平場の月のレビュー・感想・評価
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等身大の大人の恋は、静かで、ちょっと苦くて、とてつもなくやさしい。
大人の男女の心の機微を繊細に描いた朝倉かすみの同名恋愛小説を、堺雅人主演、井川遥共演で映画化。中学時代の初恋の相手同士が、時を経て再会し、ふたたび惹かれ合っていく姿を描く。監督は「DESTINY 鎌倉ものがたり」以来8年ぶりとなる土井裕泰。「花束みたいな恋をした」「罪の声」など、恋愛と人生を描く名手でもある。脚本は「ある男」の向井康介。
映画『平場の月』は、
「特別な恋」じゃなくて、「ごくありふれた、どこにでもいる大人の恋」を描いた作品。だからこそ刺さるし、だからこそ少し痛い。
若い頃みたいに、勢いだけで恋に飛び込むことはできない。
仕事も、家族も、過去の失敗も、体力の不安も。
いろんなものを背負いながら生きている“いい大人”のふたり。
それでももう一度、“誰かと生きたい”と、夢みたいなことを願ってしまう。
この映画が良かったのは、
恋愛映画なのに、無理に「キラキラさせよう」としていないところ。
派手な告白シーンもない。
ドラマティックな運命の演出もない。
ふたりの会話も、ほとんどが“なんでもない日常の話”。
でもその“なんでもなさ”のひとつひとつが、
たまらなく切なくて、尊い。
誰かと一緒にご飯を食べること。
誰かが体調を気にしてくれること。
誰かに「またね」と言えること。
その当たり前の日常が、
どれだけ奇跡みたいなことなのか。
大人になると、身にしみて分かる時が来る。
「若くないからこそ、
こんな恋を、大事にしたいんだよ。」
作品全体から、そんな声が聞こえてくるようだった。
等身大の大人の恋に、ちゃんと切なさを感じられる人には、
ぜひ静かな気持ちで観てほしい一本。
どうぞハンカチのご準備をお忘れなく。
50代だからこそ描けるラブストーリー
エンドロールに流れる星野源さんの曲を聴きながら、全身に染み渡るこの大人なラブストーリーに、ただただ胸が苦しくなった。
大人になったらなんでも器用にこなして、正しい判断ができると思っていた。けれど大人になったからこそ、自分の生き方や振る舞いを変えられなくて、後先考えずに衝動では動けなくなってしまう。
おかしいな、10代の頃よりいろんなことが出来るようになったはずなのに、恋愛になると不器用で滑稽で、なぜこんなにも切ないのか。
ドラマチックで甘酸っぱいキラキラとした恋愛よりも、ただ愛する人と、平凡な普通な平場のような暮らしをしていくことが、どれだけ幸せなことなのかが身に沁みてくる。
ありそうでなかなか無かった50代のラブストーリー。堺雅人と井川遥という美男美女が演じているにも関わらず、演出やメイクや服装のおかげで、そこらへんのスーパーにいそうな、庶民的なふたりになっていた。そのおかげで最後まで没入して、ふたりの恋の行方を追うことができた。
中学時代のシーンもすごくいい。
堺さんは現代のラブストーリーものに出演されるのは今作が初めてということで、見慣れない堺さんのラブシーンは正直居心地が悪かったけど、それ以外の2人のシーンはとても素敵だった。
鑑賞後、日が経つにつれてじわじわと余韻が染みてきて、あーあの時須藤はどんなふうに思ってたのかなとか、青砥はあの後どうしたのかなとか、考えてしまう、苦しいけど美しいラブストーリーでした。
誰もが今、側にいる誰かに思いを馳せる時間
中学時代に出会い、互いに気持ちを充分に伝えられないまま、それぞれがそれぞれの人生を過ごし、50代になって再会した男女。どちらも人並み以上の苦労をしてきた割りには、相変わらず微妙にすれ違う2人が、ゆっくりと、本当にゆっくりと距離を縮めていく過程がいい。そのスピード感が2時間弱の映画にはピッタリなのだ。
失敗した結婚、癒えることがなさそうな病との戦いetc、苦しいことは多々あるけれど、劇中の台詞にもあるように、『共に歩む相手がいる何事にも変え難い至福』が、しんみりと伝わってくるのだ。たとえそれが、束の間の幸せだったとしても。
