「愛の観念」陪審員2番 Raspberryさんの映画レビュー(感想・評価)

5.0愛の観念

2025年1月13日
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愛はその内側に善意と悪意の競争を孕んでいる。善意と悪意が競い合って勝ったほうの観念を愛と呼ぶ。善意の愛が〝慧眼〟であるなら、悪意の愛は〝盲目〟である。

オープニングの目隠しをされた妻のシーンにそんなことを考えながら鑑賞。

真実はわからない。犯人はいるのか、そもそも事故だったのかもしれない。重要なのは有罪が無罪かというよりも、主人公があの日の夜をどう捉えるかだ。

主人公は、被害者とサイスへの罪悪感から懊悩を繰り返すが、最終的には有罪に〝決める〟。

確かに、被害者が死に至った原因はサイスにある。雷雨の中を酔って歩いて帰る彼女を迎えに行かなかったのは、サイスの愛が自分本位で薄情であることを語っている。
しかし、検事が面会したときのサイスの〝目〟はよく見えているようだった。彼女に死なれて初めて、善意の愛が勝ったようだ。

一方、善意の愛の力で人生をやり直している主人公。彼が妻に秘密にしたいことは、何かにぶつかったことよりも、バーに寄って少し酒を飲んで(と私は解釈)近道をして帰ったことだ。
こうなると当然、保身のため悪意の愛が勝つ。妻も察しが付いているが、敢えて見ずに目隠しをしたまま歩むことになる。

どちらも〝愛〟であることを射抜きつつ、「では検事の愛は?」と余韻を残すあたり、さすがのクリント・イーストウッドだった。

映画を知り尽くした映画人間、元祖アウトローの素晴らしい作品だった。

Raspberry