濃くなっていくような思い出とともに、いま改めて向き合い、質素なアパートで二人が過ごす所がこの上なく現実的で、とてもむず痒い様にも照れくさい様にも感じる生々しさがある。
最後に、2014年に病気をされてお痩せになられた塩見三省さん。
年齢を調べるともっと若いと思っていたが、77歳ということに驚かされた。
後遺症もあってなのか、ほとんど座ったシーンで声も小さかったが、それがとても味わい深くて、何かを察してボリュームを上げるシーンはとても素晴らしかった。
これからも無理はされず、少しのシーンでもいいので見たい役者さんだなと思った。
歳を重ねても幸せの味は変わらないものだよね
50代の恋愛なぞ周囲に縁がない訳では無いが、大体が不倫。ほぼほぼ不倫。場合によっては奥さん公認の方もいるだろう。
この作品はそういうものを描いているのではなく、人生で色々なものを失ってきた独身同士の恋愛。即ち純愛映画。しかもちゃんと恋愛してたし青春してた。
ガチのおじさんの恋愛が題材なので言う事ははっきり言うし、50代の、言葉選びの絶妙な品の無さや、ちょっとキモいな、キツイな、みたいな部分もちゃんと描写されている。その上でヒロインのキャラクター像もきっちり描かれているおかげで、この恋愛の関係性を破綻させていない。
またこの映画の面白いところは地味な所。割と誰にでも有り得るような回想を主人公達が持ち合わせており、その縁がきっかけで…というのが関係性の発展の鍵となるのだが、パンくわえて道の角突っ走るくらいありきたりなものなのだが、これを昇華していくのが50代同士の恋愛となるとこれがかなり穏やかで、まぁこれだけ生きてるとそういう事もあるよね、って説得力を持たせてくれる。
だから素朴でありながらも、登場人物たちがちゃんと幸せそうにしてるなーというのを感じる事ができた。
登場人物の殆どが地に足つけた大人だからか、暖かい人達が多いのも好印象だった。
ファンタジー要素は皆無なものの、寒い時期に向けたストーブのような、ほんとりとした暖かさをもった作品という印象。
王道、というと語弊があるが恋愛映画としては全体的に大変丁寧で面白く仕上がっているので、落ち着いた映画が好きな方へはオススメしたい。
窓辺に佇む井川遥は反則である
「何を考えてたの?」と堺雅人が問うて「夢みたいなことだよ」と冒頭で返す、その脆く儚げな予感が漂うだけでフラフラっとしてしまった。
『花束みたいな恋をした』『片思い世界』の土井監督なので正直「こんなの映画じゃないな」と思って見てはいる。同じシナリオ使ってもっと引き出し、もっといい編集で攻めることもできることは容易にわかる仕上がり。なので基本は惜しい、と思って見ている。自転車二人乗りも、とある別作品に比べればしょぼい。シネマルックの仕上がりからしたら記号を超えていない。『花束〜』の京王線沿線感の薄さ(勿体無い)と今度は西武線沿線かな? その土地感覚もやはり上手くはない。この辺はインディペンデント映画の若き旗手たちはとても上手いのに勿体無い。
でも、である。これだけゆる〜くテレビを見るように見てしまう同級生の地元再会&恋愛復活劇はそうはない。確かにこれは土井演出でないと出ないものもあるかな、と思い直しているうちにラストがくる。しかし見ていれば途中からどうなるかはほぼ予想はつく。おまけに個人的に知人がその井川さんと同じ年齢で同じように亡くなったので完全に現実がダブってしまいもうその先は見えるのである。そんなこともたくさん経験してるであろう同年代の観客にはグッときていた気もする。で、ラストである。
本当はラストシーンひとつ前で終わってエンドロールが流れたら「アノーラ」並に喰らってたと思う。メインテーマね。あそこであれは反則に近い。今思い出しても泣ける。堪えられるわけがない。しかも塩見のおっちゃん、、何度も何度もあのさもない居酒屋を思い出している
話の移り変わり、そして最後の展開が雑
同世代である50代の
ラブストリーということで