東京の北部、池袋から東上線に乗った先にある朝霞近辺に住む人々の生活感や、平場(庶民)として暮らすことの慎ましさも描かれているけれど、本作は演じる堺雅人と井川遥の適役ぶりで魅せる。特に、終始笑っている堺雅人が最後に用意していた"演技"に思わずもらい泣きしそうになった。
大人のラブストーリーには違いないけれど、誰もが今、側にいる誰かへの思いを新たにする時間を与えてくれる映画だ。
平場に生きる幸せ
年齢問わず恋愛って素晴らしいと思う作品 後半にレビューネタバレ有り
素朴でありながら
人の出会いや気持ちはいつまでも
男女と繋がる事の素晴らしさを教えてくれる作品です。
年齢層高い方向けの作品でしょうか。
もしかすると若い人には響きにくいかもしれません。
ですがいつかこの作品をみて良かったと思えた時
あなたも大人になったのかもしれません。
第二の人生を踏み出すには恐らく勇気はパワーを
使う事になると思いますが、そういう事を忘れて
だれかとまた恋に落ちる、それは素敵な事だと思いました。
井川遥さんがとても素敵でした。
堺雅人さんも素敵な俳優さんなのですが
この作品にマッチしていたかは人それぞれかもしれません。
井川さんが素敵すぎて物凄く難しく感じました。
ここからはネタバレになりますので以下はお気をつけくださいませ。
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闘病中の須藤の写真がとても辛かったです。
死んでしまっては二度と会えないのだから
意地を張らず青砥と会って欲しかったなと。
部屋に残されたカレンダー、1年後の日付に〇が付いていたのを見た時
本当は会いたかったんだろうなと。
妹さんが青砥を無理にでも連れてきてあげても良かったのではと
思ったりしました。
辛過ぎた作品でした。
有難う御座います。
井川さんに是非、賞を
地元ということもあり、公開早々に観ました。
主人公たちの選択に共感できるわけではないが、そのツライ選択や行動が心を抉ります。「合わせる顔がない」この何とも無念で切ない一言に涙が止まりません。この難しい役を見事に演じた井川さん、もっと賞などのスポットがあたってほしい。
(ログイン方法を忘れてずっと投稿できませんでした。)
ジワる
堺雅人の特異能力が炸裂
これ観た方でマイケル・ウィンターボトム監督の「GO NOW」連想した方はいませんでしょうか?
似てないけど、いろいろ対照的なところが多くて、故になんとなくですが意識されているような気がします。宮藤官九郎がSMAP提供曲の歌詞に入れてたくらい世代的に人気作だった筈なので原作者の方とか監督とか、お好きかどうか聞いてみたいです。
出演者のこと。
大ベテランの塩見三省でんでん大方斐紗子、この物語に不可欠な助演かつ存在でした。
宇野祥平黒田大輔吉岡睦雄、この御三方の共演はなにげにレアな気が。普通の気合だったらこの内2人までしか呼ばれてない気がするw
それから何と言ってもアレを聞いてからの堺雅人の変貌ぶり…、私は、およそ芝居であのような形相をかつて観たことないです。あまりに凄いオリジナリティに心打たれてしまいました。いちおう言葉でいえば、「素っ頓狂」を絵に描いたような顔。「素っ頓狂」ですから、海外の人にはムリです。「その夜の侍」でも物凄い顔面を披露していた堺雅人の特異な演技力に久しぶりに圧倒されました。
さらに井川遥の芝居の全てが、もう最高レベルに狂おしい。母親を否定したいのに血に逆らえない。妹だって巻き添えにする位の憎悪なのだがそれも愛だと分かっちゃいるが、もう変えられないこれが私の性格だから感。
人は、気がついたら出来上がってる己の性格と心中しながら生きてくんだなあと、しみじみ共感させてくれる名演でした。
しかし若いツバメ(成田凌)、ふといって言えますし、坂元くんに通じる面影かなりありますよねw
坂元くんは将来の天井が見えない新怪物なのかな?
