ノー・アザー・ランド 故郷は他にないのレビュー・感想・評価
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怒りで公平なレビューが書けない。
この映画を観たあと、自分の無知を呪い、怒りで体が震えた。
イスラエル兵士によって壊されるパレスチナ人の村の家々、ついに井戸までセメントで埋められた。授業中の小学校までもが容赦なく壊される。抵抗したら銃で撃たれる。
イスラエルにはイスラエルの言い分があるのだろう。
しかしどんな言い訳をしても、丸腰の人間を撃つ事の理由にはならない。
この事実に正当性はない
政治的歴史的背景がどうあれ、100年かそれ以上も前からここに住み、平穏に暮らしてきた人々が、家を壊されインフラを破壊され身体の安全すら脅かされて、私有地であるにもかかわらずそこから追放されつつある目の前の事実に正当性はない。
イスラエルは、飛行場建設はこれ以上イスラム勢力を拡大しないため、とか言っているらしい。
ここで暮らす村人たちは、対岸のガザ地区の過激な人たちとは違って、ただ日常を暮らしてきただけだ。激しい憎しみや怒りや不満や、切羽詰まった理由がなければ過激な行動はしないのが人間だと思う。過激な行動には危険が伴うので、平穏に暮らしている人ならわざわざそれを壊すような行動は極力避けるでしょう。
にもかかわらず、この仕打ち。司法がすでに平等ではない。なにもないところに激しい憎しみや怒りを生み出すだけの、極端な悪手だ。
何世紀も迫害されて流浪の民だったユダヤ人がようやく自身の祖国をもてたのがイスラエルなら、前からの住人と争いを避け可能な限り共存していくのが国民の幸せに繋がるのは子供だってわかる。
パレスチナ問題「シロウト」の自分からは、ユダヤ人として受けてきた積年の恨みを、パレスチナのイスラム教徒というだけで手あたり次第八つ当たり的にぶつけているように見える。おそらくは見せしめ、牽制ということだろうと思う。
個人的にはユヴァルのように非人道的な行為に心痛めるユダヤ人もいるが、国家がこの不条理な占領・追放と迫害政策をとっている以上、ほとんど何にもならない。
こんなことを続けていたら、いづれ「ナチスドイツがしたことにも一理ある」と考える人が増えてしまうのではないか。
パレスチナにおける等身大の若者たち
ドキュメンタリー作品の魅力は、ストーリーに頼らないからこその空気感だと思う。バーセルとユバルの関係は友情というのはあまりに曖昧で、でもそこがいい。バーセルは逮捕を恐れる普通の青年でユバルはイスラエルのやり方に疑問をもちつつも等身大で、どこにでもいるような二人がこれ以上ないほどの非道な暴力と抑圧を直視し映像に残し続ける。この作品の一つの柱はこの二人のリアルな心模様でもう一つの柱はヨルダン川西岸のパレスチナ人居住地区で何が行われているか、だと思う。村人が使う井戸にコンクリートを流し込み、小学校をブルドーザーで破壊し、水道や電線を切り、毎日一戸の家を破壊するようなやりかたで、村人の心を挫く。パレスチナ人を追放する光景や入植者による暴力は、同時代にこれが行われていると思うと苦しくなる。社会は正義ではなく力によって支配されているということを痛感しつつ、やるせなくなる。
バーセルも、そしてパレスチナ人に時折責められるユバルも、諦めたようなうかない表情が目立つものの時折若者らしい姿もみせる。それがまた切ない。ユバルの語る絵空事はバーセルには響かないし事態はむしろ悪くなってゆく。家を壊されても洞穴に住むことでマサーフェル・ヤッタを離れようとしなかった村人も、事態が変わっていくことで離れることを与儀なくされる。