妻と観賞させていただきました。
ストーリーとして、
主人公達の関係は序盤、
うらやましくもあり、
ワクワクさせられるものでしたが、
中盤に出てくる子供の頃の話が
必要以上に長く、その割には、
後半であまり回収できていないように
思われ、私には
残念な作品に感じられました。
また、先が読める流れも
致し方ないとは言え、最後の展開が
あまりにも想像を超えない上に、
あっさり、終演を迎える印象で
もったいなく感じられました。
ただ、彼女のカレンダーにも記念日が
赤く印されていたのは、
とても感動しました。
そして星野源さんも曲も感動的でした。
「一緒にいてくれる人がずっと一緒にいるってことは、当たり前のことじゃない」大切さと儚さ
中学時代に初恋同士だったが付き合うことなく別々の人生を経た同級生の青砥と須藤。互いに結婚生活に失敗し今は地元に戻り独り身の50代。平場の慎ましい生活の中で偶然再会、苗字で呼び合う距離感から互いの気持ちが近づき始め、初恋の続きが動き出す。
須藤は青砥の告白を2度とも断った。
1度目は中学時代。独りで生きていくと心に決めていたから。
2度目は今回。癌再発でおそらく余命が見えていたから。
周囲から、太い、と形容されていた須藤。
初恋の君は青砥だけど打ち明けなかったし、6ヵ月検診の結果も青砥には本当のことを伝えなかった。なぜか。
好きという気持ちを隠しているのは「自分は青砥が思っているよう良い人間じゃない」と中学時代も今も思っているからなのか。
好きな人に迷惑かけたくない、と思っているからなのか。
須藤の太さとは、本心を隠し太く見せてるだけ。
いや、むしろ好きな人に迷惑をかけたくないから本心を隠し独りでいることが、太い、ということなのか。
中学時代の青砥からすれば、両想いならOKしてほしかっただろうし、今の青砥からすれば「もう会わない」と突然言われ、なぜ?となったはず。
「一緒にいてくれる人がいるってことは、当たり前のことじゃない」
両想いの青砥と須藤が一緒になれなかった切なさを見て、一緒にいてくれる人がいることの大切さ、一緒にいてくれる人がずっと一緒にいるってことは当たり前のことじゃない儚さが身に染みて伝わってきた。
原作も読んでみたい。
『片思い世界』以外の土井監督の作品も観てみたい。
恋愛はキラキラだけじゃない
原作は読んでません。堺雅人さんのファンなので観に行きました。だから「へいじょうのつき」なのか「ひらばのつき」なのか分からないで映画を観ていました。観賞後、調べてみたら「ひらばのつき」でした。
以前、土井裕泰監督の作品で「花束みたいな恋をした」という映画を観たことがあります。恋愛はキラキラ(ときめき)だけじゃない。お互いの両親のことや、仕事のこと、映画には出てきませんでしたが出産のこと、色々な要素が存在する。だから大変なんだ。なるほど。今作でも一緒で、歳をとろうが、お金のことや健康のこと老後のこと、キラキラだけじゃない。これが現実です。もちろん今作は原作があるので土井監督の意図ではないのかもしれませんが。
この恋愛のキラキラを僕は勝手に月に投影していました。恋愛では満月だったり、新月だったり、その時によって違います。実は映画でも結構強調されているので大事なシーンでは要チェックです。
映画の中で青砥が須藤を思わず抱きしめるシーンがありましたが、その気持ちが痛いほど分かりました。数ヶ月前から、時々二人で会う女性がいました。その時、自然と指先でも良いから触れたくてどうしようもない事がありました。例えば年齢だって今田美桜の方が若い、見た目だって今田美桜の方が可愛い。でもこんな気持ちになるのは彼女だけでした。元カノですらそこまでの気持ちになりませんでした。本気の恋でした。映画の最中にそのことを思い出し顔が熱くなりました。その人とは何もありませんでしたが、彼女が抱える複雑な事情で、今後二度と二人きりで会うことはないと思います。
今後50才になる頃にまた別の誰かと恋愛をすることがあるのでしょうか。そしてそれは辛い恋愛になってしまうのでしょうか…。
