平場の月のレビュー・感想・評価
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「一緒にいてくれる人がずっと一緒にいるってことは、当たり前のことじゃない」大切さと儚さ
中学時代に初恋同士だったが付き合うことなく別々の人生を経た同級生の青砥と須藤。互いに結婚生活に失敗し今は地元に戻り独り身の50代。平場の慎ましい生活の中で偶然再会、苗字で呼び合う距離感から互いの気持ちが近づき始め、初恋の続きが動き出す。
須藤は青砥の告白を2度とも断った。
1度目は中学時代。独りで生きていくと心に決めていたから。
2度目は今回。癌再発でおそらく余命が見えていたから。
周囲から、太い、と形容されていた須藤。
初恋の君は青砥だけど打ち明けなかったし、6ヵ月検診の結果も青砥には本当のことを伝えなかった。なぜか。
好きという気持ちを隠しているのは「自分は青砥が思っているよう良い人間じゃない」と中学時代も今も思っているからなのか。
好きな人に迷惑かけたくない、と思っているからなのか。
須藤の太さとは、本心を隠し太く見せてるだけ。
いや、むしろ好きな人に迷惑をかけたくないから本心を隠し独りでいることが、太い、ということなのか。
中学時代の青砥からすれば、両想いならOKしてほしかっただろうし、今の青砥からすれば「もう会わない」と突然言われ、なぜ?となったはず。
「一緒にいてくれる人がいるってことは、当たり前のことじゃない」
両想いの青砥と須藤が一緒になれなかった切なさを見て、一緒にいてくれる人がいることの大切さ、一緒にいてくれる人がずっと一緒にいるってことは当たり前のことじゃない儚さが身に染みて伝わってきた。
原作も読んでみたい。
『片思い世界』以外の土井監督の作品も観てみたい。
恋愛はキラキラだけじゃない
原作は読んでません。堺雅人さんのファンなので観に行きました。だから「へいじょうのつき」なのか「ひらばのつき」なのか分からないで映画を観ていました。観賞後、調べてみたら「ひらばのつき」でした。
以前、土井裕泰監督の作品で「花束みたいな恋をした」という映画を観たことがあります。恋愛はキラキラ(ときめき)だけじゃない。お互いの両親のことや、仕事のこと、映画には出てきませんでしたが出産のこと、色々な要素が存在する。だから大変なんだ。なるほど。今作でも一緒で、歳をとろうが、お金のことや健康のこと老後のこと、キラキラだけじゃない。これが現実です。もちろん今作は原作があるので土井監督の意図ではないのかもしれませんが。
この恋愛のキラキラを僕は勝手に月に投影していました。恋愛では満月だったり、新月だったり、その時によって違います。実は映画でも結構強調されているので大事なシーンでは要チェックです。
映画の中で青砥が須藤を思わず抱きしめるシーンがありましたが、その気持ちが痛いほど分かりました。数ヶ月前から、時々二人で会う女性がいました。その時、自然と指先でも良いから触れたくてどうしようもない事がありました。例えば年齢だって今田美桜の方が若い、見た目だって今田美桜の方が可愛い。でもこんな気持ちになるのは彼女だけでした。元カノですらそこまでの気持ちになりませんでした。本気の恋でした。映画の最中にそのことを思い出し顔が熱くなりました。その人とは何もありませんでしたが、彼女が抱える複雑な事情で、今後二度と二人きりで会うことはないと思います。
今後50才になる頃にまた別の誰かと恋愛をすることがあるのでしょうか。そしてそれは辛い恋愛になってしまうのでしょうか…。
男、独身、40歳(なったばかり)の感想でした。
まだ早かった
井川遥さんが好きになった
わたしが思っていた井川遥さんのイメージと違うタイプの女性の役で、それがとても似合っていた。意外な魅力を発見しました。
堺さんはいくつになってもずっとすてき。工場での真面目な顔も、はやる気持ちで自転車こぐところも。
中学の同級生の女性たちが、良くいそうな感じでリアル。
塩見三省さん。良かった。
感動も泣きもしないが、共感はする
地味な映画ですね。でも、いろいろと共感しまくり。
