ファーストキス 1ST KISSのレビュー・感想・評価
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餃子
この映画を見れて良かったと思います。
言葉の選び方が綺麗だなと感じました。
好きで始まった事が嫌いになって終わってしまう事は確かにあり、好きにならなければ良かったと感じてしまう事かあります。。
私は、この映画は好きにならなければ良かったの考え方を変えてくれる映画だなと感じました。
冒頭の餃子でその対比を綺麗にしてるようにも感じました。
始まりの餃子は、嫌な事を消す為の餃子
それはきっと、臭いものに蓋をする蓋の役割だったのかもしれません。
でも物語を通した後の終わりの餃子は、思い出を閉じ込めたタイムカプセルみたいなものだったと感じました。
過程が違うからそんな事当たり前だろと思うかもしれませんが、始まりと終わりはどっちも同じなのです。
違いは知っているか、気づけているかです。
スタートとゴールは変える事はできなくても、道のりはいくらでも選べる当たりのことかもしれませんが、慣れてしまっている小さな幸せに気づき積み重ねることが、好きにならなけれは良かったを幸せだったに変えられる魔法なのかもなと感じました。
晩御飯は餃子食べようかな。
序盤は正直退屈
登場人物に何の思い入れもない序盤でいきなりあの暴走は、正直言って『なんだコイツら…』という感じだった。餃子火にかけたままその場から離れるし、常識はずれな行動はとるし、不愉快のレベル。
起きてることに対する詳しい説明も無いまま、とんでもない事に巻き込まれるので、心の中でツッコミ入れつつ、なんとか関心を切らさないように見ていた。
時間軸がどうなってるかわからないが、少なくとも過去への行き来は数日間の間に複数回に分けて行われていた。日中仕事しながら夜はアレだと寝不足も尋常じゃなかったのではないかと。
まぁ物語としてはある意味落ち着くべきところに落ち着いたのだと思う。死人がよみがえる、というか今回のように『死ぬべき(死ぬことが既に起きた)人間』がその運命をねじ曲げて、無事生き続けるような展開を、最近はあまりしない気もする。だが、個人的には理屈が無理のない範囲であれば、無事生き延びてハッピーエンドがベストな展開なので、そこは残念なポイント。
だっていうなれば、未来から来た自分の妻から全てを聞いて、全てを承知で15年という月日を生きてきて、起こることが分かっていて妻が一人残されることを分かっていても、結局は言われていたとおりに、自分の命を赤の他人のためになげうったのだから。あれだけ愛していると言っていた妻の優先順位は何も変わらなかったわけで、そこがなんだか腑に落ちない。
あとは最後、不仲にならず終わった世界線の硯カンナ(B)と、過去に何度も足を運んでいた当初から出ていた硯カンナ(A)は別物なのかと思うので、結局Aの方はその後どうなったのかと気になるところ。
それにしても最近の技術はすごい。演者の年齢なんてどうにでもごまかせるほど、若返らせることも老けさせることも可能なのだから。
SF的な解説は重要ではない
映画館を出た直後に、2人の女性客が「ラストの意味がわからない」「辻褄が合わない」「伝えたいメッセージが分からない」と感想を伝え合っていた。
自分はラストは旦那さん視点で「やり直した15年」を描いたのだと解釈しました。
確かに主人公視点が描かれていないことでスッキリしない部分はあります。現代に戻った主人公にはどんな結末が待っていたのかわからないので。
過去に介入して書き換えられた歴史は、主人公の記憶に上書きされない事は、繰り返したタイムリープから分かっているので、幸せな15年の記憶を持つ事は出来ないだろうと想像しました。いわゆるパラレルワールドですね。
ただ、同じように彼からのメッセージを受け取ることが出来たのではないかと、そうであって欲しいと願いました。
この映画が伝えたかったメッセージが何かと言うことより、この映画から自分が受け取ったものは、「大切な相手には思いやってコミュニケーションを取ること」の重要性でした。
タイトルなし(ネタバレ)
結婚から15年。
カンナ(松たか子)と夫・駈(松村北斗)の夫婦、はじめは睦まじかったが、冷え冷えとした関係になってしまった。
離婚届を夫が持って出た日に、駈は人命救助のための事故で死んでしまう。
それからしばらく後、大きな地震があり、首都高走行中のカンナがトンネルを抜けた先は、15年前、駈と出逢った夏の日だった。
もしかしたら、彼のバイアス・思い込みを変えれば、彼を救えるかもしれないと考えたカンナは・・・
といった物語は、使い古されたタイムリープもの。
愛する人を過去に戻って救いたい・・・のようにみえるが、脚本の狙いはそこにない。
花束みたいな恋をした』同様、腐ってしまう花束にも、輝いた花束の時があった・・・みたいな物語。
うまく行かなかった結婚生活、タイムリープという驚く事件に遭遇し、うまくいかなくなる以前に立ち戻れて・・・
この前半のカンナが冷めきった夫・駈と再び出逢い、「うわぁ、いい人…」と思い直すあたりが好き。
このあたりのカンナの心理は、
「好きではなかった人を喪い、悲しいとかそういうのではなくて、自己を責め、何か埋めることはできないか」という理由なき贖罪なのか・・・
しかしながら、現在に戻って来ても、過去に戻って再び浮き立つ自分を抑えられない・・・みたいな。
が、そう描かれてもおらず。
ただただ「この人、救いたい」ゲームみたいになって、あまり面白くない。
このゲーム性要素高いエピソードは笑うに笑えず(といっても少し笑ったが)。
最終的に、しあわせな夫婦生活を送ることになるのだが、
