お坊さまと鉄砲のレビュー・感想・評価
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真っ赤な(ティン)ポー
世界一幸せな国ブータン。オールバックヘアスタイルの若い国王はジョニー大倉にアントニオ猪木を足して割ったような感じ。お妃がめちゃくちゃ美人。そりゃ、国王は幸せに決まってる😎
チベット仏教を国教とする唯一の国(チベットが中国に侵略されたため)。ラマ(高僧)を敬う信心深い国民性。国会も選挙もなくても幸せだった。
それが、国王の判断·決定で近代化を目指し、議会制民主主義を取り入れた立憲君主制になった。一度も選挙の経験がない国民に対して選挙委員が模擬選挙を行うこととなった。しかし、小さな村に対立候補をめぐる諍いの芽が生じ、かえって庶民の幸福度は下がってしまうことに。
ラジオで選挙委員会の女性が村に来ることを知った村の高僧は弟子の僧侶に模擬選挙が行われる満月の日までに銃を2丁用意するように命じる。「世界を正すため」とだけ弟子に言う。
その頃、観光立国ブータンの観光案内人の男は病弱な妻に内緒でアメリカ人の銃収集マニアの男を空港に迎えに行っていた。インド以外とは厳しい入国制限をしているブータンでは観光以外の商取引目的の外国人の入国に警察は目を光らせる。
ある老人の家にねむっていた一丁の鉄砲の情報を探り当てた案内人。アメリカ人によれば、その鉄砲は南北戦争時に使われた超ビンテージ物で、マニアの男は350万ニュルタム(=インド・ルピー)出すというが、老人はそんな高額は受け取れないという。チベット仏教の教えにより欲が無く、慎ましく、清貧な暮らしをしているブータン人の人柄がよく出ている微笑ましいシーン。金を用意して次の日に再訪したが、老人は一足先に訪ねて来た若い僧侶にラマへの供物として銃を渡してしまったあとだった。信仰のためとあらば、私利私欲を投げうつ国民。
悪い官僚もいるには違いないのだが。
公開写真の一つの右端に何やら赤く塗装された先の丸い、エラのついた道祖神型のロケットランチャーを抱えた爺さんがいるのがとても気になっていたが、やはり最重要アイテムだった。
ポーと言うらしい。玄関の両脇に2本置いてある家もあるそうだ。魔除けの御守りの意味があるそうだ。
高僧が2丁といったのは、儀式には二本の対で一式のアイテムとして用いようとしたからではなかろうか。
ホントは高僧がいつランボーに変身するのか待っていた😅
アメリカに対するキョーレツな皮肉は(アジア人として)とてもスカッとしたし、なるほどと思った。さすが高僧。
ブータンに行って、ポーのお土産を一対買って帰り、玄関に飾りたいが、酸素が薄いからどうしょうかと迷っている。
とりあえず、1本ならあるにはあるが、2本ないとだめなのだよ。
ブータン・ヌーボ
ブータン映画と言っても、後にも先にも同じ監督の「ブータン山の教室」しか見たことがないので、ほかにどのような作品が作られているのか、全体像はわからない。人口80万人ほどの国で年間何本ぐらい公開されているのだろうか。この2本の映画を見る限り、私たちがイメージするブータンという国そのままの世界が描かれるが、この国の人々にとっては当たり前なわけで、彼らのためにはおそらくもっと違うジャンルの映画も作られているのだろう。
銃を調達するように指示する僧侶の意図がなかなか読めないので、最終的に何が待ち受けているのだろうと終始不安な気持ちのまま物語の展開を見守らざるを得ない。銃の入手に奔走する若い僧と模擬選挙の準備が並行して描かれ、満月の日を迎える(結末は納得の行くものであったが)。
王制から共和制への移行と言えば血なまぐさい政変を想定しがちだが、国王自ら施政権を手放すというのは奇特な例に違いない。ただ、民主主義の導入がかえって争いを産むという、劇中で提示された課題の答えは出ていないように思える。
田縣神社の神輿のようなファリック・シンボルも登場するが、あれはブータンの習俗に実在するのだろうか。
これは傑作!
