ファーストキス 1ST KISSのレビュー・感想・評価
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接する瞬間に
駈の死が一瞬のことのように描かれているが、ハルキゲニアが化石として堆積していた時間を考えれば、私たちの人生も一瞬にしか過ぎない。
あってもなくても大差がない今日という一日。死んでても生きてても今日という日は進んでいく〈私〉の存在。人生に定まった意味もないのだから、私たちはただ死が訪れる瞬間を待っていればいい。
でも、
どうして私たちは恋愛をしたり、誰かと生きることを選ぼうとするのだろうか。
カンナも駈の早すぎる死を回避しようと行動する。離婚届を出すほどに関係は冷め切っていたのだから積極的な動機はないのだろうけれど、タイムスリップしたのなら仕方がない。
ここで印象的なのは結婚を回避する行動が失敗に終わる点だ。カンナの発想は正しい。結婚後の行動を変えようとしても難しいのならば、そもそも結婚しなければいい。彼には好意を寄せてくれる里津がいるのだから、尚更カンナと結婚する必要もない。彼女が存在する理由はない。
しかし、物語はこの選択を挫折させる。駈とカンナが赤い糸で結ばれていることを変更不可能な運命として決定づける。それなら〈私〉がいなくなることではなく、〈私〉がどのように他者や瞬間に接するかが問題となってくる。だから本作のタイトルが「ファーストキス」なのだろう。
口に運んだ途端に溶けてしまうかき氷を食べようとするとき、はじめて〈あなた〉に会ったとき。数年前に頼まれた餃子が届いたとき、パンくずがマグカップに入っているのをみてしまったとき、隠されていた手紙を読むとき、どのように接するか。失敗もあるかもしれない。でも写真のように瞬間を振り返ったとき、笑っていたり、よかったと思えているのが多ければいい。それは運命を変えたということではないけれど、解釈は変わっている。
それこそ日常の再解釈や肯定と言うべきものであり、私たちが誰かと生きようとする理由だろう。人生や〈私〉の些末さに変わりはないが、その一瞬は何にも代え難い美しいものだ。
思えば映画だって、瞬間を連続させて動かしたイメージである。
それなら、どう接する?
松村北斗さん良すぎ
意識があれば、大丈夫なのか。
変わると知りながら
慣れてくると当たり前になって
無になってしまう。
せっかく出会えて恋に落ち合って一緒にいられているのに
そうなってしまう流れに共感でき少し怖かった
けれどもすぐあたたかい気持ちになれる結婚もあるのも知っている
松村北斗さんは声も変えながら年齢の違う表現が上手い。
後ろ姿でも感情がわかった
正直そこまで刺さる言葉はなかった
松さんのおてんばで自由な感じ、とても良い
けれど湧き出る感情は苦手みたいだ。
そこはとても繊細な感情の揺れを松村さんがしていた。
松さんは受け取っていたように思う
構成の巧みさと本筋の深さに驚愕も‥今年外せない邦画の代表作に
(完全ネタバレですので必ず鑑賞後にお読み下さい!)
(レビューが遅くなりました、スミマセン‥)
(正直に言うと、坂元裕二さん脚本の連続ドラマはメタファーの過剰さと本筋になかなかいかないまどろっこしさで最近は私的は苦手な作品の方が多かったのですが)
今作の映画『ファーストキス 1ST KISS』は、構成の巧みさと本筋の深さにとにかく驚かされました。
今年外せない作品で今年を代表する邦画になることは間違いないのではと早くも思われています。
今作はどこを切り取っても凄さが垣間見えるのですが、例えば、舞台美術スタッフの世木杏里(森七菜さん)が、<過去と現在と未来のミルフィーユ>の話をする場面がその1つに当たると思われます。
もちろん、世木杏里が話した<過去と現在と未来のミルフィーユ>の話は、この映画そのものの構成の話であり、主人公・硯カンナ(松たか子さん)が15年前の過去に戻った時に、硯駈(松村北斗さん)とかき氷屋の前で話す内容の伏線になっています。
ところが一方で、世木杏里が中学生の時に<過去と現在と未来のミルフィーユ>のSF小説を書いたというエピソードは、世木杏里が後に、違和感なく演劇のスタッフになったと思わせ、そこに至る世木杏里の人生の道筋を観客に想像させる表現場面にもなっているのです。
この1つのエピソードから、人物背景や他の人物や場面に様々繋がって行く物語構成の重層性は、今作のあらゆる場面にちりばめられていたと思われます。
例えば、テレビ局プロデューサー・田端由香里(YOUさん)らが、主人公・硯カンナのマンションの前で、硯カンナの夫・硯駈が駅のホームで自らの命を顧みず赤ん坊を救出した件に関するドキュメンタリー番組の許諾を、主人公・硯カンナから取ろうとしてる場面にもそれが当たると思われます。
もちろん、テレビ局プロデューサー・田端由香里が番組の許諾を取ろうとして話している”夫婦の愛”の美談のコンセプトは、現実は主人公・硯カンナと夫・硯駈は既に夫婦関係が破綻していたので全くズレ切っていて、(昨今言われている)浅いTV局などのメディアへの皮肉として伝わるのが、この場面の趣旨だと思われます。