薬師丸ひろ子の「メインテーマ」のこと。
自分が中学生の時の歌だけど、子供心に不可思議さが永続する歌詞なんですよね。松本隆独特のリアリズム。
あの頃は、20年も生きてるのに愛なんてもんが難しいのか、薬師丸ひろ子も未熟なんだなって、歌詞を真に受けて聴いてたなあ。
松本隆の作品では、安部恭弘の「トパーズ色の月」を学生時代よく聴いてましたが、この曲の歌詞もなぜだかこの映画によく合います。よろしかったらググってください。
今朝、老眼で平場が文字化けして平壌に見えました。平壌の月、せっかくだから想像してみました。自分が死ぬまでにごく普通に見に行けるようになればいいなあ。
月は知っていた
映画見て、原作読んで、やっとレビュー
映画見て、「うーん」と未消化、
原作読んで、「なんだかなあ」となって、
1ヶ月たって、やっと、消化できた。
何かを書いておきたくなって書いてます。
青砥が知らないうちに亡くなっていた。
これがどうしても、腹に落ちない。
須藤にとって、青砥は恋しい人ではなかったのか、「合わせる顔がないんだよ」という須藤の考えがどうにも切ないし、哀しい。
映画の中で、須藤の妹が、青砥に「青砥さんはお姉ちゃんの初恋の君だったんですよね」というシーン、青砥が「えっ!」と少し驚いた表情を見せるところが、須藤の心情を現していると思った。このことを青砥に言ってない。一切媚びない、心に深入りさせない、自分もしない。自分が亡くなると判った時点では、亡くなる前に青砥に何か伝えてほしかった。自分の気持ちを。須藤もつらい、青砥があまりにもつらい、
だから、この映画、私にはなかなか消化できなかった。
まごう事なき傑作。静かなる傑作。
とにかく凄く繊細・・まるで細密画の様。かつメチャクチャ丁寧。演出も演技もとても抑制が効いていて、ガラス細工のような煌めきがある。しかもテーマはメチャクチャ日常の中でも最も扱いがデリケートな細部まで描かれているのに細部に決して視点が引っ張られることがない。
あと映画的仕掛けが随所にちりばめられていてその仕掛けの最大級のものがエンディングに用意されている・・これには参った。
全く予期せぬエンディング・・涙が溢れる、号泣するとかではなくて、毛細血管から涙が湧き出るような震えがある。丁寧なのに仕掛けが多く周辺のわきを固める俳優時の演技もメチャクチャ制御されていて心地よい。しかもそれがまた見事な風景とないって横たわる。キッと原作も相当良いのだと思うが脚本、演出、演技、カメラワーク、仕掛けがどれ一つ突出する事なくコントロールされている。。。そして全く知らないうちに予期せぬエンディングになだれ込む。こんな映画は一寸見た事がない。
井川遥の最初にして最後の代表作かもしれない
例によって原作はまだ読んでいない。
※注文しているので、読んでからどうしても書きたくなったら追記します。
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予告編や配給の宣伝文を観た限りでは、中年のラブストーリー(悲恋)、何やら不治の病の気配、堺雅人の号泣・・・ということで、またかよ、そういうのはアイドル系の若い子たち+ライノベ原作だけにしとけよ、としか思えなかった。
何も芸達者な堺雅人や、あまりそうとは思えない井川遥を持ってきて一体どうするつもり?・・・
こんな印象を持って座席に座り、30分経ったあたりから「これは、違うぞ」と引き込まれていった。
この「期待感のなさ」と実際のギャップの驚きは『みんな、おしゃべり!』に匹敵する「大当たり」でした。
まさに「平場」~職場や路上や居酒屋で、同僚や同級生や家族と交わされる軽妙でウィットの効いた会話がとても良い。これは原作が良いのだろうか?
同時にマニアックでトリビアな視点で恐縮だが、録音が非常に優れている。役者たちの滑舌も良いのだろうけれど、上記の会話がとてもストレートに入ってくる。聴き取りやすくてストレスがない。
そして、物語自体は本当に平凡である。いっさいドラマチックなことはない。
わざわざ映画にしなくても、有名な俳優を多数起用しなくても、恐らく日本全国で同じような「出来事」は今も起こっており、似たようなエピソードは無数に存在しているだろう。
しかしそれをここまで淡々と「映画として観せる」腕は尋常ではない。
平凡な平場の出来事を、どうしてここまで深く印象付けられるのか?