穏やかなブータンの大自然と共に語られる幸福論。
不穏な空気を残しながらクスクスと笑え、最後はホロリとする絶妙なバランス。
ゆったりとしているが飽きない映画だった。
他のレビューにもあるように幸福とは何かを考えさせられた。
豊かさを追求する日本とは全く違う、贅沢とは言えない暮らし。
それでいて、こんな人生が良かったなと羨望を抱くほど、ブータンの人々は満たされている。
しかしきっと、ブータンの人々が感じている幸せや充足感は、志し次第で日本でも得られるものなのだろう。
金を得たいと思う気持ちも、結局は他者から優れていると認められたいという承認欲求に過ぎない。
周りに流されず、己の価値観を大切にしたいと改めて思わせてくれた。
ブータン国民の安寧と幸福がこれからも永遠に続くよう祈る。
ブータンで以前、選挙を初めてすることになった時の物語。 村の人々は...
ブータンで以前、選挙を初めてすることになった時の物語。
村の人々は、選挙の経験がなく戸惑い、騒動やら仲違いが生じ。
若い僧侶は、高僧から依頼され、銃を手に入れてきてほしいと。
一方で、希少な銃があると噂を嗅ぎ付けた、米国人の収集家も来て。
その収集家を手配追跡している警察の方々までも。
それぞれの願い・思惑・欲望などが絡まったりすれ違ったりして、
本来のどかなはずの村が、慣れない騒動の渦中になってしまう様子。
しばらくは、ドタバタ戸惑いの渦中の物語でしたが。
終盤になるにつれて、人々の穏やかな本質が出たような、とても愛らしい物語にまとまっていました。
チベット仏教の考え方…まずは人に授けること、皆がそうすれば、自然と巡り巡って、自らにも授りものがある…のようなものが、村人の言動ににじみ出ていて。
平日なのに賑わった映画館(2025-01-07火曜午後)
終盤は笑い声があちこちから聞こえてくる、和やかな場。
よき癒しの、鑑賞体験でした。
民主主義とは個人の豊かさである故のお供え物
2025年劇場鑑賞1本目 優秀作 71点
公開当初から好評で、ブータンの歴史や文化に触れられる良い機会だと思い、24年年末から新年1本目に鑑賞予定を立てる
作品全体の輪郭が終始脇をくすぐられている様なユーモアがあり、世界中の誰がみてもその心地よさに好感を抱く作りである
鉄砲の取引をする異国の人と通訳とおじぃさんの会話や、お坊さんに頼まれて取引締結の前に鉄砲を強奪し、それを耳にした異国の人と通訳が追跡して、山頂あたりで新たに取引を始める会話、物語終盤の選挙後の上記二人の集団に抗えず、目論みが果たせずやるせない挙動、登場する警察や贈呈されるシンボル(?)の真剣なコメディなど、至る所に前述したユーモアが楽しい気持ちにさせる
民主主義に移行が決まり選挙を開催すると報道された初動で、弟子(?)に鉄砲を満月の日までに用意せよと告げるのが、個人の豊かさ、もっというと個人の声や言葉を尊重する国家になる上で、それまでその声や言葉を問答無用で捻り潰す暴力の象徴である鉄砲を、これからを生きる国民の地深くに埋めるという動作を集いの場で行うことを早くに企んだ先見の明が、物語を引っ張るドラマやコメディのアイテムとしても、象徴としての説得力としても秀逸でした
是非
民主主義と格差社会と幸福と・・・
2024年の大晦日の夕方にとても素敵な作品に出逢えました。
この年、最初に見た映画が『PERFECT DAYS』で、最後がこの『お坊さまと鉄砲』・・・。
全然タイプの違う作品ではあるものの、[幸福]についてヒントを与えてくれたという意味では共通項を見出せるところがあったかもしれません。
同監督の前作『ブータン 山の教室』を事前に見て惹き込まれたことがきっかけで、迷うことなく映画館に足を運びました。
選挙と鉄砲・・・?
(日本では一般的に考えられない)とても物騒なモノ(鉄砲)が出てきますが、「そっか・・・、こういう使われ方なのか・・・」と、共感しながら納得しちゃいます。
人間にとって[自己肯定感]と[他者貢献]、この両輪さえ回せるのであれば選挙も必要なく、戦争だって起こりえないのかもしれません。
道祖神のモチーフが出てくるシーンには思わず「フフッ・・・」と微笑んでしまいました。
人工的に作られた豊かさではないところに[幸福]が育まれるのでしょうね。
改めてそんなことを思わせてくれた作品です。
ピュアさと無欲さ
お坊さま、さすがです!