しかしながら、ズレ切った主張でも、マンション入り口前で足止めされながらでも、必死にストーリーボードを見せながらドキュメンタリー番組の趣旨を説明しているテレビ局プロデューサー・田端由香里の背後に、この時までに田端由香里がやってきただろうテレビ局内での会議や準備の積み重ねの労苦が垣間見えるのです。
つまり今作の映画『ファーストキス 1ST KISS』は、些細なちょっとした場面でも、そこに出て来る登場人物を主要人物を引き立たせるための道具のように蔑ろに扱っていないのです。
そして、出て来る登場人物はほぼ全て、背景を想像させる生きた人物として存在し登場しているのです。
例えば、硯カンナの夫・硯駈がホームでの救出劇で亡くなった後に、天馬里津(吉岡里帆さん)が主人公・硯カンナを訪ねて来る現在の場面があります。
天馬里津は、かつての硯駈の恩師である天馬市郎教授(リリー・フランキーさん)の娘であり、本当ならば硯駈と結婚したのは自分(天馬里津)の方だった、自分なら硯駈を死なせなかったのにと、最近すれ違った時に硯駈の襟が黄ばんでいた話をしながら、硯カンナに対して批判的に話をします。
そして主人公・硯カンナも、そうかもしれない、自分と結婚していなければ硯駈は死なずに済んでいたのではないかと、天馬里津の話を受け止め、その後の過去に戻った展開もあった場面です。
しかし、硯駈が恩師の天馬市郎教授の娘である天馬里津と結婚しなかったのは、硯駈が主人公・硯カンナと出会ったからだけが理由ではありませんでした。
硯駈の恩師であった天馬市郎教授は、一見人当たりが良さそうで知識も深く、当然、硯駈が引き続き恩師として従っても良さそうな人物として描かれています。
しかし、学会の準備での細かい天馬市郎教授による硯駈への苦言は、天馬市郎教授と硯駈との関係性のほころびを現わしていたように思われます。
硯駈はちょっと変わった感覚の持ち主で、そのことは15年前の過去の場面でも垣間見せていたと思われます。
そしてこのまま行けば、(学会準備で示されたような)常識的な考えを無意識にでも強く促す天馬市郎教授との硯駈の関係は、破綻していただろうとも想像がされるのです。
つまり、硯駈が亡くなった後の、現在での主人公・硯カンナと天馬市郎教授の娘・天馬里津との対峙の場面は、硯駈と天馬市郎教授とのもしかしたらあったかもしれない並行世界での(結局は破綻していただろう)対峙を想像させる場面に、実はなっていたのです。
ここに上げた場面に限らず、今作の映画『ファーストキス 1ST KISS』は、あらゆる場面でそこから様々な人物や場面につながって立ち上がる、複雑な構成がそこかしこになされていたと思われました。
この作品の脚本構成は、考える限り最高点で見事な構築だったと言わざるを得ないと思われました。
その上で、本筋である、主人公・硯カンナと夫・硯駈との、過去と現在の描写の深さも素晴らしさがあったと思われました。
主人公・硯カンナは、実はちょっとクセある人物として造形されています。
硯カンナは現在、舞台の美術スタッフとして働いているのですが、舞台出演者に対して裏で割とあけすけに辛辣な事を言っていたりします。
舞台の出演者のペットの現場への持ち込みに批判的で、硯カンナ自身も犬が苦手で、15年前の過去に戻った時には大型犬に囲まれて大変な目に合ったりしています。
この主人公・硯カンナの少し人とは違うクセある性格は、こちらもまた周りとは少し変わった感覚の持ち主の硯駈にとって実は勇気づけになっていたと思われるのです。
主人公・硯カンナのクセあるあけすけな言動は、人とは少し違う硯駈の存在を肯定し、硯駈が主人公・硯カンナに好意を寄せ結婚に至るのは、全く持って必然だったとも思えるのです。
硯カンナの方もまた、クセある自分がそのまま肯定され、少し変わったところはあっても誠実さある硯駈に惹かれたのも必然だったと思われるのです。
そして一方で、主人公・硯カンナのクセあるあけすけな言動はまた、コインの裏表の反転のように、あけすけだからこそ硯駈を傷つけ追い詰めて行く要因にも、その後なって行ったと考えられるのです。
この主人公・硯カンナと硯駈とが互いに惹かれ合う理由と、互いに溝が出来て断然して行く理由とが、コインの裏表で同じだというのも、この作品の深さと凄さがあったと思われます。
そしてこの事は、夫婦の(本当は修復可能かもしれない)ちょっとしたことでの亀裂が、深さを持って普遍的に表現されていたとも思われるのです。
なので事情を理解した15年前の硯駈は、逆にちょっとしたことでの夫婦関係の修復にその後挑戦することになります。
その後、結局は大きな運命の結論は変わることなく映画は終わりを迎えます。
しかしながら、主人公・硯カンナと夫・硯駈の2人にとっては、重要な修復がそこでは実現していました。
