敵のレビュー・感想・評価
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ジイサンの心臓には毒
タイトルなし(ネタバレ)
妻に先立たれ、ひとり暮らしをしているフランス文学元大学教授・渡辺儀助(長塚京三)。
祖父の代からの東京郊外の一軒家暮らしで、ひとり暮らしは20年になる。
教授を辞めたあとは、年金とちょっとした原稿書き、時折舞い込む講演が収入で、貯金がゼロになる日を「Xデー」と自ら定めている・・・
といったところからはじまる物語。
全編モノクロ(色調が良い)で、前半は『PERFECT DAYS』さながら、淡々とした儀助の日常生活を描く。
この前半が素晴らしい。
儀助にとってはかなり低い位置にある流し台、米を研ぐ、魚を焼く、麵を茹でるなどの動作・所作がリズムよく描かれている。
が、枯れているようで枯れていない。
教え子で編集者の三十路女性・鷹司(瀧内公美)が訪問すると、やはり心が浮き立つ(表面に出ないようにしているが)。
小洒落たバーのマスターの姪で仏文専攻の学生・歩美(河合優実)には、何か手助けしてやれないかと思う(スケベ心が底にある)。
夢で死んだ妻の信子(黒沢あすか)が現れ、そんな枯れていない心を咎めるが、それはなんだか夢ではないような・・・
と、幻想怪奇譚めいてくる。
この途中の展開も、やや常識的な感じがしないでもないが悪くない。
が、ある日パソコンの画面に「敵」がやって来るというメッセージが流れ・・・の後が、どうもいただけない。
いや、面白いといえば面白いが、それまでに、眠って起きて・・・と繰り返し描かれたことで、唐突感が失せてしまった。
個人的には、この終盤、銃撃戦がはじまったところからカラーで、パーンと世界が変わるようなのがよかったかなぁ。
血は毒々しい赤で。
モノクロに赤の血が飛び、カラーに転調。
あっという間に儀助の目の前が真っ白に・・・(死)
飛び散る白は夢精のそれか・・・
で、「敵」が攻めて来たのが現実、かつて淡々とした生活での少々の欲情が夢だった・・・
あ、それだと別の映画になっちゃうか。
(ジョゼフ・ルーベン監督『フォーガットン』とか、別の映画ね)
四季ならぬ三季のぶった切った場面転換は印象的。
長塚京三の端正でありながら、少々のスケベ心を感じさせる演技、素晴らしい。
瀧内公美、相変わらず、清楚なのにイヤらしい。
河合優実は、フツー。
カトウシンスケの編集者が生理的に受け付けなかった(そういう演出なんだけど、やや過剰かな)。
松尾諭と松尾貴史も滋味に好演(クレジットのトメでふたり並んでいるあたりは遊び心を感じる)。
観終わった後、「ちょっと食い足りない」と感じたが、レビュー書いているうちに面白くなってきました。
面白かったのかなぁ、面白かったのかも。
教養も、礼儀作法も、下ネタも、人のおちょくり方も、全て、筒井康隆から学んだ。
俺が、だい、だい、大好きな筒井康隆の小説を、あの吉田大八監督が映画化するという事で、ツツイストとして、車で三時間遠征して鑑賞。
説明しよう!ツツイストとは、作家筒井康隆を神と仰ぐ社会的不適合者の事である!
筒井閣下!TwitterにうPされた、俺の感想を見ていますかー!?貴方が私を作ったのだ!フランケンシュタイン博士が、フランケンシュタインの怪物を作ったように!
私は、南極まで逃げますけど、南極まで追いかけてこなくって、いいです!どうか、お身体をお大事に!!
言っておくが、俺は狂ってはいない。
筒井康隆は役者も目指していたので、本人が演じても良かったのだろうが、筒井康隆は現在、車椅子生活なので銀幕デビューは叶わず。息子さんの、筒井道隆は、スケジュールが合わなかったのだ。
長塚京三がフランス文学研究者の元教授を演じる。実際にフランスのソルボンヌ大学のフランス文学部を卒業している。薄紅色したフレンチの香りほど眩しいものはない。
長塚京三って、ちょー、頭良くて、満里奈マリネが得意料理のおニャンコ渡辺満里奈との、往復書簡がTVで公開された時、聞いた事が無い慣用句で語っていて、じぇん、じぇん、分からなかったとです。ぼくは、夜の慣用句なら得意だじょ?
どう、最近、前置き短くなってなくなーい?
