オークション 盗まれたエゴン・シーレのレビュー・感想・評価
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この内容がわずか一時間半に収められている事に驚く・・・・。
まごう事なき傑作。良くある事だがこの邦題は無いな。内容的には自分の専門である為評価を半ポイント落としてあるが、出来としてはパーフェクトである。表現としては「素敵な映画を見た」と言うのが一番正しい。一枚の絵を巡る歴史的背景、登場人物への細やかな描写、それぞれのキャラクターが織りなす見事なシナリオ。どれをとっても完璧なのに、こう言った映画がメジャー公開されず、今回も見に来ているのが自分含めて二人と言う悲しさ。このクラスの映画はキチンと映画好きと言われる人たちにもっともっと認知していってもらいたいものだと切に感じた。
星5は甘いかもだけど
台風一過の青空のような晴れやかさで劇場を後にできる作品
西洋絵画に造詣の深い知識人の皆様はエゴン・シーレと聞けば「あぁ、ウィーン分離派の画家ね」と思うのかも知れないが、その方面に全く疎い私にとってそんな名前は初耳。そのシーレがゴッホの作品にインスピレーションを得て自分なりの解釈で描いた「ひまわり」を巡る、実話に基づいた物語が本作。(どんな絵かは本作の公式サイトで確認できる。)
シーレの「ひまわり」は第二次世界大戦中にナチスドイツに略奪されたまま行方不明になっていた。それがフランスの工業都市ミュルーズで見つかったと聞いたオークションハウスで働く競売人のマッソンは鑑定士の元妻と共に、夜勤の工場労働者の青年マルタンの家を訪れる。そこから、純朴なマルタンの想いとは裏腹に、多くの人々の思惑が錯綜し……。
よっぽどの審美眼を持った一部の人を除いて、極々一般的な人々にとって美術品の価値なんて付いている値段以外には判断基準がないというのが正直なところだろう。しかも、その価格がどうやって付けられているのすら分からないまま……。
桁違いの価格がつくオークションを巡って繰り広げられる大人たちの心理戦や情報戦。そんな狂乱に巻き込まれる人とそこから一歩引いた場所に立つ人。自分ならどんな立ち位置を選ぶだろうか?
鑑賞後、台風一過の青空のような晴れやかさで劇場を後にできたのは救いだ。
なお、フランス語の原題の意味は「盗まれた絵」だそうだ。
ぶっ濃い濃厚爆盛りフランス感。
なんて大人で知的でシャレてる映画だ。最近の邦画が幼稚に思えてしまう
オークションをめぐる人間ドラマ
民家にエゴン・シーレのひまわりがあったなんて。
よく気がつきましたよね。
オロールが父のぶんも復讐するオークションの筋立てが、私には興味深かったです。
最後、オロールとアンドレは恋人同士になってるんですよね。
意外な展開で見応え充分、すばらしい作品。
サスペンスっぽくないですよ。
ナチス・ドイツが略奪したエゴン・シーレの『ひまわり』を巡る実話にインスパイアされた物語、とポスターに書いてあったので、
ナチスが大きく絡みハラハラするサスペンス・チックな作品だと思ったら、全然に違った(笑)
構えてたら肩透かし食らって、どんな姿勢で観ればいいのか困惑した(笑)
最後はホロっとして、そんな映画なんだと。
良かったトコは、この最後と、画家エゴン・シーレを知れたこと、主人公の元妻を演じたレア・ドリュッケールが綺麗だったこと(笑)
レア・ドリュッケールは、初めて認識したけど『クロース』や『地下室のヘンな穴』にも出てたらしい。
主演のアレックス・ルッツは『ヴォルテックス』にも出てたと知って、ビックリだ(笑)
話の内容には関係ないけど、寿司を食べるシーンがあり、フランスじゃ寿司って今は普通に食べてるんですかね?
