敵のレビュー・感想・評価
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Lewy小体型認知症か
映画はよくできていてとても面白い。モノクロームも美しい。主人公のつくる食事がまるで色鮮やかに美味しそうに見える。
一方、脳外科医の視点でみると、主人公はLewy小体型認知症と考えられる。幻視とレム睡眠行動異常がある。ちなみに松尾貴史はおそらく脳ドックで脳動脈瘤が見つかって血管内治療したがうまくいかず意識障害と失語症を後遺したと考えられる。
つまり、この映画は虚言癖のある女に詐欺に遭ったLewy小体型認知症の元仏文学大学教授が、数多くの幻視など様々な症状を発症しながら亡くなるまでの様子を描いているといえる。そう考えると、それはそれでとてもよくできている。
人生の敵とは老いと後悔
儀助は「残高に見合わない長生きは悲惨だから」などと人生の終いをさも受け入れたようなことを言いつつ実は「老い」に争って生活をしている元フランス演劇(文学)の教授である。
食事は質素だけれどもみすぼらしいものではないし、服装を整え、体臭にも気を配る。
公演料の値は下げないし、雑誌の連載も抱えていている。
そしてまだ性欲も枯れていない。
そんな儀助の日常が揺らぎ始める。敵(老い)の存在である。
バーで知り合った娘に金を騙し取られ、馴染であったそのバーも閉店してしまう。
連載の打ち切りを告げられ社会的な存在意義も失う。
そして健康への不安(キムチを食べたぐらいで下血して内視鏡検査)。
一気に押し寄せてきた「老い」と環境の変化が彼に過去への後悔を蘇らせる。
先だった妻との生活、教え子との実らぬ情交…。
彼は「敵」と「後悔」に抗おうとするが圧倒的な力でそれらは彼に迫ってくる。
生前、彼は自分の財産を周りの人間(教え子たち)に託そうとする遺言書を用意していた。
しかし、死を身近に悟った時、甥に全財産を託すよう遺言書は書き換えられた。
※しかもかなり贅沢な希望を交えて
結局、最後は身内なのである。そしてそれが現実の世界で確実に存在した人間だから。
人間は老いはゆっくり進むと思っている。
しかし、実際にはあるきっかけで老いは一気に進むのだ。
それはまるで得体の知れない「敵」が襲ってきた時のように。
「老人文学の傑作」とも評されるこの原作をモノクロ映像で描き切ったこの映画は、東京国際映画祭でグランプリ、最優秀監督賞、最優秀男優賞の三冠を獲得したのも頷ける出色の映画だった。
老人を主人公とした新たな傑作‼️
大学教授の職を引退した主人公が送る晩年の日々‼️講演したり、出版社で原稿を書いたり、元教え子達と交流を持ったり、友人となじみのバーへ行ったり、そのバーのオーナーの姪に金を騙し取られたり‼️そんな時、主人公のパソコンに「敵がやってくる」とのメッセージが・・・‼️その日から主人公が見る幻覚や夢‼️不審人物の群れに襲われたり、大昔に亡くなった祖父が庭に現れたり、同じく亡くなった妻との幸福なひと時・・・‼️これはベルイマン監督の「野いちご」なのかと思ってしまう‼️ところが幻覚と現実が混同してくる‼️亡き妻と元教え子の女性が喧嘩を始めたり、元教え子が出版社の社員を自宅の庭で殺害し、巻き込まれる主人公‼️そして主人公が亡くなり、遺言が読み上げられる時、教え子や友人たちの姿はどこにもない‼️ひょっとしたら、私個人の考えとしては、今作の物語自体が主人公が見た幻覚、または夢だったのかも⁉️引退し、妻を亡くし、誰からも相手にされない孤独な老人が見た壮大な夢物語‼️今作での「敵」とは、主人公に忍び寄る幻覚や認知症などの「老化」なのかも⁉️そう考えると、実に恐ろしい映画‼️そしてラスト、主人公の自宅を受け継いだ青年は、主人公の幻影を見る‼️主人公が祖父の幻影を見ていたのと同じように・・・‼️
考え始める時期かもしれない
長塚京三は「恋は、遠い日の花火ではない」っていうCMやってたんだよね。
調べたら1994年だって。
そのときも「長塚京三ならそうだろうけど、普通の人は……」って感じだったんだけど、そこから31年経ってまだやってんのがすげえな。
瀧内公美はすごいね。
年取ってから、瀧内公美が家に遊びに来たら、そらよろめくわ。
河合優実には引っ掛からない。若すぎるよね。
長塚京三は功成り名を遂げて、気に掛けてくれる教え子もいて、それ以上を望んだら贅沢じゃんという感じもすんのね。
でも、輝かしいポジションから突然降りた人の方が、身の振り方が難しいっていうから、余計に厳しい状態だったのかな。
