大丈夫と約束して
解説
2024年・第37回東京国際映画祭コンペティション部門上映作品。
2024年製作/91分/スロバキア・チェコ合作
原題または英題:Prisaham na svoju smrt, ze sa budem mat v zivote dobre
スタッフ・キャスト
- 監督
- カタリナ・グラマトバ
- 製作
- イゴール・エングラー
- 原作
- カタリナ・グラマトバ
- イゴール・エングラー
- 脚本
- カタリナ・グラマトバ
- 撮影
- トマーシュ・コタス
- 編集
- カタリナ・グラマトバ
2024年・第37回東京国際映画祭コンペティション部門上映作品。
2024年製作/91分/スロバキア・チェコ合作
原題または英題:Prisaham na svoju smrt, ze sa budem mat v zivote dobre
地元の少年たちが出演、スロバキアの小さな村のドラマを描いた初監督作 日本でのお披露目に喜び【第37回東京国際映画祭】
2024年10月31日第37回東京国際映画祭、コンペティション部門に日本映画3作品「今日の空が一番好き、とまだ言えない僕は」「敵」「雨の中の慾情」
2024年9月25日スロバキアの貧しい村で生まれ育ち、都会に出稼ぎに出ているシングルマザー
久しぶりに会う息子とピザ屋で楽しい時間を過ごしていた
狭い店内でぐずっていた子供を迷惑そうに見ながら息子にそっと放った言葉「泣く子は嫌いよ」
この言葉で、彼女がどんなふうに息子を育ててきたか
彼女自身がどう育てられたかが、わかってしまう
そして息子に今楽しく過ごしてるんだから早くママと暮らしたいとか面倒臭いダダこねないでねって牽制でもある
貧しい村で自分も片親に育てられ不自由もたくさんあって辛く悔しい思いもたくさんしてきただろう
盗みはダメよと息子を心配していた、そんな母が胡散臭い男と詐欺で稼いでいた
母への淡い期待や甘えた自分と決別する成長物語
モペッドで自然豊かな美しい村を走り回る子供たちが楽しそうで、暗く怖いトンネルを抜けたられたように、いつか皆自由にもっと遠くまで行けますように
息子の友だちグループのまだ小さくワルになりたての子がTikTokで覚えたてのワルい言葉を得意げに使ってるのがもう可愛くて
でもあまりワルさするんじゃないよ、なんて思ったりして
少年たちは皆あの撮影場所の村の住人だそう
主演の男の子は俳優になるのかな?
とても良い目をしていた
監督はこれが長編デビュー作だそう
東京国際映画祭で拝見致しました。せっかくの映画祭なので普段観ない感じの映画も拝見させて頂きました。年頃の息子さんと綺麗なお母さんの母子家庭の話。あれだけ綺麗なお母さんが居れば色んな意味で心配な気がします。トモスイイですよねー!日本で言うとパッソルっぽいて!
TIFF2024
ヨーロッパの片田舎。風景は非常に牧歌的で美しい。それと対比するかのように生々しく常に軋轢を孕んだ人間模様。複雑で一筋縄ではいかない人々の生き様を、くっきりと浮かび上がらせている見事な作品でした。
ただ、裏で何をやっているのか、もう少し具体的な説明やら事柄を見せてほしいと思いました。確かに、焦点を当てた関係性については細かいことは難しくて邪魔になってしまう危険性は感じましたが、ニュアンスをあんなにもほのめかしているのに事実は何なんだという苛立ちを覚えてしまったので─。
母親と祖母の言い合いを暗い寝室から盗み見るシーンから一貫して、窓枠など障壁物がカメラと被写体の間に挟まれる形のショットが続く。とりわけ、"仕事"風景含む家族(母親)の関わることとなると多用されている印象。それまでの詰まった印象を受けるそれとは意味合い・性質が異なる開かれた場所で、母性を象徴する牛と(盗み見)対峙するシーンでそれが顕著に。
一方で、仲間(アダム、ユロ、ドミニク)たちといるときの全体像が見えない・分からないくらい至近距離からの撮影など肉薄して、まるで自分事として身近に受け取れる。と同時に、バイクシーンとなると、顕著に離れたところからのロングショット。
そうした、閉じた構図と開いた構図の使い分けが印象的。
細部に魂が宿り、感情・行動原理が繋がっていて人間が描かれている人間観察の賜物か、素晴らしく見応えのあるスロバキア発カミングオブエイジ成長モノ。冒頭の方のカメラに向けられる主人公エニョの眼差しから引き込まれてしまって、もう夢中…。
虫の飛ぶ音に、一見予想打にしないようなまさかの選曲など、印象的な音(楽)が作品を形作り彩る。そして、バイク(モパッド)修理が冒頭と終盤で繰り返される差異を伴う反復イメージングシステム。どの画もキマっていてよかった。
お前の母ちゃん闇金ペテン師!家族の悪口禁止!母親より友達が大事?後ろ暗いヤクザ商売と知るとき、(経験者は語る)"盗みはするな"とあれだけ口酸っぱく釘を刺されてきたのに。盗みをすることは、母親との決別を意味する決意表明。村社会の噂と生きづらさ閉塞感とその裏にある社会情勢、職がなくて社会奉仕ガラス工場に込められたスロバキアのリアル。ウテカチ村で見つけたキャスティング。
からの、母親サプライズ逃げ帰り帰省デート。散髪シーンで母親の脚のカットが挟まれたことで、急にそこに性的ななにか意味合いを感じてしまったわけで、それ故のそこからはまるでデート(けどエニョの顔に笑顔はない)。開けた場所でセルフィー。エニョ役ミハエルの、時としてリヴァー・フェニックスのような刹那的な切れ味と、その鬱屈した思いを抱えながら力強い眼差し。彼はどこに向かうのか?
赤
P.S. これはジリジリと積み上げていくタイプの作家性のある(故に丹念な)映画的カタルシスで、分かりやすいカタルシスが少ない分、とりわけここ日本での観客(大衆)ウケは低いだろうなと思った。個人的には映画館で観てよかったと感じたけど、従来ならネトフリNetflixなどストリーミングサービスのオリジナル作品にあるタイプかも。
勝手に関連作品『大人は判ってくれない』