「あえて混乱させたままの構成に意図を感じ、最後まで面白く観ました。」遺書、公開。 komagire23さんの映画レビュー(感想・評価)
あえて混乱させたままの構成に意図を感じ、最後まで面白く観ました。
(完全ネタバレですので必ず鑑賞後にお読み下さい!)
(レビューが遅くなりました、スミマセン‥)
結論から言うと、今作の映画『遺書、公開。』を大変面白く観ました。
ところで今作は、序列1番だった姫山椿(堀未央奈さん)がなぜ自殺したのか?その理由を探るために、クラスの生徒と担任に配られた姫山椿からのそれぞれの遺書を読み解く所から物語が始まります。
そして整理すれば、姫山椿の自殺の理由は、
姫山椿は両親が離婚していて母子家庭で育っていますが、母親が苛立ちを持っていて、姫山椿にとって毒親的に存在しており、その影響からか姫山椿は周囲には本心を隠して優等生的に振舞っていて、クラスの周りに互いに心を許す存在がおらず、序列1位の影響も、姉との関係性もあり、最終的に精神的な孤立から自殺に至った、
と、分かる仕組みになっています。
ところが、この姫山椿の自殺の理由は、あくまで映画鑑賞後に後から整理したからこそ分かる話なのです。
なんと映画としては、姫山椿の自殺の理由を解明する構成には、実はなっていないのです。
これが個人的には非常に唸らせられた、この映画の面白い点だと思われました。
つまり、この映画に出て来る(姫山椿が書いたと思われていた)遺書は、姫山椿の自殺の理由を解明する為ではなく、姫山椿の自殺を、それぞれの遺書が渡された生徒と担任にとって自分事として突きつけ刻み直す為のものだったのです。
例えば、序列15位の谷地恵(兼光ほのかさん)の遺書の内容から、姫山椿の親が離婚していた事が明らかになります。
しかし、そこから姫山椿の自殺理由の解明に行くのではなく、谷地恵が姫山椿の親が離婚している事を言いふらしていた事に対しての、谷地恵の批判へと物語はスライドして行くのです。
それはクラスメイトや担任のほとんど全てに同様で、姫山椿の親友だと思われていた御門凛奈(髙石あかりさん)が、実は本心では姫山椿のことが「大嫌いだった」と明かされた所で頂点に達します。
この、自殺した姫山椿が悪口を一切口にしない(本当は毒親的な母親の支配の中で)優等生的な話しかしない事に、御門凛奈が苛立っていた事実は、(例えば映画『傲慢と善良』にも通じる)深さある1つの普遍的な関係性の独白だったと思われました。
このように、1観客として、姫山椿の自殺の理由を知ろうとして映画を観ていると、それぞれのクラスメイトと担任の自分事としての責任と人としての(姫山椿との)関係性の問題へと、どんどんとスライドして行く混乱させる構成に、良い意味で驚かされました。
そして、上に書いたように、姫山椿の自殺の理由も整理すればちゃんと解明できるように、そちらの事実関係も深さを持って提示されていて、逃げてない所にも唸らされました。
この映画は、クラスメイトや担任が姫山椿の自殺を客観視して理解して終わらせないように、遺書を書いた犯人が仕組んだ所に物語の本筋がありました。
そして更なる驚きは、(姫山椿の自殺をクラスメイトや担任に客観視させないという)遺書を書いた犯人のメタ視線も、映画の最後に嫌な感じで肯定しない表現をしている所にも(水槽の場面)この映画の秀逸さがあったと思われます。
この映画『遺書、公開。』は、整理して客観的に事件を自分と切り離して理解して解決することを拒否している作品だと言えます。
そして、遺書を書いた犯人に対しても、客観視(メタ視線)の否定が貫かれている一貫性に、この映画の質の高さがあると思われました。
そして実はこの映画は、更にもう一段深さを提示していると思われるのです。
それは、姫山椿の自殺の理由の1つに、クラスメイトや担任に姫山椿が信頼のおける人が誰一人いなかった事があったのですが、
【実は、姫山椿以外のクラスメイトも、誰一人信頼している人が周りにいない】
と、映画を通して最後に伝わって来るのです。
例えば、互いの信頼感の無さは、池永柊夜(吉野北人さん)と廿日市くるみ(志田彩良さん)との関係性でもそれは明らかだったと思われます。
つまりこの映画は
【映画の登場人物の誰もが、互いに信頼する人を失っていて、姫山椿のように自殺する可能性がある】
と(現在的に)暗に示している作品だったとも言えるのです。
最後にクラスで歌われた「手紙 〜拝啓 十五の君へ〜」も、どこか冷えた印象があり、互いに信頼感を失っているのがその理由のようにも感じました。
この作品はこのように【現在】を的確に表現した1つの作品とも思われています。
個人的には、姫山椿の親友だと思われていた御門凛奈の「大嫌いだった」への振り切り方はさすがに極端過ぎで、1%でも親友の色を残していた方がかえってその溝の深さがリアリティをもって伝わったと思われ、惜しい点だとは思われました。
(そのように要求すれば、御門凛奈を演じた、もはや若手の名優の一人でもある髙石あかりさんなら、更にリアリティあるそれでいて当初の演出意図も落とすことなく表現し演じていたと思われます。)
しかしながら、混乱させることで逆に安心した客観視を観客にも許さず、それでいて(ちゃんと整理すれば自殺の理由も解明可能な)描かなければならないことは深く描いた上で、本筋である当事者意識を観客にも迫らせた作品として、誰が何と言おうと私は今作の映画『遺書、公開。』を、優れた秀作であると僭越評価したいと思っています。
今作を大変面白く観ました。