あれれ? 心変わりは、過去の経緯から夫・駈だけで、妻・カンナはそれを知らない・・・
(夫側から変わることが重要です、と説いているのかもしれないが)
カンナが、消し忘れた電気を消すシーンなどが欲しかったかなぁ。
(つまり、妻側も変わったのよ、を示すシーンも必要)
このように脚本に穴があり、致命的穴は、映画のほとんどがカンナの視点なのに、最後の最後は夫・駈の視点になってしまう。
これはご都合主義。
過去が変わったので未来もその途中も変わるわけだが、変わった中でもカンナの一貫性が必要。
個人的には、現在に戻って来たら、しあわせな生活になっていた・・・
が、その大半は忘れていた。
腐った花束みたいな毎日だったかもしれないが、意外といい夫婦生活だった。
部屋中央の螺旋の洗濯物干しに、しあわせな時間の記録が残っていた。
15年のエピソード。
初めは密に、後には疎らに。
でも、しあわせな夫婦生活だった・・・
な、ややビターテイストも含めての感じで。
死ぬか死なないか、結果がすべて・・・ではない物語は良い。
が、物足りないなぁ、という感じでした。
少しウルルと来たけれど。
「崩落事故でカンナは亡くなっている」もう一つのストーリー
タイムリープの設定が腑に落ちなくて2度鑑賞し、2度目の鑑賞で標題の「崩落事故の段階で、カンナは死んでる」説に立ったもう一つのストーリーを考えるようになりました。「これが正解」というつもりはなくて、作中で「ミルフィーユのように時間が成立」しているように、この映画自体も複数のストーリーを許容する重層的な作りを意図して作られているのではないかと想像しています。
「なぜそう思うか」を、つらつらと書いていきます。
まず、三宅坂JCTで崩落事故に遭遇したカンナの車はコントロールを失い、横滑りしています。迫りくる障害物に恐怖するカンナの顔が映された後、衝撃音とともに暗転。そこで過去にタイムリープします。どうみても無傷ではすまない状況ですが、トンネルを抜けたカンナは無事。車も傷一つない。アナザーストーリーを想像するきっかけは、このシーンの不自然な演出。(もしかしてカンナはここで死んでる…?)と思い始めたことが理由です。
では、トンネル事故後に展開されるストーリーは何かというと「カンナが死の間際に見る予知夢」なのではないでしょうか。自分が生きていたら体験したかもしれない「希望的な未来」を、事故に巻き込まれたカンナが臨終間際に走馬灯のように見た。この解釈に立つと、いろいろ言われている時空の設定上の矛盾も、タイムリープも「夢」ということで説明がつきます。
この「死の間際に見る予知夢」のプロットは、古くはアンブローズ・ビアスの短編小説「アウルクリーク橋の出来事」で描かれています。これは絞首刑に処される男が主人公の話。男は処刑のために首に縄を結ばれ、橋の上に立たされています。いざ処刑が執行され橋から落とされるのですが、運よく縄が切れて助かります。上から射撃されたりしながらも、命からがら川を泳ぎ切り家へたどり着きます。そこで妻がやさしく手を広げて自分を迎えるのが目に入る。「なんて幸せな人生なんだ」と実感したその瞬間、男は首に強い衝撃を感じて絶命するというストーリーです。本当は縄は切れておらず、橋から落ちて縊死するまでのわずかの時間に、もしかしたら起こりえるかもしれない未来を、まるで本当に起こったことのように幻想して死ぬ男の不思議な物語です。ネタバレになりますが、映画「ジェイコブス・ラダー」や「ルル・オン・ザ・ブリッジ」でもこのプロットは使われています。
このプロットをうかがわせる要素がいくつか本作に散りばめてあります。
例えば、駈の研究テーマであるハルキゲニアのラテン語の意味は「夢想」です。上下左右が逆転するこの生物の学術的な発見エピソードは、「夫婦生活は視点を変えることで不幸を幸せに変えることができる」といった含蓄のようにも思えますが、他にも様々な解釈が成り立ちいまいちピンときません。ここは「カンナの予知夢」を暗喩する存在としてのハルキゲニアだったのではないでしょうか。
同じような暗喩がもう一つ。主人公の名前は「栞奈」や「環奈」ではなくカタカナのカンナです。カタカナで書くカンナは南米原産の花の名前でもあります。この花の花言葉は「妄想」。さらに赤いカンナは「堅実な最期」です。臨終の際に駈との堅実で幸せな生活が実現した様子を夢に見て、安らかに眠りにつく。そんなストーリーを演じる主人公だからカンナという名前なのかもしれません。
カンナが駈とかき氷屋に並んでる場面で、駈は地球の歴史と比較して「人の一生なんてチュンという間に終わってしまう」と語ります。このセリフは、映画冒頭の電車事故のシーンでも駈のモノローグとして流れます。まるで「これから描かれるストーリーは、カンナが死の間際に見るチュンという間のできこと」と暗示しているように感じます。
もう一つ、カンナが過去に戻った際に「森林からカンナを見ている鹿」が何度か登場します。鹿はシシ神と呼ばれ、生命与奪の力をもつといわれています。死の間際にいるカンナを見守る存在として、鹿を登場させているのではないでしょうか。
要所要所で登場するチェキで撮影する2人の子供の存在も謎めいていて、まるで冥府からの使いのようにも思えます。
他にもあるかもしれませんが、これらの要素からだけでもこの映画が「カンナが臨終間際に見ている夢」である解釈を許容できそうな気がします。
最後に、このプロットのみで成立する一つの幸せな結末について書いてみます。