男、独身、40歳(なったばかり)の感想でした。
まだ早かった
井川遥さんが好きになった
わたしが思っていた井川遥さんのイメージと違うタイプの女性の役で、それがとても似合っていた。意外な魅力を発見しました。
堺さんはいくつになってもずっとすてき。工場での真面目な顔も、はやる気持ちで自転車こぐところも。
中学の同級生の女性たちが、良くいそうな感じでリアル。
塩見三省さん。良かった。
感動も泣きもしないが、共感はする
地味な映画ですね。でも、いろいろと共感しまくり。
50代にはちょうど「なんだか、わかるなぁ」という映画。
そんなにドラマティックなことは起こらない。
特に感動するとか、涙が出るということもない。
でも、「うんうん」って頷いてしまう場面が多数。
井川遥は、こういうオバサンにもなれるのね。
ちょっと、彼女のイメージになかった雰囲気でしたけど、
それがとても自然な「アラフィフバツイチ女性」になっていて、良かったですね。
中学生パートの女の子(一色香澄)はとても良かった。
キャラがきちんと繋がっていたように思う。
男の子(坂元愛登)は、ちょっと違う気がしたけど。
独特な存在感があってアクが強いので、堺雅人とは別人格に思えてしまった。
「ちはやふる - めぐり -」にも出てましたよね。
彼のアクの強さは、私はちょっと苦手。
あと、塩見三省がいい味だしてましたねぇ。
温かいジイサンだった。
物語はそれほど感心しないけど、芝居がいい
日本人は、美しい女性が病にかかる、という物語が好きなんだろうか。
『世界の中心で愛を叫ぶ』とか、余命何年とか、ナントカの花嫁とか。
宮崎駿の『風立ちぬ』だって、美しい婚約者が病死する。
本作は、二人が中年と言う点と、患っている病気が大腸がんという点で、新鮮味はある。
物語、セリフ、人物造形はやや類型的に感じがして、あまり感心しない。
中学生時代のエピソードも、ありきたりで、なんだかなあ、と思った。
・・・と文句を並べたが、この映画、最初から最後まで、心地よく楽しめた。
物語や演出は感心しなかったのに、何でだろうと考えると、井川遥と堺雅人の芝居が魅力的だった、という点に尽きる。
二人とも姿勢が良くて、とても50代には見えない。
ただ、必死に若作りしている感じもしないから、この映画の設定に馴染んでいた。
堺雅人は安心して見てられるし、井川遥は、こういう、さばさばした女の役もできるんだなあ、と感心。
それから、作中に二人のキスシーンがある。ここまで直接的じゃなくても良かったのに。
幸せな人生とは
埼玉県朝霞市。高卒バツイチ一人暮らしの印刷工の男が人生の黄昏を迎えていた。平凡な住宅街に平凡な日常。胃カメラ検査の結果にびくびくするどこにでもいるような平凡な50代。しかし、ある日の偶然の再会により、錆びついていた日常が滑らかに動き出す。出会ったのは、木造アパートに一人で暮らす50代の女。男の初恋の相手だった。多感な時期に母親に見捨てられ、頼れるものは自分しかいない。図太く生きていくしかなかった。妻子ある男を奪い、若い男に貢ぎ、一文なしで故郷へ帰ってきた女。心の支えは男との淡い恋の記憶だけだった。欠けた月の光が照らす中、再会した二人の心は次第に無垢だったあの頃に戻っていく。互いに夢も希望も失いかけていたが、何物にも代え難い存在になっていく。普通の街を舞台に人生の折り返しを過ぎた男と女のリアルを堺雅人と井川遥が生々しくもナチュラルに演じきる。人生を振り返ってあらためて噛みしめる本当の幸せとは何なのか、中高年の誰もが身につまされる物語。終盤、絶望に叩き落とされた男がヘラヘラと不自然な笑顔を浮かべ平常を装う姿が逆に切ない。かつて震災の被災地で家族を失い茫然と道に立ち尽くしていた人の表情を思い出した。人は心が壊れてしまうほど悲しい時、思わず笑ってしまう生きものなのだ。笑顔からの最後の瞬間に魂が揺さぶられる。
自分と同世代の人の生き方を見た
太すぎて