元教授の長塚京三は、妻に先だ立たれているも、家事はお得意のものなので、おかずは一品だけで、野菜は食わないようだが、サクサクと自炊すりゅ。酒は、五合の後に、五合、計一升を鯨飲する。
↑ いや、本当にこういう歌詞の演歌があるのだよ?
この料理シーンはアドバイザーがいるので、モノクロ映画なのに美味そうなんだよなー。俺も真似して、鮭を炙って食いました。
元教授は、講演会で10万円貰えるくらいのランクなので、食うには困らない。時折、知り合いの編集者とも会うし、馴染みのBAR夜間飛行のマスターとも仲良しこよし。時間旅行のツアーはいかがなものと、問いかけるのは原田真二。
いや!俺、狂ってないって!?普通の事、語っているじゃん?
そんな時に、パートで働いている、金の使い方が下手糞だから貧乏の女学生と知り合った事で歯車の回転が怪しくなる。
ここで、長塚京三は昔の事を思い出した。そう、あれはゼミの女学生( 名はO嬢とする)との二次会の飲み屋に向かう帰り道。
何となく、ゼミの女学生O嬢と二人きりになった長塚京三。前方にはゼミの学生の愚かな烏合の衆が、凄くつまらない下ネタを喚いている。
もう、うんざりだ!人様の子を預かっているが、こいつらは、文学の素養に欠けている!
最近、どんな本読んでいる?と聞いたら、
フランス書院です!あははははは!
と、笑いやがった!おい、おい、昭和生まれにしか通じないギャグ言うんじゃねーよ?チ✖️ポ頭?
あれって、エロい表紙を描く絵師で釣っておいて、中身はスポーツ新聞のエロコラムと同等の駄文だ、だっふんだ!
最低、月光のドミナ、O嬢の物語、家畜人ヤプーくらいは読んでね?とゼミで言ったら、あいつら、一冊も読んでないでやんの?
はぁー、何ですかぁ?何ですかぁ?てめーら、出版社に入社する為だけに、文学部を専攻したんでーすかー?デストローイ!死ぬがいい!
先生!先生!何を恐ろしい事を呟いているんですか?心の中の声を口に出して、喋っちゃっています!?
あ、メンゴ、メンゴ、横槍メンゴ!( 話題を変えて) ところで、O嬢?貴女はあの烏合のし...、じゃなくて、仲間達と二次会に行かないのかい?
もう若い子はいいんです...。
と、匂わせながら立ち去るO嬢。それに応えて、
恋は遠い日の花火ではない...。
と、長塚京三は歌会始を披露するも、歌会始は返信してはいけないルールなのでO嬢にスルーされる。
後の祭り、覆水盆に返らず、溢れたミルクは元に戻らない。
O嬢の物語は唐突に終わる、どっとはらい。
からーのー?
あ、気は狂ってないっス!
で、その知り合った女学生に金を貸しちゃうワケ?何で、学校の先生って、正体不明の女に貢ぐかねー?
俺がこっそりと、観察していた、とある飲み屋で、女の子に貢ぎまくっている元教師が、お店に通うお金がなくなった途端に...、あー、それ以上は、恐ろしくて言えない!
女学生は金を貰ったら、トンズラしたズラ〜!唯一の社交場のBAR夜間飛行も閉店。
知り合いのデザイナーは病に倒れ、精神のバランスも崩して、長塚京三にNASAが宇宙人に向けて送る、0と1から構成される( たぶん16進法) ような怪文書で、ようやく要約したら、
北から、彼奴らはやってくる...。
との、どっきどっきラブメールが長塚京三に届く。
この敵の正体だが、フランス政府である事は間違いない!
だって、BAR夜間飛行は、サン・テクジュアリのフランス文学。
犬の名前バルザックはフランス人、本名を、己れ、このドグサレ外道・バルザックであるのは有名である。
時折り、挟まれるフランスあるあるでも分かる通り、この町は既にフランスに毒されているのだ。
ED辺り、フランス革命で暴れている民衆に、犬連れたお婆ちゃんが、射殺されるが、あれは流れ弾が当たったのだ。
俺は、この映画をフランスに渡米して、ミニシアター・ルクソールで見たが、映画館は場内が盛り上がりまくって、あわや暴動直前まで盛り上がっていた!
俺的には、人生ベスト3に入るくらいの傑作だった!マジでお勧めの映画です!この映画が分からないって言う人?
足るを知れ!足るを知る者は富み、強めて行う者は志有りだ!