1観客としては、本筋の主人公・硯カンナと夫・硯駈の主要な2人の関係性の描写においても、深さを獲得している素晴らしい作品だと思わされました。
映画作品において、脚本物語構成の厚みがある優れた作品も少なくても存在しますし、一方で、本筋の主要人物の関係性の深さがきちんと表現されている優れた作品も存在していると思われます。
しかしながら、脚本物語構成が分厚いままで、かつ本筋の主要人物の深さが同時に表現されている作品は、めったにお目にかかれないのではないかと思われるのです。
しかも今作は、実話ベースでないほぼ全くのフィクションの映画であり、それでいてこのレベルの構築の厚みと人物描写の深さある作品は奇跡に近いのではないかと、僭越思わされました。
よって私的には今回の点数となりました。
おそらく今年の邦画の代表作になるのではないかと予感がしていてます。
今作の映画『ファーストキス 1ST KISS』は、その上で、クセある主人公・硯カンナや人とは少し感覚が違う夫・硯駈だけでなく、少し普通とは違う人物の存在をそれぞれで肯定しようという根底が流れているようにも感じました。
それは、一見すると否定的に描いてるように思える天馬市郎教授やテレビ局プロデューサー・田端由香里も、(演じているリリー・フランキーさんやYOUさんの表現と相まって)実にある一面ではチャーミングに肯定されて描かれていたと思われました。
ところで映画のタイトルにもなっている『ファーストキス 1ST KISS』ですが、映画の最後に15年前の過去で、主人公・硯カンナと硯駈が交わすキスは、2人にとって硯駈のファーストキスでありながら、硯カンナにとってはラストキスでした。
この重層性も、今作の最後の感動をその後の2人の歩みを象徴した場面として高めていたと思われます。
この運命の厳しさを踏まえた上の人間賛歌とも思える今作が、普段ウェット気味とも思える坂元裕二 脚本に、さばけたドライ感もある塚原あゆ子 監督の演出により、間口の広さと構成の厚みと主要人物描写の深さを併せ持った作品として、世に公開された事は、素晴らしさ以外になかったと、僭越思われました。
掛け合いのような会話が良かった。
離婚前の2人、食卓もバラバラだし寝るところ別になり、お互いに関心がない、離婚前のリアルな夫婦を再現できているような気がして、俳優の演技力はもちろん、生活感のある雰囲気が伝わる部屋のセットも素晴らしかった。
離婚前の描写で、朝ごはんにカンナはパン派、駈はご飯派というわかりやすい好みの違いにすら、“相性が合わない夫婦なんだろう”と思わせたのですが、15年後に同じ描写で、同じ食卓で朝ごはんを仲良く食べているシーンを見て、同じテーブルでにこやかに食べているだけで、好みが違ってもとても素敵に見えるなあと、、、
むしろ、好みが違うけど同じ食卓で食べているのは、お互いの好みを受け入れている、素敵な夫婦に見えた。
夫婦とはこういうことなのだと思った。
タイムトラベル系はツッコミどころが多いこともあり、一度気になると醒めてしまう気がするが、この映画は心地よかった。
松村さんの朴訥とした演技が、愛おしく誠実でとても良かったし、松たか子さんのサッパリとした綺麗さに見惚れ、気持ちの良い映画だったなあと思いました。
初めて何回も見たいと思った映画
映画館はちょっと苦手で1人で見に行くのは人生2回目くらい。
Xでの高評価を目にして観に行ってみました。
導入部分はタイトルと予告から予想していたのとはちょっと違いましたが、タイムリープのルールや主人公カンナの心情の変化などが分かりやすく、また松たか子さんと松村北斗さんの演技が素晴らしくて年齢差を一切感じず楽しく見る事ができました。
松たか子さんはCGを使って若かりし頃を演じた松村北斗さんは体重増加やメイクで現在の44歳の役を演じていらっしゃるとのことですがどちらもとても自然でした。
離婚するほどお互いを思いやれない関係になってしまった2人だけど、やっぱり心の奥では結婚した当初の気持ちが消えないし情もあるしでタイムリープをきっかけに夫のために奮闘する姿がリアルだったし、付き合い始めの自分に好意を抱いている若くて素直な夫に会いにタイムリープする度オシャレで綺麗になっていくカンナの姿も微笑ましく思いつつ共感出来てとても良かったです。
泣き所はやはり松村北斗さん演じる硯駈が残されたカンナに宛てて書いた手紙のシーン。
松村北斗さんの声が、本当に良い。「すずめのと戸締まり」でも声の演技が素晴らしいと評価されていましたが、40代の声も素晴らしい説得力でした。
タイムリープする度少しずつ変わる未来(現在)が部屋のオブジェに貼られたレシートや付箋であらわされていますが、1度見ただけではちょっと覚えていられず...できれば数回観たい。DVDも欲しいな。と思いました。
うちは子供がまだ小さくて何度も1人で映画館に行かせてもらったり子供も一緒に映画館で観たり夫と2人で観に行くというのは難しいので、DVDが出たらぜひ夫にも観てもらいたい!