普通の若者二人がとったマサーフェル・ヤッタの真実。懐かしく温かい故郷を踏みにじられるということの痛みを、少しは共有できただろうか。人間性を放棄し、子どもたちがいる学校を潰し井戸を埋める行為は、イスラエルの若き兵士の心をも蝕んでいくんじゃないか。パレスチナという最も人間性が軽視されている地においての、等身大の若者の視線がなんとも言えない重い作品だった。
憎悪と惨状を正面から見つめるのが怖い
ガザの紛争が始まって以来、ガザのドキュメンタリー映画も、ガザを舞台とした物語にも、個人的には目を背けて、距離を置いてきた。
それではいけないと思いつつ、憎悪と惨状を正面から見つめるのが怖かった。
この映画は、ガザではなくヨルダン川西岸のイスラエルによる強制入植の様子を記録しているけれど、基本的な構造は同じ。
イスラエルが国家権力で、アラブ人の居住地での生活を破壊し、アラブ人を暴力で追い出し、植民地を拡げる。
今、世界中で、暴力で命が奪われ、暴力で強制的に生活が奪われている。ガザでも、ウクライナでも、世界中で。
映画を見終わっても、自分がどうしたら良いか、自分がどう考えれば良いか、全然分からないままで、情けない。
闘いの記録
私はほとんどドキュメンタリー映画を観たことがない。ドキュメンタリーにどのような態度で臨めばよいか分からなかった。故に今回最も心掛けたのは、この映画を、フィクションを観る時と同じ態度で観ることだった。故にその前提の下で話していく。
まずもっとも印象的であったのが、パレスチナ人のバーセル・アドラーがカメラを持ち、命の危険を顧みず抗議をしている時、イスラエル人のユヴァル・アブラハームはむしろそれを止めようとしていた。この時点で2人には考え方に開きがあることが分かる。ユヴァルからしてみれば、目の前にいる人ないし友人が危険を冒すことを止めようとしているのだが、バーセルは自分の命(ももちろん大事ではあるだろうが)を落としてでも撮影や、抗議をすることに意義を感じているし、その他の村を捨てない人々も同じ気持ちであるだろう。
もうひとつ印象的であったのは「侵略者」であるイスラエル人の表情の多様さだ。そこに写るパレスチナ人の顔は皆比較的一貫していたと思う。脅威の中の日常での笑顔や、怒りや悲しみ、そして今後について考えている表情などだ。しかし、あそこに出てくるイスラエル人の表情は人によってかなり違っているように見えた。ニヤついている者もいれば、黙々と職務を遂行するように努めている者、暗い顔の者もいた。彼らがそれぞれどんな背景で、その立場にいるのかは分からないが、現場での生きている人間をそこからも感じることができた。
この作品は人が殺される様子、殺す様子が直接描かれる。そこには理由がない。理由がなくても人は人を殺すし、殺されるし、争う。
全てのジャーナリストに物申す!人の不幸で食う飯は美味いですか?
この映画で一番、許せないのは息子を殺されて悲しむ母ちゃんにカメラを回しているところだ。
伊藤詩織さんのコメントの許可の問題もそうだが、この息子が殺されてしまった母ちゃんに許可は取ったのか?
許可を取ったとしても、何で、息子が殺された哀れな母ちゃんに、そんな残酷な仕打ちが出来るのだ?
子どもがいるのに、自分のジャーナリストの教え子と不倫していた荻上チキが、震災や、災害にあった現地に取材という名目で、現地に行って、インフラがどうとか、支援物資がどうとか、自分の番組で論じているが、お前、現地に必要か?
エガちゃんとか、スーパーボランティアのお爺さんみたいに手助けしないんだったら、行く必要なくないか?お前らは死体が見たいだけの、ハイエナ野郎にすぎない。ジャーナリストって、人でなしの集合体なのか?
ジャーナリストって、悲惨な目に合っている人達を観察するのが仕事なのか?クソの蓋にもならねぇ仕事だなぁ?おい?
現地で、兵隊が住人を追い出しているシーン以外は特に見るべき所は無し。
これが、ドキュメンタリーで賞を貰うねぇ?