フランスでの上映特典として、EDロールの歌が、日本版とは違い「 レ・ミゼラブルの民衆の歌」 が流れる。
当然、フランス語ヴァージョンの「民衆の歌」 で、場内の観客は大合唱で大盛り上がり!!
俺は英語ヴァージョンの方が好きなんだけどなー?
だーかーらー、狂ってないっばー!?
長塚京三は、妙な夢を見る。
こんな夢を見た。教え子の空気が読めない男の子が、長塚京三の家に勝手に井戸を掘る。
この井戸は、イドの怪物のイドである事に気づいている人は少ないだろう。長塚京三の内面の悪魔が目を覚ましたのだ!
後に長塚京三は愛弟子のロボット・ロビーと共に、イドと対決するも、途中でロビーに拒否られて、あわや、撃沈。
イドの怪物は消滅したが、長塚京三は虫の息となる。彼は遺跡の自爆装置を作動させ、アルテア4もろとも滅びる道を選ぶ。
松尾貴史は、アルティラとロビーを伴ってC-57-Dに戻り、生き残ったクルーとアルテア4から離脱する。
そしてアルテア4が爆発するのを確認すると、父の死を嘆くアルティラを抱きしめ、我々は神ではないことを教えてくれたモービアスの名は銀河を照らす灯台となるだろうと語る...。
のだが、それはまた別のお話し...。
何故、俺がその事に気づいたかというと、長塚京三が物置を掃除している時に、見慣れないオモチャがあった事に気づいた人はいるだろうか?
そう!それこそが「 映画・禁断の惑星のロボット・ロビー 」 で、あるのだ!!
こんな夢を見た。かつての教え子の女子大生が何年かぶりに拙宅にチン入でおま。
ぼくのオットセイ太郎こと、オットと共に、元女子大生の凱旋門にチン入!ふへー、辛抱たまらん!
それを機に長塚京三のリビドーが暴走。教え子で、若奥様の生下着に登場したとしか思えない妖艶な教え子の凱旋門に高速鉄道TGVでチン入でおま。
元教え子の女子大生のアワビちゃんにオットを引き連れてチン入。
おっとっと、夏だぜぃ!じゃなかった、オット、この洞窟は狭いぞ?チン入できるのかい?できないのかい?チン肉に聞いてみよー!?
しかし、あえなく笑点、もぅ、オイラにはチカラは残っていないズラ!!
こんな夢を見た。何故か、死んだ妻と、編集者と、女子大生とで裸のランチ。
インターゾーン商会の回し者で、ウィリアム・テルごっこで殺した妻と、かつての教え子女子大生と、私を裏切った編集者と、自宅で鍋をつついている。あと、一人いたかもしれないが、思い出せない。
ここで、あの編集者の若造が、文学大好きおぢさんを激怒させる事を言ってしまう。
僕が最近、読んだ本はフランス書院ですかねー?
と、言いやがったのだ!こん馬鹿ちんがぁー!!
あんな、程度の低いエロ本はねぇーよ?ばーかー、ばーかー!
これは聞いた話しなんだけど、病人28号という愚かな男がバイトでライター募集とあったので、面接受けたら即採用されて、いざ出勤日を迎えたら、机にPCが置いてあって、Wordが開いていてさ?
何ですか?これは?
って、聞いたら、
そこにフランス書院の文庫本があるから、それを参考にして、何か書いて?書けなかったら、クビね?
って、言われたんだよ?
書けねーよ?そんなモン!
当然、夕方まで何も出来ずにクビになって、給料も無しだったよ?( ちなみに、これは実話だ)
お前にこの苦労が分かるか?お前は必殺と書いて必ず殺す!!
何か、シリアル・ママの被害者のような、編集者の若造は殺されて、その遺体は新しく出来た井戸に投げ込まれる。証拠隠滅、バッチコーい!!
こんな夢を見た。
ん?何だ、こんな早朝に救急車のサイレンが聞こえてきた。
何で、都市開発で向かいの山肌に、新道が出来たのに、うちの前の旧道を走るのだ?
あれ、うちの前で停車した。・・・しかも、車体が黄色いぞ?黄色い救急車って...、あっち系の救急車だよね?まぁ、いいか!
こんな夢を見た。亡き妻と一緒に風呂に入る。生前はしたかったけど出来なかったと負け惜しみを言うが、子どもも居なくて二人きり。周りには邪魔する者は誰もいない、お互い、今日は風呂に入っていない...。
どーすんのー?どーすんのー?俺ぇー!続く!
と、尺の都合にて入浴取り消し!おい、このお預けはどう言う事だよ?ちゃんと、責任を取りなさい!!