タイトルなし
高価な絵でもユダヤ人からの盗品ならいらない、と言う若者。
久々のフランス語映画。
やはりおしゃれ、品のある振る舞いだね。
よく分からない終わりだけど、話には引き込まれてしまった。
エゴンシーレはあんまり関係ないよ。
たまたま工場で夜勤する若者の家にあった名画と、群がる欲の塊、画商、富豪達という実際にあった話を元にした映画だそうです。
ヨーロッパの映画らしくどんよりとした空の下で大人の会話を楽しめるし、それぞれの関係性や素性も一癖あり気が利いているが誰かを深掘りする訳ではなく冒頭のシーンとかエンディングとかでわかるように、人間の欲望とか、ヨーロッパの階級社会の歪さを皮肉った、、、というのがテーマなんじゃないかと思う。
あと絵の由来でナチスが絡んでいる事を知って持ち主が突然権利を手放すとか実にヨーロッパぽい。
欲を言えば会話に重心がおかれているせいで、映像的なテンポや緩急がもう少しあるとミステリーとしても良かったかなぁと思うが、まあそれがフランス映画ぽさかも知れないww
いかにもフランス映画らしい人物描写とセリフの応酬。リアルなオークション業界内幕もの。
なんて小粋なセリフの応酬!と思ったら、
この監督、ジャック・リヴェット映画の常連脚本家さんなのね。どうりで。
信頼しているレヴュアーさんが激賞していたのと、
一応、大学で美術史専攻だったので観に行ってみた。
文化村は元東急のところが改築中で、現時点でビックカメラのある小汚いビルに移っているが、相変わらず客層の品が良くて、少しお金を持っていそうな中高年の夫婦が多い。明らかに他の映画館と一線を画している(笑)。
映画は、観に行った甲斐のある良い映画だった。
90分という軽めのヴォリュームで、フランス映画の一番上質な部分をさくっと味わわせてくれる、軽やかな映画。
「会話」と「間」と「空気」を楽しむ、心地よい「映画の時間」。
語りすぎず、適度に謎を残し、歯ごたえはあるけど、無理強いはしない。
食前に出てくる、重たすぎないワインのような、芳醇な映画だ。
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話の大筋は、概略でいえば、田舎の工場労働者の家からエゴン・シーレが出てきて、それをオークションにかけたら高値で売れましたってだけで、それ以上でも以下でもない。
個人的には、オークションにまつわる真贋の鑑定だとか、コレクター間の駆け引きだとか、競りを用いたコン・ゲーム的な仕掛けだとか、そういう要素を強調した「美術ミステリー」だとばかり思って観に行ったのだが、ぜんぜんそんなことはなかった(笑)。
一応、「仕掛け」は出てくるけど、トリック自体にそこまで力点は置かれていない。
「エゴン・シーレ」という部分についても、たいして多くの蘊蓄が披露されるわけではない。簡単な絵の描かれた経緯と、たどった来歴が語られるだけだ。
むしろ描かれるのは、その過程で登場する人々の群像劇だ。
バルザック『人間喜劇』の伝統とでもいうべきだろうか。
成り上がりで偉そうだが、仕事には誇りを持っている有能なオークショニア。
もはや恋愛関係にはないが、仕事の同志としては信頼しあっている彼の元妻。
出だしから息を吐くようにウソばかり吐いているオークショニアのアシスタント。
欲がなく周囲との和を大切にしながらも、芯のしっかりした絵画所持者の青年。
交渉の大事な山場で、休暇をとってスキーに行っているマイペースな女性弁護士。
その他、アシスタントのお父さんとか、お父さんみたいなのとか、青年の友人とか、お母さんとか、絵の所有権をもつユダヤ人一族とか、周辺の人物を含めて、磨き上げられた人物描写がつづく。
この人たちが、絶妙にクセがあって、(青年以外)絶妙に感じが悪くて、それでも絶妙に嫌いになれないんだよね。なんとなく人間味があって、目を離せない。
彼らの関係性や、彼らの性癖について、ことさらの説明があるわけでもない。
たとえばアシスタントのオロールが、なぜウソばっかりついているのかも、結局、彼女の血縁関係はどうなっているのかも、最後まで観てもよくわからない。