それで、長塚京三はカッコつけたことばっかり言うんだよね。
妄想でいっぱいなのに、瀧内公美や河合優実にはいいかっこしようとして。《失われた時を求めて》の料理を練習してるの見ると「これは、カッコ悪い……けど、やっちゃうなあ」って感じなの。
死ぬのもウダウダ言って「未練ないんだよ」って感じにしてんだけど、全然そんなことないんだよね。
それでももがいて最後になって『みんなに会いたい』って素直になったところで、お迎えが来るの。
ストーリーは途中から夢が連発されて、不条理化されてくね。
『敵』はなんなのさっていうと『老い』で、逃げようとしてるうちは駄目なんだよね。
よし、戦うぞってところで負けて終わりだったけど。
どんどん不条理の幅が大きくなってくところが「さすが筒井康隆」って感じなんだけど、それを映像化した吉田大八がすごいね。今回は脚本もやってんだね。すごい。
25-007
「敵」がいることが不幸なのかあるいは幸せなのか、考え込んでしまう一作
モノクロームで映し出される長塚京三の容貌は今までの役柄以上に年齢を感じさせますが、その所作の数々、特に食事を行う際の動きなど、クロースアップでも美しさを感じてしまうほどに洗練されています。
元大学教授なだけに、言動はあくまで物腰柔らかく知性的、かつ洗練されているけど、どこか高慢さを醸し出している「渡辺」という人物を、彼以外の俳優で演じることは不可能だったのでは、と感じさせます。
吉田大八監督はこの役を長塚京三を想定して練り上げていった(いわゆる当て書きした)と何かで読んだ気がするのですが、深く納得です。
物語が進むにつれて、彼の前に、「敵」なるものが付きまとってくるわけですが、それが何であれ、渡辺の理想的な生活を破壊しにかかってきて、静謐に保たれていた秩序やつじつまが千々に乱れていきます。その顛末を、観客も渡辺とともに体感していくことになります。
原作小説の出版(1998年)以降だけをとらえても、(本作のとらえ方にもよりますが)某アカデミー賞受賞作品を含め、本作に近しいテーマ設定の映画作品は、実は決して少なくないのですが、ということは、観客が本作のテーマを映画作品という形式で解釈し、受容する解像度も高まっているということでもあります。
その意味で、原作出版時のような新鮮な心理的衝撃を現代の観客が感じる余地はやや少なくなっているかも知れませんが、一方で本作の中核的なテーマを映画作品として味わい、理解するのに、今この時代はむしろ適切なのかも知れません。
渡辺が怯える「敵」の存在。その正体が見えてきたとき、それは渡辺にとって不幸なのか、いやむしろ幸福なのか、考えさせられる結末でした!
老いていくのは怖いけど…
死ぬことは生きることと見つけたり
決して万人向けではないカルト的な作品ですが私はすごく好きでした!
結局は孤独な老人のほぼ幻想ですが、死を目前にして諦観してるだけかと思いきや、性の欲望や闘いの憧れなど生への執着が満ちていたというほろ苦いお話し…
何よりも長塚京三さんの演技が素晴らしい!さすがソルボンヌ大学卒こその説得力もあり、仏文学の教授を見事に演じていました。
最期は走馬灯ツアーにお付き合いでしたが、現実じゃないとわかっていたので楽しめました笑
自分のようなテリーギリアム好きであればオススメかと。
“おい”の棲家
コロナ禍中、30代に読んだ筒井康隆の小説『敵』を再度読み直していた吉田大八監督はこう思ったそうである。家の中に閉じこもっている男の日常が妄想に侵蝕されていくストーリーは、ロックダウン下にある現代社会にも相通じるポテンシャルを持っている、と。脚色大魔王の異名をとる吉田大八監督曰く「今まででもっとも原作に忠実な映画」だそうで、90歳をこえて車椅子生活状態の筒井康隆があと20歳若かったら、実際主人公へのキャスティングをオファーしていたかもしれない、と語っていた。
奥さんが20年前に他界後フランス語大学教授を退官した渡辺儀助(長塚京三)は、古い家で独居生活を送っていた。原作小説同様、炊事洗濯掃除の作務を執拗に追いかけた前半を見ていると、こりゃヴィム・ヴェンダース監督『PERFECT DAYS』とおなじ“小津安二郎”へのオマージュか、と錯覚させられる。渡辺家に度々現れる色っぽい元教え子鷹司を演じた瀧内公美には、実際吉田監督から「原節子のイメージで演じてほしい」というオーダーがあったそうなのだ。あれあれやっぱり小津なの?と思いきや...