ピンポーン、自宅の呼び鈴が鳴る。
何だ?あの黄色い救急車の人達が、
病人はどこですか?
って、言っている。僕は健康そのものなんだけどなぁ?
2階の奥の部屋にいます!
と、ママンが叫ぶ。
どうしたんだい?へへい、ベイビー、ママン?
一体、何が起きたって、言うんだい?
屈強な男二人が、僕の部屋の扉を開けて、こう問いかけるの少女。愛は輝く夢。
貴方が病人ですね?
僕は返事をする。
はい、そうです!
すると、スタンガンを持った、屈強な大男二人組が僕の部屋に侵入してき
一人の人間を覗き見るような
前半と後半の空気の対比が面白かったです。
前半は、「PERFECT DAYS」を思わせるように淡々と空気が流れていきました。それは私にとっての将来の過ごし方の理想でした。最低限の消費、関わりとしながら、食にはこだわり、会いたい人には会える、そんな毎日。
一点して後半は、突然あらわれた、夢と現実を交錯させる「敵」に静かに怯える毎日に変容しました。何となくそんな敵が来訪することも許容しながら(どちらかというと待ち望んでいたか)生活していたはずなのに、実際に訪れると慄いてしまう、そんな現実、そんな「恥ずかしくて面白い」人間というものを、冷静に見せつけられた気がします。
作品の世界観自体がフランス文学のようでしたし、映像も日本でないどこかを思わせてくれました。
マズローの欲求五段階説
丁寧にと言えば聞こえは良いが、他者の意見を受け入れない自分のルールでガチガチの独居老人の崩壊の要素をマズローの欲求五段階説から観察したい。
生理的欲求:生存のための基本的な欲求で、食欲や睡眠、呼吸、性、苦痛回避など
→前半では飯テロの如く旨そうな調理シーン、朝は目覚ましもなくベッドで6時ちょうどに起き、健康診断に行かないという苦痛回避。かつての教え子に感じる色香に陽気になる程度の理性をたもつ。
これが、カップ麺あんパン、酒と血便で壊される睡眠と健康。通院による苦痛。生徒への内的理性の崩壊。
安全の欲求:心身の安全性を確保したいという欲求で、健康や経済的安定性、社会福祉など
→月間の収支から貯金がそこつく日を計算することで、経済的な安定、入院等の健康寿命問題からの解放、死する恐怖のコントロールを図る。しかし女学生への援助により切り上がるXデー。
社会的欲求:集団に所属したい、仲間を得たいという欲求。家族や友人関係、企業などの組織などが含まれる。
→配偶者の死も乗り越え、行きつけのバーで会う友人との会話もある。そこから、友人は死に
妻への後悔が噴出。
承認欲求:仲間に自分の実力を認められたいという欲求
→教授として尊敬され、講演をし、連載をもち対価をもらう。バーであった女の子には権威を認められた上で尊敬される。そもそも家を守っている。という状態から、講演依頼はなくなり、連載は打ちきり、渾身のフレンチを振る舞う人もいなくなる
自己実現の欲求:最終的に自己実現に至るという欲求
→自分のルール中で尊厳をたもったまま死んでいく予定であった主人公が、あらゆる崩壊により認知する世界が歪んでいく。
これらの欲求とその裏返しの恐怖がこの作品の根底に流れる。時には虚構に欲望が見えることもあれば、恐怖(敵)が現れる。はたまた時には、現実に欲求を過剰に刺激するものがあれば現実に絶望する。
この虚実の入り乱れを、吉田大八監督によって見事に描く。
そんな崩壊した主人公が納屋という子宮で空襲を聞きながら飛び出し敵と向き合うラストも秀逸であった。
内なる敵
2024年度の東京国際映画祭でグランプリを受賞した本作。正直、同映画祭のことは国際映画祭とは名ばかりのショボイ邦画宣伝会程度にしか思っていなかったが、あまりのこの「敵」という映画の素晴らしさに、映画祭の評価も上昇してしまった。これは本当に取るべくしてグランプリを取った映画だ。
冒頭、フィックスのカットを繋ぎ合わせて、主人公渡辺とその邸宅が詳らかに語られていく。どこにでもあるように見えて、そこしかカメラ位置は無かったのだと思わせるようなカットを、そこで切るしか無かったのだろうと思わせる編集に、いかにも邦画らしい心地良さを感じる。映画の文法を熟知している者が目論んだ、圧倒的なオープニングである。
それから物語は進むことも留まることも無く、渡辺の生活の記録の間に、迷惑メールや井戸や犬のフンなど幾つかのエピソード
を交え、それらが絡み合うことも互いに拒絶することも無く、確かな日々を映し出していく。
そこに2人の女性が介入してくることで、映画が動き出す。
2人の女性はそれぞれ違うベクトルで渡辺の人生に変化をもたらす。それが渡辺に「敵」を意識させるキッカケになる。
「敵」とは結局何なのかは、見る人によって感じ方が全く違って来るだろう。映画の終盤で敵は、思った以上に具体的な姿と、確かな敵意を持って襲って来るが、渡辺が劇中で自覚していたように、それが現実のものでは無いことも間違いない。
そのように具体的に顕現させてしまうに至ったのは、劇中で丁寧に描かれる渡辺の内にある様々な感情。そしてそれ自身が渡辺の生活に対する「敵」ということな気がしている。
思ったが、映画を1回見たくらいじゃ「こんな映画だった!」というような映画の全体は全くもって語れない!