多くの方が指摘しているように本作は時間軸の設定があいまいです。(だから予知夢のプロットが成立する隙があります)前半で不幸な結婚生活の描写があり、終わりに幸せな結婚生活が存在するような演出から、複数の時空が存在するマルチバース(多元的宇宙)のようでもあります。また、作中でカンナの同僚の森七菜が「過去も未来もミルフィーユのように存在している」とブロック宇宙論らしき解説をしてくれます。このように複数の宇宙理論が登場するため観客を混乱させますが、トウモロコシや非常ベルのエピソードが描いている通り、過去に干渉すると未来が変わる同一時間軸上のユニバース(一元的宇宙)が一番しっくりきます。
では、ユニバースだった場合どうなるか?映画の最後に描かれる「幸せな結婚生活を送った硯夫妻の世界」では、私たちが感情移入していた、何度もタイムリープして駈を救おうとするカンナは存在しません。駈が亡くなった後、未亡人として生きるカンナの人生が続きます。離婚するほどの関係であっても、自分を残して死んだ駈を恨んで(想って)いたカンナです。まして、幸せな生活を送ったカンナが駈を失った喪失感に耐えられるでしょうか?映画で描かれた後の時間は、カンナにとってとても悲しいものになりそうです。
マルチバースでは、過去を変えても、そこから分岐した別世界の未来が作られるため、元のカンナがいる世界は変わりません。トウモロコシや非常ベルのエピソードが成立しないので、理論的な説明ができず、無理くり結果を想像してみると、最後のタイムリープの延長線にある未来は、上に書いたユニバースと同じ結果になります。一方で、最後のタイムリープで自分の素性を明かして若い駈との幸福な時間を過ごしたカンナは、元の世界へ戻ります。元の世界では、遺影の駈は難しい顔をしているし、離婚届を書いた事実はそのまま。餃子も焦げています。タイムリープで若い駈と過ごした思い出が生きていく励みになるかもしれませんが、経験していない幸せな結婚生活を実感することはありません。
タイムリープするカンナが幸せを実感できるとしたら、不幸な結婚生活の後に過去へ戻り、若い頃の駈に影響を及ぼし、その先の未来で幸せな結婚生活が実現するという一連の流れを「映画の観客のように見届ける」ことでしか達成できません。
「夢」の話にもどります。このプロットを採用すると、本作はメタ構造になります。本作の主要パートである三宅坂の事故後のストーリーはすべてカンナの夢。私たちは夢を見ているカンナを鑑賞していることになります。この視点の構造的な変化は、カンナは「私たちが鑑賞している映画」と同じ情景を「夢」として見ていることを意味します。まるで映画の観客のように一連のストーリーを見届けているわけです。そして私が(おそらく多くの方が)本作を見て感じたように、満ち足りた感情を持って幸せのまま天に召されるわけです。
予知夢落ちのストーリーでは、最後に主人公がすでに死んでいる情景を見せて落ちを明かしますが、この映画ではそれがありません。そう描くことでストーリーが固定化してしまい、重層的な解釈をする楽しみがなくなることを懸念して、このラストになっているのだとしたら、まさに今、私はその楽しみをしみじみと味わっています。いい映画でした。
45歳のカンナは幸せな人生を過ごせただろうか
何度も未来を変えようと頑張った45歳のカンナは、最後のタイムリープを終えた後、かけるの愛を感じて幸せに生きることができただろうか、と想いを馳せてしまう。
未来を知ったかけるとの幸せな夫婦生活は、実感することはないながらも、かけるが過去を明るいものに塗り替えてくれた痕跡をたどりながら、幸せに生きたことを願いたい。あの手紙の本当の意味を理解できるのは、45歳のカンナなのだから、きっと大丈夫だったと思いたい。
リアリティはないけど素敵な映画
恋愛映画でタイムスリップものはリアリティがなくて感情移入しずらかった。
でも何度もタイムスリップする中で、かけるが出会ったばかりのカンナに何度も恋に落ちる所や、カンナが突き放しても結局未来では結婚している所、自分が死ぬとわかっても尚カンナと結婚したい、離婚したくないと伝える所は「運命の人」という言葉を信じたくなるような良いシーンだった。
タイムスリップする前の2人の夫婦関係は破綻していたのに、かけるが自分が死ぬことを知った後の世界線ではカンナとかけるの夫婦仲が良くなっていたことが、夫婦関係は相手への思いやりや歩み寄りで良いものに変わるというところがとても大切に感じた。
私たちはタイムスリップなんかできないし、過去を悔やんでも仕方がない。大事なのは今、未来の自分が後悔しないために、今一緒に居る相手を大切に過ごすことなんだと感じさせられた。
普段ラブストーリーは殆ど観ないが・・・ 間違い無く2025年を代表する一作
そよ風にさざめく木々の音、白樺並木の中で 駈がカンナに話す。
「あなたに恋をし始めているからでしょうか?だからあなたに会いたい、あなたの事が知りたい」
「一生・・・わからなくていいと思う」
そんな会話だったろうか。カンナが過去を変える為に出逢わなかった事にすると決意した後の二人のやりとりだ。
カンナは離婚を決意するまで冷めてしまった相手なのに、それでも生きていて欲しい、過去を変えれば生き続けてくれると・・・。
何故?
カンナが15年連れ添った駈への思いは“言葉”では表現しきれなかったのかもしれないし、男性目線で観るとその“理由”はわからないのかもしれない。
カンナは「過去を書き変える事が出来れば、あなたが死ななかった“今”を作れるかもしれない」
そう言って、何度も過去にタイムリープする、しかし、無情にも思い通りの“今”は訪れない
「あなたを助ける方法は、私達は出会わない、結婚しない。もうここしか無いよ・・・」
ちょっとしたボタンのかけ違いからすれ違ってしまった二人だが、本当はお互いの事を心の底では思い続けている。
それを愛と言う一言で片付けていいのかはわからないけど、行間に“言葉”には表せない思いが詰まっている。
カンナは“今”を変える事はできたのだろうか?