へー、へー、高尚すぎて、ワタクシのようなトコジラミ野郎には分かりませんねぇ。
でも、トコジラミ野郎の俺にも最低限の良心は残っている。この作品は賞も貰う為に、良心を悪魔に売り渡したファウスト野郎の映画だ。
今は、賞を取ってウハウハかもしれんが、いつか、両目を潰されるぜ?ファウストの今際の際のように?
感動した人はごめんなさい。俺はこの作品は許せない。理解してもらえなくてもいいです。
呪われてしまえ!!
引っ越した方がいい
イスラエルの横暴がひどすぎて、抵抗してもどうしようもない。家族もいるんだし、電柱倒されたり井戸を埋められたりして暮らしていくのが大変だ。それでも洞窟で液晶大画面テレビを設置して暮らしている。タフであることが逆に裏目に出ているのではないだろうか。自分なら即音を上げて逃げる。イスラエルが意地悪すぎて、自分たちがナチにされたことを忘れているのではないだろうか。ホロコーストの映画を散々見てきて、常に同情的に気持ちだったが同じ気持ちでいられない。
取材していたイスラエルの若者が白眼視されていてかわいそうだ。当たりたくなる気持ちも分かるけど彼は彼でリスクを背負ってやってることを認めてあげて欲しい。
「ぱぱ、〝どなるな〟っていって」
張りつめる空気に怯えるこどもが必死に言った。
握りつぶされるように砕かれる家や学校。
立ち向かい容赦なき弾に射抜かれる家族。
目の前で大切なものがいとも簡単に破壊され続けていく。
これはゲームの世界じゃない。
マサーフェル・ヤッタのこどもたちの目に映る現実世界の不条理。
彼らのなかに憎しみのエネルギーとなりいつかそれは負の連鎖となりうる。
その過ちの痛ましさが満ちていく瞬間を目撃しているのかも知れない苦しさと恐ろしさは、ただ立ち尽くす力無い自分を責めもする。
微力な力も積み上がればどこかにいつか届くと信じたいが、そんなきれいごとなど彼らはその経験からすでに越えてしまったところにいる。
被害者側と加害者側の立場の青年たちが自分の命を差し出しながら、今、具体的な一手をと叫んでいるのだ。
あの場所で彼らの絶望が生きる気持ちを消滅させてしまう前に、世界はどうやってこの記録に意味を持たせられるのだろうか。
避難した暗い地下から見上げる小さな長四角の空が、無惨に切り取られた彼らの人生の断片にみえた。
あそこからみえる月や太陽に一寸先の命があることを祈る人々がいる。
平等の命なんかじゃない。
知らないではすまされない。
故郷は他にないのに。。
本作の上映を知り、絶対に観なくてはと思っていたのだが、題材が題材なだけに、躊躇していたら21日に公開したばかりなのにもう1日1回!
しかも16時からしかかからなくなっていたので、子にお留守をしてもらい滑り込んできました。
こんな時間に観る映画じゃにゃい( ̄  ̄)
はぁー。。
ガザの停戦合意について注目が集まっている現在。
これは今を生きている人は観るべき作品だと思います。
意識していない人は観ないんだろーから全然かからなくなっちゃうの、仕方ないのはわかるけど。。
残念に思えてなりません。
ガザ侵攻については、ニュースでも拾って見ていたつもりだったが、実態はそんなもんじゃなかった。
本作は、イスラエル軍の占領が進むヨルダン川西岸地区、パレスチナ人居住地区マサーフェル・ヤッタで起きていた真実。
2023年10月までの4年間を映したドキュメンタリー。
"何とか撮れている動画"を編集しているだけなので、起きている悲劇を淡々と映し出していて、観客へのサービスなどはない。
むしろ見にくい箇所多数。
でも逆にそれがリアルで恐怖心が増した。
首を真綿でじりじりと締め続けられる様な日常が続くのみ。。
イスラエル軍とイスラエル人入植者達の非道な行い。
(女性兵の姿もありました)
「どうしてそんなこと」という思いしかない。。
ユダヤ人は自分達の過去を忘れてしまったのか。
今のユダヤ人はナチス・ドイツと同じ事をしているじゃないか。
長い歴史の中でずっと迫害を受けて来たユダヤ人。
やっとの思いでイスラエルという国を作った彼らが、国を死守したい気持ちも理解したいが、やっている事がこれじゃ。。
もう純粋にホロコーストの被害者として見れなかった。。
ブレア首相が7分視察?!に来ただけで、一時的に学校の破壊が止まる皮肉。
つか、過去にイギリスがユダヤ人にもアラブ人にも国を認めると言っておきながらフランスとつるんでオスマンの領土を山分けした歴史があるじゃないか!