この映画、同じモノクロで撮られているのだけれど“小津調”とはどこかニュアンスが違っている。劇場で見ながら誰かのモノクロ映像に似ていると思ったのだが、監督自らがインタビューで白状していたようにおそらく“ホン・サンス”のパクリだろう。硬派なようでどこか胡散臭いコントラストを効かせたモノクロ映像は、まさにホン・サンスそのもの。明確に死を意識させるキャラをどこかで茶化しているホン・サンスの近作同様、預貯金が底をついたら自殺しようと遺書まで用意している殊勝な儀助を、筒井や吉田はどこか覚めた目で見つめているのである。
「健康診断じゃ健康にはならないよ」なんて、悟りきった名言を友人(松尾貴史が筒井康隆にそっくり!)に披露する儀助ではあるが、(妄想の中では)瀧内公美や河合優実演じる若い娘に手出しする気満々だし、(やはり妄想の中で)死んだ女房(黒沢あすか)と念願の湯船につかったり、(これもやっぱり妄想の中で)キムチの食いすぎで出血した肛門に内視鏡を激しく突っ込まれたりと、本音ではまだまだ“若さ”の象徴でもある“春(性)”にしがみつきたい儀助77歳なのである。
が、そんな儀助のパソコンに謎のスパムメールが入り始める.....「敵が北からやって来る」何かにしがみついても、逃げても、物置小屋に隠れても、棒切れを持って立ち向かおうと抗っても、どこまでもどこまでも追いかけてくる“敵”。隣の『裏窓』から眺める分には暇潰しの格好のネタになる“敵”。“枯井戸”のごとくけっして甦ることのない“敵”。フランス人なら絶対道端から拾いあげない“犬の糞”のように悪臭を放ち、しまいにはふんずけられる運命の“敵”。そんな“敵”が、自分が予想すらしない時に目の前にふいに現れたら、あなたは素直にそれを受け入れますか、それとも.....
※因みに遺産相続を受けた槙男くんは儀助の“おい”でしたよね。お後がよろしいようで。
転調する映画
『PERFECT DAYS』が綺麗すぎるなと思った部分を補ってくれ...
敵とは?
【”老いという敵に抗う”元フランス近代演劇史教授の姿を、彼が観る夢と現実が混交していく様をモノクロームで描いた作品。瀧内公美さんの長い黒髪のエロティックさが妖艶でありました。】
■元フランス近代演劇史教授、渡辺儀助(長塚京三)は、妻(黒沢あすか)に先立たれ、独りで大きな平屋に住んでいる。
だが、彼の日常はベッドでぐっすりと寝て、パソコンで執筆し、食事は蕎麦、冷麺などを手早く作り、食後は珈琲豆を自ら引き、夕食ではワインは欠かさずに飲むという優雅なモノであった。
偶に、元教え子(瀧内公美)がやって来たり、行きつけのバーのアルバイトのフランス文学専攻の大学生(河合優実)と会話したり・・。
だが、ある日パソコンに”敵が北から来る。”というメールが来るようになり、彼の生活リズムは狂って行く。
◆感想<Caution!内容に触れています!>
・儀助の妄想が夢の中で、徐々に大きくなっていく様は、明らかに彼のボケの始まりであるが、聡明だった知識がその進行を食い止めている事は、直ぐに分かる。
・序盤は、彼の独りでの一定のリズムある優雅な生活が描かれる。食事もササっと手際よく作り、ササっと食べている。
フードコーディネーターを飯島奈美さんが担当しているので、モノクロでも、焼き鮭、蕎麦、冷麺、ハムエッグなどとても美味そうである。
・行きつけのバーでは借金を抱えるフランス文学専攻の大学生に、コロッと300万をだまし取られるが、それも自分が社会性がない事だと,諦観しているのである。
・が、彼の優雅な生活が、一通のメールが来たことで徐々に乱れて行く様を、作家性の高い吉田大八監督が実に上手く描いている。