何度も何度も過去に戻って修正を重ねても、駈の“運命”は変えられなかったかもしれない。
だけれども、二人にとっての“今”は変える事が出来たのだと思う。
「餃子を焼く前に戻りたい」全ての始まりは、3年前代引きで注文し焦がしてしまった餃子。
そして“今”、チャイムが鳴って受け取ったのは、まだ焼いていない駈が頼んでくれた餃子。
恐らく、来年の日本アカデミー賞主演女優賞は松たか子さんで決まりなんでは無いだろうか。
そう思わせるほど、松さんがCUTE過ぎる。
年齢を重ねた役になる事より、若かった頃に戻る方が難しい。“15年前”の松さんは、本当に15年前に戻っていた。それどころか「HERO」の頃の松さんほど。
脚本の坂元裕二&松たか子コンビはドラマ「カルテット」(2017)、「大豆田とわ子と三人の元夫」(2021)でもタッグを組んでいるが、この二作品が好きな人なら間違いなく刺さると思う。
監督塚原あゆ子、脚本坂元裕二、撮影:四宮秀俊ってだけでも劇場に足を運びたくなるが、音響も素晴らしかった。
映画館で観るべき2025年を代表する一作。
一つ注文があるとすれば、「FIRST KISS」というタイトルがしっくりこないし、そんなタイトルにしてしまったからなのかのキスシーンは要らなかったかな。
生き方をちょっと変えてみようかな〜
昔の自分に戻っている(自分はひとり)タイムスリップではなくて、パラレルワールドに入り込む(自分がふたり)という方です。
パラレルワールドを扱った話も最近多いのけれど、この映画はなかなか面白かったです。
松たか子って、コミカルな演技って本当にうまいですね😊雑な女の人の演技もピカイチです。
自然な感じがとっても良かったです。
駈からの「これ以上ドキドキさせないで」みたいな事を言われて、おかわりするのはめっちゃ可愛かったです💕
気持ちわかります❣️
最初は駈に会いにいくだけだったけど、未来に影響を及ぼす事がわかると、駈を死なせない方法があるのではないかと思い始めて。。。
ラストはネタバレになるから言えないけど、人生って生きる長さではないんですね。
どの様に生きていくかが大切で、笑顔で毎日生きていった方が、周りもハッピーにしていくって事ですよね。
しかし人間だもの難しい💦
私も機嫌の悪さを、扉の開け閉めの音で表現してしまいます(笑)
旦那も一緒、お互い様です(笑)
ため息もつくし、不機嫌になって喋らなくなるし。
でも「おはよう」「行ってきます」など挨拶はします(笑)
なんやかんやで35年やってきました😅
これから少し変わってみようかなーって思える映画でした。
穏やかで、幸せな未来に近づいてくれるかなー。
素敵な映画でした✨
抗えないものと変えられるもの
バツイチの私。
前夫とは何をどう変えられるとしても
もう2度と結婚したくない。
よく言うあれ“女は上書き保存”だ、まさに。
この夫婦はすれ違った上に離婚届も書くけど
運命のいたずらか提出する前に夫が亡くなる
どこか気持ちを残したまま相手に死なれて
前に進めないまま無気力に日々をこなす
45歳の女性がイキイキと蘇る様の面白さよ
15歳も若い相手に合わせようとオシャレし
メイクを頑張りどんどんキレイになってく
ここの描き方はさすが女性監督だと思う!
何度もやり直してでも死んで欲しくない愛を
段々と実感していく感じもせつないのに
ところどころ小さな笑いが楽しかった
結局は抗えないものもあったけど
2人で過ごす15年が素晴らしいものになり
観ていて幸せな気持ちになりました
あたたかくて、せつなくて、幸せな
美しい物語でした
オール・ユー・ニード・イズ・告白
40歳過ぎた頃、同僚に聞いたんです。「今でもお出かけのチューとかしたりするの?ニヤニヤ」。そしたら同僚はこう言ったんです。「僕たちは何でも言い合って来た仲なのでもう完全に家族になったんです。妻は謂わば妹と同じなんです。僕は妹とはキスしません。」。独身の私は“あー成程な“と不思議に納得してこう言ってやったんです。「確かに!俺も弟とはキスしないわ。」ってね!
