木の上の軍隊のレビュー・感想・評価
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沖縄出身の監督の映画
鬼滅に興味が無いか、鬼滅を見終わったおじさんがたくさん。わたしもその1人ですが。
今年は何故か戦争映画が多いですね。
毎年夏には何本か観ますが、映画から戦争を考えるのは良い事だと思います。
恥ずかしながら、伊江島のことは知らなかった。
冒頭30分は、戦争映画ですが、残りはちょっと違った目線でヒューマンドラマでもありますね。沖縄目線と内地目線、当時の軍人と沖縄の一般人の目線の違い、または当時と現代の目線の違いもわかりやすいと思うよい映画。
恐ろしさと滑稽さ、時には笑いもありながら最後はやっぱり泣いてしまう。
よなみねの、よなみねによる、よなみねのための😅
ちょっとしんどいかな
既視感ある映像(演出含む)それなりに展開はしっかりしていて見れるは見れるが…
戦争の悲惨さを直接的に訴えるよりはこう言う方が良いのかも?しれませんんね。ただ同じような作品の「野火」(塚本版)とは圧倒的に鑑賞後感が違うには何故か?
戦争はダメ、平和が大事って事は小学生でもわかるし、簡単なエンターテイメントに仕上がってるのは仕上がっていますが、そうなると反戦映画を否定できなくなる。
これはハッキリ良くないと感じます。単純にエンタメ感で仕上げて良いのか問題と、当事者性(沖縄出身)を利用したイデオロギー丸出しの大勢批判にも取れる。なんかしっくりこないのはやはり作り手の真摯な気持ちが足りないのでは?と思う。演技が云々の前に
知るという意味で観といた方がいい映画だと思います
沢山考えされられる濃い作品でした。 彼らにとっての二年間は生き地獄...
結果論になるけど、何と戦ったんだ?
本当に多くの命をかけて何と戦ったんだ?
正直勝ち負けで判断するのはどうかと思うね。
でも今現在は敗戦があったからこそここまでの国に成長したんだ……でも。
先人たちは色んな理由と思いを込めて命をかけて戦ってくれたんだよね。
戦ったから何?1人で10人倒したから何?真珠湾に攻め込んだからこうなったのか?
根本的に戦争は何を生んだのか?
悲しみしか生まないよな。
今も世界中で戦争は起きているけど何も生まないし、世界中を敵に回して最後の1人になるまで殺し合いをするのかと思うよ。
安易に殺し合いで解決しようかと思えるほど馬鹿ばかりが世界を動かしているよね。
戦う相手を間違えているよな。
国でも宗教でも人でもなく自分たちの未熟さだよね。
本当にいつになったらこんな争い事がなくなるんだろ?
夢だ理想だ詭弁だ………やる気がないだけだろ?お前らの言い訳なんて聞きたくないしクソ以下のリーダーたちはいらないねん。
あったかい安らぎのある家庭に帰りたいねん。みんな誰もが。
戦後80年。何年?要らないわこんな表現。
ずっと永遠に平和でええねん。
それが我々現代人が先人に対するAnswerであり決意表明であってほしいです。
戦後80年、この時期になると戦争が上映され、戦争の悲惨さをあらため...
戦後80年、この時期になると戦争が上映され、戦争の悲惨さをあらためて感じさせられます。
沖縄の地で繰り広げられた戦いが地元住民の住み慣れた所への思い残された家族への思いが痛烈に伝わりました。
やっぱり生きる執念や国への忠信、当時の日本兵の姿が見えて来ました。
無事帰還されて良かったです!