須藤は太すぎる。感情移入ができなかった。
幼少期の過酷な家庭環境があったとはいえ、その後の人生での破天荒さをみるとバチが当たったのかな?とさえ思ってしまった。一方で、青砥と須藤が過ごす日常のシーンはあまりにもありふれていてリアルで見ていて少し恥ずかしくなった。当方、堺雅人が大好きでこの映画を見に行きましたが、どこにでもいそうな中年男性の堺雅人がハマりすぎて井川遥の少し不安定な演技も気にならなかったです。でも元妻が吉瀬美智子、今カノが井川遥って!ここだけはさすがにリアリティがなさすぎたかも。すごく面白かったんだけど、もし青砥が堺雅人じゃなかったら同じように楽しめるか?と考えると少し微妙な気はしました。
予告でオチ分かるのやめて欲しい
2025年劇場鑑賞322本目。
エンドロール後映像無し。
中学の時の同級生と出会って親しくなっていく話。予告でほぼラストシーンを出しているので序盤でオチが分かります。
日本で一番好きな俳優堺雅人が主演しているのである程度は楽しみだったのですが、彼の持ち味は笑顔の下の狂気だと思っているので、こんな普通の恋愛ドラマにもったいないなぁ、という気持ちもありました。実際井川遥といい感じになるにつれこっちがなんか照れくさく・・・。
井川遥演じるヒロインが劇中では気の強い女は可愛いよな、と言われていましたが、自分にはちょっとめんどくさいなと思いました。結局最後の選択も相手にとってはきついよな。
3大好きなおじいちゃん俳優田中泯、國村隼に続く塩見三省が出てたのが良かったです。昔のギラついた時は苦手だったのですが、病気をしてからはいい味が出ています。復帰したての頃は痩せすぎててめちゃくちゃ心配だったのですが、ポスターを見るとだいぶ元気そうで安心しました。でも実際演技しているのを見るとめちゃくちゃ声が小さくてまぁそうか・・・と思いましたが、彼が話す度になんだかじ~んときました。
日常にある運命を感じる事
ラストの自転車二人乗りのシーンを見て思った事。物語では中学生だった2人が好きだったから50代になって会えたように思えるかもしれませんが。
むしろ青砥と須藤は人生の後半でいずれ深く交わる事が決まっていて、だから中学生の時に出会えたのじゃ無いかなって感じ方もしました。
追記
映画では日常の生活のように淡々と日々が流れます
でも実は全然普通じゃ無い事が起きています。
運命って想像できない不思議なものです。
中学生の時にお互いに好きだった人と、50代になって、そしてそれは人生の終わりを見送り見送られるタイミングでの再会だと後で分かります。
青砥は日常から離れた旅行を企画したり記念日のネックレスを渡します。一方で須藤は「夢みたいな事だよ」と青砥との日常を夢見ています(と想像します)。
中学生の青砥は特別な人間になりたいと思い、一方で須藤は温かい日常家庭を求めています。
そして50代の再会をきっかけに、青砥は須藤と一緒にいることで毎日が特別な日々に変わり、一方で須藤は普通の温かな日々を手に入れます。
「一緒にいるだけでいい」
50代の恋愛はそんな感じなのだと思います。
実は何歳だってそんなものかもしれません。
自分も好きだった人の死を後で知った事がありました。聞いた時は驚きだけです。涙なんか出て来ません。堺雅人さんの演技そのものです。
本人は病気を教えてくれませんでした。しばらく連絡がつかなくなって、後で知りました。
彼女と歩いた風景 一緒に聞いた音楽 そんな一瞬に遭遇した時、もう彼女がいない事を実感して涙が出て来るのです。居酒屋で嗚咽する青砥の感覚はよく分かりました。
何で出会ったんだろう、どうして言ってくれなかったんだろう、ずっと呪いのように考え続けます。
でも最後に
愛して愛されていたんだな
きっと運命で自分は見送る事になっていたんだな
と思うようになりました。
最後は自分語りですいません。
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