だからユダヤ人達はパレスチナに移り住む動きが高まったんじゃないの?!
そもそもパレスチナ問題はイギリスにも原因があるんだぞどーにかしろよ!!三枚舌ヤローが!!と、あのスーツ軍団にも怒りの感情が湧いた。
パレスチナ人からは侵略者は信用出来ないと言われ、同胞からは売国奴扱い。。と厳しい立場ながら、マサーフェル・ヤッタの現状を伝えようとするイスラエル人ジャーナリストのユバル。
破壊され続ける故郷の現状を何とかして世界に伝えようと配信し続けるパレスチナ人バーセル。
2人の執念のおかげで、遠い日本にいる私のような平和ボケしている人間にまで届き、この理不尽な侵攻の実態を目にする事が出来ました。
「怒りで人が変わりそうだ」というセリフが心に残っています。
一瞬映った三日月。
私が今夜見ているこの月を、パレスチナの人々も見ているのかな〜と思ったら泣きそうになってしまった。
日本も他人事ではないと感じなくてはダメだ。
イスラエル軍の車列の中に、日本車があったように見えました。
ありふれた、決まり文句の様な言葉を並べるのは簡単ですが、今の私には何も言う事が出来ません。
だけど、終始怒りが込み上げ、そして苦しくて悲しくて悔しくて辛くて怖かった。
この痛みにも似た感覚を覚えておかなくてはと思った。
だから観る意味があったと強く思いました。
多くの人に届いて欲しい作品。
みんなでこの痛みを自分ごととして受け止めませんか?
(個人的にアメリカの皆さんの反応が気になるところ。。
それと、あのカメラマンはアメリカの人でしたっけ??
なんか発言が偽善者ぽくてその場しのぎで嫌悪感抱きました。。)
被占領者による命懸けの告発、命懸けの蜂起。
ショックで唖然とした。
ああ結局「百聞」はどこまで行けど
「一見」未満なんだ、と。
16か月間 体に溜め込んできた残酷さは、しょせん断片でしか無かった。16か月間 夢中で追いかけてきたあらゆる断片を結集しても、多分一昨日見たフィルムの1/100のリアリティにも及ばなかった。
その断片たちが一昨夜、一気に繋がって生命を帯びて、目の前で化け物みたいに動きだした。
思いのままに泣けるような隙もなく、ただ驚愕し、瞬きも忘れていた。
アパルトヘイトが実際どんなふうに、人間を外側と内側から壊していくのか。
そこにいっとき立ち会うことを許可され、95分間、本当に自分はそこにいて、同じように恐れ、同じ絶望を見た。そんな感覚だった。
ずっと息苦しかったのは、
マサーフェル・ヤッタの美しい土壌に侵入する
余所者たちの傍観や偽善に対する描写が結局は自分にも向けられている批判であることを終始、感じ続けたからだろうと思う。
息子に重傷を負わせられた母親を訪れ、刹那の同情を演じて去っていく英語話者の記者たち。
気まぐれに権力を振り翳して他者の運命を管理し弄ぶ 国際社会のリーダーたち。
登場人物はみな、断片的に私の一部であり、
私が今生きている国の人々の一部だと思った。
二人の間にある抗えない構造的不平等にも胸がジクジク傷んだ。
それは膨らみ始めた友情の芽とは裏腹に浮き彫りになってゆき、ユヴァルさんがバーセルさんの心に近寄ろうとすればする程、軋んだ音を立てるみたいに、私には感じられた。
権力の不均衡を生じさせる構造。
ただ生きてるというだけで。
個々の人間性も互いの絆の深さもお構いなしに。
その理不尽さは、二人の距離が密接だったからこそ、より鮮明に、より際立って示されたと思う。
「状況が安定して民主化され自由になったら
今度は君が僕を訪ねておいでよ。
いつも僕だけが君を訪ねるのじゃなく」
ユヴァルさんは邪気のない様子で言う。
帰る場所があり、動き回れる自由があり、永遠の抑圧も永遠の敗北も知らぬ友。
私がもしバーセルさんなら、
"maybe...." と呟いたあの瞬間、
新しい友人が全く見知らぬ他人のように見え、
広い宇宙に独りぽっちで置き去りにされたみたいに感じただろうと思った。
祖父母から孫の代まで続く壮絶な占領の歴史。