辛いキムチを乗せた冷麺を食べたためにお腹を壊すシーンで、夢で内視鏡が入って行くシーンや、亡き妻が蘇り一緒に風呂に入るシーンや、元教え子と寝るシーンや(で、夢精している。お元気である。マア、瀧内公美さんだからねえ。)、元教え子から学生時代に長時間仕事に付き合い、夕食を共にした事を詰られ、いつもガバっとベッドで目覚めるようになっていくのである。
■極めつけは、儀助のお隣の老人が犬の糞の事で、いつものように女性に難癖を付けている時に響いてくるライフル音のシーンであろう。老人は眉間を撃ち抜かれ、女性も犬を追いかけて行って射殺される。
更には、元教え子と鍋を食べようとすると、出版社の男(カトウシンスケ)や亡き妻が現れるシーンからの、出版社の男が、元教え子に鍋で叩き殺されるシーンまで描かれる。
儀助はその死体を、漸く掘った井戸に捨てるのである。
儀助のボケが相当に進行している事が分かる。
<そして、儀助が書いていた遺言状により、彼の家財、書籍一式は遠縁の男(中島歩)に相続されるのだが、それも又夢、という非常にシニカルな終わり方をするのである。
この作品では、”敵”の正体はハッキリとは描かれないが、私は”老い”である、と思い鑑賞した事を記載して、レビューの締めとする。>
人間が弱ると、わき出て来る「敵」
原作未読。筒井氏の作品なら面白いだろうし、吉田氏の演出なら外す訳もない。
長塚氏の少し気の小さい感じもじつに役にあっていたし、女子部の存在もぶ厚く彼の計画を妨害する敵として素晴らしい。後半から入ってくる音楽も丁寧に積み上げられた前半を壊す事なく寄り添ってくる。
原作自体1998年出版、筒井氏64歳ころ書いたものでおそらく老いと、煩悩、思い通りにならなくなっ肉体という檻に閉じ込められた自分の被害者意識からくる妄想も自身のなかから抽出されたのではないかと思う。
調子こいて仕事や飲み屋でモテた気になっている自分自身も、映画と被ってお恥ずかしい次第である。
何とか清潔に老いて、サラッとこの世から消えたい物だと切に思いながら映画館を出た。
凡人には理解不能?でした
モノクロ映画なのに色を感じる不思議な作品
「土を喰らう12ヶ月」みたいになって欲しかった
長塚京三さんの主演映画を観たくて、特に吉田大八監督とか、筒井康隆さんに興味はなかったので 、もうどうせなら前半のような、寝て、起きて、食事を作って食べて(いろいろな食事が登場しましたね)、買い物して、執筆して、時々美人(編集者というあたりも、、、)が訪ねて来て、もやもやして、死生観を語って、このままで映画は最後まで行っても良かったです。
途中から敵が出てきてしまいます。
筒井さんですから、そりゃ、訳が分からなくなってきます。
上手くまとめたのは流石だと思いました。
長塚邸の醤油差しとか、エメロン石鹸とか、細かいところまでしっかりしているなと感心しました。
長塚京三さん、最近な長野の自宅をメインに暮らしているとのこと。無理をせずに、まだまだ演技を見せていただけるところを楽しみにしています。
「敵」とは
長塚京三さん主演のモノクロ作品でタイトルは「敵」って、これだけで何だか興味をそそられてしまい、公開2日目に鑑賞してきました。中高年中心とはいえ思いのほか観客が多く、邦画への期待感のようなものを感じました。
ストーリーは、妻に先立たれ、子供もなく、大学教授も辞めて、今は古い一軒家に独りで暮らす70代の渡辺儀助が、時には友人と酒を飲み、たまに訪ねてくる教え子と語らいながら、折目正しい生活を送っていたが、ある日、パソコンに「敵がやって来る」と謎のメッセージが届き、儀助の生活がしだいに変化していくというもの。
前半は、大学教授をリタイアした儀助のつつましく丁寧な生活が穏やかに描かれます。規則正しい生活、手際のよい自炊、近所付き合い、知り合いへの言葉づかい等、儀助の日常生活と共に、儀助自身の人となりも伝わってきて、作品世界へと静かに誘われていきます。とりわけ食事シーンは多く、米を研いで炊き、魚を網で焼き、焼き鳥の串を打ち、漬物さえも小鉢に盛り付けて落ち着いて食事する姿は、悲哀や孤独とは無縁で、男の独り暮らしはかくあるべしと訴えかけてくるようで、ちょっとかっこいいぐらいです。加えてモノクロ映像が、多くを望まぬ儀助の心情とマッチしていて、よい雰囲気を醸し出しています。