現状の夫婦関係に満足はしていますが、この映画を観たら私たちの未来も更に良いものになるのではないか・・・と思います。
結婚している方はもちろん、今後結婚するであろう若い人やカップルにも是非観てもらいたいおすすめの映画です。
松たか子さんの可愛さを愛でるための映画かな?
松たか子さんの可愛さを愛でるための映画だったかな。松たか子さん、好きだから全然オッケーだけれど。
いわゆるタイムスリップ物。
面白いけれど、そんなに心にずんっと残る映画ではない。私が珍しく泣かなかった。
夫婦関係、結婚生活が1つのテーマ。それについては、考えさせられるところはあった。
もう1つのテーマは、生きるということは何か、人生とは何か。こっちは、あまり深く描かれていなくて、ピンとはこなかった。
松村北斗くんの演技は良かった。
最近のタイムスリップ物は、タイムパラドックスについて、真剣に検証しなくなっている傾向がある気がするかな。
タイムスリップは、物語のベタな技法の1つとして定着して、野暮な科学的考察は脇に追いやられたということなのだろう。
正に、君たちはどう生きるか
すれ違って、嫌いなところばかりが見えて、離婚したけど、憎んだわけじゃないから救えるなら救いたい。そんな思いからタイムリープを繰り返すうちに、若い頃のカケルの良さを認識し直し、若い頃の好きだった気持ちを思い出すカンナ(松たか子)。もう一度恋に落ちたと言った方が良いかもしれないが、彼を救いたくて、ひどい言葉をかけて未来に帰る姿に涙。
そして、死を避けられないとしても、気が合うから好きだから、やっぱり結婚する、そう決めるカケル(松村北斗)の愛情深さ。変わった未来で愛情深く過ごした2人の尊い時間にまた涙。遺影がきっと変わってるんだろうな、と思っていたけど良い笑顔になっていて、正に、どう相手に接するか、どう生きるかで、こんなにも変わるのだなと実感。
恋愛はお互いの良いところを見つけて行き、結婚はお互いの嫌なマイナス面をぐりぐりつついていくものって、ちょっとわかる気もして笑っちゃったけど、そんな悲しく恐ろしいことを言わずに、思いやりと愛情を持って日々過ごしたいと思わせる映画です。
主演のお二人の演技力が素晴らしかったです。
それにしても、年取った松村北斗がふくよかになってるのは、綿詰めたりでできるんでしょうが、若い時の松たか子は?!どうなってるの? 若い時の姿が若干の加工で、44歳が老けメイク?? そこも知りたいですw
良作でした。ありがとうは顔を見て伝えましょう
今年2本目
評判が良さそうなので見てみました。
ジャンルとしてはタイムループ&ラブコメディ。
良作でした!
