山逢いのホテルでのレビュー・感想・評価
全37件中、1~20件目を表示
ある意味因果応報なのか!?おとし方がすごい!
主人公クローディーヌのルーティン
↓
仕事→ホテルで男性物色(ロングステイ客除く)&情事→
男との情事で得た他所の街の情報を息子への手紙に書いて投函→息子の介護
息子を大事にしている
仕事も好き
ただ、息抜きは必要
※旦那とは別れているっぽいがどのような別れだったのかは説明なし
ということがわかります。
ルーティンで逢ったミヒャエルと相思相愛になってから物語が展開していきます。
ミヒャエルに一緒にアルゼンチンに行かないか?と誘われて
一旦行く決断はするものの息子大事さに行かないクローディーヌ。※ここはグッときましたけどね
そのために息子を施設に預けることまでしたのに・・・
そして施設へ息子に会いに行くクローディーヌですが、
息子は施設でよろしくやっているのがわかり、雄叫びをあげる図で終了。
クローディーヌの心の機微・変遷を実に巧みに描いていると思いますし、
オチも私はちょっと笑えてしまうくらい痛烈でした。
ちっちゃな世界の話ではありますが、主人公クローディーヌの全てだと思います。
小品ながら実に味わい深い作品でした。
※邦題は的を射ていないように思います。原題 Laissez-moi は、「行かせて」的な意味合いでしょうか。
だとすると、作品を見事にあらわしたタイトルだと思います。ただ邦題をつけるのは難しいですよね。
誰もがいろんな顔を持つ、母と女の葛藤
成人した障害のある息子を育てながら、自宅で仕立て屋を営み、逞しく生きるシングルマザー。
息子に愛を捧げながらも、毎週火曜に山のホテルに行って男をハントし、その場限りの情事で心のバランスを保っていたクロディーヌ。
なぜだかその姿に私はとても共感したし、涙が止まらなかった。
見えない未来、自分が死んだ後の息子のこと、金銭的なこと……そんな不安も抱えながら、愛情深くきっと不安や弱音も吐くことなく
とにかく絵が美しく、スイスの壮大な景色と静寂さが心に沁みた。
クロディーヌのファッションも素敵だった。
ラストの結末は鑑賞者に委ねている。
自分ならどうしていたかな……。
子育て、介護などからの解放。
いろんな世代に見て欲しい
生と性の間で揺れ動く中年女性の二面性
毎週火曜日に山間のリゾートホテルでその日限りの男を漁る妖婦。
一方で脳性麻痺の息子を仕立て屋を営みながら一人で世話をする良き母親。
その二面性を雄大な自然を背景に、スイスのマキシム・ラッパズ監督が仏女優ジャンヌ・バリバールを主演に迎え撮った女性映画。
仕立て屋を一人で営むクロディーヌ(ジャンヌ・バリバール)は障害のある息子バティストと2人で暮らしている。
良き母親であるが、週に一度息子の世話を近所の女性に頼み、山間にあるリゾートホテルに着飾って出かけ、後腐れのない男性を物色しアバンチュールを楽しんでいる。
後腐れないことが条件だったのが、ドイツ人の研究者ミヒャエルとの出会いで変わっていく。
一見古びたラブストーリーなのだが、障害のある息子の存在が重くのしかかるところが社会派映画としての二面性も描く。
スイスの美しい山間の風景なのだが巨大な人工物のダムが象徴的に描かれる。
逢瀬を楽しむホテルはダムの下にあり何千万トンの水がすぐ横にあるのだ。
その危うさとクロディーヌの行いの危うさがリンクする。
もう一つ象徴的なのが、息子のバティストが夢中になっいているダイアナ元妃の存在だ。
自由の象徴のような奔放な元妃はご存じのように交通事故で急死してしまう。
息子と恋人の間で葛藤するクロディーヌの末路とは・・
いろいろな解釈ができるラストシーンだ。
押し寄せる想い
障がいをもつ息子を守りながら働く女性が、山にあるホテルにて一時の情事に耽るがある時本当に恋に落ちてしまい…といった物語。
スイスはアルプスの風景を背に、一つ一つのシーンが絵画を切り取ったような美しい作品。
終始、BGMもなく静かな雰囲気で、クローディーヌの置かれた立場が見せられる。
母親としての責任を果たさなくてはいけない一方で、クローディーヌも人ですもの、何か楽しみがないと…。
と思った所で、男たちと寝るのにはこんな目的もあったのか…やはり息子想いの母親だ(涙)
そんなこんなで本気の恋に落ち、彼とともに異国へ行くのか、或いは…。
ワタクシ個人的には、残って欲しくもあるし、行って欲しくもあるし…答えは出せませんね。そして彼女の出した答えは…。
大きな起伏はなくとも、心が揺さぶられたし、クローディーヌ達のこれからの幸せを願ってやまない、そんなふうに思わされた作品だった。
なんとなく気持ちはわかる