そんな暮らしに転機が訪れます。パソコンに届くフィッシングメールに紛れて届く、敵の接近を知らせる警告メール。ただのイタズラと流しつつも、儀助の心のどこかに引っ掛かっていたのでしょう。淀んだ不安がさまざまな形で現れ、後半は妄想と夢と現実が曖昧となった描写が続きます。なんとなく既視感のある描写にも思えますが、儀助同様に観客も不穏な雰囲気に包まれていきます。
果たして、この”敵”は何だったのでしょうか。明確に答えが示されているわけではありませんが、これは、過去の儀助が無意識に作ってしまった敵なのではないでしょうか。むろん実際に敵対しているわけではありません。自分の言動が相手に不快感を与え、敵対心を生んでしまったのではないかという不安が、架空の敵を作り出し、彼の心を苦しめたのではないでしょうか。死期が近づき、これまでの人生を思い返すに至り、そんな心境に追い込まれたのではないかと思います。妻への罪悪感、教え子への邪な思い、若い女性への下心など、それに加えて一人暮らしの侘しさや孤独など、自覚しつつも立場とプライドで否定してきたこれらの思いが、妄想や夢となって現れてきたのではないかと思います。”敵”とは、内に眠る自身の後悔や懺悔なのかもしれません。
また一方で、どんなに清貧な暮らしを送っていても、さまざまな欲から死ぬまで解放されることはないという、人間の本質について訴えかけてくるようで、ちょっと考えさせられてしまいます。
主演は長塚京三さんで、彼でなければなし得なかったであろうと思わせる説得力のある演技が秀逸です。脇を固めるのは、瀧内公美さん、黒沢あすかさん、河合優実さん、松尾諭さん、松尾貴史さん、カトウシンスケさん、中島歩さんら。
認知症ではなく「夢」の物語
独居老人の日常が丹念に描き出される序盤は、生活レベルの差こそあれ、役所広司の「PERFECT DAYS」のような趣きがあり、静謐なモノクロの画面と几帳面で「こだわり」に満ちた生き様に引き込まれる。
ところが、艶めかしい教え子とセックスをしそうになったり、女医からSMまがいの診察を受けたりしたことが夢だったと分かる辺りから、現実と夢の区別が曖昧になっていって、徐々に不穏な空気が流れ出す。
こうしたサスペンスフルな雰囲気は、アンソニー・ホプキンスの「ファーザー」と似ていなくもないが、本作の妄想は、すべて夢の中での出来事なので、主人公は、必ずしも認知症を患っている訳ではなさそうだ。
むしろ、主人公の認知機能は正常で、理性や知性で抑え込んてきた欲求や願望が夢の中で顕在化し、それを整理しきれなくなっているのではないだろうか?
女子大生に大金をだまし取られたり、雑誌の連載を打ち切られたりしたことは、おそらく現実の出来事で、そうした金銭面での不安が、自殺願望や「敵」という強迫観念を生み出したのではないかと解釈できるのである。
ただ、「敵」の正体が、「老い」とか「死」とか「困窮」とかであるならば、北から日本に侵攻してきた外国勢力という設定には、これといった関連性が見い出せず、メタファーとしての唐突感が否めない。
「戦争」とか「殺戮」とかに対する恐怖心を否定するつもりはないが、それを描こうとするならば、それなりの背景なり、伏線なりが必要だったのではないだろうか?
いずれにしても、この映画の主人公のように、下手にボケずに恐怖や不安の中で最期を迎えるよりは、死への恐怖を抱かない程度にボケることは、決して悪いことではないと思ってしまった。
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