1.松村北斗さん演じる硯駆
素敵でした。
今まで彼のことを知らなかったのですが、
少しだけ枯れた声、優しい笑顔がいいですね。
くたびれきって妻に関心を失い、色あせた生活をする今と覚悟を持って15年過ごした後のキラキラ感の差が素晴らしい。
2.松たか子さん演じる高畑かんな
自分と同じくらいの年なので立派な中年で、さらに色あせた生活でもこもこに着込み、老け込んでます。
タイムリープで必死に何度も何度も夫を助けたくて
戻る過程でお化粧し、ドレスアップしていきます。
きっと昔の夫に恋をしたのでしょうね。
「ドキドキさせないでください!」を聞きたくて何回も行ったり来たりが可愛いです。
また夫を傷つけたと思ってまた戻ってくるところも好き。
若い松さんはやっぱり可愛いけどどこか飯島直子さんに見えてしまいました。
3.その他
〇こども新聞
謎感が強いが重要な役回り。
〇吉岡里帆 可愛い若い子がいると思ったら彼女でした。誰にも興味を持ってもらえず、亡くなって可哀想とのコメント。確かに。
〇かき氷後ろの人
教授の娘じゃなくておばさんが好きなんだよ!の発言が好き。
4.振り返り
自分は妻との仲は良い方だと思っているけど、ありがとう、おはよう、お休み、頂きます、ご馳走様、いってらっしゃい、只今はしっかり顔を見て言おうと思いました。好きの反対は無関心。
時をかけるおばさん
夫を交通事故で亡くした妻がタイムスリップを繰り返して未来を変える物語。
ストーリーはこの上なく単純。夫の交通事故による死を回避するために、過去に戻り試行錯誤を繰り返す。この手の設定は様々な作品で使い古されている。今を馳せる監督陣はこれをどのように利用したのか、見ものである。
結果的に、本作は凡庸なつくりとなっている。夫の死を回避するため、はじめは過去で小さな変化を起こし、未来の変化を確認する。それでも変わらないとなると、だんだんとその変化を大きくしていく。この過程で楽しめるのは松たか子さんが若い頃の夫ときゃぴきゃぴする姿のみである。
過去に戻る最後のチャンスで、ことのすべてを夫に話すシーンがあるが、そこでの会話が理解できない。あなたと、結婚するのか、ふーん、離婚するのか、はぁ。子供を守って電車にはねられるのか、かっこいいじゃん。この妻からの話を夫が本気で信じているか分からないが、あまりに緊張感がなさすぎる。雰囲気はただの雑談である。いくらラブコメ映画でもしめるところはしめてほしい。
最も気になる点として、なぜ事故の起こる日やベビーカーに注意するという簡単なことを伝えなかったのか。事故を回避するということを推進力として進んでいくこの物語。ここに僅かな疑問も残してはいけない。ここにブレがあると、愛とか思いやり以前の話となる。変えることのできない不条理の中で、できることをすべてやりきった。愛する人の未来を必死に変えようと本気で向き合う姿に人は感動するのである。
タイムトラベル系の作品ですべての観客を納得させるように作ることは難しい。それでも本作の内容には腑に落ちない方が多いのではないだろうか。
本質は
まず、アイドル松村北斗ではなく「俳優・松村北斗」がすごすぎた。比べたり名前を出すのは良くないけど上手く言葉が出ないのですみません、とてつもなく二宮和也を感じた。
私の中で二宮くんのイメージは「役を生きる」というか、そのキャラクターが本当に実在するようなリアルさを感じることが多く、硯駈にもそれをとても感じた。
目線・呼吸・ちょっとした表情の変化・そして驚いたのは44歳の佇まい。背中だけであんなにも44歳を匂わせられる?とビックリ。本当に44歳のサラリーマンがそこにいた。
松さんは言わずもがなですがそれに負けず劣らずの松村北斗、この先数え切れない賞を手にするんだろうなと思った。映画の感想でなくすみません。
何度も繰り返しタイムスリップして、どうにか未来を変えたかったカンナだけど、最後のタイムスリップで駈が放った「変えるべきは結婚した事実ではなく、結婚して過ごした15年間だと思う」というのがこの映画の本質なんだと思った。
見ている私もタイムスリップの度に、帰ったらどうか駈が生きていますように と思いながら見ていたけど駈の言葉でハッとさせられた。
目の前の事に夢中になって、大切なことを見落としてしまっていたと思う。
過去・現在・未来は繋がっている、赤ちゃんの自分とおばあちゃんの自分は同じ時間を生きている、といった台詞があったが、それは即ち15年後に駈が死んでしまうことが既に決まっているということ。今回、駈はカンナのタイムスリップにより自分の死を知ることが出来たために15年間をできるだけ後悔がないように過ごそうと自分を変えられたわけだけど、現実では自分の死を知ることなんて不可能。だから、今隣にいる人、家族、恋人、友達、沢山の繋がりを大切にして生きたいと思えた。この映画の本質は、恋ではなく、愛なのだと思った。
個人的に、塚原あゆ子さんの作品は大好きなので今回もとても満足でした。
良い映画でした。(泣きました。)
冷めきった夫婦生活。
離婚届を記入し、届を持っていつものように出かけた夫が死んだ。
駅のホームで線路に落ちた赤ちゃんを救って。
世間ではその行動が賞賛されドラマ化の話まで来る。
が、妻は他人を助けて家族を置き去りにしたことに憤りを感じている。
離婚届は提出される前で、2人はまだ夫婦だった。
夫の死からしばらく経ち、夜に職場からの呼び出し。
車を走らせて向かう途中に崩落事故に巻き込まれて…
気づいたら15年前にタイムスリップしていた!