幸福に暮らすとはどのような事なのか、この映画を観て考える事が出来ました。
物欲が満たされることや、特に必要としていないのに選挙権を行使することは、大切なことだと教育されるのは、毎日笑って生活するのに本当に必要なことなのか。
みんな武器を捨てて平和に笑って暮らせればいいのにという願いが、穏やかに伝わってくる、心がキレイになる映画でした。
高僧の小粋な企みに乾杯
キアロスタミの時間や空気を感じる。圧倒的に新しい空間と時間。僧侶と...
キアロスタミの時間や空気を感じる。圧倒的に新しい空間と時間。僧侶とて、保守的で男根が出てくるなど、何も希望があるわけではない。ただそこには争いを諌める象徴的な技術、知恵があり、それはまだこの国に生きている。選挙広報に力を入れる政府女性や、無批判的にアメリカ民主主義に期待する補佐、007のテレビを見に来る民衆。このあと、簡単に収まるわけではないだろうけれど、今のところ、移行はうまくいってるとのことである。
お金よりも大事なもの
国王の退位により立憲君主制へと移行することになったブータン。模擬選挙が実施されることを知った僧侶は次の満月までに銃を2丁用意して欲しいと弟子に頼むが…。
銃を巡る展開はなんとも滑稽で、初めての選挙に戸惑う人々、豊かな自然などブータンの魅力が詰まった作品でした。
なぜ、銃が2丁必要なのか?と思っていたのですが銃を向け合う同士ということで2丁だったのかな…と勝手に解釈しました。
近年ブータンは色々と変化を遂げてきている訳ですが、この国が持つ心の幸せを重要視する様が滲み出ていて、銃を必要とした理由が判明する僧侶の言葉にはジーーンとしました。
年明けの1本目が本作で良かったと感じた今日この頃です。
ファンタジー❓
映画の日、元旦、新宿武蔵野館の午後でほぼ満席。王政から民主化へ田舎の小さな村を舞台に模擬選挙が開かれる事になるが、何故か瞑想中の高僧が修行をやめ銃を持って来いと弟子に命じるが。ブータンの知識が国力や国民生活を国民幸福度で計る小国と言うぐらいしか知らず、それって貧しさを誤魔化してユートピアみたいに見せているだけ❓と穿って見てしまうけど。
ストーリーはドタバタでもなくニヤリとするぐらいで、アメリカを皮肉り物欲を否定するスピリチュアルさがどうも気になってしまった。
でも、高僧が銃を欲しがる意味がラスト近くでわかるのは上手く、しかも弟子の僧が欲しがる銃が007慰めの報酬❗️世界一有名な銃、自由戦士の銃、カラシニコフ❗️
見終わり、ナイフまで仏塔に埋めていたけど、やり過ぎだよ。
民主化によって発生する争い、分断の面と 自由意思の尊重の大切な面と...
美しい自然と欲のない国民
2006年、国民に愛されてきた第4代ブータン国王が退位し、王子に国王を譲位するとともに、行政の長(首相)を選挙で選び、民主化へと転換を図ることが決まった。そんなブータンで、選挙の実施を目指して、まずは模擬選挙が行われることになった。山に囲まれたウラの村で選挙の事を聞いた高僧は、なぜか次の満月までに銃を2丁用意するよう若い僧に指示し、若い僧は銃を探しに山を下りた。同じ頃、アメリカからアンティークの銃コレクターが幻の銃を探しにやって来て、南北戦争当時の貴重な銃がなぜかブータンのウラ村に有り、その銃を高値で買い取ろうとした米人に対し、仏に寄付する事を選んだ持ち主、その後のドタバタ劇が・・・そんな話。
本作だけを観ていたら、王国から共和国になったように誤解してしまったが、そんなはずないと調べてみたら、ブータン王国は現存し、イギリスなどのように王が行政を行うのではなく、選挙で選ばれた行政の長、つまり首相を決めようという事なのだと理解した。
選挙などしたことは無く、必要なのかもわからない、テレビもインターネットも無いような地方では、選挙をするということがいかに大変だったのかが観ていてわかった。
銃を何に使うのか興味深かったが、争いをなくす象徴として埋める、なんて発想が素晴らしい。
物や金に執着せず、必要なものを必要なだけ大切にするという、人間の本質のような住民の美しい心に打たれた。
ブータン山の教室、でも思ったが、これからどんどん世界中の情報が入ってきて、俗世間の金に汚い人たちも増えていくのだろうけど、心の綺麗な人々が多くいて、山の自然が美しいブータンにぜひ行ってみたい、改めてそう思った。
お坊様と説法....なら納得(笑)
予想できない結末に思わず涙した