スイスアルプスの麓の小さな町で服を仕立て収入を得ていた中年女性のクローディーヌは、障がいを持つ息子をひとりで育てていた。毎週、白いワンピースを着てダム湖の側にあるリゾートホテルを訪れ、短期での一人旅の男性客を選んではその日限りの体の関係を楽しんでいた。真剣に恋をすることなどないと思っていたクローディーヌだが、水力発電の技術者でドイツ人男性との出会いにより、彼との生活を考えるようになり・・・さてどうなる、という話。
スイスの美しい山々と巨大ダムのそばにある実在のホテルが舞台。スイスの登山鉄道でユングフラウヨッホを訪れた事が有るが、スイスのアルプスは壮観だった。本作を観て、再訪したくなった。
夫が居なくて、障害を持つ子どもがいて、大変だろうと思うし、色々と発散したくなる気持ちもよくわかる。
クローディーヌ役のジャンヌ・バリバールは50過ぎてるのにどんな服を着ても似合ってたし、あそこまでセックスシーンを披露できるとは、俳優魂が素晴らしかった。
スイスの絶景と自立した美しい中年女性の物語
『山逢いのホテルで』を観て、30年以上前に観た『仕立て屋の恋』(パトリス・ルコント監督)を思い出しました。どちらも「日常を揺さぶる出来事」によって主人公の心が大きく動かされる物語。でも、描き方やテーマには対照的な魅力があります。
『仕立て屋の恋』では、孤独な仕立て屋の男性が、隣人女性に恋心を抱きつつも、その思いを自分の中だけに閉じ込めていました。彼の風采の上がらなさが、人生の行き詰まりや叶わぬ思いを象徴していました。
一方、『山逢いのホテルで』の主人公クローディーヌは、自立した強い女性です。障害のある息子を育てながら仕立て屋の仕事に誇りを持ち、日々を淡々と生きていますが、恋に落ちたことで心に迷いが生まれます。彼女の揺れ動く姿には、別の人生の可能性に惹かれながら、今の生活も捨てられない切なさが滲んでいました。結局、誰もが人生では一つの道しか選べない……当たり前だけど残酷なその真実を突きつけられる映画でもありました。
スイスの壮大な山あいの村とダム湖の美しい映像が、クローディーヌの揺れ動く心情を引き立てています。映像美だけでも十分に見る価値がありますが、女性としての欲望と母親としての献身との間で揺れる主人公の姿にこそ、映画の真髄があります。
『仕立て屋の恋』と同じ「仕立て屋」を主人公に据えた作品ですが、対照的な視点とテーマで描かれた2つの映画。どちらも人生の選択や孤独を考えさせられる、静かで力強い作品でした。
他人には言えない事や想い
つい先日に「2024年観納め」発言をして舌の根の乾かぬ内に鳴きのもう一本。昨日配信されたPodcastで三宅隆太さん(映画監督、脚本家、スクリプトドクター)が本年度のベストに挙げられていた本作。元々は自分の鑑賞候補にも入れていなかった作品ですが、興味を惹かれて滑り込み参戦です。シネスイッチ銀座10時40分の回、空いてはいるものの公開5週目にしてはそこそこの客入り。もしかしたら半分以上は同じ番組のリスナーなんじゃないか?と思いながらの鑑賞です。
と言うことで観終わっての感想は、劇場鑑賞して損はない堅実な作品でした。演出次第では単なるメロドラマになり兼ねない内容ですが、ホテル周辺の美しい風景と、抑制の効いた演技は作品として実に品が良く、また大人の恋愛に対する戸惑い、そして家族と言う呪縛と人生に対する悲哀が感じられてしっかりヒューマンドラマに仕上がっています。ただ、共感度という観点では観る側の世代を選ぶと思いますし、また「正しさ」について言及すれば否定的な意見が出るのも理解できます。ですが、それなりの年齢になれば誰だって身に覚えがある「他人には言えない事や想い」に正直な本作、私にはわかりみが深く感じられ、まんまとクロディーヌ(ジャンヌ・バリバール)の人生を賭けた選択に背中を押したくなる心境になるほど。当然、ネタバレは厳禁のため何も言えませんが、ラストシーンも非常に感慨深く最高です。それにしても、メイクによるものなのか、或いは私の気のせいなのか、前半と後半でクロディーヌが全く違って見えるところもジャンヌ・バリバール素晴らしかったです。
どうしても追い切れずに観逃す作品も少なくないですが、この時期はいろんな方の年間ベストに触れられるため、鑑賞欲がいつも以上に触発されます。本作も間に合ってよかった。三宅さん、感謝です。
大人のラブストーリーとは言い難い
主人公が妖怪みたいだった。妖怪みたいなのに、ホイホイおやじが釣れる。どちらも正直キモい。これ、大人のラブストーリーなんすか。
仕立て屋の仕事をしている時は素敵だけど、若い女性の採寸を年頃の息子が見ている状況もキモかった。
スイスアルプスの風景は圧巻。山間の場所に部屋数多めで普通な感じのホテル(リゾート風でない)が建っていて、男性の一人客が多いところを見るとダム関係者用のホテルなのかな。
自宅の風景は背景にそびえる山や見たことない木の形など、現実離れしていて面白かった。郵便受けと自宅の距離が離れているけど、全部敷地なの?
