リュミエール!リュミエール!のレビュー・感想・評価
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これは続編? リニューアル版?
1895年に世界初の映画が上映されて以降のリュミエール兄弟の50秒の作品が次々とデジタル技術で蘇る。有名な「工場の出口」他、はじめは「写真が動く」だけの興味だったものが、構図を考え50秒にストーリーまで盛り込もうとする「映画」に直ぐに進化する様がダイナミックだ。
130年前の映像を観られるだけで興奮するのだが、同じ監督の同趣旨の『リュミエール!』(2017) と被る内容も多く、薄味の二番煎じと感じなくもない。続編としての立ち位置をもっと明確に示して欲しかった。
一人でしか観られなかったエジソンの映画・キネトスコープを、大勢で鑑賞できるようにしたのがリュミエール兄弟の発明だったのだが、1世紀以上を経て、今では配信映像を(場合によってはスマホで)一人で観る人々が増えているのは歴史の皮肉だ。
映画の始まりを知れる
2016年製作のリュミエール!に続く第2弾。
オーギュストとルイのリュミエール兄弟は、1895年3月22日にシネマトグラフで撮影した映画の試写会を行い、その後12月28日、世界で初めてパリで有料上映された。
リュミエール研究所所長のティエリー・フレモーが監督・脚本・編集・製作・ナレーションを務め、1400本の貴重な映像から、110本を厳選した作品。
130年前に映画を発明したリュミエール兄弟を知らずに鑑賞。
もちろん、2016年公開の第1弾も未鑑賞。
130年前の映像からドキュメンタリーとしての貴重さもあったし、世界中にカメラマンを派遣して当時の世界中の貴重な映像を撮影したり、演出について考えたり、演者が居てフィクションの世界に入り、等、映画の始まりから、映画とは何なのか、そんな事を見せてくれる、教えてもらえる、重要な作品と感じた。
当時は50秒間が1作品だった様で、110作品を解説付きで見せてくれ、明治初期の日本の様子も動画で観れたのはすごく貴重と思った。
エジソンとの知的権利の争いがあった様だが、ハードじゃなくてソフトに力を入れ、多くの作品を残したリュミエールの圧勝なんだろう。
チャップリンに繋がるコメディっぽい作品もあり、こういうのからの流れなんだと妙に納得した。
ピアノやバイオリンなどによるBGMも良かった。
リュミエール兄弟の偉業を改めて思い知る
面白い!映画ではない
観たかったのはこれじゃない!!
10月29日、京都シネマにて観賞。
冒頭、4人の女性が思い思いに男性遍歴や恋愛観を語り合う。今で言うなら女子会か。
でも、なかなか自分が期待していたような内容にならない。
不安になってチケットを確かめる。
タイトルは『リュミエール』。
チケットのQRコード通さないと入れないから、シアター間違えてる可能性もないし…。
上映始まってるので、このまま見続けるしかないが、思わず心の中で自問。
(映画、間違えてないよね?!)
…やっぱり間違えてました。
本作『リュミエール!リュミエール!』は、シネマトグラフを開発したオーガストとルイのリュミエール兄弟が残したフィルムをコラージュした2016年のドキュメンタリー『リュミエール!』(ほんとはこっち観たかったのに…。紛らわしいタイトルつけるなよ!)の続編。
初の上映作品と言われる『工場の出口』(1895)を中心に多くの記録フィルムが紹介されるが、そのいくつかに固定式カメラしかなかったことを逆手に絵画的な構図を取り入れていたことには驚き。
写真館を営んでいたリュミエール兄弟の父は元々は肖像画家。父親の絵画の素養や知識を兄弟が継承していたからだろうか、時間にして僅か50秒のフイルムに観客を惹き込ませるコツを二人が会得していたことがシネマトグラフの興行としての成功に繋がったのかも知れない。
『工場の出口』と同じくらい有名な『ラ・シオタ駅への列車の到着』(1896年公開)がほとんど使われなかったのは『リュミエール!』で詳しく紹介したから?やはりこっちも是非観てみたい。
残念なのは、字幕に気を取られて画面全体に目が届かない箇所が多かったこと。
基本的に洋画は字幕版でしか見ないが(俳優の本当の表現力が伝わらないから)、本作やアート系ドキュメンタリーのような作品なら逆に吹き替えの方がいいと思う。
作品の終幕にはF・コッポラが『工場の出口』を再現した映像が挿入されている。
こんなの要る?!と思ったら、2021に他界した映画監督ベルトラン・タヴェルニエ(前作『リュミエール!』の製作者)へのオマージュだった。
彼のほかの作品は知らないが、『ラウンド・ミッドナイト』(1986)は何度も観た大好きな作品。お悔やみ申し上げます。
ちなみに冒頭引用したのはフランスの名女優ジャンヌ・モローの監督デビュー作。
下調べせずに見に行った自分もバカだが、ドキュメンタリー『リリアン・ギッシュの肖像』(1983)と併映したり劇場も引っ掻ける気満々?!
