「武者絵巻の音」蜘蛛巣城 Biniさんの映画レビュー(感想・評価)
武者絵巻の音
はじめて見たのはアメリカ、観客のどよめきは今でも忘れられません。あまり語られないことを書いてみましょう。
まず圧倒されたのは画面ですが、トップレベルの脚本家を数名並べて複眼の奥行き深いシナリオを仕上げ、画家志望だった黒澤が大胆かつ繊細な筆のタッチでフィルムの上に絵の具を放ったような絵になっています。動と静が編まれるような画面は、よく語られる「能」の時空になぞられ、見るものに生と死の狭間に立つ恐ろしさを感じさせてくれます。
画面のことはよく取りざたされますが、その一方「音」のことについてはあまり語られていないようです。唯一わたくしの知っているのは西村雄一郎氏の「黒沢明 音と映像」に詳しく書かれてあるものだけで、この映画のはじめと終わりに流れる西洋調の合唱がもっと日本的であればという評論をされていました。
確かにそうかもしれません。能の謡い風の音であればもっと画面に寄り添うことになったのかも知れません。しかしわたくしは、東宝のロゴが出てくると同時に鳴り響いたあの笛、大勢の鎧武者が歩くような弾く弦の音、そして映画の後半に知ることになりますが、矢面にたたぬよう槍衾作るための木を切り倒す音を暗示させるこの和風パーカッションに圧倒されたのです。もう目の前の世界は、まだ火縄銃が来るまえの室町後期にタイムスリップし、合唱はさほど気にならなかったのです。
もし、音楽監督の佐藤勝の恩師である早坂文雄が担当していたら、西村氏の思いに近い音になったかもしれません。しかしそうなると、むしろ溝口健二の「雨月物語」風になったのではとわたくしは勝手に考えているのです。恩師の遺志を継いで盲腸の手術後も無視しながらタクトを振った佐藤勝の音楽はまさに見事な黒澤デビューであり、その後の黒澤映画を支えることになるのは十分に頷けると思います。