ブータン王国について、我々は何を知っているだろう。場所はインドの北あたりか。政治?ワンチュク国王という今時珍しい王政国家。隣国でインドの強い影響下にあるだろう。価値観は国民総幸福。しかし経済的には裕福ではない。文化?インドの近くだから、カレーとか?最近では、高額の観光税導入なんてニュースもあった。映画のタイトルの「お坊さまと鉄砲」って?仏教国だろうけど、鉄砲くらいあるだろう。だから何?それくらいのこの国に対する知識を肉付けするのもいいかな。くらいの気持ちで映画をみた。そしてその知識が偏見でしかなかったことを知らされる。もう少し私が持っていた偏見が続く。
ブータンに突如もたらされた民主主義
2024年は選挙イヤーだった。国内は都知事選、衆院選、知事不信任に伴う兵庫知事選、海外ではアメリカ、イギリス、ロシア、台湾などなど。そして民主主義そのものが問われることにもなった。AIの進化に伴いAIを活用した選挙活動やフェイクニュース、AIに政治を任せると主張する候補者まで出現しただけでなく、SNSの影響など「危機に瀕する民主主義」のような言葉までも駆け巡った。そんな「民主主義」に対してどんな示唆があるのか?そんな期待を裏切る映画だった。強烈だけど優しい衝撃だった。ワンチュク国王の独断?で突如、民主主義で行政の指導者を国民が選択することが決められた。国民は民主主義に対して無知、というより興味を持っていない。それはお近くの専制国家における絶望的な民主主義とは全く異なる。国民は王政に対し何の不満も持っていない。それは自由主義を掲げる国家を見ていないからではない。為政者と国民が相思相愛だからなのだ。そんな国民に突如もたらされた選挙という仕組みに戸惑う国民をこの映画は描く。
今こそ民主主義を考える映画?という浅はかな先入観
選挙制度に対する無知な様子には思わず笑ってしまう。親族を巻き込んだ選挙活動、投票のための贈賄や恐喝まで繰り広げられ、それは子供達にまで浸透する。これまで世界中で繰り広げられたであろう選挙違反の姿の一端がここでも見られる。選挙委員会のような、選挙を啓発ではなく啓蒙しようとする機関が、対立を煽り、憎悪を伴わせる場面がある。それを目の当たりにする国民は、選挙制度そのものに対する不信感を募らせる。そうした人々の姿を上から目線で見ていた観客は私だけでないだろう。
子供が消しゴム一つ買うのに苦労する国は貧しいのか
この映画の舞台であるウラという村で、一人の娘が学校で消しゴムを使わなかったために本を破ってしまったというなんとも小っぽけな理由で先生に怒られ、友達からも仲間はずれにされて悲しむ。住民の大半が周囲に流されて投票する中で、異を唱える父親。その娘にまつわるエピソードでは、たかが消しゴムが重要な役割を果たす。それを母親の仕事のおかげで出会えた選挙委員会の役員からもらうことになったが、そんな大事なものなのに、翻って与えた役人にとってはさほど大切ではないであろうものなのに、少女はなんの躊躇もなく、役人に返してしまう。豊かさとは富:物質的に、経済的に恵まれていること、ではないという価値観が子供にまで沁み渡るこの国を支えている基盤的な道徳感の盤石さが伝わってくる。
ブータンの人々が望む政治のあり方
模擬選挙では、住民が赤・青・黄3つの色の党に投票する。それぞれ自由、発展、伝統、どれを大切にするかを選択させてみよう、という試みなのだ。結果は黄色、つまり伝統に軍配があがるということだったのだが、圧倒的というかほぼ全員が黄色に投票しているという統計学的にはありえない結果。不正ではない。模擬選挙だから不正の意味はない。だから現状に満足しているから伝統を重視したブータン人の心に合致しているということか。これさえもどうやら違うのである。
無垢なブータンの人々の国民性
選挙人登録をしようにも生年月日を知らない、鉄砲は見たことがない。21世紀なのに外国の文化といって見聞きしているものは80年代の音楽、テレビ、映画にブラウン管のテレビなど、タイムスリップしたかのような懐かしさを感じさせる。それでもそうしたものがもたらしてきたものが少しずつでも浸透している様子を描いていた。しかしこうした国民の物に執着しない、豊かさを物質的なものだけで図らない価値観は経済成長を遂げていくことを発展と考える世界の国々の人々が考え直す必要があるかもしれない。
全84件中、21~40件目を表示