____________________________________________
…という感じのスタートで始まる物語。
シリアスまでいかずとも、真面目なトーンの映画かなと予想していたのですが、割とコメディ寄りな演出も多くクスクス笑ってしまう場面も多かったです。
15年前へタイムスリップしたことによって、2人が出会う前の生きている夫に出会う妻。
ひょんなことから自分の行動が未来を変える事に気づき、夫生存の道を探って試行錯誤する。
そんな中でのまだ出会っていない夫婦2人の空気感や掛け合いがとても良くて素敵でした。
ちょこちょこ出てくる回想シーンでのイチャイチャする2人にもときめきました!
こんなに相性が良くて想い合ってた2人なのに…。
小さなすれ違いが積み重なって冷めきった夫婦になってしまった今。
それでも、夫の生存ルートを手繰り寄せようとする妻の行動はやっぱり"愛"なんだよなぁと思ったり。
小さなすれ違いの積み重ねが、お互いの気持ちを見えなくさせてしまったのかな。
それでも15年という月日を夫婦として過ごしたのは、やっぱり好きだったからで、相手の気持ちが自分にあるのかを確かめる勇気がなかったから無関心を装って過ごしてしまったのかな…なんて思ったりしました。
出会う前で結婚する前の2人。
それでも「離婚したくない」と言った夫。
未来の妻に会うために、死ぬかもしれない未来の道を進もうとする夫。
離婚という決断をした妻が、自分を生かすために何度も何度も過去に来てくれていた事を知って、どんなことがあっても自分は愛されてるって自信になったんじゃないかな。
生きるか死ぬかではなく、『結婚生活をやり直したい』と言った夫が歩んだ幸せな15年。
本当にとても素敵でした!
もっともっとそんな2人を見たかったよ〜!!
これもハッピーエンドの形なんだろうと思います。
でも私はこれからも2人が一緒に過ごす結果が欲しかったなと思いました。
でもとても素敵な映画で、おすすめできる映画です!!
1つ心配なのは崩落事故の未来は変わらずにやってくるのではないのか?ということ…。
どうか無事でありますように!!
今年のNo.1候補‼️大優勝‼️
もうタイトルの通り、最高すぎた!!!!!
何だこの泣けるストーリー。
途中心臓痛くて苦しくなったよ、なんなら少し過呼吸になったよ、苦しすぎて。
まず、カンナとかけるのやり取りが好きだった。
もう時空超えて会いに行った時から夫婦出来上がってますやん!!!っていう。
そしてこんなにかける一途なの!?っていう。
カンナ自身何回も失敗してる(変人扱いをされてる)のに結局その後結婚して死別って考えただけで、結局は繋がってるんだなって思えるし、かけるの話すことがをたくすぎて面白かった笑笑
それを初対面の人に話せるっていうのが、かけるみたいな性格だからなのか、初対面でも現代と繋がってて心を許せちゃうような感覚になるのか、それはわからないし解釈の違いなんだけど、どちらにせよ素敵だなって思えた。
あとは最後伝えるところ。付箋をかけるが見てしまった後の表情もだし、それを出すときの表情、かき氷屋から逃げようとするけどそれでも追いかけてしまうような愛情、そして隠し事がある人間(しかもどこから来たのかどういう関係なのかわからないような他人)が苦しんでるのを助けるっていうそれも愛情。
その後言葉を遮らずにちゃんとカンナの言葉を最後まで聞くかける。
かけるの「ぼく離婚したくないよ」「他の人と結婚したら15年後のきみとは会えないんでしょ。見れないんでしょ。なら僕はきみがいい」ってド直球に伝える姿。
それに苦しくなるカンナ。そして私。(笑)
このシーンまじで泣ける。泣けた。泣いた。
なんだろうね。サッと爽やかに流れるように特に強く言わずに伝えるんだけどそこがまた良い。
「今日パン焼く機械届くからね」
その後パン焼き届いたのを一人で座って食べるシーンも泣けた。ソファが余ってて、そこにちゃんと空想だけど相手が存在していて、一緒に食べるはずが一人で食べててっていうどんどん針が心に刺さってきて本当にキツかった。心臓持たなかった。
「ぼくはファーストキスだもん」
ここもいいー!!!!!これ言わなかったらキスできてなかったよ!?!なんでお前はそんなに完璧なんだよかけるくん!!!!!キュン死だべ!?!