ガサツ女とイヤミ男、いつしか会話もなくなり家庭内別居、離婚届提出日当日に事故に遭い夫を亡くし、偶然??にも二人が出会った場所にタイムリープを繰り返し、果たして夫を救えるか、と言う話。全編の会話センスが秀逸でもどかしい所を突いてくる。だから未来の妻と打ち明けた時に一気にもどかしさが解放され、続く“ファーストキス“でカタルシスが最高潮に達する。二回ほど涙をグッと堪えて、、、3列ほど後ろに座っていた若い女性達に涙を見られるのを恥ずかしがった訳じゃないのですが、涙ポロリをグッと堪えることが・・・堪えることが出来ちゃった、と言うのは前半の引っ掛かりがずっと頭に残っていたからです。
正直な所、カンナが何故夫を生き返らせたいのか、家族の情があるから生き返らせてスッキリ別れたいのか生き返らせてもう一度関係をやり直したいのか、どうやったらそれを達成できると思っているのかが自分にはよくわからず、若い元夫カケルをかき氷デートに連れ出すためにどうしたら良いか模索しているようにしか見えず、勿論その後の説得によって事故当日の行動を変化させて事故に遭わないようにすると云う目標だったと解る訳ですが、そんなピンポイントな影響を願うのは無理がないですかねと思える筋がイマイチしっくり来なかったんです。原作未読なのでもしかしたら原作には書いてあるのかも知れませんけども、上映時間の都合上主要イベントのみピックアップして映像化するしかなかったと云う事なら良くある話。
恋に堕ちるまでの話によくあるはずの「特別な出会い」「お互いの理解」「心の共鳴」の描写が弱いのか見逃したのか、そもそも現カンナは説得するために信頼を得ようとしていただけなのか若カケルとの一刻の恋を楽しもうとしていたのか、その辺りが見えず引っかかっていたんです。例えば王道ストーリーなら1巡目で直行でカケルを捕まえて文句を言ったら不審者扱いされて警察を呼ばれそうになる、2巡目は色仕掛けで近づいたら吉岡里帆にシッシッされて近づけない、3巡目で犬に襲われて若カケルに助けてもらうもその場でアッサリさようなら、4巡目にカケルの形見の古代海洋生物“アノマロカリス“のキーホルダーを持ってきてキッカケを作りかき氷屋に向かうことに成功するも現カケルの悪口を誰のことか伏せて言ってたらカケルに引かれてしまう、5巡目で現カケルの好きだった所を誰のことか伏せて若カケルに話している内に現カケルのことがやっぱり好きだと再認識、若カケルも何故だか他人事と思えなくなってカンナと心が共鳴し始める、とかとか素人の私が考えつくようなこんな話なら“さいきょうの凡作“確定なのですが、端的に言うと若カケルが15歳年上の現カンナにビビッと来た理由が掴めなかったんです。また松たかこさんも若く見えるから、ほんの五つぐらい歳上と見えてたって事なんでしょうかね。
とは言え、道中会話が噛み合ってくる感じ、現カンナがカケルが気に入っていた会話の感じを思い出しながら再現したかのような会話劇は“この人とならずっと一緒に居られるかも“と言う感じが出ていて、それは“ずっと一緒に居たから“と“ずっと一緒に居たのに“という「美しい思い出」と「悲しい結末」の二つの思いが交錯するように見えてやるせない気持ちになりました。話が進むにつれ気になってくるのは「これラストどうなるの?」と言うところ。もし説得に成功して現カケルが生存することになったならタイムリープする理由が無くなって若カケルの目の前で現カンナは消えるのかな、目の前から消えると言えばアニメ映画「君の名は」のクレーター円環での時空を超えた出会いと忽然と消えた時の強烈な喪失感、あんな感じの名シーンがまた生まれるんだろうか、とその瞬間を待っていました。
結局説得は成功せず目の前から消えることもなく肩透かし、過去を弄って幸せな結婚生活に変わっても事故に巻き込まれ死亡届を役所に出すはめになるバッドエンドと思いきや、この時空線では調理前に戻りたいと願う餃子が今届いたところ、タイムリープするのはこの後ですからまた1巡目から再スタートのはずです。私の考える“さいきょうの凡作“では再び何度もタイムリープを繰り返して“もう若カケルはアテにならん“と結論付け、「15年後にこれをカンナに渡せ」と若カケルに手紙を託しカケルの手の平にマジックで何か書いて目の前から消え、15年後の事故当日に手紙を読んだカンナが対面ホームに現れ線路に落ちかけたベビーカーをガッチリ掴んで誰もホームに落ちなかった、と言うハッピーエンドですかね。
映画全体がいい雰囲気、会話もセンスがあって、あと少しカケル・カンナ両者の琴線に触れる描写があれば同じタイムリープ恋愛作品の「アバウトタイム」クラスの傑作に思えたかも、30分ぐらいエピソードを追加した「ファーストキス1stKISSディレクターズカット版」が出ることがあったら必ず観てみたいですね。今気が付きましたが“餃子型タイムマシン“だったんですかね。さらにずーっと未来のカケルからの贈り物だったのかも知れません。
予想と違った、いい意味で
泣く気満々で行ったら全然違った!
2024年ではラブラブじゃないし、2009年ではラブコメだし
しかしラストはやっぱり泣かせる展開へ
やっぱり救えないんだろうな、と思いながらも、もしかしたら?と期待しながら観てました。
最後は、夫側の時間軸で15年経過していきあの結末を迎えるのだが、トンネル通って15年後に帰った妻側の結末はどうなったんだろう?
おそらく似たような結末だとは思うが、少し期待を持たせるところも良かったです。
坂元裕二脚本、おそるべし
駈(松村北斗)を殺すな!!!