障害のある息子の自立は、TBSドラマ「ライオンの隠れ家」最終回と重なり、どちらも自立していく姿に幸せを願わずにいられませんでした。息子が向かった施設は門も建物も大きくて、自然豊かな環境でいいなと思いました。
アルゼンチンは遠いけれど、永住ではなく3ヶ月と言っていたし「行けばいいのに、今からでも」とラストで思いました。相手の職業はまともで国際ロマンス詐欺でもなさそうだしね。
意外と良かった
クロディーヌは地元では有名人
成人した脳性小児マヒの息子のひとり親である中年女性のクロディーヌは子供を他人に預けている間にアルプス山岳鉄道に乗り、山間のホテルのレストランに通っては単独宿泊の男性客を物色し、男の部屋での性交渉を繰り返す。ホテルのフロント係りの青年にチップを渡し、宿泊客の情報を得て、ターゲットを絞る。客の中には彼女の噂を知っていて、自分からアプローチしてくる男もいる。地元では有名なヤリマン美熟女なんでしょうね。
文化の違いを感じます。
息子役の俳優さんは実際に小児麻痺の俳優さんなのでしょうね。さすが。俳優の層が厚い。
映画の解説文からは日々の介護のストレスをセックスで発散しているだけかと思ったが、障害児を持つひとり親の寂しさや老いの恐怖から逃れるためのようにも感じました。さらには、誰にも訪れる人生の寂寥感を埋めるために焦っているようにも思えました。更年期近くの女性で身に覚えのある人も結構おられるでしょうね。
ひとり息子から子離れできない母親が息子に恋人が出来た途端に裏切られたと感じ、精神のバランスを崩す話をアルプスのダム湖や特殊なシチュエーションを背景にドラマ仕立てにした映画かなぁ。ダム底のガラス窓(映画セット?)の前に立つクロディーヌとドイツ人技師のミヒャエルのシーンや空港行きのバス停でクロディーヌが過換気を発症するのはオンディーヌ伝説(呪い)を想起しました。
地団駄踏んで悔しがる最後のカットはたぶんコウメ太夫よろしく「チクショー」って叫んでいたような。こういうラストシーンをエスプリに富んだユーモアと言うんでしょうか。
主演のジャンヌ・バリバールはかつてマチュー・アマルリックの奥さんだったひと。
うーん。
時々、カルセール麻紀に見えちゃったんですよね〜
イザベル·ユペールでは齢取りすぎだし、ジュリエット・ビノシュでは男たちが羨ましく思えちゃう。
なるほど~
シネスイッチ銀座に。一階の男子トイレはまだ和式のままでした😭有楽町マリオンのシャネルN°5の巨大ポスターのモデルがマーゴット・ロビーでした🤩ちょっと得した気分。
キモキモおばさん
綺麗なおばさまが“普段と違う自分”になるために似合わないどぎついお化粧を施し、お決まりの若作り真っ白ワンピにアンクル丈ブーツという出で立ちで週に一度二度山逢いのホテルに赴き、妖怪男漁りとなるお話。
いや〜入り込めなかった。共感要素ほぼ皆無。
映画が悪いのではなく、きっと結婚も出産も子育ても、自分が常に寄り添っていなければならない人との生活何もかも未経験だから自分の経験不足によるもの。
唯一好きだなぁ💜と思ったのは摺りガラス越しにうつったクローディーヌの体育座り下着姿。とっても色っぽかった。
それ以外はなんだか気持ち悪く感じた。
一方で、自分も将来あんな風に気持ち悪くなったらどぉしよぉという妙な不安も覚えた(←タブン、コノエイガノポイントハ、ソコデハナイ)
ありのままに生きたいと
献身的母親、時々女
人は独りでは生きられないけど、ひとり立ちの時は来る
なかなか難しかったですね。
母として子供に対する愛の注ぎ方、人として心を開放したい気持ち。
分かったようで分からないような、そしてここが良かったね、ここはいけなかったね、とも言えない気持ちを持ちながらエンディングを迎えますが、最後に観る人の心情に委ねられて、感じることは人それぞれ、同じ人でも観た時の心の立ち位置でも異なると思います。