自分のような「被害者」がほかにいないことを祈りたい。
タイトルなし(ネタバレ)
「映画の原点」、リュミエール兄弟によるシネマトグラフから100本を越える作品を厳選。
それをティエリー・フレモーが再生・再構築し、リュミエール兄弟の同時代人ガブリエル・フォーレによる楽曲に乗せて魅せる。
リュミエール作品は、1本が50秒。
これは当時撮影可能なフィルムの長さによる。
カメラは固定。
シネマトグラフ=「動きを描く」の意どおり、素晴らしい構図で、人物等の躍動感が映し出される。
映画の根源的な面白さが再発見できる。
固定カメラであるが、列車や船に固定されてたカメラは、前進・後退・横移動を行う。
そもそもからカメラ自身に運動性が備わっていたのかも知れず。
カメラの運動性の再発見もできる。
のちに(というか早々に)物語性が持ち込まれて、シネマトグラフ的な輝き(被写体の運動性の記録)は失せていく。
その輝きの消失は、最初期「水を撒かれる人」のサイトギャグにおいてすらみてとれる。
映画に演劇的要素を持ちこんだ後期の作品になると、さらにシネマトグラフ的輝きは失われた。
(物語を持ち込んだ映画の運動性は、カットの組み合わせた「モンタージュ技法」を待たなければならない)
シネマトグラフ的な面白さについて、ある種の類似性を想起したのはヌーベルバーグだ。
スタジオ製作の物語性からの解放、被写体自体の記録、被写体が持つ運動性そのものへの回帰。
ヌーベルバーグは、映画を物語から解放することだったのかもしれない、と。
それは別としても、映画を勉強したい世代には必見の作品と思えました。
なお、特典的な位置づけで、フランシス・フォード・コッポラ監督によるシネマトグラフ『工場の出口』のリメイクが最後に映し出されます。
まさに現代版のリメイクなのですが、尺も短いながらもコッポラ映画らしい映画でした。
<追記>
リュミエールの『工場の出口』、3つのバージョンがあったんですね。
それを見比べることもできます。
芸術を目撃せよ
(アマチュアの書く文章のため、不足や誤っている部分かあればご指摘いただきたい)
作中の言葉を借りると、エジソンは「形式」を重視し、リュミエールは「形」を重んじた。
1890年、エジソンは「キネトスコープ」を発明したが、それはあくまで一人のみで映像を楽しむものであった。
一方、リュミエールたちは「シネマトグラフ」という、大勢で映画を楽しむ機会を一般向けに提供し、映画鑑賞という文化を浸透させた。また、現代にも通ずる撮影技法を確立し、世界にカメラマンを派遣。それぞれの国の様子を撮り続けた。
リュミエール兄弟の遺した映画は、世界のありさま、時代の瞬間、そして大衆文化を切り取った貴重な記録であり、芸術である。
流れる映像ひとつひとつの、構図、演出、ピント、全てが完璧で美しく、また同じ時代を生きた音楽家、ガブリエル・フォーレの音楽もたいへん心地良い。
今この時代に、リュミエール兄弟の映画をまとめて観られることに、改めて感謝したい。
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