でも、彼女が複雑な家庭環境のもとで育って、父性に対して執着とともに対抗心を燃やしていて、虚言癖で武装する自分の在り方に本人も疲れを感じていて、父性に対するわだかまりが職場での上司との衝突にもつながっているというのは、しっかり伝わってくる。
他人のことなどどうせわからないものなのだから、それだけわかればあとは「謎」のままでも、別段映画としては構わないわけだ。少なくとも、監督がそう考えているのはわかる。
あるいは、主人公のオークショニア、アンドレ・マッソン(著名なシュルレアリスムの画家と同姓同名。わざと?)の半生についても、映画の中できちんと語られるわけではない。きちんとは語られないながらも、彼が田舎から出てきた「成り上がり」で、上流階級にしがみつきながらもガッツを持って仕事に臨み、背伸びをしながら技量を磨き、今の彼が自身のオークショニアとしての鑑定眼と絵画売買の能力に誇りを持っていることは、よくわかる。何本もそろえられた高級時計や室内の凝った調度品、服装、高級車愛好、立ち居振る舞いなどから、彼の「出自」と目指している「見え方」がほの見えてくる。彼のスノビッシュな部分は、彼の燃え盛るガッツと反骨心の裏返しでもあるのだ。
それから、エゴン・シーレのオークションに立ち会った青年が、終盤で大泣きするシーンがある。あれはとても印象的なシーンだ。あそこで、なんであんなに泣いていたのかについてのちゃんとした説明はなされない。でもあのシーンで大の大人が「泣く」というインパクトはとても大きくて、こちらも「なにが彼をあそこまで泣かせたのか」を一生懸命考えることで、この映画への理解と認識が深まっていくところがある。
かように、「語りつくさない」部分で、観客の能動的な参加と思考の加速をうながすような、「働きかける」作用が、この映画にはたしかにある。
そして、僕はそういう映画がけっして嫌いではない。
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僕には、美術業界を題材にしたフランス映画で、ものすごく好きな映画がある。
アラン・ドロン主演の『プレステージ』(76)という映画で、ワーカホリックの美術商が、ひたすら走って、走って、働いて、働いて、セックスして、働いて、走って、セックスして、働いて、働いて、唐突に心臓麻痺を起こして倒れて死んで、話がそのまま終わってしまう凄い映画だ。
僕も比較的近いような仕事のスタイルでもう30年近くやってきたので(笑)、ものすごく主人公の生き方には共感するし、なんならアラン・ドロンの映画で一番かっこいいアラン・ドロンが観られる映画だとも思っている。今回のオークショニアを見て、ちょっと『プレステージ』のアラン・ドロンを思い出して、良いよなあ、こういう生き方、いっつもヒリヒリしてて、アドレナリンもドバドバ出るだろうなあ、とうらやましく思った。
上司や部下との関係性も、別れた奥さんとの関係性も、あまり日本ではなさそうな感じのノリで、いかにもフランス映画といった感じが強い。
でも、これはこれでなんとなく楽しそう(笑)。
言いたいこと言い合って、文句も言い合って、嫌いな感情も思い切りぶつけて、ひりひりして、ぎすぎすしながら、それでもエキサイトしたあとは和解して、熱い思いも共有できて、最後は自然な形で寄り添えるというのは、日本とはまた違う個の尊重の在り方だろう。
それから、本筋のオークションに関わる「仕掛け」自体は簡素なものだが(リアルな人間描写のテイストからすれば、このくらいのギミック程度でちょうどよい)、その代わりに、周辺の事項で思いがけない展開や伏線を結構張っていて、なんでこんなエピソードをぶち込んできてるんだろうなと思っていたような話が、終盤で巧みに生かされてくるのが純粋に面白かった。
特に、「新たな恋でわくわくしてる」元奥さんの意外な「恋の正体」とか、
アシスタントのトラウマになっている過去話が終盤生かされる展開とか、
思っていたよりも素直で良い人だったユダヤ人富豪の変わり身ぶりとか、
昇進を確約されたあとに主人公が見せる意外な決断とその「理由」とか、
「ミステリではないけどミステリみたいな」組み立ての巧さに感心した。