ストーリーを追いながらそのマジックに途中から気がついて、胸がざわざわし続けてしまった。
観終わってつくづく制作陣に感服しつつ確信したのは、キャスティングの勝利の一言に尽きる、ということだ。
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井川遥は、個人的に好きな「タレント」の一人ではある。
もっと言うと、モデル出身のタレント、であって、俳優ではないと私は認識している。
ルッキズムの誹りを免れないかもしれないが、それ以外にどうも私の心理の奥底に、演技力以外の要素として、あの素人っぽい立ち居振る舞いや物言いに惹かれるものがあるらしい。って、そんなことを誰も聞きたくはないだろうが。
そして、彼女のこれまでの代表作が残念ながら思い浮かばない。
思い出すのは、ウィスキーのCMだけだ。あ、そういえば原作も映画も大好きな『69』でアルファロメオに乗って出ていたな。
Wikipediaで調べてみても、主演とされた映画、TVドラマ、受賞作はまったく印象が薄い。
しかし、出演作数は膨大である。そして、そのほとんどが脇役であることに驚嘆する。
これもまことに個人的な印象で恐縮であるが、いわゆるバイプレイヤーのいぶし銀の演技力や存在感があるわけでもないのに、これは不思議である。
なぜなら、どうしても「棒読み」のイメージを拭いきれないからだ。ひどい言い方をすれば、大根役者の範疇に入ってしまうのかもしれない。
だとすれば、ある意味キャスティング泣かせな存在なのかもしれない。
しかしこの作品で、井川遥は役者として強烈に輝いた。
須藤葉子というごく平凡で、家庭的に大きな喜びにも乏しく、思い出も乏しく、中学生の頃にすでに「自分は将来、独りで生きていく」、それはすなわち「独りで死んでいく」と決意した、かっこよく言えば孤高の、無惨に言えば、淡々と生き淡々と死にゆく一人の寂しい中年女のキャラを演じられたのは、彼女以外に居なかったのでは、とさえ思う。
そして、こんなことを言っては大変失礼なのかもしれないけれど、ここまでのものを観せられてしまったら、もう今後これを超える役も作品もなく、最初で最後のたった一つの代表作として記憶されるのではないか。
それでもいい。
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堺雅人の演技力と感情表現が多彩なのは言うまでもない。ただ、この作品ではずっと淡々、粛々である。
最後の号泣だけが予告編でインパクトを持って流されるが、それが堺のイメージとして配給によって安直に切り取られていただろうことが鑑賞後によくわかった。
作品を通して、彼の演技のクォリティと貢献は、そんなもんじゃなかった。
死を知らされなかったこと。人づてに聞いたこと。かつて時間を共にした部屋で妹と交わした言葉。
親しい者、愛する者の突然の死を知ってからの、呆然と過ごす時間と、どこか遠いところからフィルターを通して聴こえてくるような声。
自分に起こっている一種の感情麻痺は、経験した人にしかわからないだろう。
堺雅人は、そのような経験があるのだろうか? あるのだ、としか思えない自失ぶりである。
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そして堺と井川の中学生時代を演じた坂元愛登と一色香澄が出色である。
坂元はすでに『ある男』や『ふてほど』で印象深かったが、一色はまだWikipediaのページすらない。
が、現在の青砥(演:堺)と須藤(演:井川)の時間に時折差し込まれる中学時代の2人の様子は、本当に私たちは時間を巻き戻して見せられているのではないか、と思えるほど違和感がない。
その他の脇役陣、宇野祥平、でんでん、大森南朋、安藤玉恵、中村ゆり、吉瀬美智子、成田凌も大好きな役者たちだが、何と言っても居酒屋の化石のようなオーナー、塩見三省が痺れるほど良い。
こうした役者たちが、原作を活かした脚本の上で演出を付けられて踊る。
その踊りのバランスが、この作品はとても優れているのだ。
踊って表現しているのはただ一つ、「平凡な人生」。
それを「平場の月」と言い換えよう。
誰もが生きていて、誰もが味わいながら命を終えていく、その普遍的な、無名の人生である。
「青砥。ちゃんと検査、受けろよ」
こんな辞世の言葉、泣けるだろ。
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エンディング・テーマは星野源『いきどまり』。
これも印象深いけれど、今、Spotifyで出羽良彰の静かなギターで彩られたOSTを聴きながら、須藤の病床の写真を思い出して書いている。
主題歌とマッチ
観る前は主題歌の歌詞がいまいちわからなかったけど
鑑賞後、歌詞を見ると須藤の気持ちに感情移入して涙が。
原作は読んでないですが
面白かったです。
とにかく井川遥が美人で
時々急に色っぽい堺雅人がみれて幸せな映画
50代になってもこんな恋愛してみたいなと感じた。
原作読んでないけど
いや、おもんなかった。
映画館に足を運ぶときはだいぶ吟味して行くのでだいたいハズレることはなけど、かなりワーストに入る感じ。
演出が良くないのはそうなんだけど、原作もどうなのか、彼女の性格、拗らせ系すごい。あの歳で?もう少し彼の心情考えろよ。自分から誘ったんじゃないん?