(随時加筆予定)
「敵」が現れると???
フリーの元大学教授が過ごす日常を丁寧に描いて、
PERFECT DAYSとは違う切り口で老い方の描き方を好感をもって観てました。出てる方全員が自然で、見入る事が出来ました。ただ。。「敵」が現れだすと様相が変わってきます。内なる敵だと思わせたものが具体的になってきて。。。本当の敵を出してどうするの。。と私は感じました。後半の展開が好き、斬新と思われる方もいるかとは思いますが私には合わないと思いました。
迫り来る敵
吉田大八監督最新作。
この言葉だけで生きる意味が見い出せる。そのくらい好きな監督。とは言っても「騙し絵の牙」しか見たことがなく、好きを語るにはあまりに浅はかな新参者なんだけど、あの作品で受けた衝撃は相当なもので、見事すぎる原作改変が4年前の映画にも関わらず未だに頭から離れない。
本作「敵」は情報解禁されてから鑑賞に至るまで、キャストやモノクロ映像であることを除いて、内容に関することはほとんど取り入れず、更には予告も見ずで劇場へと足を運んだ。というのも、「騙し絵の牙」では予告からの想像と大きくかけ離れた作品であったことから面を食らってしまい、初見では思うように楽しめなかったという経験があったから。予告は出来ることなら見るものじゃない。あの作品からの教訓です。
上映館が少ないため、遠方まで赴き遥々鑑賞してきたのだけど、今回も吉田大八節全開のホントにホントに素晴らしい映画だった。しばらく席を立てないほどの衝撃とスタンディングオベーションを送りたくなる感動。いやいや、とんでもないな...。
東京国際映画祭で19年振りに日本映画がグランプリに輝いたのも納得の出来。なぜ上映館が少ないのか。なぜこの映画が100館に遠く届かず、「ロード・オブ・ザ・リング ローハンの戦い」が300館を超えていたのか(言わないであげて)。Filmarksでは話題の映画として常に上位になっているとはいえ、劇場の入りが少ないのはなんとも悲しい。この傑作を映画館で見らずしてなにを見る!
もう何から賞賛すればいいのか...。
まずポスターを見てもわかる通り、本作は全篇モノクロ映像。近年の日本映画でモノクロームと言えば「せかいのおきく」が記憶に新しいが、あの作品とは違い、舞台設定はMacBookも悪質な迷惑メールも存在する、我々が今生きる現代。それじゃあなんでこの技法が使われているのか。
物語はなんとも美味しそうな朝ごはんから始まる。77歳男性の一人暮らしとは思えない、生活の質の高さ。白黒なのにお腹が空いてくる。これ、色があっては意味が無いのではとも思えてくる。たった2色で構成されているからこそ感受性が豊かになるし、自然と心も満たされていく。質素な絵に抱く、鮮やかな感情。まさに、主人公・渡辺儀助の生き方そのもの。
この例え、あまりにしすぎているから言葉にするのは気が引けるけど、本作こそ「PERFECT DAYS」と最も近しく、むしろあの作品の先を行く「PERFECT DAYS2」のように思える。ただ、あの映画は時間をたっぷりと使って生きる幸せを噛み締める主人公の話だったが、本作では残された時間を考えながら近付いてくる死に立ち向かっていく主人公の話で、近しくも遠いテーマ性だった。比較するとかなり面白い。
あれもこれも、同様に現代人の生活を問うような話だけど、2人の考え方はまるで違うように感じる。喜びを感じる瞬間は似ているけど、そうする理由は異なる。1年と少し前は平山の生き方に感銘を受けたが、渡辺の考え方にも共感を覚える。
『健康診断は人間を健康にしないよ』
『残高に見合わない長生きは悲惨だから』
『君もあと何年生きれるか計算してみるといい。不思議と、生活にハリが出るから。』
これらの言葉が凄まじく強く、胸を打った。自分の考え方を彼が声高らかに代弁してくれたようだった。馬鹿げているかと思われるかもしれないが、私も彼と同様に病院をできるだけ生活から遠ざけている。それは決して診察が注射が場所が嫌なのではなく、定められた命を無理矢理延ばすという行為が到底理解できないから。人間いずれかボロが出る。綻んでいく。一時的なものはまだしも、長期的な治療はそれを否定する行為だと感じてしまう。