偏りのない立場で沖縄戦を描いてみせた大傑作
反日作家井上ひさしの原案で沖縄が舞台と聞いて、さぞ旧日本軍が貶されまくっているのではと恐る恐る見に行ったのだが、意外にも非常に中立な立場で描かれた大傑作だった。こまつ座の演劇は井上ひさしの生前からよく見ていて、作者の2つ前の席で見たこともあるのに、この作品には見覚えがないと思っていたら、1990 年に上演予定で俳優や演出家まで決まっていたのに、結局は台本が書けずに流れた作品とのことである。
井上ひさしが残したものはたった2行のメモと、図書館の一つのブース分くらいありそうな膨大な資料だったらしい。これを完成させたのは劇団モダンスイマーズの蓬莱竜太で、井上ひさしの蔵書を多数所蔵する井上の生まれ故郷山形県川西町の遅筆堂文庫に通って膨大な資料を読みながら、遂に完成させて 2013 年にこまつ座で初演している。生憎舞台は見たことがない。
井上ひさしが目に留めたのは、1945 年4月の米軍上陸から2年間、沖縄本島北部から北西約 9km の伊江島で、終戦を知らずにガジュマルの大木の上で密かに戦闘行為を続けていた2人の日本兵が見つかったという新聞記事だったらしい。片方が沖縄出身で、もう一人が宮崎県出身というのも事実通りだそうである。宮崎県出身の歴戦の兵士を堤真一が演じ、地元出身の若い志願兵を山田裕貴が演じており、互いを「上官」「新兵」としか呼び合わないところは旧日本軍の慣習そのままである。
島が米軍に占領されるまでの過程は、手抜きなしに実に丁寧に描かれており、敵の容赦ない攻撃の無情さを徹底的に描くことで、米兵の恐ろしさや戦争のむごたらしさを見る者に感じさせ、米兵に見つかったらどういう目に遭わされるかという恐怖を下地として上手に雰囲気作りがなされていた。そんな中で水も食料も自分で手に入れなければならない絶望的な状況の中で、地元出身の新兵のサバイバル知識の豊富さに助けられて二人は命を繋いでいく。
水は雨水を溜めることで何とかなるが、食料は簡単にはいかない。当初は戦死者の持っていた乾パンや缶詰めで飢えを凌ぐが、すぐにそれも尽きてしまうと、蘇鉄の実を砕いて長期間水に晒して毒抜きをしたものを団子にして食べたりもした。いよいよ食べるものが尽きてしまったところに、米軍の缶詰を見つけるのだが、その貴重な食べ物に対して二人が見せる立場の違いが切実だった。死んでも敵の食糧など口に入れないという上官に新兵は困り果てるシーンがあり、あそこは「任務遂行のためには、敵の食糧だって使って命を繋がなければならない」と言うべきだと思ったが、その後の展開は私の想像を遥かに超えたものだった。
二人の会話が中心で物語が進行するところは、いかにも演劇的という感じを受けたが、映画としての価値が下がるとかいうことは決してなく、次々と局面が変わって二人が臨機応変に対応していくところは非常に見応えがあった。二人の主演俳優は、極限状況を演じるためにかなりのダイエットをして臨んでいて、雰囲気を感じさせていた。相棒の二課の課長役で知られる山西惇が出演しているが、こまつ座の舞台で上官役を演じたらしい。また、新兵の親友役を演じた津波竜斗が実に存在感があって好演だった。
音楽は見慣れない名前の人だったが、雰囲気をよく伝える曲を書いていて好ましかった。監督は脚本も兼任していて、物語の進行に緩んだところはなく、必要なシーンを過不足なく繋いで見せていたのには感服させられた。「新兵」としか呼んでいなかった上官が呼び方を変えた時が、本当に素晴らしい瞬間だった。
(映像5+脚本5+役者5+音楽5+演出5)× 100= 100 点。
戦争の無意味さを実感するために
太平洋戦争末期の沖縄戦における伊江島が舞台。追い詰められた二人の兵士、宮崎出身の山下少尉と地元出身の安慶名はガジュマルの大木の上に身を隠すが、いつの間にか戦争が終わって2年の月日が過ぎていた……。
一定の年齢以上の人々であれば、戦争終結を知らずに身を隠していたと言えば、横井・小野田などという名前が浮かぶかもしれない。
しかし、本作を観ながらずっと感じていたのは、そんな個人のエピソードではなく、人を人でなくしてしまう戦争の恐ろしさと愚かさ、そして戦争の無意味さということだけだ。
もとは舞台作品の映画化。限定的な場面で少数のキャストが演じることで、その人間性と彼らの関係性が色濃く描かれる。
山下と安慶名の関係は父の息子のようであり、愛しむ気持ちもありながら、近すぎるがゆえに反目しあったりもする。それはあたかも二人の出身地である本土と沖縄の関係のようでもある。
多くのことばは要らない。軍事費増額などと言っている連中を筆頭に、一人でも多くの人々が本作を鑑賞すべし。そして、こんな無意味なことを二度と繰り返すことのないように、しっかりと胸に刻んでおくべきだ。
帰りたい
帰ろう、すぐそこにある戦場だった故郷に
太平洋戦争の沖縄で、終戦を知らず大木の上で二年間隠れ続けた二人の兵士を描く異色の戦争映画です。何のビジョンもなくただ徹底抗戦を叫ぶだけの無能な帝国軍人と、地元沖縄で徴発されながらもひたすら朴訥で心優しい青年が、木の上と言う異常な閉鎖空間で暮らし続ける設定が面白いです。また、二人を米兵から隠してくれる大樹のビジュアルが素晴らしいです。食料調達のため米兵が捨てた食糧や物資を漁る内に、軍人が本来の目的を忘れてただの消費者に堕落してしまう一方で、家族も親友も戦火で無くした上に故郷はすぐ目の前にあるのに帰れない青年の葛藤の対比が、何ともやるせません。とは言え、お話しの展開が全体的にゆるくいろんなエピソードはあるのに、イマイチまとまりを欠く感じです。また、時間の経過による軍人の心境の変化が分かりにくいのと、二人の関係が終始一方的なのが気になりました。それでも、三線の流れる空想の実家で母や親友と再会する夢から醒めた時の、青年の『帰りたい』と慟哭するシーンは、思わずもらい泣きしました。役者では、青年役の山田裕貴がダントツの素晴らしい演技でした。話し方や視線のやり方など、静かな受けの演技から、望郷の念が爆発する動の演技への切り替えが上手いなぁと思いました。