彼らはアパルトヘイトに押し潰され、時々善意を放り投げてくる世界に失望し、それでも忍耐強くあらん限りの抵抗を続けながら、
一軒ずつ家が壊されるのを見届け、
一人ずつ家族を失ってきた。
共感だとか連帯だとか、知った振りをしていた自分が恥ずかしい。狂おしい自責の念で、吐き気がした。
「国境を越えた友情と連帯に希望を見出す」
この類の宣伝文句をよく見かけたけど、
本作の主題は友情ではあり得ないし、
希望を見出すような結末も用意されていない。
(と私は思う。個人の感想です)
これは、追い詰められて窮地に立つ故郷を背負い、占領国家に対し真っ向から叩きつけた告発であり、カメラという 彼らに残された最後の武器で世界に示した、文字通り命懸けの蜂起だったんだろうと思う。
希望なんて幻想がここには微塵も存在してない、それでも、バーセルさん達が彼の地から手を伸ばし世界に届けようとした真実をどう咀嚼するのか。
今生きるその場所で、私は、あなたは、何が出来るのか。
鑑賞後にそれぞれの日々の中で、自分だけの宿題を模索していかなければ、と思う。
マサーフェル・ヤッタから、
こんな声を聴いた。
「それでも僕らは、現実を変えたい。
だけどその手段はもう殆ど、僕らには残されてない。
もう分かっているよね?
変化の可能性の、その舵を、力の限り一杯に切り、これまでとは全く別の方角へ進路を変えられるのは、ここにいる僕らじゃない。
今日これを目撃したあなたでしかない。
僕はここで死と隣り合わせで
出来る限りのことをやってきた。
さあ、次はあなたが繋げる番だよ。
泣き言なんか言ってないで、
今すぐギアを100段階上げてくれ」
一方で、彼らの決死の記録を目撃したあとに
抱いて欲しくないのは「無力感」だと思う。
それが許される者がいるとするなら、それは途方もない忍耐を重ねてきた彼らであり、私たちではあり得ないと思うから。
パレスチナの現実
生活の拠り所であるはずの家を、発電機を、井戸を、学校をブルドーザーで破壊される。これでもかと次々に破壊される。抵抗すると撃たれる。これでどうやって生きていけというのか? なぜ同じ人間に対してここまでできるのか? それぞれのシーンで観客が息を呑むのが感じられるほどだった。
ニュースで見聞きしている内容ではあるが、圧倒的な臨場感でそれが現実であることを思い知らされる。
主人公のパレスチナの青年が言った”幼少のころから力関係の話ばかりだった。”というセリフと、イスラエル軍人が言った”仕事の邪魔をするな!”とうセリフが耳に残っている。
そう、これだけの無慈悲な行動であっても、イスラエル軍人にとっては上から命令された仕事でしかなく、そこに良心の呵責は読み取れなかった。彼らにとっては、自分達の土地を不法占拠している犯罪者を追い出しているだけに過ぎないのだろう。そこにこの問題の根深さを感じた。
率直に言って最後まで観るのがしんどい映画ではあるが、一人でも多くの人にこの映画を観てほしいと思う。私を含めて、観たからといって何ができるわけではないが、でも観てほしいと思う。
今最も観なければならない映画
イスラエルの兵士や入植者の理不尽で不条理な暴力が小さな村を襲う状況に言葉を失う。
小さな子供のすぐ横をイスラエル軍のブルドーザーが通過し、つい先程まで家族で寛いでいた家を破壊する。建て直そうとすれば、再建用の大工道具を没収しにくる。小さな発電機すら取り上げようとする軍に反発した村人を容赦なく撃つ。
村の中をトラックが入り込み、皆が使う井戸にセメントを流し込む。地中の水道管を重機で掘り返す。村人が理由を問うと、「軍で決まった事だ。」の一辺倒。これほどグロテスクな暴力があるだろうか。どうか最後まで見てほしい。これは日本の私達地続きの問題だ。見て終わりにしてはいけない。
観たらもう普通の日常に戻れない
辛口ですが、星2です。
ハマス?それって何テロリスト集団?イスラエルが戦ってるのって個人の集団?