ただこれも、愛する人となるとそうはいかないもので。大好きな人はずっと長く生きて欲しいし、健康でいて欲しい。それもまたエゴなのだろう。1人が悲しいという嘆きなんだろう。妻に先立たれて立派な日本家屋に1人で生活する渡辺を見ていると、羨ましくもなんだか未来の自分を見ているようで寂しくもなった。
渡辺儀助という1人の男が生活するだけの108分間。日常の中にカメラがある、そんな映画であるため、彼の登場しないシーンは無いと言っていいほどなのだけど、永遠と魅せ続けられてしまう。
長塚京三。77歳にしてこのカッコ良さ。「お終活 再春!人生ラプソディ」での色気も半端じゃなかったが、今回はもっとすごい。主人公の生き方を真似するかは別として、長塚京三のピシッとした姿勢や佇まい、そして心の余裕を感じさせる話し方は是非とも私生活に取り入れていきたい。こんな老人になりたい。いや、老人というにはカッコよすぎる。
この映画の鑑賞を迷っている人はYouTubeで日本外国特派員協会特派員協会 記者会見の動画を見て頂きたい。彼の魅力を知ってしまうはず。本気で惚れてしまうんだよなぁ...。
この「敵」というタイトルが鑑賞後じわじわと効いてくる。なんて秀逸なんだ。一体全体、私はどうしたらいいのか。《敵》にどう立ち向かっていけばいいのか。この〈敵〉の正体はなんなのか、それは作中で明言されているわけではなく、見る人の捉え方次第といったところ。
味方が敵へと変わる瞬間。その敵が自身を襲いかかる時。誰も何も待ってくれない。ただ、それはひたすら自分に迫ってくる。生きとし生けるものが逃れることの出来ない恐怖。これまで客観的に映し出された主人公が、急に一人称視点として主観的に映し出された時、これは彼の物語ではなくみんなの物語なんだと恐ろしくなる。構成の妙。季節の移り変わりもゾッとする。
長々と語ってしまったが、正直まだ足りないくらい。それほどこの映画は底知れず、一生かけて読み解きたくなる、かつてない面白さがある。見る読書とでも言おうか。1本の映画にしては満足度の高すぎる、噛みごたえのありすぎる作品だった。
ここで点数をあげすぎちゃうとここからの楽しみが薄れてしまう気がするのでこの辺で。また必ず会いに行きます。面白すぎて無心で映画館を出たもんだから、パンフレット買うの忘れてたじゃないか。
一億総、長塚京三、の世か。だからホラー。
文学より書院
原作未読のため、粗筋から不穏な話か多重人格か、呆け老人の妄想なのか、判別がつかぬまま鑑賞。
結果から言うと最後が一番近かった。
劇中では儀助の平穏な日常が淡々と描かれるが、所々がファンタジー。
特に元教え子(しかも人妻)が自宅に来て、酒に酔って終電近くまで無防備に寝こけるとか、有り得ないわ。
後半にいくにつれて妄想パートが増えたように感じていたが、このへんからするとすべてが夢オチか。
最後の独白や遺書の内容からしても、教え子たちとの交流も絶えてそうだし。
それ以前に、妄想内でしか描かれてない出来事も多い。
特に歩美へお金を渡した件や夜間飛行の閉店、松尾貴史の手術などはその後も触れられず曖昧なまま。
個人的には独居老人の侘しさが108分かけて表現されていたような解釈に落ち着いた。
出ずっぱりで画面をもたせる長塚京三もサスガだが、出色は瀧内公美。
清純な妖しさとでも言おうか、とにかく魅力的だった。
画作りとしては、終盤に中島歩が庭を横切った際に、“敵”が侵入した場面がすぐ想起されるのが見事。
ただ、クライマックスのドタバタは中途半端さを感じたし、締め方もよく分からない。
不思議と嫌いではないし、原作があるので難しいかもしれないが、もう少しオチに工夫がほしかったかなぁ。
現実か妄想か
こんな令和にモノクロ映画!?と思い、気になって川崎まで向かい視聴。
70代になった主人公が丁寧に生活している描写が続き、徐々に周りの人が離れ仕事もなくなり金も盗まれ、夢の世界(認知症や妄想、せん妄?)に引きづり込まれていくストーリー。
70過ぎて若い子をセクハラするなんてと20前半の頃飲み屋でセクハラされる度よく思ってましたが、歳取ってからこんな真面目な生活をしてる健気な男性にも性欲はあって若い教え子に妄想して亡き奥さんに怒られる妄想もして、その欲が書かれてて面白かった。ちょいちょい挟まる犬とうんちのシーンは何が書きたいのかちょっとよく分からなかった。すごい音がしたとおじさんが言ってたのでその妄想が少し現実味帯させるためのフラグだったのかな、、??