50代にはちょうど「なんだか、わかるなぁ」という映画。
そんなにドラマティックなことは起こらない。
特に感動するとか、涙が出るということもない。
でも、「うんうん」って頷いてしまう場面が多数。
井川遥は、こういうオバサンにもなれるのね。
ちょっと、彼女のイメージになかった雰囲気でしたけど、
それがとても自然な「アラフィフバツイチ女性」になっていて、良かったですね。
中学生パートの女の子(一色香澄)はとても良かった。
キャラがきちんと繋がっていたように思う。
男の子(坂元愛登)は、ちょっと違う気がしたけど。
独特な存在感があってアクが強いので、堺雅人とは別人格に思えてしまった。
「ちはやふる - めぐり -」にも出てましたよね。
彼のアクの強さは、私はちょっと苦手。
あと、塩見三省がいい味だしてましたねぇ。
温かいジイサンだった。
物語はそれほど感心しないけど、芝居がいい
日本人は、美しい女性が病にかかる、という物語が好きなんだろうか。
『世界の中心で愛を叫ぶ』とか、余命何年とか、ナントカの花嫁とか。
宮崎駿の『風立ちぬ』だって、美しい婚約者が病死する。
本作は、二人が中年と言う点と、患っている病気が大腸がんという点で、新鮮味はある。
物語、セリフ、人物造形はやや類型的に感じがして、あまり感心しない。
中学生時代のエピソードも、ありきたりで、なんだかなあ、と思った。
・・・と文句を並べたが、この映画、最初から最後まで、心地よく楽しめた。
物語や演出は感心しなかったのに、何でだろうと考えると、井川遥と堺雅人の芝居が魅力的だった、という点に尽きる。
二人とも姿勢が良くて、とても50代には見えない。
ただ、必死に若作りしている感じもしないから、この映画の設定に馴染んでいた。
堺雅人は安心して見てられるし、井川遥は、こういう、さばさばした女の役もできるんだなあ、と感心。
それから、作中に二人のキスシーンがある。ここまで直接的じゃなくても良かったのに。
幸せな人生とは
埼玉県朝霞市。高卒バツイチ一人暮らしの印刷工の男が人生の黄昏を迎えていた。平凡な住宅街に平凡な日常。胃カメラ検査の結果にびくびくするどこにでもいるような平凡な50代。しかし、ある日の偶然の再会により、錆びついていた日常が滑らかに動き出す。出会ったのは、木造アパートに一人で暮らす50代の女。男の初恋の相手だった。多感な時期に母親に見捨てられ、頼れるものは自分しかいない。図太く生きていくしかなかった。妻子ある男を奪い、若い男に貢ぎ、一文なしで故郷へ帰ってきた女。心の支えは男との淡い恋の記憶だけだった。欠けた月の光が照らす中、再会した二人の心は次第に無垢だったあの頃に戻っていく。互いに夢も希望も失いかけていたが、何物にも代え難い存在になっていく。普通の街を舞台に人生の折り返しを過ぎた男と女のリアルを堺雅人と井川遥が生々しくもナチュラルに演じきる。人生を振り返ってあらためて噛みしめる本当の幸せとは何なのか、中高年の誰もが身につまされる物語。終盤、絶望に叩き落とされた男がヘラヘラと不自然な笑顔を浮かべ平常を装う姿が逆に切ない。かつて震災の被災地で家族を失い茫然と道に立ち尽くしていた人の表情を思い出した。人は心が壊れてしまうほど悲しい時、思わず笑ってしまう生きものなのだ。笑顔からの最後の瞬間に魂が揺さぶられる。
自分と同世代の人の生き方を見た
太すぎて
須藤は太すぎる。感情移入ができなかった。
幼少期の過酷な家庭環境があったとはいえ、その後の人生での破天荒さをみるとバチが当たったのかな?とさえ思ってしまった。一方で、青砥と須藤が過ごす日常のシーンはあまりにもありふれていてリアルで見ていて少し恥ずかしくなった。当方、堺雅人が大好きでこの映画を見に行きましたが、どこにでもいそうな中年男性の堺雅人がハマりすぎて井川遥の少し不安定な演技も気にならなかったです。でも元妻が吉瀬美智子、今カノが井川遥って!ここだけはさすがにリアリティがなさすぎたかも。すごく面白かったんだけど、もし青砥が堺雅人じゃなかったら同じように楽しめるか?と考えると少し微妙な気はしました。
予告でオチ分かるのやめて欲しい
2025年劇場鑑賞322本目。
