「ウディ・アレンのモノマネか」リアル・ペイン 心の旅 蛇足軒妖瀬布さんの映画レビュー(感想・評価)
ウディ・アレンのモノマネか
ジェシー・アイゼンバーグ演じるデヴィッドの、
ウディ・アレンのモノマネのような、
早口でイライラしたセリフ回しから始まる。
冒頭の空港でのシークエンスは、
ふたりの性格を端的に表すと同時に、
映画全体のトーンを暗示する。
映画が空港で始まり、
エンドロール後も空港の音が聞こえてくる。
この構成は、
観客に「これで終わりではない」という感覚を抱かせる。
空港は出発と到着の場所であり、
最初と最後にタイトルが出て、
特にベンジー(ジェシー自身)にとって、
あるいは観客にとって、
この旅(〈めんどくさい〉旅)は、
まだ終わっていないことを示唆しているのかもしれない。
この空港の残響は、
ジェシー・アイゼンバーグ自身からのメッセージとも解釈できる。
それは、ふたりのキャラクターを通して、
観客に向けて、
ドラマティックな展開や明確な答えを求めるのではなく、
日常の延長線上にある感情や葛藤に、
目を向けることの重要性を語っているようにも思える。
ワルシャワやゲットー跡地、
マイダネク強制収容所(アウシュビッツよりも規模、施設、遺品の数は少ない収容所を選択したのかもしれない)といった場所を訪れるが、
それらを過度にドラマティックに描くことはない、
ホロコーストやナチスも、
必要以上に便利使いしないスタンスがいい。
あくまでも、祖母の生家を訪ねる旅という視点から、
歴史や記憶と向き合っている。
この映画は、観客に何かを示唆したり、
感動させたりすることを目的としているのではなさそうだ。
むしろ、ふたりの視点を通して、
自分自身の人生や感情と向き合うきっかけを与えてくれる。
若者、ばか者、ヨソ者を受け入れてくれるツアーの人たち。
それは、ジェシーからのメッセージ、
そのままでいい、
〈Let it be〉という事なのかもしれない。
空港の残響は、その問いかけを増幅させ、
悪くないエコーチェンバーとして、
観客に深く考えさせる余韻を残す。