「何度見ても泣ける」リロ&スティッチ Kaden三郎さんの映画レビュー(感想・評価)
何度見ても泣ける
スティッチエンカウンターでスティッチに初遭遇してから
アニメ版映画を観て一気にファンになった者です。
アニメ版を履修したのもいい歳をした大人でしたので
こどものようにスティッチの可愛さやリロの孤独に気持ちが向くよりかは
ヤングケアラーなナニに感情移入し心が苦しくなったり、
スティッチが家族を大切にする心を知るシーンに心打たれていましたが
実写版はよりナニの心情にどっぷり浸かる印象です。
自分がナニと同じ年で、幼い兄弟を残し両親に先立たれたら
果たして特待生待遇で合格した大学進学をあきらめてまで
働きに出て兄弟の面倒をみただろうか?
そこまで妹を大切に思う(むしろ依存だったのだろうとは思いますが)
ナニの姿勢には色々と考えさせられました。
上映初日から字幕版吹替版ともに何度も観ていますので
そのたびに新たな発見があったりするのですが
リロの部屋の入口に貼られた家族の絵の
両親の頭には天使の輪が描かれていることに気づき涙したり
日本での上映開始後まもなく役者の訃報が伝えられた
シェイブアイスを落とす男性の登場に涙したり
セリフやシーンがことあるたびにグサッと刺さり涙してしまいました。
リロに教えてもらったアロハ・オエの「またあう日まで」のハンドモーションをしながら
海底に沈みゆくスティッチのシーンや
蘇生に失敗したと思われたリロの「一緒に大きくなろうと思ってたのに」のシーン
最後の「おやすみ、ふたり。」とスティッチが声をかけ
リロ・ナニ・スティッチが同じ布団で一緒に眠るシーン
は毎回涙しますが
それ以外のシーンは日によって涙したりしなかったりと
感動ポイントが日によって変わるようです。
終盤で出てきたペレカイ家だけだった思い出の家族の集合手形も、
最後の最後には里親となったトゥトゥやデイヴィッドの家族、
プリークリーやスティッチたちも含めた手形になっていて
そこもオハナを体現する良いシーンでした。
アニメ版からのファンとしてはやはり
ガントゥがおらずジャンバがヴィランのままオハナになれなかったことが気になったり
続編が制作されないことを見越して、2やザ・ムービーなどの
シチュエーションやセリフも先取りしたのかなと感じました。
そして「みにくいアヒルの子」の物語やアヒルの家族の存在が
スティッチの孤独や家族を知っていく象徴的な描写だったと思いますので
リロが「天国で親同士が話し合って引き合わせてくれた」んだと話し
それにあっさり納得してしまったり
すんなりと罪の意識を感じ、聞き分けのいい子になってしまったスティッチが
家族がおらず孤独を感じ、家族の存在を信じ、ジャンバに真実を告げられ絶望し、
そしてなお家族を切望し、そこでいびつな家族を大切にしていくスティッチを
丁寧に描けてはいなかったようには感じました。
アニメ版ではエンディングでオハナとして家族のイベントに
たびたび呼ばれる描写があった元CIA、現福祉局員のコブラ・バブルスも、
実写版では立ち位置も現役CIAに変更されていたため
スティッチ監視のため度々家を訪れてはいるようですが
リロが「怖い」と漏らすくらいにはなじめてはいない印象なのも少し気になりました。
アニメ版の完全トレースでは実写化の意味はないでしょうから
ナニ視点で描くシーンが多いことや、実写化オリジナルキャラクターがいること、
またそれに伴い役柄が変わることは許容範囲だと思います。
アニメ版ファンをガッカリさせるような極端な外見や物語改変はありませんでしたし、
アニメ版トレースやオマージュのシーンはたくさんありましたので
アニメ版ファンの多くもストレスなく観賞できる、納得の仕上がりだったと思います。
実写版のスティッチは見た目が犬寄りになり、
目鼻の色合いやバランス、サイズ感もアニメ版と異なるため
最初は若干の違和感を覚えていましたが
これはこれでキュートでモフモフで可愛く感じます。
ちなみに「キュートでモフモフ」も
原語版では「Cute and Fluffy」で実写版でもアニメ版でも同じですが
アニメ版では当時モフモフという言葉がなかったため
アニメ版では「キュートでフワフワ」でした。
決め台詞的な使い方ですのでアニメ版ファン的には
「キュートでフワフワ」のままでも良かったのではないかと思っています。
公開前の早い段階での公式の宣伝文句では「キュートでフワフワ(※自称)」
扱いでしたが公開直前には「キュートでモフモフ」になっていました。
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