そう思いながら、家に帰ってからパンフを観たら、この監督ってアガサ・クリスティの『ホロー荘の殺人』を原作とする『華麗なるアリバイ』(2008)を撮った人だったんだな。あれは映画館で観た記憶がある。というか、2010年7月に、劇団フーダニット公演の『ホロー荘の殺人』(戯曲版)と映画『華麗なるアリバイ』をハシゴしつつ、原作小説を合わせて再読するという得難い「三重」体験をさせてもらったのだった。あの映画を撮る監督なら、ミステリ的な手法に知悉していてもおかしくない。
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以下、雑感。
●予告編がほとんど映画のダイジェストそのまんまなんだけど(笑)。
●主演のアレックス・リュッツって、ダリオ・アルジェントとフランソワーズ・ルブランが老夫婦を演じた『ヴォルテックス』(2021)の息子役だったのか!! パンフを観るまでまったく気づきませんでした。あっちはジャンパー来たヤク中の兄ちゃんだったからなあ(笑)。雰囲気変わるもんだ。
●本作に登場するエゴン・シーレの『ひまわり』は実在する。ただし、実物はロンドンで競売にかけられ、クリスティーズがそれをとりしきった(なので、日本クリスティーズの社長がパンフに寄稿したり映画のゲストに呼ばれたりしているのだと思う)。
ゴッホの『ひまわり』をエゴン・シーレなりに解釈した絵画だというが、一見して銀色っぽい平面的な背景といい、ちょっとセンターを外して天地を切ったような構図感といい、僕にとっては琳派の銀箔貼の秋草図屏風あたりをより強く想起させる作品である。具体的にいえば、酒井抱一(東京国立博物館本)や鈴木其一(出光美術館本)のような。ゴッホ自身、ジャポニスムの影響を強く受けた画家だったことはよく知られているが、エゴン・シーレもかなりジャポニスムの影響下にあった画家であることは間違いないと思う。
あと、あのひまわり、なんとなく「ほおずき」感があるよね(笑)。
●『ひまわり』に関してさんざん贋作呼ばわりしていた主人公と元嫁が、現地で作品の前に立った瞬間、大笑いを始めるシーンは印象的。バカにして笑うなんてひどいじゃないかと言われて「失礼、興奮してしまって。まさか真作と出合えるなんて」と返す。要するに、ふたりとも観た「瞬間」にこれが真作だと「見極め」、確信し、その自分の判断には一切の疑念がない。それだけ、二人が絵画鑑定に関しては本物のプロであり、自信をもった目利きであることを示す好シーンである。
ついでに、お母さんがぶっ倒れる様子が「音だけ」のオフスクリーンで描かれるのは粋な演出。テンポ感も絶妙で面白かった。
●ユダヤ人の絵画所有者の見た目って、誰かに似てると思ったら、指揮者のクリストフ・エッシェンバッハか。ラストの拍手のシーンは、感動するというよりは、ちょっと自己啓発セミナーみたいな空気でしょうじき怖い。
●「ナチスによる絵画略奪」「退廃美術」に関しては、これまでも何本か劇映画やドキュメンタリーが撮られている。本作では、ここにはあえて深入りはしないと決めて撮った気配があるが、原題「盗まれた絵画」の「盗まれた(volé)」の使い方はちょっと気になる。
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本作のキモになっているのは、ウソにまみれた美術売買の業界のなかで、ウソに順応してしたたかに生きる主人公と元妻および、強迫的にウソを吐きつづける部下を描きつつ、対比的に、いっさいのウソのない生き方を選択して貫く青年マルタンを置いてみせる構図である。
本作でのマルタンは、絵画がナチスによる盗品だと判明した瞬間から、無償で手放して遺族に返すことを当たり前のように決めて、その決断を貫くためならば親友とのつかみ合いも辞さない信念の持ち主である。
ただ彼の場合、かたくなに清廉な生き方をごり押ししているというよりは、あくまで自然体で過ごしているだけ、というのが重要だ。当たり前のように無私に、まともに生きて、勤労をたっとび、仲間をたっとび、家族をたっとぶ。そして、ラストのあの決断!
