「11時40分、このままで!」敵 ノーキッキングさんの映画レビュー(感想・評価)
11時40分、このままで!
“ゆきさん”にくすぐられて頓挫した感想を書くことに…
主人公のようなインテリは瀧内久美の眼差し対して、ついカッコをつけてしまう。“寂しからずや道を説く君”である。能書きなんかいいから私を抱いてと歌った与謝野晶子である。送ってくる秋波にドギマギするばかりだから、妄想で“イってしまった”後は下着のウエット感が虚しい、哀しい。
さて、本題の“敵”だが、インテリらしい最期を目論むも、容赦なく迫ってくる死には抗えず、妄想を肥大させるだけで、“北”からなんていうのも、暗示などではない。つまり、穿った見方をせずに敵=死なのだと私は解釈する。
だが、早々に、論客を自負する諸氏が、真顔で、それは老いである、孤独である、痴呆である、漠たる不安の総体である云々と、哲学的考察をかざしてマウントを取ってくるのだろうが、稚拙だと揶揄されても 自説はまげない。
晩年の岡本太郎のエピソードで、夜中にがばっと起きあがり、ブルブルと死の恐怖に戦慄するというくだりがあったが、なんびとたりとも、その恐怖をまぬかれぬ。キレイには死ねない。敵は容赦ない。
むしろ、生真面目な生活態度を送りながら時々みせる主人公の間抜けな行為でクスリと笑わせてくれるほうが、面白かったし、老境を深刻ぶって考え過ぎるのも如何なものか。
江国滋の句にこうある。『おい癌め酌み交わさうぜ秋の酒』自らの病を嗤うヤケクソのブラックユーモアなのだが、アルコールが末期癌にしみわたるだろうなー。
映画の主人公の対極いる自分のような自堕落な人間は、諧謔をもって死に際にじたばたしたいと思ったりするのです。
共感ありがとうございます。
最初、敵は死や老いだと思ってましたが、誰も敵わないですよね。敗北覚悟で抗ったのか、最期は負けを受け入れたのか、映ってしまった姿は終戦後の彼なのか、色々悩ましい作品になりました。
野生動物は弱ると他の餌食ですから楽ですよね。現在の人間はそうは行かないのが哀しいですね。
先生〜!
レビュー、急かしたくせに昨日は"終電前"にさくっと寝てました
m(__)m
"敵"とはやっぱり"死"なのか。。私の年齢的にはまだまだ死は怖くてそれこそ"敵"
〜老境を深刻ぶって考え過ぎるのも如何なものか。
そうですよね。儀助さん位ならばむしろ達観していて欲しかった。
理想の死までのカウントダウン。
キレイな最期を目論むも、敵に追い付かれてしまう。。
子がやっているスゴロクゲームのようでした。