ナイトビッチのレビュー・感想・評価
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映画館か配信か
サーチライトピクチャーズ作品。
昨今、よく言われている、
映画館か配信かというよりも、
サーチライトピクチャーズの良品に、
映画館は駆逐されるかもしれない、
と予感させる作品のひとつ。
エイミー・アダムスの気持ちの変化が、
追い込まれていく表情が、
短く鋭いカットで次々と重ねられていく。
重ねることで浮かび上がるのは、
決して映画的なエンターテイメントとして片付けられない、
現実の重さだ。
ストーリーは予想を裏切り、
予期しない展開を見せながらも、
確実にその深刻さを観客に突きつけてくる。
アル・ヤンコビックの音楽も非常に意外であるが、
なぜか非現実的ながら主人公の境遇に共感を覚える瞬間がある。
作品に不思議なリアリティをもたらしており、
観客を納得させる力があり、
危なかしさも含めて、
しっかりと背負っているエイミー・アダムスはさすが。
清楚な役から、
「ヒルビリー・エレジー」のような、
文字通りの〈bitch〉役も凄い!
というしかない。
子育ての良い面、ダークな面、
野生と理性、
動物と動物(人間)、
これまでも、これからも、
「野生の島のロズ」と続けて観れたのは良かったかも。
命を生み出せるもの
出産してアーティストを辞め専業主婦になった母親(固有名はナシ)が、育児ノイローゼになったのち自分が犬になってしまうのではないかという強迫観念にとらわれ…
なんか既視感あるお話だと思ったら、ケイト・ブランシェット主演の『バーナデット ママは行方不明』とダブっていた。人間嫌いとなり心の壁を“建設”してしまった元建築家の専業主婦バーナデットと、本作の母親は境遇的にイコール。ただこちらの場合は、育児ノイローゼをこじらせて自分が雌犬と思い込んでしまうという怖さ。
結局は自分の意志で自分が変わるしかなく、それは失ったアイデンティティの再取得にある。それに母親が気づいていく終盤の展開もバーナデットとソックリ。要するに専業主婦あるあるなんだろうけど、妻の異変に気付かない夫なんかも女性監督らしい描写といえる。役作りで体型を変えた主演のエイミー・アダムスの実体験も入っているとか。
母親は言う「女性は神だと思う。だって命を作れるんだもの」。もし男が出産時の痛みを受ければ耐えられずに命を落とすと云われる。でも女性は動物のように吠えながら命を生み出せる、まさに犬が吠えるように。
世の男性はしっかりと見なければ・・・
育児に疲れりゃ犬にもなる…?
冒頭のシークエンスだけで主人公が置かれている状況が分かる。
まだ幼い一児の母親が以前の知り合いと再会。キャリアを捨てて育児に専念しているようだが、幸せを言っている内に不平不満が沸いて出る。
毎日毎日、ただ育児に追われ…。自分の時間も無い。気付けばすっかり中年太り。(エイミー・アダムス、衝撃の小太り体型!)
夫は仕事でほとんど居ない。たまに帰ってくれば、得意気に育児を買って出る。が、結局何も分からず。仕事で離れてると寂しい、毎日子供と居る君が羨ましいよ。無神経な発言が神経を逆撫でする。育児経験ナシの男の私でもイラッ!
親しいママ友もおらず。たった一人の育児。
そんな中、ある出会いが…とか、自分の中で何かを見出だし…とかに普通なるのだが、予想の遥か上を行く展開に。
ある日、身体に変異が。体毛が生え、歯が鋭くなり、鼻も利くように。やたらと犬が寄ってくる。
次第に分かる…と言うか、感じてくる。
自分の身体が動物化。“犬”になっている…。
…ど、どーゆー事?!