国の公共事業でテロと戦うのってあり?無理やり戦わされてなぜみんな怒らない?そもそも何でわざわざそんなテロの国の隣に建国した?
正直イスラエル(の政府)阿呆すぎで何で国体維持出来てるのか疑問に思っていた、ニュースなどざっと読んだだけだけど。
でもこの映画(というかドキュメンタリー)を観て、息が止まるほど怖くなった瞬間が正直5回はあった。終わっても休憩してからでないと立ち上がれなかった。あまりにもくたくたになって。そんな映画だとわかってれば…で星を減らした。まあもう終わってしまうから駆け込みで観に行ったんであるが。映画館の映画って基本気分転換だからね。これはそのときの精神状態によったら壊れる(本気)。
いちばんの衝撃は最初からパレスチナ人の土地だったとは、、、地図じゃ隣に建国したように見えるし、人も住めないほどの荒地を開墾した?とかてきとうに想像してたけど、隣もくそもなく、武器も何も持っていない丸腰のご婦人や少女に向けても銃を構え、脅しまくって『家を出ろ!』と彼らの家をブルドーザーでなぎ倒し更地にしていた………
はああああーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー?????????????
それから殺人を含む犯罪が、えんえんと続くのであった………殺人、ですよ?
何コレですよ、一度も聞いたことないけど??ハマスが悪いとしか聞いてなかったけど?国の事業で犯罪やっていいんですか?ていうか、めっちゃ若い二十歳くらいの可愛い女の子にも危ないことさせてましたよ??(彼女は『ねえ、いう事を聞いて!』って感じで怒り狂う村人たちを説得していました・テロ集団と決めてんならどう見ても経験不足の女の子に命の危機ありまくりの交渉させんなよちゃんと凄腕のネゴシエーター雇えよ)
また衝撃ですが我が国日本はこんなクソイスラエルとほぼほぼ同盟国だそう。アメリカがイスラエルと同盟だから自動的に日本の年金資金がこいつらに流れてるらしく。
(まあさきにランドをパレスチナに返せよって映画だったので、ランドを返して、金も返せな。ていうかあんな過酷な目に遭わされてるパレスチナになれば流れてもいい(!)が、イスラエルのまんまだったらムリ)
最悪すぎる。正直映画の舞台になった村はマシ(!)で、ガザという街を空爆で時間短縮して更地やってる。惨事はだいたいぼかされてるからみづらいけど、、無修正見たらもう普通の生活トハ??になってしまう。ハマスの攻撃のあとのガザ、先鞭つけて騒いでくれてたな太田ステファニー歓人。今さら感謝の念が湧く。そらほっとけんでしょう
はっきりとしたことがわからないうえで観るもよし、僕が今読んでいる岡真理さんの『ガザとは何か』を読んで予習してから観るもよし…何ができるのか。映画はもう終わってるとこばかりだけど。
(パレスチナは終わらせない。)
Don't end Palestine,
we can.
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