「思えばあの時、れいわにおける【戦争体験】だったんだろうな。」この夏の星を見る リュウジさんの映画レビュー(感想・評価)
思えばあの時、れいわにおける【戦争体験】だったんだろうな。
この土日に…と思っていたら、近くの映画館の上映は金曜まで。
慌てて時間をやりくりして木曜日に見に行ってきた。
僅か8日って短くないか、こんなにいい映画なのに・・・・と思ったら、
上映回数減ったけど新しいスケジュール更新されていた。
また見に行こう。
映画.comの他の方の映画評で
「この星空は映画館のスクリーンで味わうべきだ」とおっしゃっていたが、
ホント、映画館で見て正解だった。サブスクで見たら全然違う印象だったろう。
あのとき・・・、
全く先が見えなかった、なぜ、こうなったのか&こうしなければいけないのか、
大人は誰も説明してくれなかった。
また、テレビと政府だけは自説と仮説でしかない「コロナに勝つ方法」を
自信たっぷりに喧伝し強制し、それを取り締まる匿名の自粛警察がそこいら中にいた。
「コロナ禍という時代に従うしかなかった僕がいました」と
安藤真空役(サッカー少年)の黒川想矢がインタビュー(パンフレットより)で話しているが、
まさに「(自由は)ほしがりません、勝つまでは」の時代だった。
そういう環境下で渓本亜紗(桜田ひより)が提示したのが、
「何ならできるか」。
あれもダメ、これもダメ、マイナスばかりの社会のなかで、
ある意味、希望を見出したいという“もがき”と“渇き”。
その気持ちが地を越えて他の人にも伝わっていくすばらしさと面白さ。
ただ、つながっていく、希望を得ていくなかで、
喜びも悲しさも悔しさもがっかりも
登場人物たちの表情も気持ちもマスクで隠れていたし、隠してもいた。
(ホント「そんな時代だったのだ」と、この映画を見て改めて思う)
演じる彼らの声に目にその言葉に(&時折マスクのない表情に)、
そして巧みな演出に風景と心情がシンクロした映像に抑えた音楽に、
決して泣かせる映画じゃないのに感情が高まり何度もウルウルした。
コロナと言う“戦時下”を戦争を知らない我々は経験した。
克服はしていないが、
上を…いや違った「空を見上げて生きてりゃなんとかなる」という経験値を得た。
そんなことを考えた映画だった。
次は原作だな。
「国宝」や「ザリガニの鳴くところ」はあえて逆にしてしまったが、
やっぱり映画を見てから原作の方が深く味わえる。
追記>
この映画の監督、山元環氏は大阪芸大出身。
初の劇場長編映画だという。次の作品がすごく楽しみ。
脚本は森野マッシュ氏。
パンフレットによると、原作者の辻村深月氏に出した最初の脚本は
「森野さんは自分らしさを封印している印象を受け」、
「もっと森野さんらしく書いてください」と愛あるダメだし。
次の稿はOKだったという。
(没と正の両方のシナリオ、読んでみたいわー)。
リュウジさん
共感・コメントありがとうございました。
初心者すぎて、当時全く気づけていませんでした…今さらで本当にすみません。
あのとき、この映画の感動が忘れられず、「誰かに聞いてほしい!」と、初めて映画のレビューを載せたのが本作でした。
そのレビューがリュウジさんの元に届いていたことに感動し、素敵な星空を、場所も時間も超えて共有できたことをうれしく思いました。
いつもなら避けてしまう「仰ぎ見る席」が特等席になる体験はもう経験できませんが、あの抑圧された時期にも何かしらの道しるべになる星が輝いていたことを思い出させてくれる本作を、多くの人に観てほしいなと思います。
「何ならできるか」。個人的に最高の名言だったように思いました。