僕は本作でのマルタンの描写を見ながら、少しロッセリーニの『神の道化師、聖フランチェスコ』(50)を思い出していた。
あそこに出てくるフランチェスコや、同志ジネプロの虚心で自然体の虚飾を排した生き方こそが、実はマルタンの原型なのではないか。欲にまみれた美術売買の世界を描くにあたって、監督が対比したかったのは、実はフランシスコ会修道士たちの純粋な精神性なのではないか。
フランシスコ会の会則には以下の文言がある(Wikiより抜粋)。
高価な衣装を着、美味な飲食物を食べている人を見ても軽蔑したり裁いたりしてはならず、むしろ自分自身を裁き軽蔑せよ。直接にせよ間接にせよ金銭を受け取ってはならず、何物も所有せず、清貧と謙譲のうちに主に仕え、喜捨を請うことを恥じず、清貧を友とせよ。
この「軽蔑したり裁いたりしてはならず」の部分が、いかにもマルタンっぽいと思ったのだが、いかがだろうか。
文句なし!面白すぎる美術オークションドラマ
文句なし❗️素晴らしかった。
美術オークションにまつわるドラマだが、オークション業者側、売る側、買う側のエゴン・シーレにまつわる思惑、駆け引き、絵に対する想いもスクリーンから伝わった。
観ごたえ満点。
ラストも後味がいい。面白かった。
洋画ファン、フランス映画ファンはぜひおすすめしたい作品。
人生と大金を天秤にかけて、それでも自分の人生を歩める人が幸福への入り口に立てるのだろう
2025.1.16 字幕 アップリンク京都
2023年のフランス映画(91分、G)
70年間行方不明だった名画を巡る騙し合いを描いたミステリー映画
監督&脚本はパスカル・ボニゼール
原題は『Le tableau volé』で「盗まれた絵画」、英題は『Auctionn』で「競売」のこと
物語の舞台は、2000年頃のフランスのパリ
競売を生業とする「スコッティーズ」に所属する鑑定人のアンドレ(アレックス・リュッツ)は、インターンのオロール(ルイーズ・ シュヴィヨット)とともにある老婦人の絵画の取引を行なっていた
そんな彼の元に、ミュルーズの弁護士エゲルマン(ノラ・ハムザヴィ)から一通の封書が届いた
その内容は「エゴン・シーラの鑑定をしてほしい」というもので、その絵は工場勤めをしている青年マルタン(アルカディ・ラデフ)の家に長年飾られていたものだという
マルタンが行きつけのカフェに行った際に美術誌を見つけ、その表紙を飾っていた作品と同じ作風だと感じ取って依頼をかけていた
アンドレはエゴン・シーレのカンバス画など偽物に違いないと考えていたが、エゲルマンから送られてきた画像に息を飲み込んだ
元妻の鑑定士ベルティナ(レア・ドリュッケール)は本物の可能性が高いと言い、一緒に現場に向かうことになった
絵は紛れもなく本物で、その絵画はゴッホの「ひまわり」を解釈して作成されたもので、ナチスドイツによって奪われていた絵画だった
元持主の子孫であるボブ・ワルベルグ(ダグ・ランド)にその事を伝えたアンドレは、彼から破格の提案を受けることになった
その後、ボブが購入をするためにスコッティーズを介するという話がまとまったものの、ボブは急に態度を変えてきた
それは、展覧会にてオーストラリアの美術商サムソン・コーナー(ピーター・ボンク)が絵を酷評したことが発端で、オロールはサムソンが誰かと通じているのではないかと勘ぐる
そして、ある提案を行うことで、再度ボブとの繋がりを保とうと考えるのである
映画は、一連の「ひまわり」オークションの他に、オロールと父(Alain Chamfort)と彼を騙したアーサー(Arthur Toupet)たちの因縁が描かれていくのだが、正直なところ、いらないんじゃないかな、と思った
また、ベルティナとエゲルマンが恋仲になっていく件も取ってつけた感じになっていて、このあたりは配慮なのかな、と感じた
物語は、大金を得ることになったマルタンの決断にテーマ性があり、その行動は会長職を蹴るアンドレと同質のものであると思う
お金に振り回されるのではなく、「好きなことに集中する」というもので、有名な格言にも「大金を得た場合には自分の好きなことに使い、それ以外のことには使うな」というものがある
大金を得て身を崩す人の多くは、自分が不得意なものや、上手い話に乗ったりするからであり、自制しつつ「今の生活を変えない」というモチベーションがあれば、いずれ「お金の使い方」というものがわかってくる
その頃になると、マルタンの夢への道筋も見つかるし、必要な投資というものも行われていくだろう
本作では、お金で右往左往する人を描きながらも、誠実な取引を行うことでWin-Winの方向に向かっているのは良いなあと思った
いずれにせよ、映画は実話ベースなのだが、登場人物などはフィクション仕立てになっているようだった
パンフレットは人物相関図はないものの、登場する人は大体何者かわかるのでOKだと思う
オークションシーンは後半にちょっと出てくるだけだが、流れるような競売は見ていて面白いし、その場を盛り上げて綺麗に流していくのも見どころがあった
サクッと見られて、絵画の詳しい知識とかもいらないので、興味のある人は足を運んでも良いのではないだろうか
フランス映画らしい説明不足もまた味
主人公の競売人マッソンの目を通して、オークションの仕組みや、バイヤーたちの裏での詐欺まがいな駆け引きなどが見どころで、かなり楽しめました。
マッソンのところに来たインターン女学生のオロールが、何故誰に対しても怒り、呼吸するように自然に嘘をつくのか、その後何故素直になるのかの説明描写が一切なく、「察して感じろや」的に突き放した不親切設計具合に、フランス映画らしさをたっぷり味わえましたよ。
配給会社に感謝!