私は主人公もしくはその近しい人が物語序盤または中盤に死期が明確に宣告され、終盤にその人の死を以て完結するという、いわゆる「余命もの」が大っっ嫌いである。
その理由は主に2つ
1つは物語として安易である事。
死は無慈悲で容赦がない。恋人、家族、友人が亡くなれば、深い悲しみを抱える。それは至極当たり前。
死は観客の感情に直接訴えかけやすく、映画内に於ける演出の工夫や人物描写の積み重ねが不十分でも「命の尊さ」「別れの悲しみ」と言った、人が持つ普遍的な感情につけ込み帰結させ、一定程度の悲しみや感動を担保させてしまう。結果として「泣かせよう」という制作側の意図が過剰に押し出され、非常に作為的に感じてしまう。そうした「死=感動」という簡単な図式を立て、死を表面的な感動として回収してしまう事への反発や違和感を覚えてしまう。
また、脚本家や映画監督に限らず、広く表現を生業とする者にとって、自らの作品を通じて鑑賞者に何らかの問いを投げかけ、心を揺れ動かすことこそが、その本分ではないのか。それを死という究極的な出来事を用いながら、受け手にただ「尊い」「悲しい」といった極めて通俗的で予測可能な感情のみを抱かせて終わらせてしまう事に創作者としての責任や覚悟が果たしてあるのかという疑問も生まれてしまう。
2つめは、死が目的化されている事。
アクション映画で殺される敵役、推理映画で殺される被害者といった死と「余命もの」で扱われる死とでは意味合いが大きく異なる。
前者は物語を動かす契機や背景として、謂わば映画の単なる要素として存在し「死」そのものが主題ではない。
一方後者は「死」そのものが物語の終着点、すなわち目的として設定される。映画内の人物は死に向けた物語の進行を余儀なくされ、その死を以て作品が完結する構造がみられる。この場合の予定調和的に組まれた死は、死の持つ不可逆性、理不尽さ、無慈悲さといったものが切り捨てられ「感動出来る結末」として物語を完成させる役割を担わされ、感動を誘発させる為だけの道具として扱われてしまう。
結果として、「余命もの」は死が本来有するはずの尊厳を大きく傷つけ、死が「死にゆく役割」として矮小化されてしまう。
以上から私が「余命もの」を忌み嫌う理由である。
前置きが長くなってしまったが、本作は例に漏れず、この「余命もの」という枠組みに入る。
ただ、私が3.5という高評価(個人的な評価軸に基づいて3.5は秀作の部類である)を下したのは、本作が「余命もの」に分類される作品ではあるものの、そこに「タイムトラベル」(タイムトラベルの際の様々な設定の粗さについて今回は目を瞑る)という要素を巧みに織り交ぜ、「関係の修復」という新たな視点を打ち出している事に特色が見られたからである。さらに、物語後半において主人公カンナと駈の立場が逆転する構成も、鑑賞者に新鮮な印象を与える要因となっている。
劇中、カンナは駈の死を回避すべく奔走し、併せて2人の関係を修復するためにも奮闘する。その過程で、ある一言の言葉を聞くためだけに幾度となくタイムスリップを繰り返す様子が描かれるが、そうしたドラマ展開に時折コミカルな表現を差し挟む脚本構成や、節々に輝きを放つセリフの数々は秀逸である。
そして、物語前半ではカンナが過去に遡ることで駈と未来について語り、駈自身が自らの行く末を受け入れ、残された15年をいかに生きるかを模索する様が描かれる。その過程で、未来を知らぬ過去のカンナと改めて出会い、今度は駈がカンナとの日々に思いを馳せながら、前向きに人生を歩もうとする姿勢を見せる。この両者の優位性という立場の転換が、個人的には新鮮で興味深く感じられた。
また、同種の作品が若年層を主要な対象として制作されることが多い中、本作は冷え切った夫婦関係に焦点を当て、その再生過程を描いている点において異彩を放ち、むしろ、本作の想定する視聴層は、長年連れ添ったパートナーを持つ中高年層であったというギャップ、その点においても他作品との明確な差別化が図られている。
ただやはり私にとって厄介であったのは、幕引きである。
本作においては、過去に介入することで未来が変化し得ることが明示されている。たとえば、とうもろこしが皮ごと茹でられた写真に変わっていたり、事故が発生する前に訪れる店がコロッケ屋からドーナツ屋へと替わっている描写が、その例である。したがって、駈が死亡するという未来もまた、変更可能であったはずである。
確かに、「死は定められた運命であり、変えられない」という反論も考え得る。しかし、その論拠に準じた場合、作中で描かれたある場面において矛盾が生じてしまう。それは、駈が非常停止ボタンを押した未来において、電車が脱線事故を起こし、駈を含む(確か)62名が犠牲となった場面である。当初、駈ただ一人が命を落とすはずであった場面が、彼が非常停止ボタンを押した結果として、他の61名も死亡する未来へと変容してしまったのである。この場面から「死が定められた運命である」とする仮定から齟齬が生まれる。
以上の点から考察するに、本作における「死」は、絶対不変の運命ではなく、過去の出来事からの連なりとして形作られる未来の一部であると推測できる。
では、なぜ駈はどのような未来においても最終的に命を落とす結末を迎えてしまったのか。それは、本レビュー冒頭で述べたように、駈が「余命もの」というジャンルに則った作品構造を成立させるため、物語の演出上、死を免れ得ぬ存在として、いわば物語によって殺されたのである。私は駈の死を安易的かつ目的として扱うことがやはり許せないのである。
もちろん、これらは大衆娯楽において「死」を題材にし、取り扱うこと自体を否定するものではない。私が強く指摘したいのは「人の生き死にを物語の主題に据えておいて、それを軽薄な道具として扱うべきではない」という事である。そして、そのような願いを込めて、本レビューのタイトルを決めた。
ただ、留意すべき点は、物語の発端と結末に関して、あくまで個人的な好みに合致しなかったに過ぎず、本作そのものを低評価する意図はないということである。
むしろ、先述の通り、本作は「余命もの」というジャンルにありがちな、表層的かつ凡庸な作品に陥るところを、「タイムトラベル」という要素の導入や視点の工夫によって新たな価値を見出し、物語としての面白さを確立している点に特筆すべきものがある。
さらに、物語中盤における脚本構成と、出演者らによる説得力ある確かな演技と魅力あるセリフの数々によって作品を力強く下支えしており、総じて良質な作品に仕上がっていることは間違いない。
追伸、題名の意味が十分に汲み取れなかった。
個人的には「靴下」「餃子」「トースト」などでも良かったのではないかと邪推だと承知の上で考えてしまった。
追伸、パンフレットが非常に素敵でセンス抜群です。ぜひ買うことをおすすめします!