ぐっときたのは最後死ぬ前のシーン。
雪の降る外を見ながら「みんなに会いたいなぁ」とぼやく。こんなに妄想か認知症か分からないけど歳取って誰もいなくなって苦しい思いをして普通の生活も出来なくなったけど、今まで一緒にいた人たちをずっと思ってるんだと思ってこの主人公の清い心に胸を打たれました。認知症になっても周りにいた人達を思える人間になりたいなぁ。
こんなに丁寧に生活して元奥さん以外結婚することもなく素敵な主人公でしたが、老いて苦しい思いするなんて人生不平等過ぎて、年老いてから騙すなんて嫌な話だなぁ
そういえば妄想とは別に謎の敵が出てくるのが面白いですね、最後のシーン家の上にいた男や井戸を修理する男が若い人を見たというシーン。実際変な人がいたようにも見えて不気味でした。
長塚京三さんありての力作。
前情報なしで鑑賞。
渡辺儀助氏の毎日のルーティンが良い。
退屈そうにさせていないのが
この役を演じた長塚京三さんの力感のないリアルな
演技力なのだろう。
渡邊儀助(77歳)はフランス文学の元教授、長塚京三さん(79歳)はパリ大学卒業で、偶然なのか?これ以上ない配役であり驚かされた。
老人特有の何ともおぼつかない言葉のやり取りや仕草。でも食卓テーブルの上はフランス仕込みなのか上品な香りがしたからその辺のバランスが良かった。
そして後半に「敵」が現れる。
それは自らの死に対する、或いは老いと孤独に対する恐怖心なのか? 亡くなった妻の言葉に対する反抗心なのか?夢また夢、妄想また妄想。
色々な交錯した心情が痛いほど伝わってきて、でもそれは重くはなく切々と伝わってきてクスッと笑ってしまった。
菅井歩美役の河合優実さんも良かった。
儀助と歩美のBARでの会話は本当に元大学教授と現役学生のそれだった。
現代設定なのに昭和の敵が襲ってくる不条理劇が面白い
妙にコントラストの強いモノクロ画面に高齢者の一人暮らしが精緻に描かれるうちに、突然異様な光景が挿入され、次第にその頻度が増し、何が現実で何が妄想なのか混然となる不条理劇でしょうね。ちょっとベルイマンの初期作品を思い出す、リアルなのにリアルじゃない、境界線を漂う不思議な感覚が、逆に心地よくもあり実に面白く鑑賞しました。
長塚京三扮する元大学教授でフランス演劇史の権威だった男、妻には遥か20年も前に先立たれ、それでも講演依頼やら原稿書きで収入もある優雅な1人暮らし。立派な庭付の日本家屋(Netflixの傑作「阿修羅のごとく」の家とそっくり!)に品のある調度品に囲まれ、見事な手さばきで料理もこなす毎日のルーティーンが微に入り細に入り描写される。モノクロなのに舌なめずりしたくなる程のシズル感が画面と音から溢れる。預金も漸減とは言うけれど、金の心配もせず、たまには洒落たバーにも通い、程々の社会とのコンタクトもある暮らしぶりは羨望でもある。
孤独を感じさせない秘密が徐々に展開される。出版関係での旧友続くグラフィックデザイナー、かつての教え子の女、バーで知り合った女子大生、後継者とも言えるまだ若い准教授、出版社からの新米編集者、そしていよいよ姿を現す亡くなった女房まで、結構賑やかなのです。ことにも瀧内公美扮する教え子には心浮くのが抑えきれない若さを歳に遠慮なく表現する。瀧内は前述の「阿修羅のごとく」でもそうですが、そこに佇むだけで色香がダダ漏れなのが雄弁で、そんな彼女の口から、「終電がなくなってしまうわ」とか「近々夫と離婚します」なんてセリフを聞かされれば浮足立つのもむべなるかな。