なんだが私もいつか結婚したら、こうやって笑顔絶やさずお互いが嫌だって思うことがあっても乗り越えて夫婦生活楽しみたいなって思ったなぁ。
こんないい作品は 映画正体 ぶりだな。
数ヶ月ぶりに大号泣しちゃいました笑
3.8 夫婦再生の物語でした
未来の2人を変えることはできたが、カケルの死を変えることはできなかった。
カケルは死ぬことを回避せず、かんなとの15年をやり直すことを決めた。過去の自分に会いにきてくれたカンナと15年後に会うために…
夫婦で観るべき映画だと思いました(>_<)
やり直しの果てに選んだもの
結論、幅広い年代に刺さる良作だったと思う。物語は松村北斗演じる夫と死別した松たか子がタイムスリップを繰り返し、夫の死を回避するものである。こうして文字に起こすとありきたりな映画のプロットに見えるが、そこはさすがの坂元裕二脚本で、味わい深く趣のある作品になっていたと思う。坂元節とも言われる独特の台詞回しは健在で、特にタイムスリップしている松たか子と何も知らない松村北斗と掛け合いは劇場がクスッと笑いに包まれることもあった。
タイムスリップした松たか子に全てを聞いた松村北斗は、自らの死を回避するよりも15年の結婚生活をやり直すことを選択する。生や死よりも、大好きな人と一緒に過ごす時間というのが彼にとってはなによりも大切だったのだろう。
物語の最後に松たか子が夫の靴下を間違えてブカブカのまま履いていた描写が、日常の中にある当たり前で小さな幸せを凝縮しているようで、とても素敵な表現だと思った。
遅くなってしまった2025年1作目、この作品でいいスタートを切れたと思う。
コミカルなタイムリープもの
倦怠期の夫が事故で他界。何故か出会った日に戻れるようになった主人公が、夫が事故死しない未来にする為に奮闘する映画。
思ったよりコミカルで楽しく見れる映画。
独特のセリフと松たか子さんの芝居が心地いい。
一度好きになった人のことは何度でも好きになる。
人が人を好きになる瞬間を、何度も見ることができる素敵な映画でした。
結末を変えることはできないが、過程は変えることができる。夫の決断も良かった。
ロビーでの告白が一番グッときた。
あとは餃子。
いい映画見ました。
愛の形
松たか子のチャーミングで芯の強い姿に私もカケルも救われて惹かれたと信じたい。松村北斗に心を揺さぶられ続けた2時間半だった。時空のミルフィーユをカケルだけが知っていたからこそのプロポーズまでの短さとその時のガッツポーズかと思ったけど違った。カケルは15年後のカンナに会いたくて今のカンナと出逢い、恋をし、結婚して、お互いを想い合いながら生き抜いたんだと思った。自分の信念を曲げずに。
幸せな15年間だったとカケルの言葉で記されていてよかった。遺影のカケルが笑っていてよかった。カンナがカケルとの15年を思い返す時に笑顔と幸せに溢れているようで良かった。今まで見た愛の形で1番素敵だと思った。
別れた妻への贖罪の私の物語
これは上手く行かなかったすれ違い、道を違えた夫婦の物語。
かく言う私自身も恋愛結婚したものの、家族で生活をする為に自分の好きな趣味を捨て、家族の為に生きてきました。
家族として生きるには自分の趣味は捨てなければいけないし、仕事が楽しく仕事人間になってました。
これが家族を支える選択だとあんなに大好きな趣味を捨て、社畜になりました。
減点方式の結婚生活⋯
でもそれは最悪ではない。
人は様々な犠牲で生きていく。
並行の交わらない、交わらないボールペン。からの無の生活。
これらを共感できる夫婦は少なくないと思います。
そして、まさにこれらは我が身の出来事でした。
寝室を分け、お互いの生活にお互いが邪魔で、辛くパートナーに当たる日々が続きました。
私は結果、前妻と離婚しました。
今は再婚し、それなりに幸せな生活を送っていますが、
この映画を見て昔の感情が、爆発してしまった。
歴史を改変する為にコメディを入れつつ試行錯誤するタイムリープ。
変わらぬ未来に、事故を起こさないために、結婚をしなければいいと言うシンプルで残酷な現実を発見した際には、赤い糸を切るという発想。二人は結婚しないとそこに気づいてしまう運命に、もう映画館で声を殺して大号泣してました。
でも、離婚したくないよ。声を絞りあげながら、君に会いたいと結婚生活を改める選択を選び幸せな15年を生きる新しい日々。
Xデーの最後まで妻を愛し、感謝の手紙を書く頃には私の顔はグチャグチャ。涙が止まりませんでした。映画見て大号泣したのはひさしぶりです。