コケティッシュな松たか子の魅力全開!「これ以上ボクをドキドキさせないで下さい!」
アクシデントで右手小指を骨折してしまい2週間ぶりに映画館へ。浦和で「1ST KISS」を。
昔「ミステリーゾーン」に(あれ?アウターリミッツかな)タイムトラベルして過去の出来事を変えようとして、いくら経過を変えても(原爆投下とか)結果は変えられない、と言う話があったのを思い出した。
7月、カケル(松村北斗)はホームから落ちたベビーカーの赤ちゃんを救うために線路で電車に轢かれて亡くなる。結婚して15年、好きあって結婚した二人も夫婦関係は冷え離婚届を出す予定の日だった。
離婚する日とはいえ、夫を亡くしたカンナ(松たか子)はショックをひきずる。冬の寒さに震えて目を覚ます。寒いのはカンナの心もか。3年待ちの餃子が届いた。寒さに鼻をすすりながら餃子を受け取り、調理するが失敗する。その時、仕事の呼び出しの電話を受け車を飛ばす。「餃子を焼く前に戻りたい!」トンネル内で落盤事故が発生し、カンナの車は巻き込まれそうになる。トンネルを抜けるとそこは夏だった。それも15年前の2009年の夏。これは一体どういう事なのか?
トンネルの向こうは別世界、「千と千尋の神隠し」
その15年前の世界で、二人が出会う前のカケルに出会う。慌てて未来へ戻るカンナ。
バックトゥザフューチャー。
どうやら落盤事故で時空の歪みが生じて15年前の世界と繋がったようである(ここ説明不足)。TVのニュースでは事故現場の復旧に時間がかかると告げている。
復旧するまでの間にそこから何度も過去に戻って、夫を「死」に向かわせないために歴史を変えるべく奮闘するカンナ。その姿が可笑しくもあり、悲しくもある。
冬の格好で夏に行ったカンナがホテルの店で1000円のバーゲンで買ったTシャツがかき氷柄。有名なかき氷屋に二人で行ってもいつもかき氷は食べられない。
「死」から逃れるために結婚する相手をカケルの師の天馬教授の娘(吉岡里帆)にしようともするのだが…。
かき氷屋の列で後ろに並んでいたギャルに指摘される「教授の娘に興味は無いの。オバさんが好きなんだよ」(ズバリです)
何度も過去に戻って出会う以前のカケルに恋するカンナと、15年後のカンナに恋するカケル。いくら経過を変えても「死」と言う結果を変える事は出来ない。
15年後の世界でカンナの所に天馬教授の娘が訪ねて来る。カケルが亡くなる日に15年振りに町で出会ったと言うのだ。「カケルは幸せでしたか?」
明日、落盤事故現場が復旧すると言うニュースに、これが最後と意を決したカンナは過去に戻って二人でかき氷屋へ走る。いつも食べられなかったかき氷を注文するが、カンナが落としたポスト・イットをカケルが拾ってしまう。そこには2024年7月にカケルが死んだ事が書かれていた。問い詰められたカンナは本当の事を話す。その時、カケルはカンナがカケルの靴下を履いているのに気付く。「その子は助かったの?」「助かった」「それは良かった」
カンナは15年後の世界に戻る。もう2度とカケルに会う事は出来ない。
カケルは、15年後に自分が亡くなる事を知りながら15年前のカンナと出会い、結婚して幸せな結婚生活を送る。離婚もしない。
15年前のカンナは、15年後にカケルが亡くなる事を知らず幸せな結婚生活を送る。
二人で朝食、カンナはパン、カケルはTKGだが同じテーブルで。別の世界では別々だった。カケルはトースターを買ってくれる。
やってくる避ける事が出来ないカケルの死。
死亡届を出したカンナはカケルの残した手紙に気付く。そこに書かれていたのは…。
夏の日差しの中、3年待ちの餃子が届いた。そうか、カケルが頼んでくれたんだ。
「ありがとう」カンナは笑顔だった。
コケティッシュな魅力全開の松たか子が最高だ。変なオヤジを演じたらリリー・フランキー、いい奴を演じたら松村北斗だな。脇役の「ディア・ファミリー」でも松村北斗はいい奴だった。
おまけ
結局、かき氷は食べられ無かった。
やっぱり松たか子はパンだね。でもトーストは皿に乗せましょう。春のパン祭りでもらったでしょ。
え?松たか子、パンを食べるときに、あの白いお皿を使わないの?
映画冒頭、夫婦仲が悪くて朝食を別々にとるのだが、松たか子はいつも焼いたパンとコーヒーを食するのだが、
あれだけ、春のパンまつりでパンを食っていて、白いお皿も手裏剣にして投げるほど、お皿を持っている( 違うかもしれないが) 松たか子が、コーヒーカップの上にパンを乗せて、食べるのだ。
何で、そんな面倒くさい食べ方をするの?山崎パンに申し訳ないと思わないのか?
↑ おい
と、思うが、映画のラストで、その理由が分かるのだ。エンドロールは見過ごしたけど、山崎パンは協賛していない筈。っていうか、協賛してたら凄いと思う。
脚本家はTVドラマでは、散々楽しませてくれたけど、この人が書く映画の脚本って、何かイマイチなんだよなぁ?
タイムリープものって、余程、脚本の出来が良くないと目も当てられないモノになってしまうのだが、本作はそこがイマイチ。
YOUが出演していたシーンなんて、あれ、何の意味があったのだろうか?やっつけ仕事すぎ。
あと、松たか子と旦那も性格が悪いので、役柄に感情移入しずらい。旦那になる男が、好きなコロッケ屋さんをdisるとことかね?