男まさりで思わせぶり。いわゆる女の友達できないタイプ。美人だからなおさら。
中年のリアルを描くなら、例えば白髪染をしていたり、そんな場面でもあるといいけどね。
青砥の元妻も吉瀬さんじゃ、正直おんな社長で冷めるし、別れた旦那の母親が死んでも泣かないと思うよ。
あと、度々出てくるLINEのやりとり。
観客がほとんど中高年であのLINEのやりとりが読めた客いるん?って感じです。
じんわり感動。今に感謝。
恋愛に年は関係ない。
「太い」って何だろう?
単純な大人のラブストーリーだったら選択肢から外れるところだったが、予告編がそうじゃないと言っている気がして、観てきた。
平場(ひらば)。
日常ではあまり使わない言葉だけど、文脈からして、「普通の」「平凡な」「庶民的な」という意味だろう。主人公の2人とその周りは、まさに平場であって、現代日本に生きる等身大の、独り身の50代の男女がそこに居た。
お互い辛い体験を経て舞い戻った故郷の街で、数十年ぶりに出会い、距離を縮めていく過程と、中学3年の2人が距離を縮めていく過程が、並行して描かれる。青砥は須藤に告白して振られたと思いきや、それをきっかけに距離が縮まり、夜の川岸で須藤の本当の気持ちと覚悟を知る。青砥が須藤との過去を1つ1つ思い出すようにしてたどり着いたこのシーンは、本当に絶妙なタイミングで描かれていたと思う。
平場の2人と、平場の周りの人たちの平場の言葉や態度が、沁みる。
・男は女と直ぐに旅行に行きたがり、女は少し時間を置こうという。
(男は女と一緒にいたいし、女を喜ばせたい。女は心と体の準備が追いつかない。幸せが怖い)
・そばに居てくれる人がいるって普通のことじゃない。いっぱい傷つけられればいいんだ、という同僚のでんでん。
(そう、普通のことじゃない)
・何も言わずただやさしく見守るだけで全てを知っているような動かない塩見三省。
(待っているときに「待つわ」がかかるとか、有線の選曲がさりげにいいよね)
・「青砥に会わせる顔がない」と最後につぶやいた須藤。
(最後まであの日の約束を果たそうとしていた)
「太い」って言葉もあまり使わない。
どうして「強い」じゃなくて「太い」なのか?考えてみた。
私は「強い」には、「堅くて強い」と「しなやかで強い」の2種類あると思っていて、「堅くて強い」はボキッと折れてしまう脆さも持っている。「しなやかで強い」は、ときに人にも寄りかかったりもしつつ苦難を時間をかけて乗り越えていくイメージ。須藤はどちらでもない。
とにかく、動じない。折れもしない、寄りかかりもしない。だからといって決して強いわけじゃない。「弱さを見せたくない(見せる勇気がない)」「甘える自分を許すことができない」それが、強がりで照れ屋な須藤の太さかな、と思った。
堺雅人は何を演じても堺雅人って感じがするのだけど、今回の役は「平場感」が出ていて良かった。でも何と言っても複雑な性格の役柄をナチュラルに演じた井川遙の演技が一番。
あと、安藤玉恵は、平場のおばちゃんを演じたら現時点で右に出る者はいないと思う。
まとまりのない文章になってしまったけれど、40代以上の方には沁みまくる映画ではないでしょうか。私は、あーわかる、沁みるーと心の中でつぶやきながら観ました。
こういう映画が増えている気がするけど、日本が高齢化しつつある証拠かなあ。
井川さんいい!!
ラジオの宣伝でこの映画の事は知っていましたが堺雅人と井川遥のラブストーリーは興味ないなぁと思っていたのですが朝霞が舞台と聞き観に行きました。結果見終わった後もこんなに残る映画はそうそう無いぐらい良かった。もう2週間前に見たのに月を見ても池袋に行ってもこの映画の事を思い出しています。月のネックレス、一つだからいいんだよって。井川さんがハーブ🌿を育てているシーンもありそうだなぁと思って良かった。あと薬師丸ひろ子さんのメインテーマが沁みました。ボリューム上げるシーンが心に残ります。
全460件中、1~20件目を表示
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