エンドロール後映像無し。
中学の時の同級生と出会って親しくなっていく話。予告でほぼラストシーンを出しているので序盤でオチが分かります。
日本で一番好きな俳優堺雅人が主演しているのである程度は楽しみだったのですが、彼の持ち味は笑顔の下の狂気だと思っているので、こんな普通の恋愛ドラマにもったいないなぁ、という気持ちもありました。実際井川遥といい感じになるにつれこっちがなんか照れくさく・・・。
井川遥演じるヒロインが劇中では気の強い女は可愛いよな、と言われていましたが、自分にはちょっとめんどくさいなと思いました。結局最後の選択も相手にとってはきついよな。
3大好きなおじいちゃん俳優田中泯、國村隼に続く塩見三省が出てたのが良かったです。昔のギラついた時は苦手だったのですが、病気をしてからはいい味が出ています。復帰したての頃は痩せすぎててめちゃくちゃ心配だったのですが、ポスターを見るとだいぶ元気そうで安心しました。でも実際演技しているのを見るとめちゃくちゃ声が小さくてまぁそうか・・・と思いましたが、彼が話す度になんだかじ~んときました。
日常にある運命を感じる事
ラストの自転車二人乗りのシーンを見て思った事。物語では中学生だった2人が好きだったから50代になって会えたように思えるかもしれませんが。
むしろ青砥と須藤は人生の後半でいずれ深く交わる事が決まっていて、だから中学生の時に出会えたのじゃ無いかなって感じ方もしました。
追記
映画では日常の生活のように淡々と日々が流れます
でも実は全然普通じゃ無い事が起きています。
運命って想像できない不思議なものです。
中学生の時にお互いに好きだった人と、50代になって、そしてそれは人生の終わりを見送り見送られるタイミングでの再会だと後で分かります。
青砥は日常から離れた旅行を企画したり記念日のネックレスを渡します。一方で須藤は「夢みたいな事だよ」と青砥との日常を夢見ています(と想像します)。
中学生の青砥は特別な人間になりたいと思い、一方で須藤は温かい日常家庭を求めています。
そして50代の再会をきっかけに、青砥は須藤と一緒にいることで毎日が特別な日々に変わり、一方で須藤は普通の温かな日々を手に入れます。
「一緒にいるだけでいい」
50代の恋愛はそんな感じなのだと思います。
実は何歳だってそんなものかもしれません。
自分も好きだった人の死を後で知った事がありました。聞いた時は驚きだけです。涙なんか出て来ません。堺雅人さんの演技そのものです。
本人は病気を教えてくれませんでした。しばらく連絡がつかなくなって、後で知りました。
彼女と歩いた風景 一緒に聞いた音楽 そんな一瞬に遭遇した時、もう彼女がいない事を実感して涙が出て来るのです。居酒屋で嗚咽する青砥の感覚はよく分かりました。
何で出会ったんだろう、どうして言ってくれなかったんだろう、ずっと呪いのように考え続けます。
でも最後に
愛して愛されていたんだな
きっと運命で自分は見送る事になっていたんだな
と思うようになりました。
最後は自分語りですいません。
何年生きたって涙の止め方は知らなくていい…
中学の同級生である50歳の男女がそれぞれ地元に戻り再会をするところから始まる物語
病院での再会というところが年代を感じさせる
そしてそこから2人は再交流を始める
中学生の時同様に苗字で呼び合う2人の焼き鳥屋のデートや家飲みにチャリの2人乗り
ファストファッションや家電量販店で購入した物に囲まれた慎ましい穏やかな生活…
ずっとずっと聞いていたい2人のとりとめのない会話が心地良かった
中学時代に須藤に恋していた青砥は彼女との再会に無邪気に喜び楽しむが家族を捨てた母親の様になりたくないとの思いから青砥の告白を断り中学生にしてすでに1人で太く生きて行く!っと誓っていた須藤は金銭的余裕がない事や自身の時折歯止めが効かなくなる恋愛事情も青砥に包み隠さず話す
そんな2人の温度差を感じながらもこの恋を見守りたいと思っていたのに…
何でもない毎日が愛しく輝かしい事だと改めて思えました
ラストは劇場が涙腺崩壊状態💦でしたね
主演の2人の好演はもちろんの事脇を固めるキャスト陣の普通感が秀悦!
