「物怪に誑かされる話」蜘蛛巣城 Moiさんの映画レビュー(感想・評価)
物怪に誑かされる話
感想
野望と疑心暗鬼、神も仏もない戦国下剋上の世。
霧の中、蜘蛛城趾の碑が現れる。諸行無常、世の中は繰り返しの連続であるという呪文のような譜が流れていく。再び霧が流れ、濃霧になる。その霧が次第にはれるうちに、目前に、巨大な城が現れる。
戦は続く。北の館の主、藤巻の謀叛を鎮圧した一の城主、鷲津武時とニの城主、三木義明は時の蜘蛛巣城主で主君の都築国春へ出向途中、蜘蛛手の森で路に迷い、ふとした機みに老婆の姿をした奇々怪界たる雰囲気漂う物怪に出会う。物怪は、今宵より鷲津は一の砦の城主、三木はニの砦の城主。その後、鷲津は蜘蛛巣城主、三木は北の館の主となり、その息子は鷲津の次の蜘蛛巣城主になるだろうと言付ける。
夢か現か、物怪の話を聞き受け信じたために、その言付けは現実のものとなる。同時に鷲津の野望が悪霊を引き寄せ、己とその妻の性格を変え、数奇で残酷な人間の欲と業のなせる、怖ろしく醜い都築への下剋上を実行することにより、三木をも巻込み、二人の命運はいにしえより残されている蜘蛛手の森の数多の落命し悪霊となった者ども同様に命運が尽きることになる。
いにしえの世より続く戦、無念、非業、そして怨みを重ねて、死んでも死にきれない多くの成仏することの出来ない魂が集まり、悪霊、怨念をもつ蜘蛛手の森の物怪となり、下剋上の世を生き抜く者たちを誑かし、まさに蜘蛛の巣に虫類が繋るがごとく、その術中に嵌り、己の身をも自身の欲望に任せた諸行により、破滅に向かわせてしまう無常で不可思議な物語である。
配役は
物怪に謀られる武将鷲津に三船、千秋は三木を演じた。小田倉に志村喬。他、藤原釜足、土屋嘉男、稲葉義男、加藤武など黒澤組常連の壮々たる俳優陣。さらに鷲津を翻弄する女房、浅茅に山田五十鈴。物怪に浪花千栄子、また武将の怨霊で中村伸郎、宮口精二、木村功が怪演しておりあらためて観ても重厚でファンタジックな映像が展開され新鮮で素晴らしいと感じる。監督助手はのちにウルトラQ、ウルトラセブンの演出で名を馳せる若き日の野長瀬三摩地が担当し、蜘蛛手の森が動き出すがごとく、木々で擬装した都築、三木、小田倉の軍勢が城に押し寄せる映像や飛び矢の特殊効果を創り上げた。
黒澤監督はウィリアム・シェークスピアのマクベスを元に能楽の要素をマリアージュして、おどろおどろしい脚本を小國英雄、橋本忍、菊島隆三の各氏と書き上げた。撮影も壮大なセットを富士山の裾野に構築、騎馬武者隊の進軍シーンも豪快な撮影で素晴しい。
⭐️5
Moiさん、共感とコメントありがとうございます。
黒澤監督の教養の深さ故の力作でした。学生時代から日本文化が嫌いではないのに古文が苦手の私は、メモをとって情誼とか大逆の言葉の意味を今頃になって勉強している状態です。Moiさんの言葉の豊かさにも感服しております。
残念にも「乱」は見逃しているので比較はできませんが、どちらもシェイクスピアの戯曲を借りて、黒澤監督が抱いている人間や人生、人の世についての価値観を訴える真摯で実直なイメージがあります。本来映画で遊ぶことをしない黒澤監督のシリアスな作品の中で、これは突き詰めた怖さがありますね。主演が三船敏郎で無ければ、あのクライマックスの迫力は表現できなかったと思います。
コメントありがとうございます。
人間は身勝手で欲深い生き物。
時に俗悪な猜疑心や功名心に物怪が知らぬうちに取り憑き、正義や友情で結ばれている人間関係をも破壊してしまう。
手にする権力が大きくなればなるほど、決断の時に慌てる心に付け入るものと察します。