横井庄一、小野田さん…
生きることの大事さを痛感
実話であることを噛み締めて鑑賞すると、
あらためてガジュマルの樹をねぐらにしたサバイバル生活は
壮絶としか言いようがない。
この環境で2年間も命をつないだ、おふたりの共生力と生命力に感服した。
山田裕貴演じる安慶名のセリフが実にリアル。
全然飾っていないし心の声をちゃんと発声している。
それは相手が上官であっても、、、だが、それはコミュニケーションが深化し、
心理的安全性というかもはや吹っ切れてからだが
(言いたくても言えなかったことが安慶名の日記に書かれており、それを最後半で山下(堤真一)が読むのだ)、
その言葉ひとつひとつが胸に刺さった。
セリフだけではなく山田裕貴の演技が本作の要といって過言ではない。
やつれ方や表情の演技が本当に素晴らしく、彼の演技だけで涙が出そうになったシーンがいくつもあった。
堤真一も素晴らしい。特に気持ちというか考え方というか認識の変化がわかるように演技していて、
特に米軍の残飯を食べるシーンや、
地元民に本当に終戦したかを問い、終戦していることを認識せざるを得ないシーン。
それにしても戦闘シーンは痛々しかったし、
あっけなく人が死んでいく戦争は何のためなのか?と思ってしまう。
兵士はもとより住民の命も簡単に失われていくのだ。
これは現代の戦争でも同じである。
命とは何なのか。生きるとは。を考えてしまうのと同時に、
本作の主役のおふたりを見るにつけ、命を大事にしなければと思った。
生きることの大事さ、平凡な生活がいかに素晴らしいか、
痛感する作品だった。
二人の演技すばらしかった
木の上で過ごした描写がメインだったけど、戦争の、伊江島の、犠牲になった人たちのことを想像すると、たまらなかった。
木の上で生きながらえたけど、二人の心境を、特に沖縄出身の若いほうの兵隊の心境を思うと、涙が出た。
何度か伊江島を訪ねたし、これからも行きたいと思ってるけど、島民の犠牲になった人たちに哀悼の気持ちを持って、美しい海を楽しみたいと思った。
今年は昭和100年で敗戦後80年の節目の年。今まで大東亜戦争の中でも原爆や玉音放送のような大きな出来事を扱う作品は多くありましたが、個々の小さな視点で表現する作品はこれから増えていくでしょうね。
前回観た「おい、太宰」の時もそうだったのですが、少ないキャストで演劇の舞台のように演じるスタイルの映画作品にはまりそうです。この作品も大勢のエキストラが参加していますが、話の根幹はガジュマルの木の上の堤真一と山田裕貴の二人だけで展開していきます。
原作は史実を元に構成されていると知りましたが、グアム島で28年間一人で見えない戦闘を続けた横井庄一さん、ルバング島で29年間日本軍の勝利を信じていた小野田寛郎さんという大きな報道で全国民に存在が明らかにされた例とは異なるので、2年という長さではなかったとしても、他にも目立たなくても疑似戦闘を続けていた将兵がいたのではないかと調べてみたくもなりました。
今年はこの作品の他にも、長崎への原爆投下を扱った「長崎-閃光の影で-」、戦闘の中で人命救助に尽力した「雪風 YUKIKAZE」、SF題材としては「沈黙の艦隊 北極海大海戦」など戦争を扱った邦画が多く公開されるので(単館上映の小作品ならもっとあるかも知れませんが)目の離せない一年になりそうです。
戦争を身近に感じさせる
これまで様々な戦争映画、ドラマを観てきたが、なぜだろう。これほどわがことのように感じたことはなかった。
俳優たちの熱演のせいか、カメラワーク
のせいか、遠く離れた沖縄の島が自分の故郷のように見えてきて、怖くなった。
島から出たことがない山田裕貴演じるセイジュンが特にいい。感情移入してしまい、遠方に派兵されたわけではなく、故郷の地でそのまま兵士となった人間の悲しみが伝わってきた。
セイジュンや与那嶺には目の前の米軍がいるだけで、世界大戦の中の日本軍がどう、なんて考えていない。
ただ故郷がまず味方の軍に奪われ、敵に奪われ、自分も人を殺して違う人間になってしまったから、もう「帰れない」という原初的な悲しみが非常に刺さってきた。
堤真一演じる上官のほうは兵士の経験が長く意地もあるから、戦い続けるのは自然だ。むしろセイジュンのほうがよく頑張ったと思う。終戦を知って初めて帰りたいと泣き喚いた姿に、上官がいるから無理してきたことがわかった。確かに彼は木の上の軍隊で戦ってきたことが。1人だったら投降していたのではないか。
こうしている今もガザやウクライナではひどい目に遭っている人がいる。同時に他人事と思えてしまう自分がいる。
両親が戦争を知っている年代の私たちはまだしも、祖父母ですら戦争を知らない若い人たちに見てほしい映画だと空いた客席を見ながら思った。
お二人の名演に惹き込まれた
映画らしい映画
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