これは、本当はこうありたかった自分の私の物語。
この映画を見て、前の奥さんに離婚したくない。やり直したい。
忙しく、日々の生活のすれ違いを理由にベットを別々にして本当にすまない。
影で支えてくれていた奥さんに苛立ちを態度に出して共同生活を見出してごめんなさい。
これは本当にあった私の物語。
私もミルフィーユのように過去に戻って、離婚したくない。自分のした罪を償いやり直したい。。。
伏線を回収し、少し強引な展開もツッコミを入れながらも、基本的に丁寧なSFとして描かれる事に関心しつつも自分の過去が覆いかぶさり冷静に見れてません。
自分の心があまりに抉られ、5回劇場に見に行きました。
過去の妻への贖罪が何度も足を運ばせています。
きっと、公開中。まだ行く事になるでしょう。
今、再婚しそれなりの幸せを掴んでいますが、過去の妻への贖罪が終わらぬ限り、映画館足を運び続けます。
今、パートナーとうまく行っていない人はパートナーに少しだけ優しくなれる素晴らしい作品と脚本です。
松たか子の若い時のハット息を飲む美しさ。
スーパーマリオのスターを取りキラキラして無敵になった状態の凄みを感じました。
私も肌にハリがなくなり、白髪が目立ち老いを感じる日々。
若く無敵で怖いものなど無かった若き自分を振り返り、人生平等に歳を重ねる残酷さ。
松たか子と同年代故に刺さる。
また妻への贖罪の為、劇場に足を運びます。
素晴らしい映画をありがとう。
でも少し大人の恋愛映画としてビター過ぎます。
だが。それがいい。
ファーストキスのタイトル回収をされた意味と感動は忘れられません。
餃子に始まり餃子で終わるのも素晴らしい。
また次の休み6回目の妻への贖罪をしてきたいと考えています。
ありがとう。そして元妻へごめんなさい。
ソファの真ん中はしっくりこない人生にしたい
見終わってすぐよりも、今の方がじわじわと映画の良さが押し寄せている。坂元さんの脚本って、例えの言葉のチョイスが面白くて素敵。結末は変えられなくても過程は変えられる。価値観が合わないじゃなくて歩み寄り。そういう風に近くの人を大切にしていきたいと思える映画だった。
夫が死ぬ、くらいでないと愛は回復できないのかも…
高速道路の天井崩落をきっかけに過去のある一日だけにタイムスリップできるという設定は興味深い。
何回も何日も、工事中の高速道路のトンネルに突っ込んで一度も咎められないのだろうかとか、
同じ場面、同じセット、同じ役者での撮りなおしなので製作費が浮いただろう、
とか野暮なことは言わないのがお約束。
松村北斗が最初画面に登場した時、この人こんなに腹が出てたっけ、とすぐに違和感を感じたが、タイムスリップをした段階でなるほどと納得。
離婚届けを手にしたまま硯駈(すずりかける)は事故で無くなるのだが、あんな男死んで清々したとか、離婚成立前に死んでくれて生命保険がはいると喜ぶとかにならなくてよかった。
逆に言うと、配偶者が死ぬというレベルのイベントがないと夫婦関係は改善できないのかもしれないと独身者の私は勘ぐってしまった。
カンナ(松たか子)は夫の死を何とか回避しようとして奔走し、結婚自体がなくなればよいと思い立ち、15年前の夫からの恋の告白をひどい言葉で否定するところが、至高の愛の言葉になっているところは泣けるところだ。
その奔走が夫への愛を回復させる。
夫が死ぬという一番重い現実は変えられなかった。
しかしそこに至るプロセスは15年という貴重な時間となって残った。
既婚者は配偶者のありがたみが身に染みることだろう。
駈が死ぬ前日にカンナに手紙を残す。
そこまで冷静なら死を避けられそうにも思うが、それが出来ないというのが運命の受容というものなのだろう。
ああいう形で女性は言葉にして欲しいものなのだろうと妙に納得した。
しかし、行為や、出来事や、背景や、絵ではなく、直接「手紙の言葉」に愛を語らせるのは映画としてどうなの?と思わないではなかった。
ふ~ん。
松村北斗が硯駈のちょっと浮世じみたキャラをよく演じたと感心した。
追記
同じものを共有してしまう。ついうっかり、無意識に。
二人の親密性を表す良い描写だとは思うが、
そのアイテムとして靴下ってどうなんでしょう?
あれはサイズ感が半端ないので女性が男性物をはくとブカブカで大変な違和感の気もします。
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