いるじゃん?見た目は美人なのに、腹黒い所が表情に出ちゃって、男から好かれなくて、ずっとお一人様のアラサー、アラフォー女がさ?
何で、そんな底意地の悪い役に書くの?誰も得しないぜ?役者を立てろよ?意外と打たれ弱いんだぞ?役者って。
結婚する前の二人が、行列で並んでいる時に、松たか子が、
リリー・フランキー教授の娘とくっついちゃいなよ?
と、言った時に、後ろに並んでいたギャル二人が、
オバさん!教授の娘じゃなくて、あんたと付き合いたいんだよ?気づきなよ?
と、アドバイスするが、日本人のサガとして酔ってないと、他人にそこまで、お節介な事を言うだろうか?
何か台詞が不自然なんだよな?クドカンが書いた脚本なら、もっと上手い台詞を言う筈だ。
終始、クドカンだったらなぁ?岡田惠和だったらなぁ?もっと、上手い展開を書けるんだけどなぁ?と、思いました。
とはいえ、映画ラスト辺りの旦那が松たか子に宛てた手紙のシーンの所は、流石!大御所、脚本家!
泣かせるじゃねぇかよぉ?俺、人目を憚らず、泣いちゃたよ?
と、フォローをしとけば、誰にも怒られないと思う( 手遅れだ) ので、星は三つだっ!!
ラストシーンだけお勧めです。
↑ おい
非現実と現実味
タイムトラベルという非現実的な展開と
現実味ある会話の内容という対比
不思議な感覚
結婚が最善、離婚も最善
その時にそれが1番良いと思ったはずの2人
カンナはやつれるほど駈の事だけを考えてタイムスリップし続けた数日間
駈は終わりを思いながらカンナと過ごした15年間
時間の流れは違ってもきっと同じくらい相手を想っていたんだろう
でも、
カンナも、駈も、想い合う度に〝死”がよぎるのつらかっただろうな…
出会い方が変わっても、年齢が違っても
それでも惹かれ合うのが運命で、
終わりが覆らないのも必然で
タイムトラベルのタブーを犯して過去を変えようとしたのに
周りから見たら何も変わってないように見える
タイムトラベル前も後も離婚はしてないし
だけど2人が向き合って
段々と辛くなる15年間じゃなくて最初から最後まで幸せだった15年間に変わったのは大きな変化
始まりと終わりは同じでも、その間が変わって
ちゃんとタイムトラベルの意味があったんだなと
お互い後悔の残る〝終わり”から
幸せだったと思える〝終わり”になった
2人にとってのハッピーエンドになって良かった
自由にタイムトラベルが出来る、しかも車で
どう見てもSFなのにそれとは真逆な現実味
老いていく姿、夫婦のギスギス感、2人の言い回し
なんか不思議な感覚だったな
松たか子のあの独特の雰囲気、世界観と台詞が相まって
カルテット、大豆田とわ子とかが好きな人には刺さったと思う
松村北斗も良かった、2人で良かった
最後の駈目線の15年間が泣けた
プロポーズした時、OKをもらった時、
どんなに嬉しかっただろうか
大好きになってくたび、45歳のカンナに近付いていくたび
どんなに幸せでどんなに辛かっただろうか
後悔しないように過ごしたい
もう一回観たい、な
いろいろ足りないけど良いと思う
幸せだったから死んでもいいなら、
幸せだったから離婚してもいいんじゃないだろうか。
冒頭の冷め切った夫婦の姿はあれはあれで尊いんじゃないだろうか。
結局あそこに戻って来て、それでも幸せだったと感じる2人でもよかったけどなぁ。
一方やりなおしの2024の夫婦仲はなんかうそくさ(笑
冒頭の緊張感を過ぎたら、なんかちぐはぐなコントっぽい展開が続くし、
演出は意図的になのか全然盛り上げてくれないけど、
松たかこさんの演技で見られる。
電車脱線したときは結局旦那生きてたのかとか、
あなたに興味無いと振った未来はどうなってたんだとか、
時々、大事なところを飛ばしたりするし、
45歳の私には執着するのに若い私にはイマイチ興味を抱かない
彼にやや恐怖を感じたりするけど、
こういうまっすぐでやや楽しい恋愛映画は、どんどん作られて欲しい。
予告で見ようと思ったのも、そういうまっすぐなところを感じたからで、
それはちゃんとあったかなと。
バック・トゥ・ザ・フューチャー制作陣も驚愕したとかしないとか…
カケルが事故死しない未来を作ってしまった場合、
ベビーカーの赤ん坊と母親は死んじゃうんだよね?
そこはどう描くんだろう、、、
それは全然ハッピーなエンドには成り得ないぞって観てて最後までヒヤヒヤしたんだけど、
結局カケルはそれでも「見て見ぬ振りはできない」と行動して母子を助けてくれたって事なんですね
ストーリー的には
何度も過去と現在を行ったり来たり行ったり来たり、
有り得ないからこそ、可笑しくてオモシロイってのはありますよね
そして、ああいう浮世離れした感じの、人の気持ちを推し量れないような役柄(わざわざそういう設定にしている)をやらせたら、リリー・フランキーの右に出る人は恐らく日本の俳優界には居ないでしょうね
なんだかちょっとずつちょっとずつじわじわと、ボディーブローのように効いてくるコミカルさでした笑
そして、竹原ピストルの荷物配達人ね
そういうエッセンス、嫌いではありません
寧ろ大好物!( ´艸`)
タイムリープ恋愛映画
最初は何も知らなかったかけるが最後は全部知ってる側になっていて、自分の結末を受け入れて結婚生活をやり直しててよかったけど、大好きな人を残して死ぬのはうーん
Ps かけるは女の人慣れしてるのかしてないのかわからない
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