親子にはいつか別れは来るものだから、どんなタイミングでそれを迎えるのかが大事ですね。
振り返って右手を上げた息子の顔がすがすがしく見えたワタシでした。
ダイアナ妃の事故が起きた1997年が舞台、タバコが当たり前でビデオデッキが使われる時代設定には何か意味があったのかなぁ……
誰だって自分のバランスを取りたいですから。
あの「氷山」は、水の上に7分の1を浮かべているのだそうだ。
そして誰にも見えないけれど、ほの暗い水の底に、残りの大きな塊を沈めている。
人も同じ。
クローディーヌは
自分の存在について、高低の、あるいは左右の、もしかしたら裏返しの、存在のバランスを取りたかったのだろう。
人は違う自分を手探りする。そして同時に今の自分を保ってゆくためには
場所と時間と相手を変えて、違うシチュエーションに生きる特別の時間が、何処の誰にでも、「息抜きのため」には人間には必要だからだ。
僕たちも時折、独りになりたくなる。
旅行に行ったり、自分だけの友人に会いに行ったりして、いつもの日常を離れる機会を自分に奢っているではないか。
映画館に出掛けるのもそうだろう。
大げさでなくても、均衡を保つため、無意識に我々は別の世界を求めている。自宅で誰だってコーヒーは淹れられるのに、例えば我々は外に出てカフェに行くではないか。
クローディーヌは
週に一度、バスとケーブルカーを乗り継いで山に登り、ミネラルウォーターを頼み、そして必ずタバコをふかす。
ホテルで男たちと肉体関係を持つ。
彼らが本名を名乗っているのかも、何処から来た何者なのかも疑わしい、お互いに行きずりだ。
ワンナイトだけで彼女にとっては終わってしまう逢瀬で、それぞれがクローディーヌの充電と気分転換のためだけの相手だった。
だから、注意深く長期滞在者を避けたし、一両日中には発つ客を選ぶ。次の週には決して顔を合わせない相手を選ぶことで、彼女は深入りはしない。
裸にはなるが、親密にはならない。それは彼女の頑なに守るルーティンだ。
体と心の障壁はクローディーヌの砦だ。
ところがドイツ人のダム技術者ミヒャエルと名前を交わし、言葉を交わしてしまった事で、彼女の“自慰”の生活と、週に一度の行きずりの習慣は壊れてしまったわけだ。
なぜバス乗り場で、クローディーヌはミヒャエルについて行けなかったのだろう。
理由は何だろう。
ミヒャエルの行き先が南米ではなくたとえ隣町であっても、やはりクローディーヌは足がすくんだのだろう。
息子がもう何の問題もなく、施設で安住していても、それでもこの母は あと一歩が踏み出せなかったのだろう。
理由は分からない。
突然に怖じ気づいて息が出来なくなること、
過呼吸でもう自分が駄目になりそうなこと、
壊れそうな自分の喉の奥から、抑えようのない動物のような絶叫が出てしまうこと。
僕たちにもそれは有るのではないか。
氷山が黒い水の中で動くのではないか。
・ ・
まるで地の果てのような世界。ホテル。
自作自演の手紙だけがクローディーヌの支え。
バティストの世話をしてくれる婦人は、クローディーヌの“秘密”を知っていても、このシングルマザーの事情を黙って支えている。
人間の存在を揺るがす、まるでドイツ映画のようなスイス・ベルギーの合作作品。
会話はフランス語を主体に各国の言葉が飛び交う。
水と空を隔ててそびえるコンクリートのダム躯体が
ついに“決壊” 出来なかったクローディーヌの心中を表すように、無情にも、微動だにせず立ちはだかって視界を塞ぎ
映画は終わった。
僕も目を伏せて映画館を出た。
誰にも会いたくなかった。
·
ダムってカッコ良いなぁ。
壮大な自然と女性性
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