鬼奴は声を聞くまで分からなかったし成田凌君も3度見位して気が付いた
中でも2人の恋を静かに見守る焼き鳥屋の主人役塩見三省さんの演技が印象に残りました
欧米に比べれば大人〜シニア世代の恋愛作品は
やや少なめかな?と思われる日本映画
中高年のラブストーリーへの裾野を広げてくれたようにも思えました
そして何よりも皆さん検診は必ず受けて下さい!自分の身体に過保護になって下さい!
素晴らしい映画ともっともっと出会う為にも
大腸がんサバイバーでもある私からのお願いです!
このタイミングで近々薬師丸ひろ子さんのライブに参戦します「メインテーマ」を聴いたら
きっと泣いちゃうなぁ🥲
タイトルなし(ネタバレ)
離婚後、地元の朝霞に戻り、印刷工場で働く50代の青砥(堺雅人)。
施設に入居させた母に月一回は面会に行くが、認知症が進行した母は都度「息子は死にました」と言う。
そんなある日、胃の具合がよろしくなく、内視鏡検査を受けた帰り、病院の売店で中学生時代の同級生・須藤(井川遥)と再会する。
互いに独り身。
互助会的な感じで旧交を温めることになったふたり・・・
といったところからはじまる物語。
中年の恋愛を描いた・・・というだけで、少々こっぱずかしいところ。
だが、「リリカル」な映画だった。
大林宣彦の尾道三部作の主人公たちが中年になったと言うか。
「まっすぐ」とも言える。
ふたりのあいだには、「かくしごと」はあるが、「嘘」はない。
50年も生きてきたのだから、隠したいことなど、山ほどあるはず。
その多くを、ふたりは本音としてさらけ出す。
たったひとつのことを除いて・・・
最後に描かれる青砥の号泣。
フェリーニ『道』のザンパノの慟哭が脳裏を過った。
薬師丸ひろ子が歌う「愛って よくわからないけど 傷つく感じが・・・」の歌詞が沁みる。
50年生きて来ても、知らないこと、わからないことは多い。
途中、驚くショット繋ぎがあった。
思わず、息をのんだ。
感嘆したそれは、
中学生時代の青砥が須藤の家庭内いざこざを目撃し、逃げる須藤を青砥が追うシーン。
中学生時代のふたりは、現在須藤が暮らすアパート傍の橋を駆け抜ける遠景。
橋の中程に青色の人影が写っている。
切り返しのバストアップショットで青色のコートを着た須藤が写される。
中学生時代の青色の人影=現在の須藤、という文法。
さりげないショットの繋ぎなのだが、こういうあたりにリリシズムを感じる。
物語を超えた詩情のような映画の文体。
付け加えると、塩見三省演じる焼き鳥屋の親父の、ほとんど動かず無口な姿は、『さびしんぼう』の主人公の父僧を思い出しました。
評価は、★★★★★(5つ)としておきます。
物足りなさだけが
堺さんて笑ってるときも泣いてる時も怒ってる時も目元の演技がどれも同じなんですよね
日常感はあるけどエンタメとして観たら話も単調で盛り上がりもイマイチ ラストのオチも予想がついたので星2つ
中村ユリさんの出番をもっと観たかった
『太い』井川遥
仙人のような店主に見守られて
次の一歩を
中年期に降りかかる家庭問題・健康問題の苦悩を抱えた二人が再開し、互いを必要としていく。2度目の青春などという甘酸っぱいものではなく、先読みのできる大人だから現実を考える。覚悟を決めた青砥とそこに甘えてはいけないと独りを選ぼうとする須藤。それでも心では月を眺めて夢のような未来を望む…
須藤の家庭環境の特異さや中学時代の2人の特別な交流は映画ならではだが、大人の2人のやり取りは簡素で真実味があった。それだけに最後の青砥の慟哭への見せ方はよかった。ただ全体的に胸に迫るというより頭で捉える映画で終わってしまった印象。
願わくば、青砥の悲しみで映画を終わらせるのではなく次の一歩を見せてほしかった。だって救いがないじゃないか…。救いを見出すとすれば、ボリュームをあげた大将の優しさだろうか。優しい人は必ずいるという希望なのだろうか…
それにしても塩見三省の役どころはズルい。
全462件中、181~200件目を表示
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