ナチス・ドイツによって退廃芸術と見做され、1939年に喪われたエゴン・シーレの「ひまわり」の再発見をめぐって、実話をもとに紡ぎ出された物語。
再発見されたのは、フランス東部のミュルーズと聞いて、まず思い出されるのは、バーゼル・ミュルーズ空港、そうなのだ、この地はアルザスに属し、スイス、ドイツとの国境に近く、特にこの空港はバーゼルとも直接つながっていることで知られている。ドイツのフライブルグにも近く、その地で「ひまわり」が見つかったことに意味があるのだろう。そのせいか、映画でも、飛行機の飛ぶ姿が何度か出てきた。なんと言っても、ミュルーズはフランス鉄道博物館、国立自動車博物館(この映画で出てきた)で知られている工業都市、その化学工場で夜勤の労働者をしている若者マルタン・クレールの家で、その絵が見つかったと言うわけだ。
ただ、ゴッホのひまわりの影響と言っても、ゴッホのひまわりは、アルルで友人の到着を待ち侘びて描かれたものだけでなく、やや暗い色調のものもある。またシーレには、恩師クリムトの影響もあるに違いない。クリムトは、その比較的初期に、庭に花が咲き溢れる風景をたくさん描いている。
見つけ出されたこの絵が、エゴン・シーレの真作と鑑定したのは、パリのオークション・ハウスで働く競売人アンドレ・マッソンと、彼の元妻でシーレの専門家であるベルティナ。ただ、それから一悶着あり、なんと新米の研修生にすぎない、しかも少し変わったオロールの助けにより、無事、オークションにたどり着く。
そういえば、この映画の中には、地方出身者が(アンドレはションリュプト・ロンジュメール、オロールはモントーバンの出身)貧困もあったのだろうけど苦労したり、鑑定人のお得意には、あからさまに黒人を差別する老夫人がいたりする。
それにしても、これだけの内容を91分で理解するには、美術やフランスとドイツの歴史などの知識も、ある程度は必要だろう。今でもフランス映画の半分近くは、90から100分で、入れ替えを考えると、(午後4時、6時、8時、10時の)定時に映画館で鑑賞が可能、でもこれ以上長いと大作で料金も高くなったりする。池波正太郎さんが、いつもあと10分切ったらもっと良くなると言っていたのは、このことだろう。少し前だったら、エール・フランスの機内で見るくらいしかできなかった普通のプログラム・ピクチャーをミニシアターで観られるなんで、配給会社に感謝したい。
夫と映画デート
競売人の世界
何を見せられたのだか
ナチスが敵国の美術品を強奪する中で近代美術に関しては興味がなく、その絵画をナチスへの協力者に対する礼に使っていたが、その中には有名な作品もあり、フランスのある家にエゴン・シーレのひまわりの絵画があった。その家を譲り受けた赤の他人の家の息子の友達が有名な絵画であることに気づく。
性格に難のある競売人の主人公と、ウソで固めている主人公のアシスタントの女性、絵画の持ち主の家の息子の3つの話が、何も説明がなく進む。特にアシスタントの話がわかりにくい。
「黄金のアデーレ 名画の帰還」と共通のモチーフかと思ったが、あちらはナチスの愚行による悲劇を描いていたのに対して、その絵画を安く処分しようとするアメリカ人を除いてこちらは特に劇的な展開がなく、見終わった時に「何を見せられたんだ⁇」という気になった。
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