ジャンル分けも難しい。シュールなドラマでもあり、ブラック・コメディでもあり、超常現象ホラーでもあり…。怪作である事はまず間違いないが。
レビューにも困ったので、本作に関する記事を色々拝見。その中に、興味深いものが。
“育児は動物的”。自分の身体から出るもの(母乳)を子供に与え、感情も過敏に。対する子供も食べる排泄する泣く喜ぶなど本能のままに。
何か、何と言うか、なるほどなぁ、と。
主演エイミー・アダムスと監督マリエル・ヘラーの育児体験も反映されているらしい。
特にヘラー。ちょうどコロナ禍。人から離れ、一人で育児。
その時の疲弊、不安、孤独…。
何かが変わっていきそうな自分…。
タイトルの“ナイトビッチ”とは、“夜の雌犬”の意味。
夜行性。夜に活発になり、走り回り、高らかに吠える。
主人公(固有名詞はナシ)も夜に犬に。なった時の解放感…。
変化するのは犬だが、同じイヌ科のオオカミにも近い。
オオカミも普段群れで暮らしているが、子育ての時は群れから離れ、一頭で。
本作は狼人間の話なの…?
主人公が犬になる秘密。
主人公の母親と関係あり。幼き頃の朧気な記憶の中で、母との奇怪な暮らし。母が犬に…。
主人公も母親もそういう種族なのか…?
ここら辺もうちょっと突き詰めて欲しかったが、暗示程度に曖昧。
そういう興味引くような話じゃないのは作風や見ても分かる。
あくまで育児の在り方や母親/女性のイデオロギーを問う。
遂には犬にまでなったエイミー・アダムスの熱演や『ある女流作家の罪と罰』『幸せへのまわり道』とはまるで違うマリエル・ヘラーの演出。
これらは見事だが、好き嫌い分かれる事必至。
つまらないとは思わなかったけど、育児の大変さがそれがどうして犬への身体的変化になるのかなどよく分からない所も多く、あまり合わなかったかな…。
清々しい気持ちに
本作の監督の過去作でトムハンクス主演の幸せへのまわり道は好きな作品だった。幸せへのまわり道はポピュラーな作品だっただけにそれと比較すると今作はだいぶコアな作品。
家事育児、必要以上夫の世話、仕事や自分がやりたい事がやれずに日々気力を失った人生を送る主役のエイミーアダムス。
そんなエイミーが閉経のタイミングで身体的に大きな変化が生まれ野生的に、自由奔放にいきる開放感自由感に再び生きる喜び楽しみを覚える。それをエイミーがまるで犬にになったように作品では描かれたアンニュイ作品。
息苦しさから解放される表現は豪快で見ているこちらも清々しい気持ちにさせてくれ見ていて気持ちいい。エイミーの演技力もそれらをさらに増してくれる。
ただ面白い作品かと問われたら個人的にはそうでもない。人を選ぶ作品ではあるためこの作品のためにわざわざディズニープラスに入るほどではないかな。継続的な会員のため自分は今回は試聴した程度。
演技がうまい「さなだびっち!」君には分からないだろうなぁ。
「最初は母親である事は軟弱なものと思っていた。でも、原始的で活気のある事だ。」と回想し、
「死以外で人が経験する最も凶暴な経験かもしれない。産んだ女性への暴行から子供の序章は始まる。」と感想を示し、
「それでも、最高の愛でもって母親は子供を愛するのだ。」と結論付ける。
そして、続ける。
「子供は私達を裂く。血や糞や尿にまみれ、真っ二つに裂いたり、ナイフで切られ子供は出てくる。内臓を取り出され、子供を出したら元に戻される。」シュールな詩であるが、爺いの僕にはわからん。
「だから、ベビーパウダーやパステルミントや、レースのフロックとは程遠い。残任な物なのだ。」
と繰り返す。
爺だけど『さなだびっち』な僕には分からねぇ。けれど、凄い映画である。
追記
この映画て、図書館で歌を歌ったり、軽食を食べたりしている。
フランスのレンヌの市立図書館に行った。イートインスペースがあって、弁当箱を取り出して、弁当を食べる者や、携帯のカップでドリップコーヒーを入れて 飲む老人もいた。クッキングスペースや湯沸かしのボットまであるのだ。
2025年1/23の事なので、真冬。外は寒い。
しかし、立派な市立図書館であった。
市立図書館を日本では間違った見方をしていると思う。
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