一方で、今や飛ぶ鳥を落とす勢いの河合優実扮する文学に対し真摯な女子大生に余計なお節介まで突き進んでしまう。もっともこれには手痛いしっぺ返しをくらうのですが、折角の河合優実なんですから、後になって「実は・・」なんて再登場するものと思ってましたよ。普通ならそう描くでしょうけれど、本作ではそう描かない所がポイントかも知れない。こうして徐々に周囲の人物が入り組んでゆく過程で、リアルを逸脱する作劇が素晴らしい。
血便に慌てた病院で恐ろしい診察を受けたり、旧友が唐突に死んだり、無遠慮な編集者が押しかけたりと妄想が拡張してくる。クールな1人暮らしを気取ってはいるけれど、いずれ訪れるであろう死への恐怖がそうさせる。教え子に体を重ねる妄想の裏で、妻に叱責されるのもまた妄想で。極めつけは「北」からの侵略でしょう、なにも北朝鮮とも中国ともロシアとも言ってません。が、家の中にまで押し寄せるゾンビ如くの群れは確かに恐ろしい。そもそも早々に登場する隣家に放置された犬の糞とて敵であったわけで。原作ありきの映画化ですが、この辺りの映像化は難しかったのではないでしょうか、それを見事に観客に疑念を持たせずに曖昧なまま提示出来たのが圧巻です。
なにより主演の長塚京三が素晴らしい。インテリで、落ち着き払った物腰で、なのに奥底に秘めた欲望と恐怖と真正面から取り組む知性。同世代の名優はいくらでもいるけれど、常識と言う鎧を纏った自然体を思い浮かべれば彼しかいないのかもしれない。チラッと喋るフランス語の発音を聞くだけで、私なんぞ平伏すしかありませんから。
現代の設定で、MacのPCが鎮座しレーザープリンターがスペースを食う書斎を除けば、殆ど昭和の雰囲気と言うか彼の生きた昭和が匂い立つ。お中元とかで頂き物の石鹸が溜りにたまって放出する。エメロン石鹸って今はもうないはず、ですが石鹸の香りってのがポイントでしょう。庭の井戸の存在感も凄いわけで、「貞子」で出て来やしないか心配してました。遂にXデーが到達し、子供もいないせいで、従弟の子供に遺産が受け継がれることに。ここでまた中島歩が登場し、いよいよもって前述の「阿修羅のごとく」と意識が被って来る。でもそれもまた味わい深いのですよ、美人4姉妹からは馬鹿にされそうですが。
人生の客たち
丁寧で手際よい調理
それに合わせた器選び
きれいな盛り付け
そして
実においしそうな食べっぷり
儀助は健康そうである
きちんと片付いた古い日本家屋も風情があり、自分のリズムで快適そうに過ごし羨ましい老人の独り暮らしにもみえる
そんな彼の人生にも客はたびたび訪れる
細々と続けていた仕事相手、美しいかつての教え子、バーで知り合うひとなつこい女子大生
プライドを保ち、ある時は品よく潔く礼儀正しく、ある時はほんのりときめき、ある時はこっそり自信を蘇らせ
家に戻れば長い人生の〝伴〟亡き妻の残り香を抱きしめる
そこまでは私もほんのりした幸せを感じながら居た
だが、招かざる客が現れ始める
それはこれまでの儀助を揺るがす不意の〝敵〟だった
敵に誘い出されるたび儀助は抗おうとする
不安は不可解な行動や悪夢となり目覚めの悪さは可哀想になるくらいだ
日増しに過去と現在の入り乱れ、おざなりになっていく食事に傍目にはどうしようもない影響があらわれているのがわかる
しかし彼の自覚はもはやそこにはないかもしれないし、
そもそも他の客とのエピソードも完全には不明だ
そんな儀助に余韻ある息を見事に吹き込む長塚さん
モノクロの世界に色も香りもぷんぷん漂わせ、時にユーモラスに、シビアに、おまけに人間の愛おしさまで匂わせながら栄枯ある人生の景色にシナリオにない部分の彼や彼の人生をも想像させてくれる
免れない老いに触れ、人の心の奥をしみじみとじんとさせる作品だった
訂正済み
バルザック!
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