SPIRIT WORLD スピリットワールド : 映画評論・批評

2025年10月21日更新

2025年10月31日よりTOHOシネマズシャンテほかにてロードショー

穏やかで洗練された、心に染み入る高崎の「天使の詩」

TATSUMI マンガに革命を起こした男」や「家族のレシピ」など、日本と関わりのある作品を制作してきたシンガポールのエリック・クー監督が、再び群馬県高崎市を舞台にした新作。今回の主演はフランスの「国宝俳優」カトリーヌ・ドヌーヴである。最近は海外の監督が日本を舞台にした作品を撮るケースが増えているが、クー監督は西洋とは異なる日本の死生観に理解を示しつつ、彼らしいウィットと洗練をもって、普遍的な物語を紡ぎ出した。

ストーリーは、娘を亡くしていまは天涯孤独なシャンソン歌手クレア(ドヌーヴ)の物語と、彼女の往年のファンであるユウゾウ(堺正章)とその息子ハヤト(竹野内豊)のドラマがシンクロする。早くに離婚し、息子と疎遠になったユウゾウは、ひとり自宅でクレアのレコードを聴きながら静かに息絶える。悲報を聞いたハヤトは実家を訪れ、父の遺言状とクレアのコンサートのチケットを見つける。

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一方クレアは、気の進まない来日コンサートを終え、ひとり飲みの居酒屋で突然倒れる。ふたりのメイン・キャラクターが冒頭でいとも呆気なく死んでしまう展開に驚かされるものの、本当に物語が動き出すのはここからだ。ふたりは死後の世界で出会い、共にハヤトの足取りを見守ることになる。

過去の確執のせいで父親と向き合えなかったハヤトは、父の代わりにクレアのコンサートを鑑賞したり、「母さんに思い出のサーフボードを届けて欲しい」という遺言に従い、母(風吹ジュン)を探す旅に出るなかで、少しずつ父のことを理解していく。

「存在感」というのはありふれた言葉だが、本作のドヌーヴの佇まいにはまさにそれを彷彿させられる。孤独の重みや、実体を失った魂を思わせる漂流感、ときに母性を滲ませる一方で、ふと艶やかさを醸し出したりもする、その自在な変調ぶりがみごとだ。

対する堺も、穏やかさと軽やかさ、そこはかとないユーモアをたたえ、年輪を重ねた味わいを醸し出す。ユウゾウのキャラクターがかつてグループサウンズのミュージシャンだったという設定は、堺に対するクー監督の目配せだろう。カメオで細野晴臣久保田麻琴が顔を出しているのも、この監督の粋な音楽魂を感じさせる。

妙に特殊効果などに頼ることなく、あくまでそこにいながら、人間には見えない存在として魂となった者たちを描く演出は心地よい。そのアプローチは、ヴィム・ヴェンダースの「ベルリン・天使の詩」を思い出させる。

親と子の確執、後悔、孤独、失った者に対する哀悼、そんな普遍的なテーマを死者の視点から語りながら、人間愛を謳う本作は、まるで灯籠の明かりのように、観る者の心を灯してくれる。

佐藤久理子

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